宴の庭 1
庭を繋ぐ小道を、一人の少女が歩いていた。
せっかく綺麗に編んでもらった髪はほつれ、施してもらった薄化粧も涙と共に流れている。
少女はしゃくり上げる。
初めてのパーティを少女は楽しみにしていた。両親に連れられて訪れた屋敷で、華やかな会場に心躍らせた。
けれど、それは一瞬で崩された。
少女はとぼとぼと木立の中を歩いている。自分が屋敷のどこにいるかも分からない。
木立が開けそうだと思ったのは、歩く先に木漏れ日よりはるかに明るい場所が見えたから。
だが少女は立ち竦んだ。そこから、子供たちの笑い声が聞こえてきたのだ。
また苛められる。
少女が顔を歪める。
彼女はもともと、同年代の少年を苦手としていた。彼らは大人しい少女を馬鹿にして、苛めるのだ…と彼女は思っている。
このガーデンパーティには、親に連れられた子供たちも多く参加している。特に男の子が。
少女は会場に着いた途端、家族とはぐれてしまった。それを取り囲んだのは、彼女と同じ年頃の少年たち。
「お前、どこの子?」
相手の名を訊く場合、まず自分が名乗るのが礼儀だ。だが彼らは傲慢に、少女を格下と決めて訊ねてきた。
少女は怯んでしまい、旨く言葉が出てこない。
少年たちは怯える少女に対し、からかいの言葉をかける。
「何だよ、喋れないのか?」
「自己紹介も出来ないなんて、とんだ令嬢だな!」
「あ、わかった!お前、ヘーミンの子だろ!!」
「ここは貴族の為の場所だぞ。早く出て行け」
「違う」という反論の言葉も出ず、少年たちに囃したてられて、少女は庭を追い出されるように逃げ出した。
そんな彼女だから、向こうから聞こえる少年少女の声に完全に怯えてしまっていた。
しかし、誰か大人もいるかもしれない。両親と共に、誰かが自分を探してくれているかもしれない。
微かな期待を込め、少女は震える足を踏み出す。
パーティ会場より小さな庭。そこでは様々な年齢の子供たちが遊んでいた。小さな毬が子供たちの間を行き交う。
大人の姿は見えない。誰かが自分を探している様子もない。
少女は肩を落とした。
庭の隅に、離れと思われる小さな建物がある。小道からそんなに離れておらず、子供たちは遊びに夢中でこちらには気付いていないようだ。
少女は少し隠れて休もうと、建物へと忍び込んだのである。
僅かに開かれていた窓から中に入れば、居間と思しき部屋だった。豪華ではないが、落ち着いた雰囲気の家具が並ぶ。
椅子に座ろうとして、足が止まった。
部屋には簡易ベッドのようなものがあった。ソファ代わりにも使えるものだ。恐らくは昼寝用のものだろう。
背もたれのないそれに、子供が二人、転がっていたのである。
一人は幼児。もう一人は少女と同じくらい。何故かフードを被ったままだ。
(…あ……)
フードの下に、見覚えのある枕があった。起こさないようにそっと近づく。よく見て確認すれば、間違いない。彼女の母手製の『羊の安眠枕』だ。
母はこれを、公爵子息に贈るのだと言っていた。大変な思いをした子息が、悪い夢に魘されることがないように、と。
(この子が?でもどうして…?)
少女はフードの下を覗き込むように、身を屈めた。ぐっすり眠っているのか、ピクリとも動かない。けれど、フードの奥からこぼれた髪の色に見覚えがあった。思わず手が伸びる。
「…どちら様?」
少女はびくりと手を引っ込める。顔を上げれば、不思議そうにこちらを見る少年が居た。はっとする。この少年も青銀色の髪を持っていたのだ。
だが彼女が苦手とする年頃の少年。彼女は顔を強張らせ、じりじりと後ずさった。
「招待客の子?迷子か?」
「…っ!」
少女は体を強張らせた。止まっていた涙が再び溢れだす。
少年が顔を引き攣らせた。両手を上げる。
「何で泣くんだよ!?オレ、何にもしてねぇだろ!!」
大きな声に、少女は更に縮こまる。
少年はすっかり困った様子で、手を上げ下げする。近づこうとすれば、少女が逃げるのだ。
「…びっくりしすぎてるだけ、じゃないですか?」
掠れた声が言った。
少年がほっとしたように手を下ろす。簡易ベッドに目を向けた。
「レグルス、起きたのか?」
「まくらもとでさわがれたら、いやでも、めがさめます」
フードを被った少年が体を起こす。枕を抱え、ぼんやりと隣を見た。
更に小さな少年は、全く起きる気配を見せない。あどけない寝顔を晒している。
「セイルはばくすいですか」
「疲れたんだろ」
それよりもと、二人は少女へと視線を戻した。
彼女はローブ姿の少年の後ろへと隠れた。もう一人から逃れるように。
少年二人は顔を見合わせる。
「いじめたら、だめです」
「苛めてねぇよ!!」
もう一人は足を踏み鳴らした。
レグルスは少女を座らせる。彼女の涙を拭う為、柔らかなハンカチを渡す。その間にルオーに飲み物を取ってこさせた。そして眠ったままのセイルにブランケットをかけ直す。
少女が擦るようにハンカチを押し付けているので、レグルスは彼女の手を抑えた。彼女はびくりと体を竦ませる。レグルスは構わず、ハンカチを取った。
「あ~あ。まっかじゃないですか。こすっちゃダメです」
壊れ物でも扱うように、ぽふぽふと目元に残る雫をハンカチで吸い取る。
少女は目を丸くしてレグルスを見ていた。
ルオーが果実水と軽食を持って戻ってくる。
すると彼女は再びレグルスの陰に隠れようとしたのだ。ローブを掴まれて、レグルスはフードの奥で顔を顰める。掴んでいる指先が震えているのだ。ローブが皺になるのではないかと思われる程、硬く握りしめられている。
ルオーは肩を竦めた。
「…ここ置くぞ」
テーブルの前にコップと皿を置く。そして窓際まで離れた。
レグルスはコップをとった。
「のどがかわいているでしょう?どうぞ」
少女は恐る恐るといった様子で、コップを受け取った。レグルスを見、ルオーを見る。
「……ありがと………」
小さくかすれた声が礼を言う。そしてそっと果実水を飲んだ。飲んだのは極僅かで、その後に吐いた溜息の方が長かった。
軽食の乗った皿も彼女の方へと押しやれば、少女のお腹が小さく鳴った。少女は顔を真っ赤にして俯く。
レグルスはサンドイッチを摘まんだ。
「あーん」
少女へと差し出せば、彼女は素直に口を開いた。ぱくりと噛みつく。
レグルスが皿ごと差し出せば、今度は自分で取って食べ出す。いい所の令嬢らしくがっつく様子はないが、パクパクとよく食べる。大分空腹だったようだ。
レグルスは少女の隣に座った。
「おいしいですか?」
少女はこくりと頷く。果実水で口直しをして、また食べる。
皿はあっという間に空になった。新たな皿が置かれた。今度はデザートだ。少女の眼が輝く。コップにも果実水が注がれる。
「レグルスも飲むだろ?」
「ありがとうございます」
いつの間にか外へ出ていたルオーが、色々持って戻ってきたらしい。ピッチャーに入った果実水を空のコップに注いで、レグルスに渡す。
少女はパッと頬を赤らめた。
「ありがとう……」
「ドウイタシマシテ」
ルオーは愛想もなく応えた。レグルスが苦笑を洩らす。
少女はフォークに一口サイズのケーキを刺すと、迷いながらも口に運んだ。途端、顔が綻ぶ。
二人は少女が食事をしている間、何かを訊き出すようなことはしなかった。ようやく落ち着いた様子で食事をする彼女を、決して追い込まない。
彼女が食べ終わり、ゆっくりと果実水を飲み干すまで待った。
「おかわりは?だいじょうぶですか?」
レグルスが訊ねれば、少女は頷いた。ぎゅうっとレグルスのローブの端を掴んでいる。レグルスは眉を下げる。
「みちにまよってしまいましたか?ごかぞくがしんぱいしてるでしょう」
再び少女が頷く。顔が歪んだ。
レグルスはローブの袖で少女の目元に触れる。
「だめですよ。これいじょうないたら、おめめがとけちゃいます」
優しく諭せば、少女は眉根を寄せ、唇を噛んで涙を堪えた。
レグルスはしばらく躊躇った後、少女に手を伸ばした。よしよしと頭を撫でる。
カタンと窓が鳴る。全員の視線がそちらへ向いた。入ってきたのは、孤児院の司祭だ。
「おや、本当に愛らしいお嬢様ですね」
司祭は微笑むと、躊躇いもなく少女へと近づいた。彼女の傍らに屈む。
少女はレグルスに身を寄せたが、怖がる様子はない。見知らぬ大人を警戒しているだけだ。
「初めまして。教会で司祭をしておりますフラメルと申します」
「……マディ」
少女はぽつりと答えた。
相手から名乗ってくれれば、少女も自己紹介くらい出来るのだ。彼女はじっと司祭を見ている。
司祭は警戒を解かない少女にも、いつもと変わらぬ様子で接した。
「マディ様?こちらへはご家族と一緒に来られたのですか?」
少女は頷く。
「お母さまとシェーナおばさまがお友だちなの。お父さまと小父さまも、若いころからの友人だって」
「それではグランフェルノ家のお子様方とも親しく?」
「うん。ティアお姉さまとわたしのお姉さまのお年が近いから。わたしともよく遊んでくれるの」
「お兄様方とはいかがですか?」
「お二人はおいそがしいから、あんまり…ハーヴェイお兄さまはやさしくて、会えばかまってくれるけど、シェリオンお兄さまとはお話した事ないの。いっつも無表情で、なんだかこわいし……」
最後の一言に、レグルスが頭を抱えた。後ろからそれを眺めていたルオーが噴き出す。レグルスが恨みがましげに振り向けば、視線を逸らされる。
司祭は笑みを深くした。
「きっと今日は笑ってくださいますよ。お話する時間もあるといいですね」
「そうなの?…お父さまが、以前は温和な子だったって言っていたけれど、本当?」
「ええ。ですから、大きなお庭に戻りましょうか。レグルス様、お連れしてあげて下さいね」
「ふぐっ!?」
後は司祭が何とかしてくれると暢気に果実水を飲んでいたレグルスは、危うく噴き出しそうになってしまった。むせていると、ルオーが背中を撫でてくれる。
司祭はにっこりと笑う。
「当然でしょう?貴方はこの家の住人。今日のパーティの主人ですよ」
「でっ、ででででで、でで!」
「『でも』はありません。行ってくださいますね?」
どもってきちんと発音できなかった上に、サラッと圧力がかけられた。レグルスはパタパタと忙しなく手を上下させる。
司祭はにこにこと笑っている。
少女は戸惑った様子で、二人の間で視線を右往左往させた。
「……いやです」
レグルスが微かな声で言った。司祭は眉を下げる。
「そんな事を言わずに」
「いやです!」
「…では、こちらの可愛いお嬢様がご両親に会えずに、また泣き出してしまっても構わないと仰る?」
レグルスは言葉を詰まらせた。少女へと目を向ける。彼女は銀灰色の瞳を揺らしていた。ぐっと全身を強張らせる。
ルオーが溜息を吐いた。
「さっさと行って来い。そんで、さっさと帰ってこい」
「うぅ…みんなひどいのです……」
レグルスは長椅子から飛び降りた。少女を振り返る。
「そのまえに、フレアをよんでください。このままじゃ、かわいそうです」
涙で剥がれた化粧が、擦られて酷い有様になっていた。
すぐにフレアが来て、まずは元の化粧を落とすことになった。その間にレグルスが離れを探り、母のものと思しき化粧品を集めてくる。
化粧し直すにしても、真っ赤になった目を誤魔化すことは出来そうにない。周りも腫れぼったくなっている。まずは髪を直そうと、フレアは少女の髪をといた。
「これで目を軽く押さえておいてね。少し冷やした方がいいから」
濡らした手巾を受け取り、少女は大人しく目に当てる。これまたレグルスがどこからか持ってきたブラシで、フレアは少女の髪を梳いた。
銀色の髪は艶やかで、緩やかに波打っている。このままでも十分魅力的だが、折角ドレスアップしているのだ。サイドで三つ編みを作り、それをくるりと回す。
「元の髪型に戻すのは難しいから、簡単なので我慢してね」
頭の周りを回した髪をリボンで留めて、ふわふわの髪を整えれば完成だ。簡単ではあるが可愛らしく上品で、彼女が着ているピンクのドレスにも良く似合っている。
次に化粧だ。フレアはまず化粧品の品定めをした。どれも一流品だ。そして少女を見定める。
「ちょっと手を離してくれる?そうそう…う~ん……腫れちゃってるから、あんまりしない方がいいんだろうけどなぁ……」
ブツブツと言いながら、化粧水をとって少女の肌に塗りこむ。ついで乳液。そして薄く粉をはたいた。唇に差す紅は淡い色を選び、目元には鮮やかなピンクの粉をつける。
「子供なんだから、これで十分。可愛いわ」
そう言って、少女に手鏡を渡した。彼女はそれを覗き込み、目を瞬かせる。
男性陣には、あまり変わっていないように見える。だが、僅かな変化に女性は敏感だ。それが子供であっても。
少女は微かに頬を染めた。
「…ありがとう」
「どうしたしまして」
フレアが微笑めば、少女もはにかむように笑う。椅子から降りるのを手伝い、男性陣を振り返る。
「さて。あとは頑張ってくださいな、レグルス様」
「あう……はらをくくるのです……」
フードで表情が見えないが、きっと眉間に皺を寄せているのだろう。想像して、フレアは笑った。
少女がレグルスのローブを摘まむ。
レグルスは溜息をついた。それから少女に言った。
「いきましょうか」
少女は頷いた。
手を繋いであげればいい。
レグルスでさえそう思うのだが、人と触れ合うのは未だ苦手だ。骨と皮ばかりの体は、誰もが一度は怯む。恐れないのは家族と、こういった体の子供に慣れた孤児院関係者だけだ。
少女はレグルスのローブの袖を摘まんでいる。たとえ手袋越しでも、触れるのは憚られた。先程頭を撫でたのも、レグルスにとっては一大決心だったのだ。
それを知ってか知らずか、少女はレグルスの顔を覗き込もうともしない。直接触れる事もない。
二人とも無言で、小道を進んでいく。時折少女の様子を窺うようにレグルスが振り返る以外は、ひたすら進む。
遠くから人々のざわめきが聞こえてきた。甲高い子供の喚声も響く。
「もうすぐですよ」
そう声をかければ、少女は頷く。その表情は暗い。
レグルスは袖を引き、少女を傍に寄せた。
「そういえば、おうちのなまえをきいてません。おとうさまのおなまえは?」
「わ、わたし、は……」
少女は泣きそうに顔を歪めた。レグルスは首を振る。
「ぼくもじこしょうかい、してませんでしたね。ぼくはレグルス。レグルス・グランフェルノです」
少女は小さく頷く。はっきり言われずとも、気づいていたのだろう。袖を摘まんでいた手を離し、淑女の礼を取る。
「お初お目にかかります、レグルスさま。私はココノエ侯爵家次女、マデリーンと申します」
レグルスの口がぱかんと開いた。フードがなければ、間抜けな表情を晒していただろう。
暫く無言で少女の顔を見つめた後、更に間抜けな質問をしてしまった。
「……レリックおじさまの、おじょうさま?」
少女は頷いた。
言われてみれば、銀灰色の髪も目も、ココノエ侯爵と同じ色だ。顔立ちは母親似なのだろう。父親の面影は見出せない。母が個人的に付き合いがあって友人と呼ぶ相手など、そう多くはないのだから、もっと早くに気付くべきだった。
レグルスは己の情報分析の拙さに愕然とさせられた。恐らく、司祭は気付いていた筈だ。
ローブの袖で顔を覆う。少女が居なければ、恥ずかしさでもんどりうっていただろう。
「あの…レグルスさま……?」
「きにしないでください。あとでどうもんくをいおうか、なやんでいるところなのです」
軽く己の頬を叩き、レグルスは少女に背を向ける。大きく息を吐いていると、少女の手が再びローブの袖を摘まんだ。その手が震えている。
レグルスは顔だけ振り返る。
「…マデリーンじょうは、おとこのこが、にがてですか?」
マデリーンは目を瞠った。やや躊躇った後、小さく頷く。
やはり、とレグルスは思った。
最初は男性恐怖症なのかとも思ったが、司祭や自分に対しては、それ程の恐怖心を抱いていない様子だった。一番恐れたのはルオー。眠ったままだが小さなセイルに対しても、警戒はしていない。
ルオーに対しても、彼が言葉や態度は乱暴でも決して自分を傷つけないと解ってからは、怯える事はなくなった。条件反射のように驚く事はあっても。
「どっかのバカに、いじめられて、にげてきたのですか?」
あまりの率直な物言いに、マデリーンは驚いて勢いよく顔を上げた。だがすぐに顔を歪め、俯いてしまう。それから微かに頷く。
レグルスは首を左右に振る。
これでは、大庭園についたからといって、そのまま放りだしていくわけにはいかない。家族のもとに辿り着くまで、一緒に探してやらねばなるまい。
一つ、息を吐き出す。袖を引いた。
「いきますよ」
マデリーンは頷いて、レグルスの歩きに従った。
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