諦めた恋の行く末 4
ベッドに突っ伏していたギネヴィアは、ノックの音で目を覚ました。いつの間にか眠っていたようだ。
起き上がり、ぼんやりとベッドに座る。
「お嬢様?」
もう一度扉が叩かれ、声が掛けられる。
ギネヴィアははっと我に帰る。
ひょっこりと姿を現したのは、長年伯爵家に仕えてきた女中だ。
ギネヴィアは立ち上がり、若干皺の寄ってしまったドレスを引っ張る。
「ごめんなさい。眠っていたみたい」
「お客様がお見えですが…その前にお着替え致しましょう」
「お客様?どなたかしら?」
ギネヴィア自身、予定外の帰宅である。ここに彼女がいる事を知る者は少ない筈だ。
ギネヴィアが訊ねても、女中は答えてくれなかった。
呼び鈴を鳴らし、若い女中に着替える旨を伝える。彼女も勢い込んで頷くと、クローゼットを開けた。
「どれになさいましょう?やはりここは、着る機会のなかった薄紫のドレスでしょうか?」
「それ、夜会用のドレスよ?急なお客様だし、室内用のもので充分……」
「あまり気負ってもおかしいでしょう。先日届いた、水色のものにしましょう」
それもお茶会用のドレスだ。部屋着ではない。
ギネヴィアは訳が分からないまま、着替えさせられた。続いて鏡台の前に座らせられ、髪と化粧を直される。
ネックレスにイヤリング、結った髪には真珠のついたリボンまで巻かれ、困惑は増す。
(……まさか………)
予感はした。けれど、それを否定する自分もいた。
ギネヴィアは緊張の面持ちで、私室を出た。客のいるという応接室へ向かう。
女中によって扉が開かれる。
「お待たせいたしました」
何故か女中が言えば、中では王都の屋敷仕えの執事が待ち構えていた。
まだ若い彼は、領地屋敷の家令であるシーザーの息子だ。父同様、表情に乏しい。
彼が脇に避ければ、昼間会った顔がそこにあった。顔に一気に血が上る。
そのまま回れ右しようとすれば、訳知り顔の女中に押し留められた。応接室の真ん中まで背中を押されて歩かされる。
執事が一礼する。
「それでは失礼します」
「ちょっ…!」
呼び止める暇もなかった。あっという間に扉が閉じられる。
妙齢の男女が話をする際、通常扉は開いておくものだ。間違いが起こらないように。
しっかり閉められた扉を前に、ギネヴィアは行き場を失くした手を伸ばしたままになった。
後ろからカップを置く、微かな音が聞こえた。
「…君が逃げた後」
静かな声に、ギネヴィアはびくりと身を竦ませる。振り返る事も出来ず、そのまま立ち尽くす。
「一人で老師の所へ謝罪に行く事になって…かなり絞られたんだけど?」
そういえば、廊下を駆け抜けた時、そんな話をしていた気もする。
学者棟の老師はおっとりした様子に似合わず、かなりの毒舌家だ。チクチクと小言と嫌味を繰り返す為、精神的にがっつり削られる。
「ごめんなさい……」
「仕事に戻れば、王太子殿下と護衛騎士に散々からかわれるし。家に帰れば、末の弟にまで生温い目で見られるし?」
乾いた笑い声が響く。
ギネヴィアは両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。
「ごめんなさいぃ~!」
情景が見えるようだ。逃げ回った際、あちこちで目撃もされている。今日一日、方々(ほうぼう)に生温い視線を送られたのだろう。
さっさと逃亡してしまったギネヴィアはその後、自分の発言の数々に一人ベッドで悶絶していたが。
顔を真っ赤にして蹲るギネヴィアの足元に、影が落ちた。
「立って」
やんわりとした口調に、逆らえない厳しさが混ざる。
ギネヴィアはよろよろと立ちあがった。恐る恐る振り返れば、酷く冷ややかな水色の瞳があった。ぞくりとした震えが、瞬間的に体を走った。
ぽすん。
ギネヴィアの胸元に、リボンの巻かれた一輪の薔薇が落とされる。慌てて受け止めれば、片手を取られた。
彼の身が屈められる。
「改めて申し込む」
片膝をついたシェリオンは、真っ直ぐにギネヴィアを見つめた。
ギネヴィアの鼓動が跳ね上がる。
「迎えに来た。どうか結婚して欲しい」
直球な求婚の言葉は、今度はストンとギネヴィアの中に落ち着いた。同時に、ポロリと涙が零れる。しっかりと薔薇の花を握る。
ふっとシェリオンの表情が緩められた。
「返事は?」
「…っ!」
ギネヴィアは顔を歪める。今、声を出したら涙が止まらなくなりそうだ。
けれど何も言えず、このままでいたら、きっとまた勘違いされる。
意を決し、ギネヴィアはシェリオンに抱きついた。しっかりと肩に手を回す。ぎゅうぎゅうと抱きしめれば苦笑する声が聞こえた。
「ちゃんと返事が欲しかったけれど……これはこれで、君らしいか」
ふわりと抱きしめ返され、ギネヴィアはシェリオンの肩に顔を埋めた。背中を撫でられる。
「好きだよ、ギネヴィア」
耳元で囁かれた。ギネヴィアはただ眉根を寄せて、泣くのを堪える。きつく抱きしめる事で、全ての返事にした。
シェリオンがくつくつと笑う。
「とりあえず式を挙げるまでには聞かせてくれる?君が俺をどう想ってくれているのか」
何かがギネヴィアの許容量を越えた。
これを境にこの日の彼女の記憶は完全に途絶えて、気が付いたら私室のベッドの上で、朝だった。
心配した女中に顔を覗き込まれていたのである。
◆◇◆◇◆◇
数日後
王都のグランフェルノ邸に、オーゴット伯爵一家が訪れた。正式な婚約を発表する場の準備や、結婚に向けた支度の話し合いをする為…といえば堅苦しいが、単なる両家の顔合わせの為の食事会である。
何を今更という感がなくもない…が、末の弟の事を考えれば、仕方ない事だった。
シェリオンは溜息を吐く。
その肩にレイモンドが手を回した。
「何浮かない顔してんだよ。ウチの可愛い妹をゲットしておきながら」
「ウザい義兄が居なければもっと良かったなーと思ってね」
「ははは。お義兄様と呼んでくれていいぞ」
「死んでも呼ばないから安心しろ」
食事会の後の歓談の席で、既にシェリオンは辟易していた。
ギネヴィアの兄であるレイモンドは、決して悪い人間ではない。全く裏表がなく、朗らかで気さくな人間だ。善く言えば。
本音をぶっちゃければ、馴れ馴れしくて、考え無し。
レイモンドの手の甲の皮を摘まんで捨て、シェリオンは再度溜息を吐く。
レイモンドが子供のように頬を膨らませる。
「何だよぅ。俺だってもっと可愛い義弟が欲しかったやい」
そう言って、女性陣の方へ目を向ける。
ギネヴィアとアルティアが何かを話し込んでいた。その様子を、公爵夫人が微笑ましく見守っている。
「かあさま。はくしゃくさまにいただきました!」
そこにレグルスが走りこんでくる。手には小さなガラス細工を持っていた。
レグルスはフード付きの白いケープを纏っている。見知らぬ人の前で姿を曝すのを嫌がる為だ。
母は目を細め、レグルスの頭を撫でた。
「よかったわね。お礼は言いましたか?」
「はい!かあさまにみせてきてもいいって、いってくださいましたよ」
羽のふちを金で彩った隼の置物を、レグルスは嬉しそうに両手で掲げ持つ。
フィッツエンド王国のガラス細工は、既に一つレグルスの部屋に置いてある。湖面を泳ぐ白鳥を模したものだ。レグルスが行方不明の間に過ぎた六歳の誕生日の贈り物として、父が用意したものである。
羽を広げ、今にも獲物に襲いかからんとする隼は、優美に佇む白鳥とはまた趣が違う。
白鳥の隣に並べるのだと興奮気味に語るレグルスに、皆が温かい眼差しを向ける。
レイモンドが呟く。
「ふ~ん。なかなか可愛い反応じゃないの」
「あれはウチのだからな」
「妹の夫の弟。すなわち俺の弟!」
「略しすぎだ!!」
スパンっとシェリオンの掌が、レイモンドの後頭部を直撃した。拳で殴らなかったのは、祝いの席でのせめてもの情けである。
レグルスが振り返った。
「シェルにいさま!」
トテトテとこちらに駆け寄ってくる。
壊れやすい物を持っているのだから、あまり走らないで欲しいと思いながら、シェリオンは表向き笑顔で弟を迎えた。
兄の想いなど全く気付かず、レグルスはガラスの隼を兄に見せる。
「みてください。はくしゃくさまにいただいたのです!」
「綺麗な隼だね。迫力もあって、今にも襲いかかってきそうだ」
「はい。はくしゃくさまがとくべつに、とりよせてくださったのだそうです」
「よく、この子が好きなものをご存じでしたね?」
最後の一言は、父公爵と共に現れたオーゴット伯爵その人に向けられたものだ。
普段は眼光鋭い目を緩ませ、伯爵は身を屈めた。フード越しにレグルスの頭を撫でる。
「公爵の失敗談を伺っていたのでね。無事に見つかったら、是非贈らせてもらおうと思っていたのだよ」
「うれしいです」
レグルスは隼を口元に当てる。フードで表情は見えないが、満面の笑みを浮かべているのだろう。
後ろで父が苦い顔をしている。
「随分昔の話を……」
「子供たちに嫌われたと、私に泣きついてきたのは誰だい?忘れようもないね」
オーゴット伯爵はグランフェルノ公爵より十三歳年上だ。幼い頃は兄のように慕っていた為、今でもどうも頭の上がらない事が多い。
ちなみに、レイモンドはシェリオンより四つ年上だが、兄のように慕おうとは全く思わない。
レグルスに付き添い、父親たちに付き従っていたハーヴェイも戻ってきた。疲れたような、乾いた笑い声を洩らす。兄にだけ聞こえるように囁く。
「凄かったぜ。父上の失敗談」
「うん。聞きたくないから言わないでいいよ」
「そう言わないでくれよ。レグルスの涙ぐましいフォローがなけりゃ、オレ、今頃立ち直れなかったかも」
何をやらかしたんですか、父上。
シェリオンの肩に頭を乗せ、ハーヴェイはぐったりとしている。
「……後でね」
シェリオンは弟の頭を撫でてやった。
伯爵が現れた途端レイモンドが静かになっていたので、ここの父子も相変わらずだなとシェリオンは内心苦笑いをする。
ツンツンと、レグルスに袖を引っ張られた。視線を下ろせば、にこにこと笑うレグルスが居る。
「にいさま。はくしゃくさま、こんどはザグラムのみずみせきをみせてくださるって」
水御石。美しい湖面を固めたような姿から名付けられた宝石だ。非常に希少価値が高く、西のザグラム王国でしか採れない。
シェリオンも数えるほどしかお目にかかった事はないが、成人して間もない頃、ザグラム王国の大使に言われた事がある。「貴方の瞳は最高級の水御石のようだ」と。
その大使に男色の気があると知ったのは、大使の帰国後である。王太子曰く、リスヴィア王国筆頭貴族の嫡男という立場が、大使の毒牙から守ってくれたらしい。
思わず遠い目をしていると、弟の小さな手が目の前を往復した。
「あっ、ああ。ソレハヨカッタネ」
「なぜかたことですか?」
レグルスはキョトンと兄を見上げていた。
事情を知るハーヴェイがレグルスを抱え上げる。
「兄上は気になる事があるんだよ。今度はレイモンドに遊んでもらおうな」
「レイモンドにいさま?」
レグルスとしては、年上の男性に対する感覚で発言したのだが、相手はそう捉えなかった。
静かに大人しくしていたレイモンドの顔が、ぱあっと輝いた。
「ほら!俺の弟!!」
「ざっけんな!」
「くたばれ」
シェリオンの拳とハーヴェイの蹴りが、可哀想なオーゴット伯爵令息を撃沈した。
突然の事に、レグルスが口をパクパクさせている。
「ははは。発言には気をつけた方がいいぞ、レイモンド」
オーゴット伯爵は爽やかに笑っていた。
「ぼうりょくはいけません」
レグルスは真面目な顔で言った。そして少々乱暴に、兄二人を部屋から追い出したのである。
二人は顔を見合わせていた。
「……まあいいや。オレはこのまま騎士団の方へ戻るわ」
「そうやって面倒を押し付けるんだな?」
父親たちが居るから、レイモンドもそう無茶はしないだろう。だが、拗ねたレグルスのご機嫌取りがなかなか大変なのである。
ハーヴェイがひらひらと手を振る。
「まあまあ。庭でも散歩して、時間をおいたら?二人でさ」
そう言って口の端を上げる。
シェリオンがキョトンと弟を見つめていると、視界の端に紅いものが映った。そちらに視線を移す。
そこには顔を真っ赤にさせたギネヴィアがいた。
「じゃ、オレ帰るから。クリストフ、父上たちに伝言!十日後の休みには戻ります」
「かしこまりました」
シェリオンの更に後ろから執事の生真面目な声がした。
唖然とするシェリオンを置き去りに、ハーヴェイはさっさといなくなる。姿が見えなくなって、我に返る。振り返るが、執事の姿は何処にもない。
隣に視線を戻した。
恥ずかしさで目を潤ませたギネヴィアが、眉根を寄せた状態でこちらを見上げていた。
ふっと笑みが漏れる。
「ひどい…笑うなんて……」
震える声で非難されても、やっぱり可愛いだけだ。
シェリオンは手を差し出す。
「失礼しました、ギネヴィア嬢。どうぞ当家の庭をご案内する許可を頂けますでしょうか?」
「……ゆるします」
ギネヴィアはつんと顎を逸らし、差し出された手に己の手を重ねる。
シェリオンは嬉しそうに、ついと手を上げた。指先に唇で触れる。
「っ!!」
手を引き抜かれそうになったので、しっかりと握りしめる。
「さて、庭に行こうか」
すっかり生気の抜かれたギネヴィアはよろりよろりと、シェリオンに引っ張られるまま、つられて歩いた。
はたと正気に戻れば、既に庭のど真ん中にいた。重ねていた手は、いつの間にかシェリオンの腕に絡められている。
見上げれば楽しそうな婚約者の顔がある。
ギネヴィアは少し躊躇った後、絡めた腕に体を寄せた。
「どうしたの?疲れた?」
ギネヴィアは首を左右に振る。ぎゅっと袖を掴む。
婚約が決まってから、上手く笑えていない。特にシェリオンの前では。
今日も言われたのだ。出迎えてくれたレグルスに。
五年ぶりに出会った少年は、フードの上からでもわかる程痩せ細っていた。それでも生きていてくれた喜びで、思わず抱きついてしまったのである。そして大泣きしてしまった。
レグルスは小さな手でギネヴィアの肩を撫でながら、懸命に慰めてくれた。
「なかないでください。ぼく、ギーねえさまをなかせるためにもどったわけじゃ、ないのですよ?」
そして「はじめておあいしたときみたいに、わらってください」と言われては、無理矢理にでも笑顔をつくらねばならなかった。
シェリオンはごく自然に笑っている。五年間も忘れていたというのに。
視線の先の笑顔が僅かに曇った。
「ごめんね」
「え?」
「俺だけ幸せで…ごめん」
ふわりと体が包みこまれる。反射で押し戻そうとしたが、力で抑え込まれた。
「時間をかけてゆっくりと…とも思ったんだけど。もう手放せないんだ。ごめん」
抱きしめられる力が強まる。ギネヴィアは思わず顔を顰めてしまったが、苦しい程ではない。
「レグルスが戻って来て、ギネヴィアが傍にいてくれて。どれも諦めてしまっていたから、今すごく幸せ」
ギネヴィアは顔を上げる。そっと手を伸ばした。頬に触れる。
シェリオンは寂しげに微笑む。
とても幸せそうには見えない。ギネヴィアは両手でシェリオンの頬を挟んだ。
「私もよ」
「……本当に?」
「ええ。好きな人に求婚してもらえて、婚約出来て、とっても幸せ」
するりと首に腕を回す。
「だいすき」
自然に言葉が出ていた。
強く抱きしめられ苦しかったが、耐えられないほどではない。大人しく肩に頭を凭れかけさせた。
どれほどそうしていたのだろうか。腕の力が緩み、密着していた体が離れた。
ギネヴィアは顔を上げる。すぐ傍にシェリオンの顔があった。そのまま目を閉じる。
が。
「レイにいさま!ちょっとそこにおすわりなさい!!」
レグルスの怒鳴る声が聞こえた。勿論屋敷の中からだ。
二人は顔を見合わせる。
「…お兄様、何をしたのかしら……?」
「どう聞いても、説教モードだったな」
シェリオンが深い溜息を吐く。腕を解いた。
「戻ろう。レグルスが心配だ」
「そうね。お兄様なんてどうでもいいけれど」
まだ怒鳴り声は聞こえてくる。「どうしてにいさまは…!」とか「それはいいわけにもなりません!!」とか。二十二歳が十歳に本気で怒られている。
ギネヴィアは思わず笑ってしまった。
「本当にしっかりした弟様ね」
「う~ん…どうしてこうなったかなぁ……」
シェリオンが唸る。
ギネヴィアはさり気にその手を握った。緩やかな力で握り返される。ほんのりと頬が染まる。
(これから一生、こうしていければいいな)
シェリオンの表情を覗き見れば、何か困ったような様子だ。
それさえ嬉しくて、ギネヴィアは視線を伏せる。自然と笑みが浮かぶ。
「ギー」
呼びかけられて、顔を上げた。ふわりと微笑む。
「なあに?」
「一生大事にするから…もう、泣かせないから」
シェリオンは握っていた彼女の手を引き寄せた。耳元で囁く。
ギネヴィアはくすぐったそうに首を竦める。
「勿論よ」
(だからもう、置いていかないでね)
心の中で呟いて。
「レイにいさまーっ!!」
「ホントにごめんってえぇえ!!!」
本気で切れ始めたレグルスの声に、レイモンドの泣き声が重なった。
二人は大慌てで部屋に戻ったのである。
誤字脱字の指摘、お願いします。
タグに恋愛入れられるくらいに!と思ったのですが、無理でした。
入れようか悩んで、結局抜いたシーンを活動報告に上げておきます。