2.誕生会
レグルスの誕生会は、身内とごく限られた知人の中で、それなりに祝われた。
本来ならもっと盛大に行われる筈だった事を知らないレグルスは、プレゼントの包みを開いては歓声を上げている。
その姿に、事情を知る大人はそっと憐憫の目を向ける。
「公爵様がいらっしゃったら、立派なお披露目になったでしょうに……」
「聡明なお子様だと伺っていただけに、残念ね」
「そんな事を言ってはいけないよ。一番残念に思っていらっしゃるのは、公爵様だろうからね」
ひそひそと交わされる言葉も、レグルスの耳には届かない。
レグルスは巨大な羊のぬいぐるみを抱えて、ご満悦のようだ。もふもふとした羊の胴体に顔を埋めている。
「レグルスは羊さんが好きねぇ」
「はい。ふっかふかです~」
「それは良かった」
男性の声がかかり、レグルスは顔を上げた。
長身の男がレグルスを覗き込み、満面の笑みを浮かべている。
「そんなに喜んでもらえたのなら、こだわった甲斐もあったってもんだ」
「レリックおじさま!」
羊から手を離し、レグルスは男へと飛びついた。男はそれを受け止めると、軽々と抱き上げる。
レリックおじ様ことココノエ侯爵は、レグルスを抱えて一回転した。レグルスから歓声が上がる。
グランフェルノ公爵夫人があらあらと、口元に手を当てる。
「レリック、あまりレグルスを乱暴に扱わないでちょうだい」
「大丈夫、落としたりしやしないさ。楽しいもんな、レグルス?」
「はい!」
レグルスは頷き、レリックの肩へと擦り寄る。レリックはポンポンと背中を叩いた。
「いいよなぁ、男の子。うちは娘ばっかりだからさ。なかなか構ってくれんのよ」
「…もう一人、頑張ってみたら?」
「いや。これ以上は無理させたくない」
表情は変えないまま、若干声色が硬くなる。
レグルスは顔を離し、レリックの表情を窺う。レリックはにっこりと笑った。
「だからさ、レグルス。お前、うちにお婿に来ないか?」
「おむこ?」
「レリック…」
夫人の咎めるような声が聞こえたが、レリックは聞き流した。更に言葉を重ねる。
「うちの娘と結婚しない?年上と年下、どっちが好みだ?」
「おじさまのこ?ぼく、けっこんするのですか?」
「そーそー。マデリーンはお前より二つ下、アリステアは二つ上」
「マデリーン?アリステア?」
「オレの娘の名前だよ。どっちも奥さんに似て、可愛いぞ~」
銀灰色の瞳が細められる。
レグルスは不思議そうにその目を見つめていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「いーですよ」
「やった!」
「レグルス!レリック!!」
夫人の怒声に、二人は身を竦ませることになった。
レリックから息子を奪う。息子を抱きしめ、キッと睨んだ。
「そういう事は、旦那様がいらっしゃる場で仰い!」
「馬鹿言うなよ。リガールに言ったら、確実に血を見るじゃないか。オレ、まだ死にたくない」
「死んでしまえばいいわ。大丈夫よ、クリスタルには適当に言い繕っておくから」
「母上、小父様…その辺で」
呆れた様子で仲介に入ったのはシェリオンである。彼は大きな溜息を吐いた。
「アルティアが泣きそうで、レグルスがびっくりしてます」
そう言ったシェリオンの後ろにはやはり呆れ顔のハーヴェイがいて、アルティアがしがみついている。母の腕の中にいたレグルスは何が起こっているのか理解できず、目を瞬かせていた。
周りの大人たちは苦笑しきりだ。
シェリオンが母から弟を取り上げた。ポカンとしている弟を、兄は優しく諌める。
「レリック小父様の言葉でも、何でも頷いちゃいけません」
「なんでですか?」
「後で父上との喧嘩の火種になるから」
やはり弟は理解できず、目をまん丸にして兄を見ている。
兄はふっと笑った。
「父上と小父様が喧嘩になったら、お前だって悲しくなるだろう?」
レグルスは頷く。
それを確認して、シェリオンは言った。
「だったら、よく分からない事に頷いちゃダメだ」
「レリックおじさまのことけっこんするのは、ダメなことなのですか?」
兄は言葉に詰まった。母の表情も凍りつく。
レリックだけがちょっと目を見張った。
レグルスはこてんと首を傾ける。
「ぼくがけっこんするのがダメなのですか?それとも、レリックおじさまのこがダメなのですか?」
シェリオンが完全に絶句した。
母が額を抑え、レリックが噴き出す。
「あ~、うん。オレが悪かった」
レリックは笑いを噛み殺しながら、シェリオンの頭を撫でた。そしてレグルスの顔を覗き込む。
レグルスの瞳にレリックの顔が大きく映る。
「ダメっていうのはな、お前の年齢だよ」
「ねんれい?」
「そう。お前はまだ小さい。傍にいてほしいんだよ。他にやる約束なんかしたくないし、して欲しくないんだ」
「でも、けっこんするのはおとなになってからでしょう?」
「そうだな。だけど、今はまだそんな事も考えて欲しくないんだよ。親にとって、子供ってのはそういうもんなんだ」
レグルスが考え込むような仕草を見せた。口元に手を当て、視線を逸らせる。
レリックはレグルスの返事を待つ。
暫くして、レグルスは視線を戻した。
「レリックおじさまも、むすめさんがおよめにいっちゃうのはイヤですか?」
「嫌だね!」
即答だった。
レグルスは首を傾げる。
「ぼくがおむこにいくのはいいのですか?」
「オレの息子になるからな」
「じゃあ、ぼくがおよめにもらうのは……」
「やらん!」
辺りから失笑が起こる。
レグルスの表情も変わった。何か、胡散臭いものを見るかのような目で、レリックを見ている。
レグルスを後ろから、姉・アルティアが抱きしめる。涙目だ。
「小父さまは勝手だわ。小父さまの娘なんかにレグルスはあげないんだから!」
レリックはしまったと額を叩いた。子供を泣かせるのは、彼の本意ではない。両手を軽く上げる。
「はい、すみませんでした」
その後頭部を目を釣り上げた夫人が思いっきり叩き、周囲の更なる笑いを誘っていた。
誕生会は、レグルスの睡魔によって終了を迎える。目を擦る主役は、侍女によって寝室へと連れていかれた。
退席した幼い主賓に代わり、招待客を見送るのは公爵夫人。そして最後に残った客はココノエ侯爵だ。
レリックは見送る公爵夫人に言った。
「リガールが帰ってきたらでいい。今日の話、考えといてくれよ」
「貴方ねぇ……」
「あの子になら、侯爵家をくれてやってもいい」
公爵夫人は眉を潜めた。
レリックの目は本気だ。それを悟れない公爵夫人ではない。
思わず溜息が洩れる。
「どうして?」
「うちはこれ以上、子供は望めない。どうしたって、婿が必要なんだ」
「それは分かっているわ」
ココノエ侯爵夫人は、彼女の友人でもある。体の弱い少女だった侯爵夫人を、彼女は覚えている。
幸いにも二人の娘たちはどちらも健康そのものだ。ただ、跡取になるのは難しい。帝国との国境に近いコーレィの領主として、女性は不向きなのだ。
公爵夫人は精一杯厳しい表情を作る。
「どうしてあの子なの?他にも将来有望な子はいるでしょう?」
「さあ…強いて言うなら、直感、かな?」
レリックは苦笑する。それは僅かで、すぐに真顔に戻った。そして頭を下げる。
「酷いこと言ってんのは分かってる。お前にとっちゃうちの後継ぎなんて、死刑宣告受けてるようなもんだよな」
「そんなこと……」
「だからだよ。だから欲しいんだ、レグルスが。いいだろう?この家には優秀なのが、他に二人もいるじゃないか」
「…シェリオンもハーヴェイも、レグルスも…アルティアも、世界にたった一人の私の子よ」
必死な様子の幼馴染に、公爵夫人は悲しげな視線を向けた。
ココノエ侯爵も自嘲する様な笑みを浮かべる。
「返事はリガールが帰って来てからで構わない。断られても、恨みはしないさ」
軽い調子で言って、侯爵は屋敷を後にした。
公爵夫人は首を左右に振る。心配する侍女に笑みを向け、彼女は子供部屋に向かった。
レグルスは寝支度を整え、ベッドに向かうところだった。重い瞼を何とか開ける。
「かあさま?どうしたのですか?」
「…今日は疲れたでしょう。ゆっくりおやすみなさい」
額にキスをして、ベッドに入らせる。端に座ると、肩口を軽く叩く。
レグルスはふにゃんと顔を緩めた。
「かあさまといっしょ。うれしいです」
「…そうね。添い寝は久しぶりね」
すぐにでも眠ってしまいそうな様子だが、母が傍に居てくれるのが嬉しいのか、なかなか目を閉じない。
公爵夫人はポン・ポンと、緩やかなテンポを取って肩を叩く。
レグルスは母の方へ体を向ける。
「かあさま」
「なあに?」
「ぼくね、レリックおじさまのおうちにおむこにいっても、ホントにいいのですよ」
公爵夫人の顔が引き攣った。手も止まる。
レグルスは眠たそうに微笑む。
「わかってます。おじさまのおうちは、たいへんなんだって。『おうこくのたて』なのでしょう?」
「レグルス……」
「おじさまの…こが、イヤがったら、しかた、な……」
言葉は切れ切れになり、細くなっていた眼が完全に閉じる。寝息が取って代わり、辺りが静寂に包まれた。
母は頬にキスをして、立ち上がる。そして静かに部屋を出るのだった。
誤字脱字の指摘お願いします。
従来通り、文字数は少なめで行こうと思います。
自分で書いといてなんだが、凄く読みにくかった…