諦めた恋の行く末 2
領地に戻ったギネヴィアには、纏まりつつある見合い話があった。
相手はフュームという商業都市の商人。年は四十を越えていて、腹は何が入っているのか訊ねたいくらいに膨らんでいる。絶えず汗を掻き、頭部は見事なくらい太陽を反射する。
脂ぎった手に握られる度、言いようのない嫌悪感が全身を襲った。さりげなく己の手を引きながら、それでも表面だけは悠然と微笑んで見せた。
全ては、伯爵家が抱えてしまった借金返済の為。
重病に倒れた父に変わり、伯爵家を切り盛りしていた兄が商売に失敗して作った、莫大な借金。父伯爵が気付いた時には、もう手がつけようにないくらいに膨らんでいた。
幸いにも父の病気は快癒し、治った途端、借金返済の為に遮二無二働きだしたのは言うまでもない。
兄は父に散々怒られた。が、借金が帳消しになると喜び勇んで持ってきた縁談は、父を更に怒らせた。
だが、他に手段などない。
父は若い頃外務省に努めており、大使として世界各地を飛び回っていた。その伝手もあり、今では貴族でありながら流通に関する商売をしている。
借金は商いの信用問題にも係わる。
ギネヴィアは、「断っていい」という父の言葉に首を振り、その話を受けたのである。
『いいの…本当に好きな人とは一緒になる事は出来ないもの』
ついうっかり、本音を漏らして。
最初の出会いから一年近く経っている。
領地に戻り、いよいよ正式な婚約かと覚悟を決めた。
行方不明になったレグルスが見つかったという話が届いたのは、それから半月もしない頃。確かめるため、父は王都に戻っていった。
手紙でそれが真実だと知らされ、ギネヴィアは床に座り込んで泣いた。
が、更にその半月後。
いつも冷静沈着な父が小躍りせんばかりに大興奮して帰ってきた。そして声高にギネヴィアを呼びだしたのである。
『ギネヴィア、喜べ!グランフェルノ公爵より、縁談のお話を頂いてきたぞ!!』
あまりに唐突な申し出に、ギネヴィアは最初、兄とアルティアの事かと思ったほどだ。
あれほど徹底的に無視してきたというのに、今更どういう事か。ギネヴィアは嬉しさを感じるよりまず、怒りを覚えた。
父は即行今まであった縁談に断りを入れると言い、ギネヴィアは真実を問い質す為、王都に舞い戻ったのである。
◆◇◆◇◆◇
走馬灯のようなものを見た。だが、未だ地面にぶつかる衝撃は襲ってこない。
いくらなんでも遅くない?
真っ青な空を見上げ、腕を組む。
(どういうこと?)
ぼんやりと考えていると、背中と足に何かが当たった。
ようやく地面か。そう思ったのだが、何かが違う。顔に影が落ちる。
「あのね、ギー」
呆れたような声が降ってきた。水色の目が自分を覗き込んだ。
「流石の君でも、四階から飛び降りたら死ぬと思うよ?」
ゆっくりと舞い降りた彼女をシェリオンは受け止めて、そのまま横抱きにする。
ギネヴィアは目を丸くした。そして理解する。彼が落ちるギネヴィアに浮遊の魔法をかけてくれたのだ、と。
忘れかけていたが、シェリオンは優秀な魔法使いだった事を思い出す。
「ギネヴィア?聞いているの?」
久しぶりに視線が合わさっている。ちゃんと彼の瞳に、自分が映っている。
柔らかな口調も何年ぶりに聞いただろうか。
瞬きもせずにこちらを凝視してくるギネヴィアに、シェリオンは気まずそうに溜息を吐いた。
「…ちゃんと説明して、断るから……」
呟くような声。困ったように眉を下げ、視線を逸らせる。
「泣く事ないじゃないか。そこまで嫌がられると、結構傷付く……」
「え?」
ギネヴィアは頬に手を当てる。窓から落ちる前に零れたものかと思ったが、後から後から溢れてくる。
「あら…?あらあら?」
何故涙が出てくるのか。自分でも理解できないまま、目元を擦る。
シェリオンはギネヴィアを地面に下ろした。目を擦るギネヴィアの手を抑え、ハンカチを取り出した。それで軽く涙を拭いていく。
ギネヴィアは抵抗する事もなく、じっとシェリオンを見上げる。
「わかっているから」
唐突に彼は言った。
ギネヴィアは首を傾ける。
「君が好きなのはヴェルだって」
「……………は?」
ギネヴィアは唖然とした。何故ここで王太子殿下の名が出てくるのか。
シェリオンの手が離れる。その顔に微かな笑みが上る。
それはギネヴィアが何年も望んでいたものだ。だが、こんなに寂しそうな笑顔が見たかったわけではない。
前で組んだ手を固く握る。
「…そう思っているのなら、何故こんな……」
「その前に」
シェリオンが言葉を遮った。
「君が俺との婚約を聞いたのはいつ?」
「え?五日前だけど……」
「俺が父から聞かされたのは昨日だよ」
「ええっ?じゃあ、誰が申し込んだの!?」
「……多分父。けれど」
シェリオンは盛大な溜息を吐いた。片手で顔を覆う。
「きっかけは弟だ」
◆◇◆◇◆◇
その日、グランフェルノ公爵が帰ってくるなり、家族に告げた。
「オーゴット伯爵令嬢が婚約するそうだな」
何気ない様子だったが、その言葉を聞かせたい相手は一人だった筈だ。
母が溜息を吐く。
「そうなのよ。ご領地に戻る前にご挨拶に来て下さったの」
「知っていたのか」
「ええ。去年お見合いなさって、そろそろ頃合いでしょうって」
シェリオンにとって初耳だったが、そんな話はあって当然だろう。
母の恨みがましげな視線を受け、シェリオンは苦笑する。
「俺と同い年ですからね。もう結婚していてもおかしくはない」
「…ギネヴィア嬢が結婚するのは、兄君の作った借金返済の為だぞ」
父の声は冷たかった。
その話は知っている。オーゴット伯爵が病に倒れた時、何かやたらと息子のレイモンドが張り切っていた。アレが張り切る時は碌な事にならない。
黙って事の推移を見守っていたら、案の定だったのは記憶している。
シェリオンは首を振る。
がしゃん
大きな音が響き、全員の一線がそちらに集まる。
レグルスだ。兄と遊ぼうと、オセロを部屋に取りに戻っていたのだ。
床を容れ物から零れた白と黒の平たい駒が転がっていく。落とした本人は目をまん丸にして父を見ていた。
「どうした、レグルス?」
「…けっこん……ねえさまが………」
茫然と呟けば、母が笑う。
「アルティアはまだまだお嫁に行きませんよ?」
「わかってます!」
レグルスは父に駆け寄った。服を鷲掴みにする。
「どうしてですか?ギーねえさまは、うちにおよめにきてくれるのでは、なかったの・ですか!?」
「ほう。何がどうしてそう思っていた?」
この末っ子がギネヴィアを知ったのは、失踪する直前の事だ。話をしたのも極僅かな時間だったはず。
だがやはりちゃんと覚えているらしい。
レグルスは必死な様子で父に縋る。
「だって!ギーねえさまは、にいさまのことがすきなのに!にいさまだって、ギーねえさまがすきなくせに!!どうして!?」
言った。言い切ったよ、この子。
父は奇妙に顔を歪め、後ろを向いた。肩が震えている。
この家で、今まで誰も言わなかった事だ。あれほど解りやすい感情なのに、当人同士だけが気付いていていない。
シェリオンが弟を父から引き離し、抱き上げた。
「ギネヴィアが好きなのは、俺じゃないよ」
「いーえ!にいさまです」
「どうしてそう思ったの?ほんの少ししか話もしていないのに……」
「ぼくがねえさまってよんだら、てれてました!!」
シェリオンは苦笑する。たったそれだけの事で。
だが、更にレグルスは言い募る。
「みてればわかるのです。ギーねえさまが、にいさまをしたってるってくらい…ぼくにだってわかるのですよ?なんでにいさまはわからないですか?」
シェリオンは首を振る。そしてレグルスを抱え込んだ。
「そうだったかもね。でも、嫌われるようなことしかしてこなかったから…もう、呆れられちゃったんじゃないかな?」
「う~…ねえさま、およめにきてくれないですか?」
「うん。ごめんね?」
そう言ってレグルスの背中をポンポンと叩く。
レグルスは兄の肩に顔を埋めたが、ハッとしたように顔を上げた。兄の腕から降りると、再び父に駆け寄る。
「じゃあぼくがおよめにもらいます!」
「レグルス!?」
「ほう」
焦るシェリオンに対し、父が面白そうに笑った。レグルスの頭を撫でる。
「年が離れているが…ギネヴィア嬢は頷いてくれるかな?」
「ぼく、がんばります!」
「待ちなさい、レグルス!」
「甲斐性なしの兄のようになるなよ?」
「ちょっと父上!?」
「そうね…八歳差なんて、あっという間にわからなくなるわよ」
「母上まで!!」
「レグルス、戻って来てから積極的だものね。押して押して、押しまくったら結構簡単になびいてくれるかもよ?」
「いつ来たの?どこから聞いてたの?っていうか、不吉な事を言うな、ティア!!」
とうとうシェリオンが切れた。テーブルを叩く。
「弟に盗られるくらいなら、最初っから俺が貰う!!」
「あ~あ、見事に乗せられちゃって……」
それこそいつ戻ってきたのか。
ハーヴェイが呆れたような一言で我に返った。が、時既に遅し。
この後、散々家族にからかわれて、話は終わった。
と、シェリオンは思っていた。
そして今朝、父から聞かされたのだ。それこそ、世間話でもするような気楽さで。
『ギネヴィア嬢を貰ってきてやったぞ』
『はあ!?』
『結納金はもう渡してしまったからな。婚約破棄は出来んぞ』
『はぁあ!!?』
誤字脱字の指摘、お願いします。
主人公のトンデモ発言は天然です。