諦めた恋の行く末 1
「ごめんなさい」
何とか絞り出した声は震えていた。泣く権利などないのに、涙が止まらない。
彼は無表情にこちらを見つめていた。虚ろな目には、確かに自分が映っている。だが本当に見ていてくれているのだろうか?
彼の視線が逸らされる。
「ギーのせいじゃない」
彼がポツリと呟いた。立ち上がり、背を向ける。
「ギーは何も悪くない。気にしなくていい」
「シェリオン!」
「だから泣かないでいいよ。俺の心配もしないで」
「待って、シェル!!」
「…巻き込んでごめん」
淡々と言って、彼は奥へと戻っていく。こちらの言葉には一切耳を貸してくれなかった。
ギネヴィアは崩れ落ちる。
「ごめんなさい…ごめんなさい、レグルス。ごめんなさい……」
「ギネヴィアお嬢様」
心配したグランフェルノ家の執事が姿を見せる。床に座りこむギネヴィアに慌てて駆け寄る。
「申し訳ございません。シェリオン様がご無礼を……」
ギネヴィアは首を左右に振った。
彼が悪いわけではない。彼が言う通り、自分が悪いわけでもないのだろう。
誰もが自分を責めねば、生きていくことさえ難しかったのだ。
これがギネヴィアが記憶する、最後の会話。
◆◇◆◇◆◇
ひらり
シェリオンの前に一枚の紙が落ちてきた。それを拾い上げる。机の上に戻せば、王太子が顔を上げる。
「ああ…すまん」
「いえ」
シェリオンは短く応え、署名済みの書類を抱えた。パラパラと捲って確認する。
王太子は緊張の面持ちでそれを見つめていたが、シェリオンが何事もなかったように抱えなおすのを見て、ほっと息を吐いた。
その様子に、シェリオンが僅かに表情を緩める。
「一度陛下のもとを通ってきた書類ですよ?」
「この間、不備書類が混ざってた!」
「サインする前に気付かれたじゃないですか」
シェリオンが苦笑交じりに言えば、王太子は眉を跳ね上げた。
「気付かずに署名してみろ。今頃父上に大笑いされているところだ」
「目端は利くようで、何よりです」
王太子の眉が潜められる。机に身を乗り出した。
「お前…知っていたな?」
「ええ。宰相閣下よりお話を伺っておりましたので」
「ちょおっ!?」
しれっと答えられ、王太子は椅子を蹴倒して立ち上がった。
これも次期国王への試練と宰相はのたまったそうだ。
えげつない。立案は宰相か、国王補佐官か……とはいえ、国王が認めたのだ。
王太子へ有益なもの、或いは自分が楽しいと踏んだ。主な理由は後者か。
椅子を起こし、座り直す。
シェリオンがクスクスと笑っている。恨みがましげな視線を送れば、それは深い笑みに変わる。
本当によく笑うようになった。
ヴェルディは内心安堵の息を吐きつつ、表面上は増える仕事にしかめっ面を作っていた。
「ところで」
シェリオンから笑みが消える。一気に気温が下がった。
「貴方の近衛騎士は何処に行ったんでしょう……?」
五年で染み付いた習慣は消えないらしい。背後に吹雪が見える。
王太子は首を竦める。
ハロンは遅刻魔だ。五分・十分遅れるのは日常である。
ただ日常過ぎて、稀に時間前に来ると、シェリオンに空を見上げられ、「いい天気なのに…」と溜息を吐かれるのだが。
そんな中、執務室の扉が叩かれた。次の瞬間、勢い良く開かれる。
「おっはよーございま~…すっ!!?」
トスッ
壁に万年筆が突き刺さった。
ハロンはのけぞる事で辛うじて避けたが、あのまま入室していたら眼球損傷の直撃コースだった。
というか、何故万年筆が壁に刺さる?しかも文官の投げたそれが。
壁の万年筆を引き抜く。
「いきなりご挨拶だねぇ、近侍殿?」
「お早くはありませんのでね。近衛騎士様」
軽く一触即発も、いつもの事。王太子は我関せず、自分の仕事を進める。
ハロンしばしシェリオンを見つめた。そして不気味な笑いを零す。口元に手を当て、にやにやと笑う。
シェリオンは顔を顰めた。
「何だ?」
ハロンは片手を上げ、満面の笑顔で高らかに告げる。
「婚約おめでとう!近侍殿!!」
「はあっ!?」
王太子が顔を上げた。シェリオンを見れば、顔を強張らせている。
「シェリオン!?どういう事だ?」
「…私も今朝知らされたばかりなんですが……何故お前が知っている?」
シェリオンは唸るように言った。
ハロンは腹立たしい程の笑顔で答える。
「そりゃ、本人に聞いたからさ」
「本人……って…………」
ハロンが後ろを振り返る。未だ開け放たれたままの扉の向こうに、鮮やかな赤が見えた。
シェリオンの行動は早かった。手にしていた書類を王太子の机に置くと、クルリと背を向ける。
王太子やハロンが止める間もなく窓が開かれ、姿が向こう側に消えていく。
赤髪の女性がハロンを押しのけ、シェリオンを追いかける。
「ちょっと!待ちなさい、シェル!!」
「え!?ギネヴィア嬢、ここ二階……!!」
ハロンが慌てて窓に寄ったが、その頃にはもう見事に着地を決めた令嬢は逃げるシェリオンを追いかけて走り出していた。
あんぐりと開けた口が塞がらない。
後ろから王太子が覗き込んだ。
「相変わらずだな」
ハロンが凄い形相で振り返る。
ふっと王太子は笑った。彼は仕事に戻る。
「子供の頃は、俺がよく追いかけられたよ」
「ギネヴィア嬢に?」
「うん。シェリオンにも追いかけられたけど、追いつかなくて後から来てた」
逃げる王太子に追いつき、一緒に追いかけるシェリオンを置き去りにする。それが幼い頃の彼らの日常だった。
王太子は笑う。
「さて、シェリオンはどれだけ逃げられるかな?」
「いやいやいや…最初にからかったオレが言うのもなんですが、止めなくていいんですか?」
「じゃあ止めて来いよ」
王太子が口の端を吊り上げる。
ハロンは考え込んだ。そして視線を逸らせる。
「放っておきます」
「それがいい。他人の恋愛なぞ、首を突っ込むもんじゃないぞ」
「ソーデスネー」
近衛騎士は窓枠に肘をつき、頬杖をついて、遠ざかる二人を見送った。
「待ちなさあああぁぁぁあいぃ!!」
ドレスを捲し上げ、恥じらいなど一切感じさせない様子で駆け抜けていく。
追う伯爵令嬢が鬼気迫る形相なら、逃げる公爵令息も必死に逃走ルートを脳内検索する。
このまま外を逃げるのは得策ではない。建物に入り上手く撒きたいところだ。かといって勤務中の人々の邪魔になるわけにもいかない。
シェリオンは意を決し、王宮内に逃げ込んだ。当然、ギネヴィアも追ってくる。
廊下を駆け抜ければ、偶々すれ違ってしまった人々が何事かと振り返る。
「廊下は走っちゃダメですよ~」
「お説教は後で受けます!!」
のんびりした声にシェリオンは全力疾走のまま応えた。「二人とも、後でおいでねぇ?」と背後から聞こえたのは、今は忘れておく。
彼らの距離は徐々に縮まっている。
シェリオンは焦らず、階段を駆け上った。当然ギネヴィアも追ってくる。
幼い頃は、体力的にも問題なく追いかけていた。しかし年を重ねるごとに差は出てくる。幾らシェリオンがそれほど運動を得意としていなくても。
ギネヴィアは息を切らせていた。階段はより体力を奪う。前を行くシェリオンは軽々と駆け上っていくのに。
最上階まで登り切る。だが息をつく暇もなく、シェリオンは逃げていく。そしてある一室に逃げ込んでいった。
ギネヴィアは違和感を感じていた。
ここは宮廷魔道士の関連施設で、学者たちが集まる学問棟である。他より少し高めの四階建ての建物だ。下層は他と繋がっているが、上階は独立していて逃げ場はない。
追いかけて部屋に飛び込めば、シェリオンの姿は既にない。ただ、開かれた窓にカーテンが揺れていた。
窓枠に縋って下を覗き込めば、陽光に反射するものが建物から遠ざかっていた。
「シェールーっ!!この卑怯ー者~おっっっ!!!!!」
大声で叫んでみる。が、振り返りさえしない。
小さくなっていく姿に、自分の怒気も萎んでいく。視界が霞んでいく。
「置いていかないでよ……」
手を伸ばす。少しでも近付こうと、身を乗り出した。
その拍子に、ついていた手が滑った。
「え…?」
世界が反転した。見下ろす景色が、芝生の緑から空の青へ。
窓から飛び出した体はくるりと回り、地面へと落ちていた。
(ああ…助からないわね、これは)
不思議と冷静だった。雲一つない空を見つめる。
最後にもう一度、きちんと話をしたかった。笑う彼を見たかった。
……どうしてこんな真似をしたのか、訊きたかった。
誤字脱字の指摘、お願いします。
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そして恋愛メインの話って難し~い……orz