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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
23/99

失われた時の意味 1






 レグルスは広い屋敷の廊下を、とてとてと頼りない足取りで走る。

 これが今の精一杯で、全速力である。証拠に、呼吸が荒い。


「かあさま。ねえさま…!」


 何とか辿り着いた玄関ホールの上階。手すりの隙間から下を覗き込む。

 ホールでは母と姉が、出掛ける準備を整えていた。

 声に気付いて見上げた母が、頬に手を当てる。


「まあ、レグルス。どうしたの?」

「かあさ…っ、あう?」


 レグルスは急いで階段を下りていた。少なくとも自分では、最大の速力で。

 結果として、体が浮いた。別名「階段から飛ぶ」という荒技。

 あわやのところで、レグルスを追ってきた侍従が引っ掴む。侍従は自身の体を階段に滑らせ、浮いたレグルスを引き寄せた。踊り場で何とか踏み止まる。

 悲鳴を上げた姉は息を吐き、母はへなへなとその場に崩れ落ちた。

 二人を見送りにいた執事と女中が、慌てて階段を駆け上ってくる。


「レグルス様!ご無事ですか!?」

「ご、ごえ…ごめんなさいいぃぃぃっ」


 誰に言っているのか解らないが、裏返った声でレグルスが叫んだ。下敷きになった侍従を見て、真っ青になっている。

 侍従は痛みにしばらく動けずにいたが、やがて苦笑を浮かべた。ゆっくりと起き上がり、腰をさする。

 クリストフが顔を覗き込む。


「見事です」

「…ありがとうございます」


 侍従は痛みを堪えつつ、小さな主人を執事へと渡した。

 レグルスは顔を歪めている。


「ごめんなさい。ごめんなさい…いたいですか?」


 さすっていた腰のあたりに手を当て、ふわふわと撫でる。

 侍従は笑った。


「大丈夫ですよ。頑丈だけが取り柄ですので」

「むりはだめです。かいだんからおちたら、すりむく・だけじゃ・すまない・の・です」

「ならば次からは、階段から飛び降りないで下さいね?」


 侍従ににっこり笑って諭されれば、レグルスはうっと言葉に詰まる。

 悲鳴を聞いて駆け付けた仲間の手を借り、名誉の負傷をした侍従は下がっていった。

 クリストフに手を引かれ、レグルスは階段を降り切る。

 姉のアルティアが駆け寄ってきた。レグルスをぎゅうっと抱きしめる。


「もうっ。寿命が縮むかと思ったわ!」

「ごめんなさい……」


 すっかり意気消沈して肩を落とすレグルスに、アルティアは笑った。


「無事で良かった。でも、そんなに急いでどうしたの?」

「そうです!ねえさま、かあさまとおでかけするって……!!」


 母も女中の手を借りて立ちあがっていた。まだ顔は強張っている。

 レグルスに向かい、険しい表情を見せた。レグルスはビクリと身を竦ませる。


「そうよ。いつも冬は領地に戻って過ごすのだけれど、今年は王都に留まる事にしましたからね。折角だから、孤児院にも改めて挨拶をしに行くのよ」

「…こじいん?ぼくは、つれていってもらえない・のですか?」


 恐る恐ると言った様子で、母の様子を窺いながら、言葉を紡ぐ。

 母は目を丸くした。腰を折り、息子の顔を覗き込む。


「貴方も行きたかったの?」

「…ひとりでおるすばんは、いやです……」

「まあ……」


 母が口元に手を当てる。

 レグルスは母がそれほど怒っているのではないと判断して、手を伸ばして腰に抱きついた。

 母から笑みが漏れ、頭を撫でてくれる。


「連れて行ってあげたいのはやまやまだけれど…今日はダメ」

「…だめですか?ぼくはじゃまですか?」


 そう言って眉がハの字になる。

 母は首を左右に振る。優しく微笑み、息子と目の高さを合わせるようにしゃがんだ。


「孤児院の子は、親を亡くしたり捨てられたり…酷い目に遭った子も沢山いるの。今の貴方の姿は、そんな嫌な事を思い出させてしまうかもしれないのよ」

「……」

「でもね、孤児院の皆も貴方も、同じ辛い経験をしてきたから、きっとお友達になれると思うの。だから今の貴方の状態を伝えて、連れてきてもいいか聞いてこようと思っているの」

「…ぼく、おともだちつくれます・か?」

「ええ。貴方は優しいから、きっとみんなも仲良くしてくれるわ。でも、時間をかけてね。貴族を信用してない子もいるのよ」


 レグルスはしょんぼりと肩を落とした。母から離れる。

 代わりに後ろから姉が抱き込む。


「早く帰ってくるわ。エミール先生とお勉強していたら、あっという間よ」

「…はい。つぎはつれていって・ください・ね?」

「孤児院の皆が、貴方に会いたいって言ってくれたらね」


 アルティアは悪戯っぽく笑って、レグルスに額をつけた。




 寂しそうなレグルスを置いて、二人は馬車に乗り込んだ。扉が閉められる。

 娘は大きな溜息を吐いた。


「いきなりは、連れていけないわよね」

「ええ」


 母は短く応え、そっと視線を伏せる。




 グランフェルノ家が支援する孤児院は、王都の外れにある。

 小さな教会に併設されたそこには、レグルスの偽物として連れて来られた子供も大勢いた。

 孤児や奴隷だった子供だけなら、まだ良かった。中にはこの目的の為、親に売られた子供もいるのだ。

 そして最大の問題が一人……




 孤児院の前に止まった馬車に、庭掃除をしていた女の子が機敏に反応した。

 急いで教会内に戻る。


「司祭様!グランフェルノ公爵様の馬車が着きました!!」


 少女の声が教会内に響き渡る。

 祭壇を掃除していた司祭は少女を振り返る。


「早かったですね。今行きます」


 司祭は掃除用具を置き、長い袖を括っていた紐をほどく。

 そのまま出ていこうとする司祭を、一緒に掃除をしていた数名の子供が慌てて止めた。


「司祭様、前掛け!」

「司祭様、ほっかむりも取って!!」


 司祭は「おや?」と頭に手をやり、自分の体を見る。

 子供が飛びついて、ちょうちょ結びにされた前掛けの紐を解いた。頭に被っていた布を司祭が外すと、子供が奪って前掛けと共に祭壇裏に隠す。

 若干皺の寄った衣服を寄ってたかってはたいて伸ばして、何とか様にする。

 司祭は苦笑を洩らし、教会の扉を開いた。

 門扉の向こうに止まった馬車から、丁度二人の貴婦人が降り立ったところだった。


「こんにちは、司祭様」

「ようこそおいで下さいました、シェーナ様。アルティア様」


 二人の微笑みに、司祭は深く頭を下げて応えた。

 教会の内から、外から、子供たちが飛び出してくる。


「シェーナさま!」

「アルティア様、こんにちは!!」

「はい、こんにちは」

「ふふ。みんな元気ね」


 二人の周りを子供たちが取り囲む。いち早く駆け寄れたものが手を握り、一緒に孤児院へと向かう。

 司祭も傍に行けなかった子供たちと共に、ゆったりと二人の後を追った。

 孤児院は二階建てだ。一階には応接室と食堂、図書室などの共同スペース。二階には皆で眠る寝室に、司祭の私室。幾つかの個室は、馴染めない子供たちや思春期の子供たちの逃げ場だ。

 アルティアは食堂に向かった。子供たちとお喋りを楽しむ為だ。

 シェーナは子供たちをアルティアに託し、司祭と応接室に向かう。もうすぐ孤児院を出なければならない年の子が一人、ついてくる。

 席に着くと、司祭は僅かに顔を引き締めた。


「お話は届いております。お子様のご様子は如何ですか?」

「元気よ。体力はないのだけれどね。屋敷中走り回っているわ」


 出掛ける前の事を思い出し、小さく溜息を吐いてしまう。だが留守番が嫌だという可愛い我儘も思い出し、自然と笑顔が戻った。

 司祭はシェーナの表情に自身も顔を緩める。


「落ち着きましたら、是非こちらにもお連れ下さい。皆楽しみにしております」

「そうなの?」

「ええ。見つかって良かったと、素直に喜んでいましたよ」


 司祭は微笑んだが、シェーナの瞳は不安げに揺れた。胸を抑えている。

 司祭の後ろに控えていた少女が身を乗り出す。


「大丈夫です!ゼノもウォーレンもカールも…他にもいっぱい!男の子たちは、今度は自分たちが守ってやるんだって、張り切ってましたから!!」

「そうなの。フレア…ありがとう」


 シェーナが微笑みかければ、フレアは顔を真っ赤にして俯く。

 フレアは両親を事故で亡くし、この孤児院へ来た。厭味な親戚をたらい回しにされなかった分、マシな方だと自分で考えている。

 シェーナが言った。


「本当はね、あの子も来たがっていたのよ」

「そうなんですか?連れて来て下されば良かったのに……」

「皆の話を聞いてからにしようと思ったの。それに、本当に体力がないのよ。皆と遊んだら、あっという間にへばってしまうわ」


 はしゃいで遊んで、すぐに追い付けなくなって、寂しそうに母のもとへ帰ってくるのが目に浮かぶ。

 口元に手を当ててクスクスと笑う。

 その様子に、司祭は小さく頷いた。


「明るくなられましたね」

「え…そう、かしら?」

「憂いが晴れたのですから、当たり前なのですが…良いお顔をするようになられました」


 司祭は穏やかにそう言い、席を立つ。


「そろそろ子供たちのもとへ行ってあげて下さい。後で不満をぶつけられてしまいます」

「…そうね。ありがとう」


 シェーナも立ち上がり、フレアを連れて、部屋を出ようとする。その前に足を止めて、司祭を振り返った。


「今年の冬は王都で過ごす事になったのよ。レグルスも連れてくるわね」

「わ!楽しみです」


 フレアが素直に喜べば、シェーナがその手を握った。突然の事に、フレアが固まる。


「ふふっ。貴方がそんな風に言ってくれるなら、きっと大丈夫ね」


 にこにこと笑顔を振りまくシェーナに、フレアは真っ赤になった。

 大貴族の奥方であるにもかかわらず、こうやって孤児である子供たちに躊躇いなく触れてくる。美しい面に、優しい笑顔を浮かべて。

 そんな彼女はフレアだけでなく、孤児院の少女たちの憧れである。こうやって彼女の方から手を繋がれれば、正常でいられる筈がない。

 歩き方までぎこちなくなったフレアを連れ、司祭の部屋を出た。






 アルティアは、ヨチヨチと頼りない足取りで外へ出ようとする幼子を抱き上げた。パタパタと手足を動かして逃げようとするのを優しく窘め、膝の上に座らせる。

 座らせられると安定したのか、大人しくなった。不思議そうにアルティアを見上げる。


「あう~?」

「いい子ね」


 薄い水色の瞳は、父や兄と同じ色だ。キョトンとこちらを見る表情は、弟を思い出させる。言葉は遅いが、弟よりふっくらしていて、見た目は可愛い。

 この子も、弟の身代わりとして連れて来られた。五年前に攫われた子が、何故二歳児になる…と、家族で連れてきた者へ冷たい視線を送ったのは、ほんの四か月前。

 当時、染められていた髪も、今では綺麗なはちみつ色に戻っている。実の両親は生活に困って、子供を売り飛ばしたらしい。

 この子で偽物は最後になるだろう。けれど、不幸な子供が減るわけではない。

 幾らグランフェルノ家が支援しているからと言って、この孤児院で助けられる数には限りがある。

 アルティアは小さな子供の髪を撫で、他の子供たちを見回す。

 全員が落ち着いたのをきっかけに、一人が口を開く。


「ねえ、アルティアさま?弟さまが見つかったって、本当?」

「本当よ」


 アルティアが応えると、歓声が上がった。

 次々と質問が上がる。


「どんな子ですか?」

「ここにも連れて来てくれる?」

「いっしょに遊んでもいい?」

「今は何をしているのですか?」


「いっぺんに質問されても、答えられないわ!」


 アルティアが苦笑交じりに首を振れば、子供たちが顔を見合わせて笑いあう。

 だが、中には微妙な表情をしている子供もいる。

 アルティアの隣に陣取った少年もそうだ。指先で彼女のドレスの袖を摘む。


「アルティアさま。もうこない…?」

「え?」

「おとうとさま、みつかったから…もうこなくなっちゃう?」


 不安で顔を歪ませる少年を、アルティアは笑い飛ばした。


「そんなわけないじゃない!また来るわ。今年の冬は王都に留まるから、いつもよりたくさん遊びに来るわよ」

「…ほんと?」

「勿論よ。弟も連れてくるわ。そしたら、意地悪しないで一緒に遊んでくれる?」


 少年は小さく頷く。膝に乗せた子供が、両手を上げる。


「お~!」

「ふふっ、セイルは遊んでくれるのね。ありがとう」


 ギュッと抱きしめれば、解っているのかいないのか、幼子はキャッキャッと無邪気に喜んでいた。

 少年もはっとしたように、アルティアの腕に縋った。


「ぼくもあそぶ!いじわるなんてしないよ!!」

「レグルスも喜ぶわ。あの子、お友達がいないから、皆に会えるのを楽しみにしているのよ」


 「おれも!」「わたしも!」と子供の声が続く。

 アルティアの顔が綻ぶ。

 その一方で、食堂の隅に一人座る少年の存在にも気が付いている。目を向ければ、素っ気ない態度で視線を逸らされた。そのまま、食堂を出ていってしまう。

 知らずうちに寂そうな顔になってしまったアルティアに、膝の上の幼子が声を上げた。


「あーしゃ。うー!」

「はあい」


 アルティアは傍にいる子供たちに意識を戻した。






 本を読んだり、庭に出て遊んだり……半日子供たちと存分に過ごし、孤児院を後にする。

 体調次第になるが、次はレグルスを連れてくることを約束して。


 門の前に整列して見送る子供たちに手を振り、馬車に乗り込む。

 走り出すのを待って、アルティアが口を開いた。


「ルオーとお話出来なかったわ」

「ええ……でも、賢い子だもの。ちゃんと解っている筈よ」


 母は、不安そうなアルティアを元気づけるように言った。







誤字脱字の指摘、お願いします。


せっかく書きあがっているのだから、出し惜しみしてどうする。

更新出来ない辺境作家なんて、フォロワーのいないツイッターと同じことよ!!(意味不明)

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