表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
22/99

閑話 手紙に心を





     ◆◇◆◇◆◇






 レグルス坊ちゃまへ



  坊ちゃまをお見送りしてから、三年が経ちます。

  坊ちゃま、今どちらにいらっしゃいますか?

  元気にしていますか?お腹は空いてませんか?お怪我はしていませんか?病気になどなったりしていませんか?

  セレンは坊ちゃまのお帰りをお待ちしながら、毎日、そんな事を考えて過ごしております。

  あの日「行ってらっしゃいませ」とお見送りした坊ちゃまが、いつかお戻りになると信じて、お待ちしておりました。

  けれど、それももう出来ないようです。

  セレンは嫁ぐことになりました。遠い街へ行く為に、お勤めも辞する事になってしまいました。

  本当はこのお屋敷でいつまでも、レグルス坊ちゃまのお戻りをお待ちするつもりでした。でも叶いませんでした。

  夫になる方はとても素敵で良い方ですし、旦那様と奥様も喜んで下さっています。感謝こそすれ、我儘を言ってはいけませんね。

  でもセレンは、レグルス坊ちゃまにどうしても申し上げたい一言があるのです。

  だから最後に、このお手紙を残していきます。



   坊ちゃま、お帰りなさいませ



  どうか無事にお戻りください。

  それがセレンのたった一つの望みです。


       セレン・フィート





     ◆◇◆◇◆◇






 セレンは窓から外を眺めていた。

 大通りに面したこの家は、窓を開けば外の喧騒が聞こえてくる。

 その声に耳を傾けていた彼女は、不意に聞こえた赤ん坊の声に視線を移す。

 赤ん坊の声は外から聞こえたのではない。この家の中からだ。

 不安に顔を顰めれば、部屋の扉が開いた。


「セレン。調子はどうだい?今日は具合が良いって聞いたけど」


 入ってきたのは彼女の夫だ。セレンは微笑む。


「はい。お医者様に、無理しない程度なら歩いても良いと」

「そっか。ユージンも早くお母さんに会いたいと、泣き喚いているよ」


 家中に響く、赤ん坊の声。

 半年前に生まれた、彼らの子だ。ちなみに男の子である。

 子供は無事元気に生まれたが、母はそうはいかなかった。産後の肥立ちが悪く、長く寝込んでいる。

 体の丈夫さだけが取り柄だった彼女だが、出産という大仕事は一筋縄にはいかなかったようだ。

 それでも体調を悪化させていく事はなく、何とか回復へと向かっている。

 だが乳を与えるどころか、ロクに抱き上げてもやれない自分が情けなくて、セレンは視線を伏せる。


「ごめんなさい……」

「責めているわけじゃないよ!早く元気になってくれと言いたいだけで……!!」


 夫は慌てて弁明を始める。元気になったら、家族三人でピクニックに行こうとか、買い物に行きたいとか、必死で言葉を重ねる。

 が、ふと己の手に持つものを思い出し、彼女の前へと差し出した。


「そうだ!グランフェルノ公爵夫人から、手紙が届いたんだ。君へだよ」

「奥様から?」


 夫は何度も頷く。

 セレンはそれを受け取り、宛名と封蝋の印を確認する。間違いなく、グランフェルノ公爵家の家紋だ。

 夫からペーパーナイフを受け取り、慎重に封を開く。

 季節の挨拶から始まったそれは、セレンの近況を尋ねる文章へと変わり、彼女の容体を心配する言葉へと移る。そして公爵家の近況を知らせるものになった。

 同時に彼女の眼が見開かれる。手紙を凝視したかと思うと、大きな眼にたちまち涙が浮かぶ。

 夫は更に慌てた。


「ど、どうしたの?何か悪い事が?」


 セレンは首を左右に振った。便箋を捲る。

 彼女は更なる驚きに落された。

 夫がそれを覗き込む。


 書かれていたのは、ごく短い文章。ミミズがのたくったような、拙い文字。


 けれど夫にはそれで理解した。彼女の頬を伝う涙を拭い、体を抱きしめる。

 グランフェルノ家に関する話はこの街にも届いている。帰りを待ちわびる彼女を半ば強引に連れ出してしまった事も、夫は理解していた。


「良かったね」


 セレンは頷いた。鼻をすすって、手紙を抱きしめる。

 夫は彼女から離れると、にっこりと笑った。


「だったら、ますます早く元気にならなくちゃ。元気になったら、一緒に王都へ行こう。会いに行こうよ」

「…お仕事は良いんですか?」

「今から頑張る。だから君も早く元気になって?」


 そう言って片目を閉じる夫に、セレンは微笑む。


「はい。約束ですよ?」

「うん!頑張るよ!!」


 結局夫が妻に発破をかけられる形になったが、夫は気にせず上機嫌で部屋を出ていった。

 一人になったセレンは、手紙を読みなおした。読みなおすほどの文は書かれていないのだが、胸に込み上げてくる感覚は変わらない。

 そっと手紙に口づける。


「お帰りなさいませ、レグルス坊ちゃま。ありがとうございます」


 そう呟いて、セレンは手紙を大事にしまった。





     ◆◇◆◇◆◇






 セレンへ




  ただいまです


  けっこん、おめでとうございます



         レグルスより





     ◆◇◆◇◆◇






 セレンからの返事を受け取ったレグルスは、確かに最初、嬉しそうな顔をしていた。

 それが一変したのは、封蝋代わりに押された印鑑を見た瞬間である。


「レブナントしょうかい……」

「レグルス様は本当に記憶力が良いですね。セレンの嫁ぎ先ですよ」


 執事は感嘆すれば、レグルスが文字通り、地団太を踏む。


「レブナントしょうかいの、あの男!なんどもぼくのセレンに言いよって!!人のいないあいだにもってくなんて、ひきょうです!!」


 子供の姿そのままに悔しがる姿に、執事は「おやまあ」と苦笑を洩らした。

 グランフェルノ家の御用商人の嫡男は、どうやらレグルス坊ちゃまから嫌われていたらしい。ささやかな初恋から来る、嫉妬によって。

 それを聞いていた使用人たちは、じたばたと暴れる坊ちゃまの姿を生温かく見守るのだった。





(まあ、初恋は実らないものですからね)







誤字脱字の指摘、お願いします。


閑話というより小話ですね。

成長記録は、産みの苦しみを味わっております…もう暫くお待ちください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ