エピローグ
五年ぶりに戻ったレグルスに、その日のグランフェルノ邸は夜、お祝い騒ぎだった。
寝静まったのは日付も変わった頃。
当の本人は、一足先にベッドに潜り込んでいる。
執事が様子を確認しに来た時、ぐっすり眠っていた。万歳をしていた両手を布団の中にしまい、肩までかけ直して、部屋を後にした。
王宮ではシェリオンと一緒に眠っていた。
異変があれば、真っ先に気付いてくれた。
だからこの日は、誰もすぐには気付けなかったのだ。
目を覚ましたレグルスが暗闇に混乱して、自分の居場所を忘れ、悲鳴を上げるまで。
真夜中の屋敷に響いた声に真っ先に飛び込んできたのは、夜番の使用人だ。床に蹲るレグルスを見つけ、駆け寄る。
「レグルス様!どうなさいました!?」
覗き込めば、蒼白な顔がある。全身にびっしょりと汗を掻き、目は虚ろだ。
体を起こし何度も呼びかけるが、返事がない。駆け付けた使用人たちも必死で名を呼ぶ。
レグルスは喉から奇妙な音をさせている。
「レグルス」
落ち着いた声が降ってきた。使用人たちが素早く脇に避ける。
レグルスを抱えていた者から受け取ると、慎重に抱き上げた。
「レグルス。戻っておいで」
グランフェルノ公爵は静かに呼びかける。
「戻っておいで。いつまでそんな場所に居るつもりだ?レグルス、おいで。ここまで戻っておいで」
父の声が聞こえたのか、呼吸の奇妙な音は消えた。
公爵の表情が緩む。頭を肩に乗せさせ、背をさする。
「おかえり」
「…と…さま……」
今にも消え入りそうなか細い声。力なく、公爵に抱きつく。
何処を見ているともつかない眼に、ふっと光が戻る。だが元気はなく、そのまま閉じられてしまった。
公爵はレグルスを抱えなおした。集まった者たちを見回す。
「夜中にすまなかった。戻ってくれ」
「お医者様を呼ばなくて、大丈夫でしょうか?」
「ああ。夜が明けてからで構うまい」
すぐに診せたからと言って、良くなるものではない。診察に来たところで相談するくらいで十分だ。
使用人たちは安堵の息を吐き、それぞれ持ち場へ、或いは寝室へと戻っていく。
シェリオンとアルティアもそこに居た。風邪に伏せていたはずのアルティアは女中に促され、後ろを気にしながら部屋に戻っていく。
父に出遅れたシェリオンが、居た堪れなさそうに面を伏せる。
「すみません。前にもこんな事があったのに…報告を怠りました」
「一回だけか?」
「はい。夜中に起きたのは一度だけでしたから」
「そうか」
後悔に顔を歪ませるシェリオンに、公爵は顔を緩ませる。
「気にするな。その時ばかりの事だと思っても、無理はない」
「…けれど、後遺症がないなんて、ある筈ないのに……」
「それを支えるのが、これからの家族の役目だ。出来なかった事を後悔する事ではないぞ」
シェリオンの顔を覗き込み、軽く頭突きをかます。両手が塞がっている為、小突く事が出来なかった。
シェリオンは目を瞠る。
「朝、前回の様子を聞かせてもらう。もう休め」
シェリオンは渋々ながら頷き、自室へと引き上げていった。
入れ替わりに、公爵夫人が入ってくる。レグルスを抱える公爵に寄り添った。
「大変なのは、これからなのね」
「そうだ。喜んでばかりはいられない」
公爵は表情を引き締めた。
レグルスは公爵の肩に頭を乗せ、再び眠りに落ちていた。
公爵が妻の額に口づけを落とす。
「部屋に戻れ。この子は俺が見るから」
夫人は泣きそうな顔で公爵を見上げた。公爵は安心させるように微笑みかける。
彼女は深く頭を下げ、女中に伴われて部屋を出ていく。
公爵はレグルスをベッドに戻した。自分も隣に潜り込む。
「強くあれ」
そう囁いて、公爵も目を閉じた。
翌朝、目を覚ましたレグルスは隣りで眠る父に、目を丸くした。
まだ寝息が聞こえる為、抱きかかえられているレグルスは、迂闊に動く事も出来ない。じっと父の寝顔を見つめる事になった。
自分と同じ青銀色の髪。自分と違うのは短くて、癖があるという事。
そっと腕を抜き、手を伸ばして髪に触れる。ピクリと眉が動いた。睫毛が震え、自分と同じ水色の瞳が開かれる。
「…おはようございます、とうさま」
「……………おはよう」
ぼんやりとした父はたっぷり十秒は間を置いて、返事をした。体を起こし、大きな欠伸を洩らす。
レグルスも一緒に起き上がる。
「どうして・とうさまが、ここでねている・の・ですか?」
「…昨夜のこと、覚えてないのか?」
「ゆうべ?」
レグルスは首を傾げる。
思い出そうとするが、何も思い出せない。両手を顎に当てる。
「ぼく、なにか・しましたか?」
「悲鳴を上げていた。怖い夢でも見たのだろう」
隠しもせずにそう言って、父はレグルスの頭を撫でる。
レグルスはポカンとして口を開いた。父に口元を指で叩かれ、閉じる。同時に顔が強張った。
父は笑った。
「気にするな」
「ち、ちがうの・です…こわいの・は、ゆめじゃない・の・です……」
レグルスは父の手を握った。
訝しむような視線を送る父に、たどたどしく話し始める。
「とうのよる・は、まっくらに・なるの・です。おきたら、まっくらで…おうちに・かえってきた・の・が、ゆめ・だった・と・おもった・の・です」
「……」
「とうさま・たちが・おむかえに・きて・くれる・ゆめを、よく・みた・の・です。だから・また、ゆめ…だった・と……」
「もういい」
どんどんと俯いていくレグルスを、父は抱き寄せた。膝の上に座らせる。
「聞いて欲しいなら、幾らでも聞いてやる。だが、無理して話すな」
「ごめんなさい」
謝るなという言葉を、父は飲み込んだ。代わりにギュッと抱きしめる。
扉が叩かれる。返事を返せば、執事が入ってくる。
執事は、主とその膝に乗せられたレグルスをみて、わざとらしく目を瞠った。
「おはようございます。朝から仲がよろしいようで、何よりでございます」
「ふふん。羨ましいか」
主が挑発すれば、執事は乗らずににっこりと笑った。
「いえいえ、微笑ましゅうございます」
そう言って、手を叩く。
「さあさあ、旦那様。早くお仕度なさいませんと、秘書殿がお迎えに来られますよ」
「やれやれ…レグルス。お前も着替えろ。一緒に朝食を取ろう」
「はい、とうさま!」
レグルスの元気良い返事を聞き、公爵は笑った。
◆◇◆◇◆◇
闇の中ふわふわとまどろむ彼は、不意に意識が覚醒した。
―― お師匠さま…? ――
懐かしい声に呼ばれた気がして、目を開ける。だが、あるのは深い闇だけ。
気のせいか。
もう一度闇に融けようとして、ふと外の様子が頭に届いた。
あの子が笑っている。
彼の顔にも笑みが上る。
これでいい。こうでなければ、彼が苦しみながら守り続けた意味がない。
けれど……
これは、何の罰?
自身に問いかける。
彼が終生仕えた王は、もういない。大切な仲間も、愛した人も。
全てが墓の中だ。彼の時代は終わったのだ。
なのに、なぜ自分はここにいる?記憶を持ったまま生まれ変わった意味は?
ぽたり
一粒の涙が闇に落ちる。
彼は両手で顔を覆った。
本当に苦しかったのは、五年間独りでいた事ではない。
冬の厳しい寒さも、足りない食事も、どうでもよかった。
会いたい。
同じ時を過ごした人たちに。
ただ無性に会いたくて、寂しい。
あの五年は、その寂しさを紛らわせるのに丁度良かっただけ。
―― お師匠さま…何処ですか?どうしていないのですか……? ――
もしかしたら会えるかもしれないという、一つの希望。
けれど、彼の人はもうこの国にいなかった。いなければ、探し方は分からない。
魔術協会に問い合わせれば判ったのかもしれないが、理由が見つからない。幼い子供が伝説の『賢者』の行方を追うには、相応の理由が必要で、その本当の理由は話せなかった。
師を呼び、もう一つ……彼はある人物の名を呼ぶ。これも今では相応の理由がなければ、出会えない存在になってしまった。
彼が生きていた時代であれば、ただ愛らしかっただけであるのに。
ぽたりぽたりと涙を零しながら、彼は闇に融ける。
抱えた傷を、漂う闇と共に更に深くしながら……
誤字脱字の指摘、お願いします。
とりあえず幼年編は終わりです!
これから成長記録編(笑)です…が、書き進んでおりません!!
少し投稿をお休みして書き貯めますので、次の更新は来月以降になると思います。
読んでくださっている方々には申し訳ないのですが、次話はしばらくお待ちください。
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