18.向かい合う
おやつは五枚重ねのパンケーキ。クリームにジャム、チョコレートソースに果物たっぷり。
それをほぼ一人で完食した為、夕飯はほぼ入らないという無様な結果になった。
レグルスは湯気を立てるシチューを前に、満腹で食べられないという屈辱を味わう。
「…食に対する執念が凄過ぎるだろ……」
共に夕食の席に着いた王太子が、呆れ果てたように言った。
お腹がいっぱいなのに、食べたそうにシチューを眺めている。
「シチュー、おいしいのです」
「好物か」
「おいしいもの・が・たべられない・なんて、たべものに・たいする・ぼうとくです」
「…誰だ。そんな事を教えたのは」
シェリオンとハロンは、笑いを抑えきれない。顔を伏せ、必死で声だけは堪えている。
そんな事に気付かないレグルスは、スプーンを握りしめた。
ヴェルディが溜息を吐く。
「後で気持ち悪くなっても知らないぞ」
「う~…ひとくち。あと・ひとくちだけ……」
シチューを掬って、口に運ぶ。そして目を細める。
「おいひい…」
そうは言うが、なかなか飲み込めない。お腹はもう限界を越えているのだから、当然である。
何とか飲み下し、次の一口をどうしようかとシチューを見る。実は、先程からこの繰り返しだ。
ハロンは机の端をバシバシと叩いた。
「ダメだ…腹筋崩壊しそう……っ」
「食べられないなら、無理しない」
何とか笑いを飲みこんだシェリオンが、レグルスからスプーンを取り上げた。
恨めしげに兄を見上げる。
「あとひとくち…!」
「ダメ。そう言って半分食べただろう?何でおやつも、ハーヴェイと半分こしなかったの?」
「だって……」
レグルスは言い淀んだ。
ハーヴェイも甘いものは好きだ。遠慮もしない。
侍女たちが皿を片付けながら、クスクスと笑っている。
「レグルス様が鳥のヒナのように口を開けるものですから、楽しくなってしまったようです」
「あ~…ハーヴェイ殿が食べさせたのか」
目に涙を浮かべたハロンが何とか体を起こす。
レグルスは眉を寄せていた。片付けられてまっさらになったテーブルに顔を伏せる。
「おやつ、おいしかったの・です」
「そうか。だったら、夕飯はもう諦めろ」
王太子から無情な宣告を受ける。
テーブルに顎を乗せ、情けない顔で王太子を見上げた。
ヴェルディは片眉を跳ね上げる。
「そんな顔をしても駄目だ。食べ過ぎは体に悪い」
「いままで・たりなかったから、だいじょうぶ・です」
「今まで足りなかったからこそ、急に大量摂取したら危ないんだ…っていうか、食い意地が張り過ぎてるぞ、お前の弟!」
ヴェルディがシェリオンに文句を言った。シェリオンは「そんな事を言われても」と、苦笑いを零す。
レグルスが不服そうに、ぺしぺしとテーブルを叩いた。
それを見て、ハロンは盛大に噴き出すのである。
そんな和やか(?)な夕食が終ると、それぞれ部屋に戻った。
レグルスは早々にお風呂に入れられる。長い髪の手入れをされていると、欠伸が漏れた。
「今日はお疲れでしょう」
侍女は髪にたっぷりと何かを擦り込み、丁寧に梳る。
侍女は楽しそうな様子だが、レグルスは顔を顰める。
「かみ、きってほしい・です」
ポツリと呟けば、侍女は目を大きく見開いた。
「そんな勿体無い事、出来ません!」
またこの言葉。
レグルスは肩を落とす。
栄養状態が悪かったが、髪の痛みはそれほどでも無かったらしい。綺麗に汚れを落とされ、毎日油や謎のクリームを塗られると、あっという間に艶やかで美しい髪になった。
侍女たちが羨むほどに。
癖のない真っ直ぐな髪。少し梳いただけで、背中をサラサラと流れる。
色は珍しい青みがかった銀色。青銀。
父と長兄も同じ色合いだが、こちらは適度に短くしていて、癖もある。
レグルスが父や兄と同じ色である髪を嫌う理由はない。直毛は母譲りだ。
問題はこの長さ。
救出直後に多少切り揃えられたが、やはり勿体無いという理由で、短くはしてもらえなかった。
侍女は長い髪を三つ編みにした。その先を摘む。
「つかまれるのは、いやなのです……」
侍女は眉を下げた。
ソファで本を読んでいたシェリオンも反応する。顔を上げると、弟が憂鬱そうに髪を摘んでいた。
本を閉じ、弟の傍に移動する。
「…痛かった?」
頭を撫でれば、レグルスは小さく頷く。
シェリオンは弟を抱き上げた。ソファに戻って、膝の上に座らせる。後ろから抱き締める。
「ごめんね」
最初に掴んだのはシェリオンだ。しかも怯えさせた。
あれから一切話題にしないが、今日、カーライルに掴まれたせいで恐怖が増しているのだろう。
レグルスは兄を見上げる。
「いたいのは、いやです」
「うん。そうだね。痛かったね。ごめん」
頭を撫で、顔を寄せる。
レグルスはお腹の上に回された腕を撫でた。
無言になってしまった所に、扉が叩く音が響いた。近衛兵が来客を告げる。
「グランフェルノ公爵様がお見えです」
「父が?」
シェリオンは目を瞠った。すぐに通してもらう。
父公爵は若干疲れた様子で現れた。それでも、駆け寄ってきた末息子に顔が崩れる。
レグルスは父の前で両手を上げる。
「とうさま、だっこ」
「よしよし」
軽々と抱き上げ、腕に座らせる。
レグルスは父の肩に顔を埋めた。そのまま目を閉じてしまう。
大人しくなった末息子に訝しむような視線を向ければ、長男が笑いながら口元に人差し指を当てる。
思わず苦笑してしまう。
「父は枕か」
もう聞こえていないようだ。小さな寝息が耳に届く。
ソファに座ると、膝の上に横にする。頭を撫でながら、父は満足そうに笑う。
しかし、その笑みはすぐに消えた。
シェリオンもその様子に気づいて、姿勢を正す。父が話し出すのを待った。
「…正式な抗議を出した」
主語がなくても、何の事かすぐに解る。シェリオンは硬い表情で頷いた。
「王宮内で起こった事件だ。厳正なる処罰を下すよう、勅命が下された」
「イノセント小父上には……」
「公爵に落ち度はない…とは言えない」
既に財務大臣の座を辞する意を示されている。幸いな事に領地の没収などはなかったが。
父公爵の言葉に、シェリオンは顔を歪めた。
この結果は予想の範囲内だ。だから心を痛める必要などはないと、自分に言い聞かせる。
「ご子息は当分動けんそうだ。派手にやったな」
父の口元に笑みが浮かんだ。
シェリオンは視線を下げる。
本当は腕の一本も切り落としてやろうかと思っていた。だが、出来なかった。
すっかり寝入ってしまったレグルスに目を向ける。
「…生かしてやったのが正しい事なのか……俺には解りません」
「怖い事を言うな。無駄な殺生をされても困る」
「二度と剣を持てないようにしてやろうかと思ったのですけれどね」
「似合わんな。血生臭いのは、お前には向かん」
「…ハーヴェイなら良いのですか?」
「アレは泥臭いくらいで丁度良い」
父は視線を落とした。頭を撫でていた手を止め、髪に指を絡める。
あどけない顔で眠る小さな息子。やっと帰ってきた、大事な末息子。
「多分…血生臭い道を行かねばならないのは、この子だろう」
「はい」
シェリオンは同意した。
幼いけれど、時折見せる不思議な表情。大人びた思考。
何かを隠しているのだろうが、聞きだす事が出来ない。幼い表情に隠して、愛らしい仕草に隠して。「お願い、聞かないで」と、全身で懇願するように。
「明日、レグルスを家に連れて帰る」
突然と言葉に、シェリオンは反応が遅れた。首を傾げると、父は更に続ける。
「朝、医師の診断を受けさせた後、昼には連れて帰る許可を得た」
「陛下の、ですか?」
「国王陛下も、王太子殿下も」
沈んだ声で答えた父は、眉間に深い皺を刻んでいる。
深い溜息が洩れた。
「嫌だと言っていたのにな……」
「え?」
「今朝、王宮はもう嫌だと言われた。馬鹿と揉めた後だ」
それを流してしまった。結果、更に怖い思いをさせてしまった。
シェリオンが何も言えずにいると、父は眠る末息子を抱き上げた。
奥の寝室へと向かっていくので、シェリオンは慌てて追いかけて、扉を開けた。
公爵はベッドにレグルスを寝かせると、布団を肩までかけた。顔にかかる髪をよけ、額を顕わにさせる。
「頼りない父ですまない」
そう呟いて。
後悔に苦悩する後ろ姿。
シェリオンは知っている。この数年、何度も見てきた。
偽物が連れて来られるたび、厳しい言葉で追い返した…その後で。
執務室に一人消えていく、後ろ姿。
何も言わなかった。何を考えていたのかも分からなかった。
ずっと、そんな風に考えていたのだろうか。見つけてやれない我が子に対して。
…或いは、己の罪に感情を押し潰されてしまった我が子に対して。
こうやって自らの不甲斐なさを嘆いていたのだろうか。
父親がシェリオンを振り返った。思わず身構えてしまう。
そんな長男に、父親は苦笑した。
「お前も明日は帰ってこい。クリストフが寂しがっているぞ」
クリストフはグランフェルノ家の執事だ。
過保護な執事の名に渋い顔で肩を竦めると、父の手が頭を掻き回した。
「ちょ…っ、やめて下さい!子供じゃあるまいし」
「何を言う。親にとって、子供はいつまでも子供だ」
公爵は両手でかき回して、息子の非難を楽しんだ。
誤字脱字の指摘、お願いします。
評価、ありがとうございます!
小心者は恐れ多いあまり、ビビって冷や汗掻いてます。
とりあえず、手術は11月以降に後回しになりました。