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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
幼年期
17/99

16.逃げて良いこと、悪いこと






 朝、レグルスは侍女に連れられ、庭へと向かっていた。

 体力づくりを兼ねた散歩は、毎日の日課である。が、今日はいつもの内庭ではなく、宮の外を歩いている。

 狭い内庭は飽きただろうと、王太子が許可を出したのだ。家族との再会も果たし、先日は騎士団の訓練も見学に行っている。

 ゆったりとした白いローブを纏ってフードを被れば、姿をさらす事はない。

 念の為、周囲を近衛兵に見張らせている。直接目に入る位置にはいないが、建物や木の陰に濃紺が見え隠れする。

 知ってか知らずか、レグルスは新しい場所に興味津々だ。


「おそとのおにわ」

「そうですよ。いつもと違うお花が見られますよ」


 侍女がそう告げれば、レグルスは目を細める。


「なんの、おはな?」

「何が咲いているでしょうね~?」


 うふふと笑って、侍女は小首を傾げた。

 レグルスは侍女の手をしっかり握り直し、一緒に振る。鼻歌でも歌いだしそうな様子だ。

 楽しげな二人の前に、人影が飛び出してくる。濃紺の制服…近衛兵だ。

 切迫した表情で侍女に告げる。


「レグルス様をお連れして、部屋に戻れ!」

「は、はい!!」


 突然の事態に、侍女は顔を強張らせる。だが、体は王宮仕えの侍女らしく、機敏に反応した。

 レグルスの手を引き、宮へ引き返そうとする。数名の近衛兵が囲んだ。

 そこへ新たな人物が現れる。


「ほう。それがグランフェルノ公爵家の末弟殿か」

「お帰り下さい、ビクスビー伯爵」


 年若い近衛兵が唸るように言った。

 レグルスは振り返る。侍女が促すが、足を動かさない。厭らしい笑みを浮かべる男の顔をじっと見つめる。


「…おもい・だし・ました……」


 ポツリと呟いた。男を指差す。


「できが・わるい・こうしゃくけの・あととり」


 一瞬、その場の空気が凍った。

 ビクスビー伯爵の顔が引きつる。頬がぴくぴくと動く。

 侍女は蒼褪めている。近衛兵たちの反応は様々だ。固まるもの、笑いを堪えるもの、呆気にとられるもの……

 全員共通するのは、皆レグルスを見ているという事だけ。

 当の本人は、首を傾けた。


「あれ?こうしゃくけの・あたまの・わるい・あととり…でしたっけ?」

「ぐふっ」


 笑いを堪えていた近衛兵が、堪え切れずに妙な声を出した。慌てて口を覆い、視線を逸らせる。

 ビクスビー伯爵が怒りで顔を赤くする。

 落ち着いた侍女がレグルスの手を引いた。


「戻りましょう。レグルス様」

「はい」

「待て!」


 ビクスビー伯爵が声を荒げる。レグルスに向かって足を踏み出した。

 だが、間に入った近衛兵たちに阻まれる。

 とてとてと歩きだすレグルスの後ろを、怒声が追いかけてきた。


「このクソ餓鬼!居てもいなくても困らない、三男坊のくせに!!死んでいた方が、兄貴の役に立ったんじゃないか!?」

「ほう?面白い事を言うな」


 低い声が言った。

 レグルスが侍女の手を振り払う。声の主に駆け寄ろうとする。


「とうさ…っ」


 足をもつれさせ、地面に転げそうになった。

 寸前で抱きとめたのは、グランフェルノ公爵その人だ。小さな体を抱き上げて、笑いかける。


「そのように焦らずとも、逃げはせんぞ?」

「でも・おしごとで、すぐに・いなくなるです」


 口を尖らせると、公爵は弱り切った様子をみせた。

 

 少しずつだが、レグルスは様々な表情を見せるようになってきている。

 特に家族と一緒に居る時に、新しい表情を見せる。


 レグルスは父親の肩に腕を回す。

 公爵は息子をしっかりと抱き込んだ。頭を撫でる手つきは優しいが、目の前の男に向ける視線は冷ややかだ。

 ビクスビー伯爵は真っ青な顔になっていた。唇が震えている。

 ふっと公爵の視線が逸らされた。息子の体を離すと同時に、顔にも優しい笑みを浮かべる。


「さて、お前は散歩だな。侍女殿と行って来い」

「とうさまは?」

「父はカーライル殿と話がある」


 レグルスは不満そうに父の肩を叩いた。それに構わず息子を下ろし、身を屈める。


「帰ってきたら、父と遊んでくれるか?」

「はい!やくそくです・よ?かえってきた・ら、もう・いない・は・だめですよ?」

「必ず待っているから、たくさん歩いてこい」


 そう言って、侍女に託す。近衛兵が二人、直接警護の為に付き従う。

 渋々手を振る息子に同じように手を振り返し、建物の向こうに姿が見えなくなったのを確認して、不法侵入した男へと向き直った。

 冷やかな視線が伯爵へと向けられる。


「居てもいなくても困らない三男坊…だったか?」


 返答はない。全身が強張り、血の気の失せた顔は今にも倒れそうだ。

 グランフェルノ公爵は低い笑い声を洩らした。


「居たらいたで迷惑な嫡男坊殿が、面白い事を言う」


 びくりと伯爵の体が撥ねる。

 グランフェルノ公爵の手が、伯爵の襟首を掴んだ。ずいっと顔を近づける。長男・三男と同じ薄い水色の瞳に、怯える伯爵が映る。


「知っているか?イノセント殿がお前の廃嫡を考えている事を」


 威圧を込めた低い声。

 若い頃に瓜二つという長男には、この迫力はまだ出す事は出来ない。長く重責を背負ったものだからこそ出来る技。


「な、にを…」


 ビクスビー伯爵から、掠れた声が漏れた。

 まだ喋れるか。

 グランフェルノ公爵は僅かに見直したが、それも一瞬の事。小者の虚勢はもう飽きた。


「確かにお前は、正妻殿との間に生まれた唯一の子だ。だが、ビクスビー公爵家の血は他にも存在するぞ…うちを含め、な?」


 凶悪な笑みが浮かぶ。

 貴族など、婚姻でどこかしら繋がっているものだ。グランフェルノ公爵の母は王族だが、妻は貴族の出だ。数代遡れば、ビクスビー公爵家の令嬢を母に持つ当主が居る。

 勿論、嫡男であるシェリオンは手放せないし、他の子たちも嫌がるだろうが。

 何にせよ、この男はもう必要がない。


「次代のビクスビー公爵は、お前ではない」


 低い声で告げられた言葉は、ビクスビー伯爵の体から全ての機能を奪った。掴まれていた襟首が離されると、呼吸も荒く、その場に崩れ落ちる。

 グランフェルノ公爵は控えていた近衛兵に視線を送り、伯爵を連行させた。

 小さく舌打ちを洩らす。


 あんなものがうちの息子たちと肩を並べて権勢を振るうなど、考えたくもない。イノセント殿とは切磋琢磨した間柄だが、子育てだけは間違えたらしい。イノセント殿には気の毒だが、ビクスビー公爵家に正式な抗議を出そう。

 しかし、長く大きな戦争が起こらないと、ああいった頭が悪い貴族が増えて困る。いや、だからと言って戦争が起こっても困るのだが……


 頭の痛い問題に、公爵は額に手を当てた。

 そこへ近衛兵が声をかける。


「グランフェルノ公爵様。お部屋でお待ちになりますか?」

「そうだな。そうさせてもらおうか」


 本当は一緒に散歩をと思ったのだ。だから早朝に出仕し、一仕事を片付けてきたというのに。あんな小僧に邪魔され、憤慨やるかたない。

 腹立たしいが、仕方ない。仕事は副大臣達に頑張ってもらおう。

 たまにはこんな日があってもいい。

 戻ってきた末息子が自分に飛び込んでくる事を考えれば、こんな時間も楽しかった。






 散歩から帰ってきたレグルスは、父の膝で本を読んでいた。


「メリーは、ひつじかいの・おんなのこ・です。メリーは、たくさんの・ひつじをつれて、おでかけ・します」


 読んでもらうのではなく、読んであげている。

 グランフェルノ公爵は愉しげにそれを聞いていた。読み終われば「よく出来たな」と頭を撫でてやっている。

 不思議と文字は読めるようだと聞いている。書く方はやはり無理らしい。

 共に過ごしているシェリオンが、試しに自分の名前を書かせてみたらしいのだが、酷い有様だったと言っていた。ペンの持ち方も解っていなかった。


『紙を顔にひっ付けて恥ずかしがる様は、そりゃあ可愛かったですけどね』

 …息子よ、何の報告だ……


 何はともあれ、自分の字が汚い事は自覚している。それなら練習さえすれば良くなるだろう。計算も、日常的に使うような簡単なものなら問題ないようだ。

 日々の散歩で、大分足取りもしっかりしてきた。走ると転びやすいのも、そのうちに治るだろう。

 言葉も、日毎に滑らかになってきている。拙い敬語もこれから学ぶのだ。

 全てにおいて問題ない。

 ふと我に返れば、レグルスがこちらを見上げていた。絵本はまだ途中だ。


「どうした?」

「ぼく、いつおうちに・かえれ・ますか?」


 公爵が目を瞠ると、レグルスは不安げに眉を下げる。本に目を落とした。


「おしろは・もう・いやです……」


 ポツリと呟く。

 公爵は後ろから手を回し、軽く左右に体を揺らし始めた。


「国王陛下と王太子殿下が嫌いになったか?」

「ううん。へいかも・おーじさまも、やさしいの・です」

「近衛師団が嫌いか?」

「ううん」


 レグルスは首を振る。ゆらゆらと揺れる父親に合わせて、体が揺れる。


「ハロンはおも・しろいです。きしさまたちも・よくしてくれ・ます」

「カーライルが嫌か」

「…すこし」


 レグルスは指先に僅かに隙間を開けた輪を作った。

 ふっと公爵の目元が緩む。頭部に頬を寄せる。


「怖いか?」

「……」


 返答はなかった。代わりに、本に置かれた手が震えていた。

 後ろから手を取り、万歳をさせる。

 レグルスはびっくりしたようで、目を見開いた。首だけで父の顔を窺おうとするが、見える場所まで動かなかった。


「とうさま?」

「悪意を恐れるな」

「……」

「立ち向かえとは言わん。今はまだ逃げても構わん。だが、恐れるな」

「にげて・よいですか?」

「今はな。立ち向かうには、お前はまだ色々足りん」


 そんな事をさせて今度こそ永遠に失う事になれば、公爵は一生後悔する。

 上げさせていた両手を離すと、向かい合うように息子の体を反転させた。


「学べ。立ち向かう術を身に付けろ。自身を守れるようになれ」


 レグルスは無表情に父を見つめていた。両手を顎に当てている。

 公爵はレグルスの返事を待った。瞬きに首を傾けて応える。

 何か言おうと口を開きかけ、言葉が見つからずにそのまま閉じた。代わりに抱きつく。

 グランフェルノ公爵はポンポンと背を叩いた。


「案ずるな。それまでは父が守ってやる。父と兄たちで、全ての悪意を振り払ってやる。だから恐れるな」

「あい」


 くぐもった声で答えた。顔を肩にすり寄せる。

 髪をクシャクシャとかき混ぜながら、グランフェルノ公爵は苦笑を洩らした。


「お前のその癖は、動物のマーキングみたいだなぁ」

「ぼく、においなんて・つけてません」

「というより、所有権を確認されているようだ」

「とうさまは、ぼくのとうさま・でしょう?」


 こてんと首を傾げるレグルスに、父親は小さく噴き出した。

 何度も頷いて、小さな体を抱きしめた。


「「グランフェルノ公爵ー!!」」


 廊下から騒ぐ声が聞こえた。近衛兵と揉めているようだ。

 公爵が頭を抱え、レグルスが不思議そうに父を見上げる。

 扉が開かれ、近衛兵が姿を見せる。


「公爵様!政務省の方がお見えになられております!」

「追い返せ」

「いやっ、それは…!」


 真面目な顔して、何言ってんだ。

 近衛兵は思ったが、相手に地位も身分もあるだけに、妙な事も口走れない。脂汗が出る。

 すると、レグルスが父の頬を摘んだ。


「おしごとある・じゃ・ないですか」


 レグルスはさっさと膝を下りる。そして扉を指差す。

 公爵は眉を下げ、しょんぼりと肩を落とした。


「公爵ー!早く戻って下さいよー!!公務が積み上がりつつありますよー!!」

「積み上がって、そろそろ倒れますー!」

「偶にはお前たちで片付けろ!!」

 

 公爵は怒鳴り返し、渋々立ち上がった。ツンっと袖を引っ張られる感覚に、視線を下げる。

 レグルスが見上げている。何の表情も見出せない。

 公爵が首を傾げると、フルフルと首を左右に振った。


「おみおくり・します」


 そう言って扉の前まで来た。

 近衛兵が扉を開ける事を躊躇う。開ければすぐそこに政務省の官僚が待ち構えているのだろう。

 レグルス自身、自分の姿の異様さを知っている。だから、あまり人前に出る事を好まない。先日、騎士団の訓練を見に行った際も、フードの付いたローブを自ら所望したほどだ。

 だがレグルスは、「開けて」と言うように近衛兵を見上げ、ぺしぺしと扉を叩く。

 近衛兵は戸惑いながらも、扉を開き、脇に避けた。


「大臣」

「げ」


 扉の真正面に立っていた人物に、グランフェルノ公爵はカエルの鳴き声のような潰れた声を出した。

 そこに立っていたのは、政務大臣の秘書だ。眼鏡をかけた細身の男で、神経質そうな印象を受ける。

 彼は大きく溜息を吐いた。


「速やかにお戻りください」

「解っている」


 公爵は振り向くと、扉の陰に立っていたレグルスを見た。寂しそうな笑顔を向ける。


「また後でな」

「はい」


 出ていく父親に付いて廊下へと顔を覗かせた。秘書官と目が合う。

 年の頃は三十前だろうか。もっと若いかもしれない。かっちりと撫でつけた髪や眼鏡が、見た目年齢を上げているような感じだ。

 髪も瞳もオレンジのような薄茶色で、とても艶やかで綺麗だ。


「…何か?」


 無言で見つめあってしまったのだが、耐えられなくなったのは秘書官の方だった。

 レグルスは一度父へと目を向け、再び秘書官を見た。


「おしごと・の・じゃまして、ごめんなさい」

「いえ。お父上をお借りします」


 秘書官は丁寧に腰を折った。驚いた様子も見せない。

 逆にレグルスが驚いた。表情には一切出ないが。

 公爵がレグルスを手招きした。ととっと駆け寄り、父親の足に張り付いた。


「政務省大臣付秘書官のテュール・バルトグレイムだ」

「こうしゃくさま・ですか?」


 バルトグレイム家は侯爵の地位をもつ貴族だ。

 レグルスはそう記憶していたのだが、目の前の秘書官は僅かに眉間に皺を作った。

 「間違えた?」と首を傾げれば、グランフェルノ公爵が苦笑を洩らす。


「テュールは兄が大勢いるからな。家を継ぐ事はないだろう」

「そうですか。ごめん・なさい」

「いえ…それより大臣」


 秘書官の言葉に、解っているというように手を振る。そして足にしがみ付く息子の頭を撫でた。

 レグルスは足から離れた。


「いって・らっしゃい・ませ」

「うん。いい子で待ってるんだぞ」


 公爵がふわりと笑うと、近衛兵の向こうに隠れていた政務省の文官が二人、奇声を発した。

 途端、公爵に加え秘書官も顔を顰める。

 奇声を発した文官たちは、目をまん丸にしながら奇妙なポーズを決めている。


「グランフェルノ公爵様が!」

「何ですか、今の微笑み!?」

「「我々にもそれくらいの慈悲を!!」」

「煩い、黙れ。仕事しろ」


 グランフェルノ公爵はすげなくあしらい、レグルスに部屋に戻るように促した。

 手を振って、中へと戻る。父は勿論、近衛兵の向こうにいる文官たちも大きく手を振ってくれた。

 後ろで扉が閉められると、レグルスは目を細めた。


「とうさまのぶか。おもしろいひと・が・いっぱいです」

「おかしいですね…政務省は厳しい部署として有名なのですが」


 近衛兵は苦笑する。

 大臣である公爵の豹変ぶりは仕方ないが、あんな官僚がいるとは。

 レグルスは絵本拾って、ソファへとよじ登った。

 侍女が昼食の時間を告げる。もう暫く時間がかかるので、本を読んで大人しく待つ事にした。

 絵本を開きながら、今日の昼食の内容と、午後からという母と姉の来訪を楽しみにするのだった。






 その前にもう一波乱。







誤字脱字の指摘、お願いします。


この先入院だ~手術だ~が控えているのだから、さっさと更新しちまえよっていう、神のお告げがおりてきましたw

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