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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
幼年期
14/99

13.五年前の記憶






 ココノエ侯爵は黄昏の塔へ来ていた。


 最上階の部屋。三メートル四方ほどの、小さな部屋。陽が沈んだ後、明りのないこの部屋は暗闇に覆われる。

 今は、侯爵の持ちこんだ魔具の明かりが広がっている。

 晩夏の夜。昼間の熱は静まり、石造りの部屋は冷気が漂う。

 もう数ヶ月もすれば雪が降る。そうすればこの部屋は更に気温が下がるだろう。外気と大して変わりがないとすれば、氷点下だ。

 あの後、改めて塔全体が検分され、清掃された。空気の入れ換えにもなり、あのすえた臭いは消えている。

 

 誰がこんな場所に、幼子を閉じ込めたのか。

 何の為に。


 ココノエ侯爵の手の中で、鍵の束が重苦しい音を立てる。

 ここの鍵を持つのは、全ての牢鍵を預かる鍵番。そして王族の生活を預かる侍従長。

 しかし、この二つの鍵は厳重に管理されている。簡単に持ち出しは出来ない。

 もう一つ、食事を運ぶ為に最初の入り口の鍵だけが別にあるが、これだけでは上に閉じ込めるのは不可能だ。

 知られない鍵の存在があるのか、この二つの鍵のどちらかが秘密裏に持ち出されたのか。今となってはそれも解らない。

 侯爵は侍従長に無理を言って、鍵を借りてきた。


「オレのせいか?」


 小さな呟きも、この静かな場所ではよく響く。

 ココノエ侯爵は天を仰いだ。


「オレが、あの子を選んだから?」

「ンなわけあるかい」


 思わぬ返答があった。

 扉へ目を向ければ、国王が仁王立ちしていた。目を吊り上げている。


「見つかって『めでたしめでたし』にならんのは仕方ない。犯人が捕まってないんだからな。だけどさぁ……」

「身にならない自己嫌悪はやめろ、でしたね」


 国王が盛大な溜息を吐いた。そして己の髪を掻きまわす。

 ココノエ侯爵は苦笑した。


「でもね、陛下。原因不明のまま五年ですよ?オレや家族に手を出してくるならともかく、なんだってグランフェルノだったのか……」


 そしてよりにもよって、あの一番幼い子供だったのか。

 勿論、二人が若い頃からの友人同士という事実はある。今でも家族ぐるみの付き合いだ。

 グランフェルノ公爵家にちょっかいをかければ、もれなくココノエ侯爵家もついてくるのは解りきっている。

 それでも。


「レグルスが攫われたのは、ただの偶然だとは思えない」

「根拠は?」

「ありません。強いて言うのならば、ただの勘です」


 国王は眉を顰めた。

 勘を笑う事は容易い。それを容認できないのは、ココノエ侯爵の勘が外れた事がないからだ。

 侯爵は視線を落とす。


「レグルスをオレと結び付ける要因はただ一つ。あの子をオレの後継者に求めた事。それだけです」


 もし選ばなかったら…どうしてもその考えに戻ってしまう。

 国王が首を振る。


「もっと先を見ろよ。過去を振り返ったって、解決しないぞ」


 国王は軽く身を震わせた。夜気がますます温度を下げている。


「降りるぞ。こんなとこに何の解決策も無い。それなら、嫌われる覚悟で本人に事情聴取した方がマシだ」


 サラリと言われた言葉に、侯爵は肩を竦めた。

 仕方ないというように後に続き、塔を出るのであった。






   ◆◇◆◇◆◇






「っていうことで、来た」

「前置きの意味が分かりません…」


 ココノエ侯爵が頭を抱えている。

 目の前に座る子供は、無表情のまま国王を見ていた。やがて、隣の母に視線を移す。


「だぁれ?」

「国王陛下、よ。それとココノエ侯爵様。レリックおじさまよ」


 グランフェルノ公爵夫人も、困った様子である。頬に手を当てている。彼女もまた、国王の前置きの意味が分からずにいた。

 レグルスは再び国王に目を戻した。ぺこりと頭を下げる。


「はじめま・して。へーか。おひさしぶり・です、おじさま」

「堅苦しいのは抜きでいいぞ」


 警戒心のない笑顔を向ければ、抱えていた小ぶりのぬいぐるみに顎を乗せ、首を傾ける。

 見た目はかっさかさに乾いた干物のようだが、仕草は妙に愛らしい。

 国王は顔には笑みを浮かべたまま、レグルスと同じように首を傾けて見せる。


「お前に聞きたい事があってな」

「ききたい・こと・ですか?」

「そ。お前が誘拐された時の事」

「陛下、それは…!」


 公爵夫人の顔から血の気が引いた。息子を抱き寄せる。

 あんな辛い目にあった直後に聞きだす事ではない。だが、時間がたてば記憶は変質する。ただでさえ、五年の歳月が経っているのだ。五歳児の記憶など、曖昧に決まっているのに。

 少しでも情報が欲しい。が、夫人の反対も理解出来る。だから、嫌われる覚悟を決めて、ここに来た。

 レグルスは抱きしめる母の体を押した。


「だいじょーぶ・です。おはなし・できます」

「レグルス……」

「強い子だ」


 国王は緊張を緩めた。ココノエ侯爵もほっと息を吐く。

 グランフェルノ公爵夫人だけが、顔を強張らせている。

 レグルスは母を見上げた。


「だいじょーぶ、です。ぼく・だって、このまま・は・いやです」

「…そう。解ったわ……」


 グランフェルノ公爵夫人は表情を強張らせたまま、立ち上がった。

 国王に頭を下げる。


「私は下がらせて頂きます。お話が済みましたら、お呼びください」

「いてくれて、構わんぞ」

「いえ…聞いていれば、口を挟みたくなりますので」


 顔を上げると、彼女はココノエ侯爵へ視線を向ける。小さく微笑む。「後はよろしくね」と、無言で告げて退出しようとすれば、スカートを掴まれた。

 下から見上げる目は、無表情のままだ。だが。


「かあさ・ま。いっちゃうの・ですか?」


 か細い声に、母は目を丸くした。すぐに笑みに取って変え、身を屈める。


「終わったら戻ってきますよ。ちゃんとお話ししなさい。嘘はダメよ?」


 レグルスはしばらく母を見ていたが、やがて力なく手を離した。小さく頷く。

 そんな我が子の頭を撫で、彼女は出て行った。

 扉が閉まるまで、レグルスは母から目を離さなかった。無表情ながら、不安そうな気配は漂っている。

 姿が見えなくなって、ようやく前に向き直る…と、目の前に居た国王がいなくなっていた。


「ありゃ?」


 間抜けな声が出た。

 ソファがたわむ。隣を見れば、国王が座っている。

 国王は満面の笑みを浮かべた。


「じゃ、聞こうか」

「なにから、ですか?」

「そーねー。まずは、誰がお前を塔に連れて行ったか…覚えてるか?」


 レグルスは首を振った。


「きがつい・たら、とうのなか・でした」

「眠らされたのか…お前が最後に一緒に居たのは、シェリオンだったな?」

「はい。そのあと、きしさまに・あいま・した」

「騎士?」


 レグルスは頷いた。そしてココノエ侯爵を指差す。


「あのふくを・きた・きしさま・です」


 侯爵が現在着用しているのは、近衛師団の制服だ。彼は国王の近衛騎士でもある。

 国王はレグルスの頭を乱暴に撫でた。


「よしよし。よく覚えてんな~。騎士の顔は覚えてるか?」


 これには首を振る。

 それもそうかと、国王は一人納得する。家族の顔も覚えていなかったのだ。仕方ない。

 とはいえ、ここまで仔細を覚えているのに、人の顔だけが悉く抜け落ちているのが腑に落ちないのだが。

 国王の手がどけられると、レグルスは髪を直した。長いがサラサラなので、特に絡まる事は無い。

 美しい青銀の髪を一房摘む。


「その騎士に何か言われたか?」

「はい。とうさまが、よんで・いるから、いっしょに・きてくだ・さいって」

「それで付いて行ったと」

「はい。かあさまには・もう・おはなしして・あるからって…いわれたの・です」


 視線が下げられた。髪が顔を覆い隠す。

 国王は苦笑する。


「責めているわけではない。まさか嘘を吐かれるなんて、思わないもんな」


 ぬいぐるみを抱える小さな手が震えていた。

 手が震えるのは、怖い時や悲しい時。侍女の話は聞いてる。

 先を促す様に、頭をポンポンと叩いてやれば、顔を上げないまま話し始める。


「それからは・よく・おぼえてま・せん。でも、おこるこえ・が・きこえたと・おもうのです」

「怒る声、ねぇ…」


 誰かが見咎めたのだろうか。だが、あの時行方不明になった大人はいない。強いて言うのであれば、ある騎士が急病に倒れ、そのまま帰らぬ人となったくらい……

 俯く顔を覗き込むように身を屈めれば、父親譲りの瞳が閉じられていた。顔にかかる髪を掻き上げる。


「閉じ込められてからは?誰か来たか?」


 これは否定の動き。


「ごはん」


 何の脈絡もない呟き。

 思わず訝しんでしまい、眉間に皺が出来た。


「さいしょは、いちにち・にかい・でてきたの・です」

「食事か…聞いた話では、一日一回だけだったな」


 正式な報告書はまだ上がってきていない。過去に遡って調査をしている為だ。

 黄昏の塔への食事係は、とにかく頻繁に人間が変わっている。一年以上勤めた者はいないのだ。ようやく一年半ほど辿れたという報告が上がっている。

 国王は己の顎を撫でる。


「二食が一食になったのは、いつごろか分かるか?」

「さむく・なったころ・です」

「…秋か、冬が来たくらいか?」

「あついあいだ・は・ちゃんとした・ごはん・でした」


 あんな所では、日付の感覚もあっという間に無くなっただろう。

 閉じ込められたのは、社交シーズンの始まりを告げる立夏の宴の直前だった筈だ。


「さむくなって、いっかいだけ・に・なって、かたいパン・と・スープだけ・に・なりま・した」

「質も変えられたのか……」


 これは誰かの指示があったとは限らない。使用人の間で勝手に変えられた可能性が高い。

 レグルスの目はいつの間にか開かれ、国王を見つめていた。薄い水色の瞳。そこに険しい自分の表情が映っていた。

 ふっと、国王は表情を和らげる。


「ここの飯は?旨いか?」

「はい。とっても」


 レグルスも目を細めた。味を思い出したのか、両手を頬に当てる。

 料理人に特別に作らせた、病人食だ。味より栄養といわれるが、職人である料理長が妥協するわけがない。


「あさのおかゆ・が・おいしい・です」

「え~…アレ、旨いか?糊だろ」

「おいしい・ですよ?いろも・きれい・です」

「・・・・・」


 違う。自分が食べた事のある病人食の粥と、絶対違う。

 後で侍女に聞こう。



 それは内心に留めておいて、質問を戻す。


「近衛師団の制服を着た騎士なんだけどな。会った事は無い奴だよな?」

「はい。しらないひと・です」

「レグルス。それは、本当にこの制服だったのかい?」


 今まで黙って立っていたココノエ侯爵が、自分の服を指して訊ねた。

 レグルスは頷いた。


「はい。おじさまと・おなじ・です。いつも・おそとにいる・きしさまたち・とは・ちがい・ます」


 ココノエ侯爵の顔が強張った。

 国王はよしよしとレグルスの頭を撫でる。


「つまり、濃紺の制服。で、装飾が銀だったと」

「はい。おそとの・きしさま・は・しろい・です」

「服装は覚えてるんだなぁ」


 レグルスの記憶のポイントが分からない。

 そんな事を考えつつ、言葉の重大さに溜息が出そうだ。


 近衛師団…主な任務は、王族の警護だ。王族の住まいの警備も含む。

 近衛師団に所属する騎士は『近衛兵』と呼ばれる。特定の王族を主とする近衛兵は『近衛騎士』と呼ばれ、区別される。


 レグルスが見たのは『近衛騎士』の制服。

 そして五年前から現在に至るまで、近衛師団が護る王宮に居る王族は、国王と王太子しかいない。

 五年前から、国王の近衛騎士は変わっていない。王太子の近衛騎士にハロンはいなかった。成人前の王太子を護っていたのは……



「メレディス……」





誤字脱字の指摘、お願いします。


サブタイトル、最初に思いついたのが「おっさんと子供」でした。

それはねぇだろ。

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