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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
幼年期
11/99

10.とりまく世界





 黄昏の塔から、行方不明となっていたグランフェルノ公爵家の三男が発見された。

 一応緘口令が敷かれたものの、人の口に戸は立てられないとはよく言ったものだ。

 王子の宮には、噂を聞いた貴族やその子弟たちが、一目姿を見てやろうと場違いにもうろついている。それを近衛兵たちが片っ端から捕えては、宮の外へ放り出す。

 その報告を、ヴェルディは頬杖をついて聞いていた。すっかり呆れた様子だ。

 流石に名だたる貴族たちはそんな真似しないし、宮勤めの侍従や侍女たちは黙々と職務を全うとしている。

 レグルスの部屋は宮の奥の方で、近衛兵に厳重に守らせている。近付く者は徹底的に排除しろと通達してあり、近衛兵たちは忠実に勤めていると言えるが。


「流石に数が多すぎますし、()()高貴な方々にあまりご無礼を働くわけにもいかず……」


 近衛兵は弱り切った様子だった。「一応」に妙な強調があった辺り、彼も中々の性格であるようだが。

 王子は長い溜息を吐く。傍に控える近侍に目を向けた。


「シェリオン」

「はい」

「お前、弟を見せものにする気はあるか?」

「全くございません」


 すうっと、部屋の温度が下がった気がした。

 ヴェルディは口角を吊り上げる。


「蹴散らしてこい」

「御意」


 ふわりとローブを翻し、彼は執務室を出て行った。

 報告に来た近衛兵も、敬礼して後を追う。

 王子は頭の後ろで両手を組み、背もたれに体重をかける。


「公爵家の嫡男が直接出てくれば、奴らも大人しくなるだろう」

「なりますかねぇ?噂が確信になりそうですが」

「確信も何も、ただの事実を隠蔽しているにすぎない。正式な発表より、家族への対面が先だ」


 王子は騎士を見上げた。

 騎士は首を振る。


「つーか、他人んち事情に首突っ込みたがる連中の考えが解りません」

「好奇心だな。あの子を見て、陰口叩くなり同情するなり…要は相手を見下して、優越感に浸りたいんだろう」

「アホらし……」

「頭は良くないな」


 大して重用されてもいない貴族の行動だ。下世話の一言に尽きる。

 ヴェルディが両手を上げて、大きく伸びをする。そして書類作業に戻る。


「あ。事務官呼んでくれ」


 唐突に手を止めて、ハロンを振り返る。

 ハロンが首を傾げると、ヴェルディは更に言った。


「シェリオンはすぐに戻ってこない。仕事の補佐…お前がやってくれるか?」

「呼んできま~す」


 足取り軽く、ハロンは執務室を出たのである。






 レグルスは侍女に連れられて、宮の内庭に出ていた。

 庭に面した部屋は王太子の寝室で、通路には近衛兵が立っている。貧相な子供を嘲笑うものは誰も近付けない。

 手を引く侍女は花壇の前で足を止めた。


「お花、綺麗ですね」

「あい。お・は・な・のぉ・な・ま・え・は?」

「アスターというのですよ」

「あ・す・た?」


 侍女はレグルスを気遣い、しきりに話しかける。レグルスはそれに応えるように、侍女の言葉を繰り返す。

 小さな内庭をゆっくりと歩き、花の名前を一つ一つ、教えていく。

 レグルスは一つ一つ指差す。


「あ・す・た。ま・り・ごーる・ど。ねり・ね」

「はい。上手に言えましたね」


 レグルスの隣でしゃがんでいた侍女は微笑み、パチパチと手を叩く。

 レグルスは口元を両手で覆い、目線を下げた。

 その顔を侍女が覗き込めば、ふいっとそっぽを向いてしまう。

 嫌われたかと心配になったが、レグルスは新たに目についた白い花を指差した。


「あ・れ・は?」

「ミントです、ミント」

「みん・と」


 レグルスは頼りない足取りで花の前に行くと、そこでしゃがみ込んだ。手を伸ばし、葉を摘む。


「たべ・れ・ます・か?」


 侍女を振り返って訊ねてくる。

 侍女は顔を綻ばせた。


「はい!よくご存じでしたね。お茶やお菓子でも使われてるミントがこれですよ。でも、ここのは観賞用なので、食べてはダメです」


 レグルスは首を振る。


「おい・しぃ・く・ない・です」

「あらまあ……レグルス様は、ミントのお茶は嫌いですか?」


 さっぱりすると、女性の間では人気の品なのだが。

 レグルスは頷いた。


「お・くち・の・なか・がぁ、すーすー・し・ます。いぃ・や・です」

「好きな方は、そこがいいと仰るのですが…そうですか。解りました」


 今のレグルスにミントを使ったものが出されるとは思えないが、念の為、報告しておこうと思った。

 レグルスは更に言った。


「で・も、おはな・は・き・れい・です」

「そうですかぁ…お花は好きなんですね」


 再び頷き、何か言おうと口を開きかけた。が、途中でやめてしまう。

 侍女は首を傾げる。俯いた彼の顔を覗き込むのはやめ、そっと手を取った。


「どうされました?疲れましたか?そろそろお部屋に戻りましょうか」


 レグルスは首を振った。じっと白い花を見つめている。

 侍女は手を離し、少しだけ離れた。自分で立ち上がるのを待つ。

 レグルスの目が僅かに細められた。膝に手を置き、立ち上がろうとする。が、バランスを崩して尻もちをついた。


「大丈夫ですか!?お怪我は!!?」

「あ・し、し・び・れ……」

「…まあ」


 侍女は少しだけ呆れたように声を上げると、レグルスの細い足をさすった。

 やがて、痺れのとれたレグルスを促して、ゆっくりと立ち上がらせる。部屋に戻る為通路に向かえば、近衛兵が二人待ち構えていた。

 彼らは通路の更に先に待つ仲間に、目配せを送る。先に行く近衛兵たちは素早く周囲を確認し、合図を送り返す。


「どうぞ」


 侍女に手を引かれ、レグルスは歩き出す。

 随分と億劫そうな足取りに、近衛兵の一人が気付いた。靴さえ重くて持ちあがらないようで、摺足で歩いている。

 近衛兵はすかさず身を屈めた。


「失礼します」


 レグルスの体が持ち上げられる。

 近衛兵の腕に座らされるような格好になったレグルスは、相変わらず無表情ながらも、口がポカンと開けられていた。

 何かを言う暇もなく、近衛兵はずんずんと歩き出す。

 部屋までそんなに距離があるわけではない。あっという間に到着し、レグルスはソファの上に下ろされた。靴が脱がされる。

 ぱっくりと口を開けたままのレグルスに、近衛兵は慇懃に頭を下げた。


「ご無礼をお許しください。お疲れのご様子でしたので、勝手ながら運ばせて頂きました」

「…あい……」


 細い声と共に、小さく頷く。

 近衛兵は靴を侍女に渡すと、廊下へと出て行った。扉が閉まる前に、もう一人の近衛兵の苦笑する姿が見えた。

 侍女はほっと息を吐き、動かないレグルスの前に膝をついた。


「申し訳ありません。見慣れぬ者が近づいていたようです。レグルス様の安全の為、運んで頂きました」

「ふぁあい」


 レグルスが欠伸と共に返事をしたので、侍女は思わず笑ってしまった。


「お昼寝しましょう」


 侍女がそのままソファに横にならせると、レグルスはすぐに目を閉じた。そしてあっという間に眠りの世界へと落ちて行ったのである。




 だから目障りな貴族たちを粗方一掃したシェリオンが訪れた時、レグルスはぐっすりと眠っていた。

 午前中は部屋で本を読み、午後には王太子の内庭を散歩したという。

 量は少ないが、朝食はしっかり食べた。その後、マドレーヌを紅茶に浸して一つ食べ、昼もスープに浸した白パンを一つたいらげたという。

 食欲はなかなかのもので、用意されたものはぺろりと平らげてしまうらしい。ただ、与えた分だけ全部食べようとするので、止めるのが大変だと侍女に苦笑された。

 味の濃いものは避け、消化の良いものをというのが医師の判断だ。食べ過ぎも胃が拒絶してしまう場合があるので、させないようにと注意されたらしい。

 シェリオンは眠る弟の頭を撫でた。自然と笑みが漏れる。

 起こすことはなく、後を侍女に任せると廊下に出た。すると言い争う声が聞こえる。

 シェリオンの顔から表情が消えた。そちらへ向かえば、近衛兵がどこかで見覚えのある顔と揉めていた。


「どうした?」

「シェリオン様!」


 近衛兵が悲鳴に近い声を上げる。見覚えのある顔が引き攣った。

 シェリオンは冷やかにそれを見やる。


「カーライル・ビクスビー伯爵…ここで何をしている?」

「いや…グランフェルノの末子が発見されたと聞いたので、お見舞いをと……」

「理由になっていないな。見舞いなら屋敷に来るべきだろう?」


 実際、礼節のある貴族は屋敷の方へ確認を取ってきている。当主が不在の為、引き下がって様子を窺っているのが現状だ。

 ここを訪れるのは、そんな礼儀も知らない阿呆共だ。

 シェリオンは冷気を纏う。


「失せろ。ここは王子の宮。許可無きものの立ち入りは禁じている」


 ビクスビー伯爵は顔を顰めた。

 近衛兵が動作で宮を出るように促す。

 だが、伯爵は動かない。シェリオンを睨みつける。


「…まだ何か?」


 シェリオンが問いかけると、伯爵は鼻を鳴らした。


「何でも貴様の弟は、貧民街(スラム)の餓鬼みたいな姿だったらしいな」


 嘲笑を向ける。

 近衛兵たちは身を強張らせた。嫌悪感は隠し切れていない。

 シェリオンは表情一つ変えない。僅かに目を眇めただろうか。それくらいだ。

 やがてふっと、息を吐いた。


「聞こえなかったのか、言葉が通じないのか…ビクスビー公爵が苦労なされるわけだ」


 呟くような言葉だったが、ビクスビー伯爵の耳に届くには十分だった。怒りで顔が真っ赤になる。

 ビクスビー公爵家は、グランフェルノ公爵家と同じく王家を祖とする、古い名家である。現当主イノセント・ビクスビーは財務大臣と務めるほど有能で、シェリオンも尊敬する人物だ。

 その一人息子であるのがこれである。グランフェルノ公爵とシェリオンを前にしたビクスビー公爵が、「どうしてうちのは…」とぼやくのを何度も聞いた。

 シェリオンは顎をしゃくる。


「実情も知らん貴様が、あの場所を気安く語るな。構わん、放り出せ」


 近衛兵が両脇から、ビクスビー伯爵を捕えた。「無礼者!」とか「父上に言いつけてやる!」とか騒いでいたが、聞き流す。

 その声が聞こえなくなって、ようやく彼は歩き出した。これである程度、抑止は出来た筈だ。

 もう領地に早馬は着いただろうか。魔具による連絡が出来ず、ヤキモキする。

 家族の早い到着を祈り、シェリオンは自身の怒りを抑え込んだ。






誤字脱字の指摘、お願いします。



私生活で凹むことが多くて、なかなか書き進められません。

これが厄年か。威力がパネェ……

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