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Snowy Days

作者: 玖城ナギ



「……好き、なの……」


 緊張で、声が震える。

『雪城夕希』という名前のせいで、よく「ほんと雪みたいに真っ白な肌だよね~」なんて友達に言われたりもするけど、今のわたしの顔は雪とは思えないほど真っ赤になっていると思う。

「わたし、ヒロのことが好きなの……っ」

 言った。言ったぞ、わたし。


 ずっと、言いたかった言葉。

 ずっと、言えなかった言葉。


 ヒロとわたしの前からサヤが……満月紗夜がいなくなってからもずっと、言えなかった。

 だって、どう見てもヒロの中でサヤは生き続けていたから。

 綺麗な子だったと思う。

 可愛い子だったと思う。

 だからわたしも一生懸命、綺麗になれるようにがんばった。

 ヒロが好みの『可愛い子』になれるようにがんばった。

 だけど……ヒロは全然振り向いてくれないし、中学生時代のサヤより見た目に気を使っても、全然褒めてもらえなかった。


 ――「紗夜は、ほんとに綺麗だな」


 中学生の頃、メイクだって全然してなかったのに、サヤはいつもヒロにそう言われていた。

 それが羨ましくて、悔しくって……わたしがメイクやファッションに興味を持ったのは、たぶん同級生の中で一番早かったと思う。

 誰よりも勉強して、誰よりもがんばって……それでも、ヒロはわたしを見てくれなかった。

 小学生の頃はそれでもよかった。

 まだ〝恋〟という感情を知らなかったし、ヒロと一緒にお話しして、ヒロと一緒に遊べるだけで満足だった。

 ヒロの目にサヤしか映っていないことを……いや、サヤだけが『特別』に映っていることを認識したのはいつだろう。

 もう遠い昔のことのように思い出せないけど……たぶんその時からわたしは、ただお話ししたり、遊んだりするだけじゃ満足できなくなってしまったんだと思う。

「…………っ」

 ぎゅっと目を瞑ったまま、ヒロの返事を待ち続ける。

 もしフラれちゃったら……これまでみたいな関係には戻れないんだろうな。

 いつからか会話すらまともにできなくなっちゃったけど……それでも、声さえかけられなくなると思うと、怖くて震えてしまう。

「――――」

 ヒロが、動く気配が伝わってくる。

 わたしの震える肩に、手が置かれた。

「……すごく嬉しいよ。僕も、夕希のことが大好きだ」

 ――――。

 夢かと思った。

 断られるのは嫌だったけど、受け入れてもらえるなんて思ってなかったから。

「ヒロ……」

 ……嬉しくても、涙が流れるんだ。

 真っ赤な顔で……笑顔を浮かべる余裕もないくらい幸せなわたしに、ヒロが穏やかな表情で顔を近づけてくる。

 わたしも、そっと目を閉じる。

 温かくて幸せな涙が、一雫だけ零れた。



「…………」

 目を開けると、お気に入りのイルカのクッションがあった。

 そのイルカのクッションの口は、わたしの唇に押しつけられている。

「…………」

 頭の上でケータイのアラームが鳴っていた。ちょうど、起きる時間だ。

 わたしは寝起きがいい方ではないけれど、今日はそれとは違う理由でベッドから出られない。

 頭の中は真っ白だ。雪みたいに。

「…………」

 ケータイのアラームを止めることもせず、状況の理解に努める。

 1……2……3……。

「~~~~っ!!」

 夢の中の自分と同じくらい真っ赤な顔で、ベッドから飛び降りた。



「『納豆ハリケーン』!」

「……『流れ星カクテル』。今日はまた一段と猟奇的だな……」

「うぅ~! 最近、神無君のフィーリングが上がってるよ! 強敵登場だよ!」

「……褒められてここまで嬉しくなかったのは初めてだ」

「もう一度あたしのターン! 『デスクトップ銭湯』!」

「なんか知らんが、お前のフィーリングは随分と迷走中だな……」

 …………。

 今日もヒロとゆかり(そう呼んでって言われた)は、朝から元気に騒いでいた。

 悔しいけど……正直、羨ましい。

 ゆかりと剣道部での一件があってから随分経つけど……結局、ゆかりは剣道部に入部はせず、ヒロと毎日遊んでいるみたいだ。

 聞くところによると、『すくらっぷ』なんていう活動内容不明の非公式部活動を立ち上げ、放課後だけでなく休日もヒロを振り回しているらしい。

「…………」

 ヒロがゆかりの名前で受けたテストの次……二回目のテストでは、またゆかりが成績順位最下位に転落し、わたしは剣道でも勉強でもあの子に勝ったことになるんだけど……こういうのを『試合に勝って、勝負に負ける』っていうのかな……なんて、窓の外を見上げる。

 11月も終盤になり、だいぶ寒くなってきた。

 街の木には早くもイルミネーションが巻かれ、嫌でも一ヵ月後のクリスマスを意識させられてしまう。

「ねえねえ! 夕希はクリスマスどうするの? やっぱ彼氏? ほら、この前告白してきた……一組の清水君!」

 ぼーっとしていると、わたしの席までやって来た友達が、まさに今考えていたことを口にする。

考えていただけで、一番話題にしてほしくなかったんだけど。

「……清水はフッた」

「ええー! なにしてんの、もったいない! わたし的には清水君、学年でもトップクラスのイケメンだよ!?」

「……だって、馴れ馴れしくて気持ち悪かったから。それにわたし、ああいうのタイプじゃない」

「背も高いし、笑顔も素敵。髪の毛だっていい感じの茶色で、顔だってジャ○ーズ系じゃない。何より大企業の社長の息子なんでしょ? 玉の輿じゃん!」

 心底羨ましそうな顔をして文句を言う。

 でも、言い寄ってくる男をフッただけで「雪城さん、マジ調子乗ってるよねー」とか言う女子も多いから、こういう友達は貴重だ。

「……いいの。お金は最低限あればいいし、ジャニー○系も好きじゃないから」

「えー? じゃあ、夕希はどんな男がタイプなのよ~?」

「…………」

 別に意識したわけじゃないけど、黒縁眼鏡をかけた、いかにも優等生然とした清潔感のある容姿が思い浮かび、頬が熱くなる。

「んん~? おやおや~~?」

 頬の紅潮を見咎めたのか、すごく面白そうなニヤニヤ笑顔を浮かべられてしまった。

 わたしは必死にそれを隠すため、いつも通り表情を引き締めながら、興味なさそうな目付きをする。

「……なーんだ。せっかく相手いない者同士合コンでも開いてやろうかと思ったのに、夕希には好きな人がいるのか~」

「ち、違っ。べ、べつに好きとかじゃ……!」

 そこまで言って自分の失敗に気づいた。

 これでは気になる相手がいると認めたようなものだ。

「うりうり~。ほんと、夕希は可愛いな~~」

「や、やめてっ。髪型が崩れるから、頭撫でないでっ」

 可愛いと言ってもらえても、相手が違うとあんまり嬉しくないな……なんて、ちょっとだけひどいことを思う。

 毎朝がんばって整えている髪の毛をめちゃくちゃにされながら、ちょっとだけヒロの方に視線をやると。

「神無君! 今日は、麻雀をしようと思います!」

「麻雀ねー……。まぁ、僕はできるけど。面子は集まるのか?」

「? あたしと神無君」

「二人でする気か!? ていうかお前、役とかわかるのかよ」

「ふっふっふ~。ナメないでよね、神無君。あたしに相応しい役・『国士無双』が火を噴くぜ!」

「ああ……確かに、『並び立つ者はいない』よな……。優秀かどうかはさておき……」

未だにゆかりと騒ぎ続けていた。

「…………」

 胸の奥がチクリとする。

 その痛みを押し込むように、わたしは必死になにかを噛みしめる。

「……ぅ」

 と、たまたまこっちを向いたヒロが、わたしを見て怯えたような表情をした。



「雪城さん、俺と付き合おうよ」

「……ごめんなさい。そういうの、興味ないから」

 放課後。

 部活を終えて帰ろうとしたら、格技場の出口で待ち伏せされていた。

 交際のお誘いをしてくれる人を指して『待ち伏せ』なんていう言葉を使うのは失礼かもしれないけど……この三年の先輩には、先日も断りを入れたはずだ。

 なのに、構わずつけ回すようなことをされれば、『待ち伏せ』なんていう表現を使っても仕方ないと思う。

「なんでだよー。俺、そんなに悪くないだろー」

 おそらくこの人は自分の容姿を指してそう言っているのだろうけど、外見はともかく、性格の方は悪いと思う。少なくとも、わたしにとっては。

「…………」

 このまま格技場の出入り口にいると他の部員の迷惑になると思い、足早に校門へ向かう。

 無視を決め込んでいるのに、その先輩はなおも言い寄ってきた。

「べつに付き合ってる男がいるわけでもないんだろー? なら、とりあえず俺とお試しで付き合ってみればいいじゃん。そんで、ダメならその時に別れればいい話だしさー」

「…………」

 三回、だ。

 この先輩は格技場で最初にわたしに話しかけてから、三回ほどわたしの顔ではなく身体を見た。

 無意識なのかもしれないし、男の子はバレないとでも思っているのかもしれないけど、女の子はそういう視線に敏感だ。

 他の子がどうかはわからないけど、わたしは会話の最中に顔を見れないような男は嫌いだし、身体目当てに交際を迫る男はもっと嫌いだ。はっきり言って、もう会話すらしたくない。

「~~~~」

「…………」

 わたしの家は朝霧学園から歩いて20分くらいの場所にあるのだけど、この先輩は5分ほど通学路を歩いても離れる様子がない。

 さすがに嫌気が差して立ち止まり、「ついて来ないで」と言おうとした時――

 バンッ、と壁に勢いよく手をつき、間近でわたしを見下ろした。

「…………」

「……いいねぇ。俺、強気の女が大好きなんだよ。君みたいに男を睨むような女を屈服させるのが大好きでね」

 別に睨んでいるつもりはなかったけど、もともと目付きがキツめなせいもあって、わたしはよく睨んでいると誤解されることが多い。

 今回もそのパターンで……どうやら、それが裏目に出てしまったらしい。

「…………」

「……おっ? なんだ、意外と可愛いとこもあるじゃねーの。怖いのか?」

 瞳の揺らぎを認めたのか、下劣な笑みを浮かべる。

 ……わたしは、男が苦手だ。

 昔から目付き等で誤解され、同級生の男の子と上手く行かなかったせいもあるけど……それと同じくらい、家で父親と上手く行かなかったせいもある。

 だから、「男になんて負けない!」って剣道を始めたけど……それでも、試合とそれ以外では全然違うことに気づいた。

「…………」

 ――怖い。

 そんなことを思う自分に自分で驚いたけど、だからと言ってその気持ちをコントロールできるような術をわたしは持っていない。

 目線だけは必死に逸らさないようにするけど、微かに肩が震えて……それを見咎めた先輩が下品な笑みを浮かべ、その汚い手をわたしの身体に――

「――痛ぇっ!?」

 手が触れる直前で、先輩の顔に学生鞄が投げつけられた。

突然のことに驚いた先輩が距離をとる。

 鞄が飛んできた方向を振り向くと……女の子みたいに小柄でさらさらな髪の、黒縁眼鏡をかけた男の子が立っていた。

「テメェ、なにしやがる!」

「いやー、すいません。ボランティアで街のゴミ拾いをしてたら、ゴミ袋に入らないくらい大きなゴミを見つけたんで、びっくりしちゃって。とりあえず、鞄を投げてみました」

「て、テメェ……!!」

 気弱な笑顔と共に毒を吐く男の子は、軍手をしていて、確かにゴミ袋を持っている。

「ていうか先輩。僕はあなたを助けたんですよ。そいつ、誰だか知らないんですか? 雪城夕希っていって、剣道の全国大会で大暴れした化け物ですよ」

「…………」

「……ほ、ほーら。あんな恐い目付きしてる……」

 助けてもらった感謝は、その後の言葉で消し飛んだ。

 震えは止まったけど、また変な動揺を見せたくなくて表情を引き締めると、わたしを見たヒロが逆に震えた。

「チッ。俺は三年の須藤だぞ? この前のテストでは学年三位。大学も向こうから来てくれと招待状をもらったほどだ」

 どうだ、と言わんばかりにふんぞり返った先輩を見て、ヒロが白々しく「すごいですねー」という棒読みのセリフの後、さらりと名乗る。

「僕はしがない一年生の下っ端で、神無紘と言います」

「っ!? 神無紘!? 現学園長がその席に就いて以来、二度目の【ツバサ】奪取に成功した、あの……!?」

 朝霧学園は、力の学園だ。

 今やハー○ード大学以上に人気と権力を集めるその学園において、『ツバサ奪取』というのは事実上、その頂点に君臨したという証に他ならない。

【ツバサ】を手に入れたということは、この世の常識から外れ、何でも出来る能力を手に入れたということだ。もしそれが魔法や超能力のような力だった場合、人を殺すことなんて造作も無くなる。

「わー。知ってくれてるんですねー。ありがとうございます」

 気持ち悪いほど優等生然とした笑顔。

「せっかくなんで、僕の【ツバサ】、見せてあげますよ。行きますよー? かーめー○ーめー……」

「わ、わぁっ!!」

 両手を合わせて変な構えをとり、体を小刻みに震わせるヒロを見た途端、先輩が脱兎の如く駆け出した。人間、真に死ぬ気になれば、あれほどの速度で走れるのかと妙に感心してしまう。

「波ぁーーー!! ……なんちゃって」

「…………」

 ヒロの【ツバサ】使用用途は公表されていないが、わたしは知っている。

 ゆかりの病を治し、失われるはずだった運命を変えること。

 泣いている女の子を助ける、ヒーローになること。

「……う。そ、そんな目で見るなよ……。そりゃ余計なお世話だったかもしれないけど、不良に絡まれてる女の子を放置って、なんか気分悪いじゃんか……」

 べつに睨んでないし、実際はヒロのお陰で本当に助かったんだけど、びくびくとわたしの様子を窺うヒロを見てるとお礼を言う気も失せてしまう。

 代わりに、他のことを聞いてみることにした。

「……ヒロ、ボランティアなんかに興味があったんだ」

「ねーよ。……いや、優等生を演じるためにっていうんならアリかもしれんが……なにが悲しくて貴重な青春の時間を時給も発生しない労働に消費せにゃならんのだ……。くそっ。これも全てあのゆとりのわけわからん部活のせい……」

「…………」

 ガックリと肩を落とし、ぶつぶつと文句を言うところを見るに、どうやらまたゆかりの部活動に振り回されているらしい。

「あー! もうやだ! 限界! やめやめ!! やってられっか、こんなこと!!」

 ゴミ袋を近くにあったゴミ箱に叩き込み、軍手を仕舞うと、先ほど投げた鞄を拾って歩き始める。サボるつもりらしい。

 とても優等生の所業には見えなかったけど、ヒロの素はこんなものだ。

 人の目がある時は生真面目な優等生を演じるくせに、一人の時や気の知れた人間の前では結構ワガママ。……わたしの前でもワガママでいてくれるのは、実は、ちょっとだけ嬉しい。

 わたしもそのまま、自宅に向けて歩き出した。

「…………」

「あー……その。変な意味じゃないんだが……い、一緒に帰る……か……?」

 わたしの家は、ヒロの家の近所だ。

 だから必然、向かう先は同じになってしまう。

 わたしは全然気にしなかったけれど……ヒロはたった数メートルで、中途半端な距離のまま同じ方向に歩く気まずさを感じたらしい。

 うん、嬉しい! と笑顔で言おうとした。

「……べつに、いいけど」

 ……目を逸らしながら、つっけんどんな態度で出た言葉がそれ。

 返事ができただけマシだ、と思う自分にちょっぴり情けなくなった。

「…………」

「…………」

「…………」

「……あー。もうすぐクリスマスだなー」

 目を泳がせながら、ぎこちない表情でイルミネーションを示すヒロ。

 沈黙が気まずかったです、という空気がにじみ出ている。

「……そうだね」

「えっと、夕希さんはやっぱり彼氏と過ごされるんですか?」

 どうして敬語。

「彼氏なんて、いない」

「ですよねー。いやー、僕も『恋人と過ごすクリスマス』っていうのには憧れがあるわけなんですが、いかんせん相手がおらず難しいというか……。……。……って、あれ? 夕希、彼氏いないの?」

 素で疑問そうなヒロの顔を見ると、胸がしんどくなった。

 言葉じゃなくても人を傷つけることはできるんだな……と思いながら、それが顔に出ないよう表情を引き締める。

「……ごめんなさい」

 なぜか、謝られた。

「……べつに、いいけど。ヒロはどうするの?」

『知りたい』という気持ちと『知りたくない』という気持ちが混じる。

 もし「ゆかりと過ごすよ」って言われたら、当日は家族との食事もできなくなりそうな気がした。

「え? いや、特に予定ないけど……。まぁ、バイトでもしてるか、家でゴロゴロかのどっちかじゃないかな」

「……ゆかりとは?」

「へ? いや、クリスマスまであのゆとりっぷりを味わうのは嫌すぎだろ……。ああ……でも、部活動とか言いながら引き摺られそうな予感も……」

「……ヘンタイ」

「嫌々なのにっ!?」

 いつも通り、その行動をするのに罪悪感が働くようにしておく。

『お願いだから、そんなことしないで』という願いを乗せながら。

「んー……当日はゆとりに捕まらないように避難する必要があるな……。紗夜のとこにでも逃げるか……」

「…………」

 それは。

 ある意味、ゆかりと過ごすという以上に強く、胸を抉った。

「……ヘンタイ」

「べつに墓石マニアとかじゃあねぇよ!?」

 サヤが他界した時。

 幼なじみを失った悲しさで泣いたけど……しばらくすると、本当に最低だけど……これからはヒロを独占できるんだって、ちょっとだけ嬉しく思ってしまう気持ちもあった。

 だけど、それが大きな勘違いだということはすぐにわかった。

 ヒロにとって『特別』なのは……やっぱり、サヤだけで。

他界してから一年以上経つ今も、足しげくサヤのお墓に通っている。

「……わたしも、行っていい?」

「へ?」

「サヤの、お墓」

「はあ……そりゃ別にいいけど……。ていうか、僕の許可なんて必要ないだろう」

 頭の上に疑問符を浮かべ、心底不思議そうな顔をするヒロから視線を逸らして、進行方向を見る。

 もうすぐ、家だ。

 せっかくヒロと二人っきりの帰り道だったのに、あんまり楽しくなかったな……。

「えっと。夕希は確かこっちだったよな?」

 交差点。

 わたしとヒロの、分かれ道。

「……うん」

「そっか。じゃあ、また学園で」

 さらりとした挨拶と共に、ヒロが何の未練も無さそうに歩き出す。

 わたしとヒロの人生もこんな感じなのかな……と思って、不意に涙が出そうになり、慌てて表情を引き締め、歩き出す。

 と、その時。


「ああ、そうだ。言い忘れてたけどな、お前はもうちょっと自覚持て。夕希は……その。なんつーか、自分で思っている以上に可愛くて、男に人気があるんだからさぁー」


 交差点を曲がった先で、面倒そうな声が後ろから掛かる。

 誰の声かなんてわかってたけど、信じられなかった。

 ゆっくり振り返ると……「~~だから、もうちょっと気をつけてだなぁ」なんて続けているヒロの姿がある。

「かわ……いい……?」

「……へ? あ、えーっと……綺麗、って言った方がいいかもしれないけど……」

 ごにょごにょとヒロが続けているが、わたしはそれどころじゃない。

「き……れい」

「……? えっと?」

 わたしの目元から雫が零れる。

 温かくて、幸せな涙。

 慌ててヒロから顔を背け、後ろを向いた。

「え、あ、あれ!? 『可愛い』とか『綺麗』とか褒め言葉だよ!? な、なんで泣くんだよ! えっとじゃあ……じょ、『女性として魅力的』、とか……? 女の子を賛辞する機会なんてないから、なんて言えばいいかわからないんだがっ!」

「…………っ」

 無理だった。

 それ以上は色んな意味で無理だった。

 わたしは、ヒロに背を向けたまま、自宅に向けて全速力で走り出す。

「ちょ、まっ! ゆ、夕希さん! なにか知りませんが……しゃ、謝罪を! 謝罪をする機会を与えてくださいませんでしょうか!? 泣いている女の子を助けるヒーローが、まさかの女の子を泣かすとかシャレにならな――ゆ、夕希さーーーん!!」



 家に帰ってからのことは、なんにも覚えてない。

 制服から着替えたことも、ごはんを食べたことも、お風呂に入ったことも覚えていない。

 気づくとわたしの服装はパジャマで、ベッドの上で、目の前にはイルカのクッションがあった。

「…………」

 鏡を見なくてもわかる。

 顔が、燃えるように熱い。


『夕希は……その。なんつーか、自分で思っている以上に可愛くて――』

『綺麗、って言った方がいいかもしれないけど――』


「…………」

 きゅっ、とイルカのクッションを抱きしめる。

 わたしは、恋に恋するタイプだと思う。

 恋をすることが好きだし、恋をしている自分が好きだし、恋した相手に自分の理想を押し付けるような、そんな女の子だ。

 なのに、わたしが今まで恋をした男の子は一人だけ。

 そのことがずっと不思議だったけど……今日、はっきりわかった。

「わたしは……恋が大好きなのと同時に、今、好きな人のことも大好きなんだ……」

 ぼんやりと呟いたその言葉は、すとんと胸に落ちた。


 きっと、わたしの初恋は終わらない。


 これがわたしの人生の、最初で最後の恋だ。

 たとえ想い人が他の人と結婚しても、わたしのこの気持ちが消えることはないと思う。

 時間が経てば経つほど……まるで世界を白く染める雪のように、永遠にこの恋心は降り積もり続ける。

「…………」

 目の前には、イルカのクッションがあった。

 今朝、真っ赤な顔で放り投げた水色のイルカ。

 そのイルカに……今朝よりも真っ赤な顔でキスをする。

「ずっと大好きだよ……ヒロ」




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