傍らに神様(二)
昨日は家に戻った後、神様へきちんとお参りをしたのかと聞かれた里菜はそんな暇もなく戻って来てしまったと祖母へ告げた。
なら、明日にでもまた行っておいでと言われた為、里菜は今日もあの場所へ向かっている。さほど遠いわけでもなく一人で向かっても大丈夫な場所らしかった。
今回は祖母に告げて来た為、昨日のように探される心配もない。
だが、気がかりはそれではないのだ。
(本当にまた行っても大丈夫なのかな……?)
全く行きたくないわけではないが、率先して行くべきなのかとも迷いは生まれる。
別段恐ろしい目に合ってはいないが、果たして少年に再び会う事は良いのだろうか。昨日はほんの少し会話をした後に慌てて戻る事となった為、彼に対する情報はあまり入って来てはいない。
なんとなくではあるが、危害を加えられるような事はないと思える。しかし、だからといって必ずしも安全とは言えないのだ。見知らぬ人には気を付けるべきだが、人なのかすらも怪しい。
(でもお参りはした方がいいみたいだし)
行かない事で何かが起きる可能性も浮かび、引き返そうとも思えない。
しかし里菜は迷いを覚えながらもしっかりと足を進めていた。昨日はあんなにも怯えながら向かった道だが、とにかく祠へ辿り着く分には問題がないとわかっているのだから、そこに悩む必要はないと先を目指す。
気にしなければならないのは透けて見える少年であり、どういったものなのかの答えは見えていない。
(会えば、わかるのかな?)
興味と不安がない交ぜのまま、あっという間に目的地は見えて来る。
そして何一つ変わらぬまま厳かに佇む祠の前には、やはりふわふわと少年が浮かんでいた。
「里菜、今日も来てくれたのだね。ありがとう」
まだ木々の隙間からかすかに姿が見える距離だというのに、少年の声ははっきりと里菜の耳へ入り込んで来る。決して大きく張り上げてはいない、囁くように優しい声は昨日と変わらずに聞こえて来るのだ。
その口調からして少年は微笑んでいるのだろうと、里菜は想像する。
会うべきか会わざるべきかを悩んでいたはずの気持ちは、すっかり彼へ向いてしまっていた。
「おはよう、里菜」
目の前へやって来た里菜へ少年は当たり前のように言い、里菜は戸惑いながらも挨拶を交わす。
「おはよう……ございます」
ぎこちなく敬語を使う里菜に少年は不思議そうに目を瞬かせた後、柔らかく微笑んだ。
「もっと気軽に話すといい。我はそのような事は気にしない」
浮かび上がったまま少年は祠の前にいたが、言葉と共に更に上昇し昨日と同じくその真上へと位置を変える。そして、そこで空中にいながら椅子にでも腰かけるような姿勢になる。
「我もこうして寛ぐのだから里菜もそこへ腰を下ろすといい。ちょうど良い大きさだろう?」
透き通った白い指先が指したのは、祠の斜め向かいに位置する一つの切り株だった。
円状に開けたこの場所は祠が並ぶ以外は草が生い茂っているように見える。だが、今少年に教えられる事で気付いたのだが、一つだけ座るには良いと思える切り株があった。
里菜は素直にそこへ腰をかけて少年を見上げる。
切り株の周りには二十センチ程の背丈の草が生えており少々邪魔にも感じたが、Tシャツ、ジーンズとスニーカー姿である今は特に気にする必要はなかった。晒されている腕や首元にもたっぷりと虫除けスプレーを吹きかけて来た為、あまり虫に刺されもしないだろうと気軽なものだ。
「昨日は全然気が付かなかったな」
里菜が視線を切り株へ落とし呟くと、少年が仕方ないと告げる。
「そこへ腰かける者が最近はいない。いや、ここへ来る者自体が昔に比べ減ってしまったのだ。以前のように刈り取らぬのだから仕方がないのだよ」
今までにない暗い声音に里菜が顔を上げると、少年はわずかにだが寂しそうな表情を浮かべていた。
「おばあちゃんは来るんでしょう?」
祖母が定期的にここへ訪れている話を聞いていた為、里菜は聞く。
「そうだね、最近は清実が最もここへ来てくれる。昨日からは里菜も来るのだから、喜ばしい事だ」
そう言いながら少年がゆっくりと揺れる様を里菜はじっと見つめ、不思議に思う。
「どうしてわたしは神様が見えるの?」
質問の答えを少年は知っているに違いないと思っていたのだが、どうやら違うらしい。少々困った表情を浮かべ、そのまま首を傾げれば少年の髪もそれに従いさらさらと流れ、浮いているにも関わらず重力に従っているらしい動きを見せた。
「どうしてだろうね」
「わからないの?」
「わからなくとも見えるのだから、それで構わないだろう? 我が見える者は常ではないが、今までもいたからね」
どうやら理由も知らなければ、それに対する疑問もあまり持ち合わせてはいないらしい。それと共に祖母が告げた言葉を思い出し口にした。
「わたしのひいおばあちゃんが見えたって聞いたよ」
すると少年は嬉しそうに笑みを浮かべ、それでいて何かを懐かしむような遠い目を見せる。
「秋乃の事だね、里菜はあの子以来だよ」
少年が思い出している曾祖母の姿がどんなものかはわからないが、仏壇と共に飾られている写真で見るものとは違うのだろうかと里菜は目を瞬く。あの子と言う響きは、どうしても幼い者へ向けられる言葉に感じられたからだ。
それに気付いたのかどうか、少年は言葉を続ける。
「里菜は秋乃に似ているのかも知れないね、見た目ではなく雰囲気がよく似ている。いや、我を見る者は皆そのような空気をまとっていたのかもしれない」
彼なりの質問への答えだったらしく、里菜は頷く。そして、質問の内容を変えた。
「神様の名前は?」
そうするとまた少年の表情は困ったものへと変化し、今度は考え事があったらしくしばしの間が空いた。
「皆が忘れてしまったからなのか、我ももう覚えてはいないね。遠い昔は知っていた気もするのだが……」
どうにもはっきりしない口ぶりに、里菜はわずかながらの知識を取り出してみる。
「蛇神様でも水神様でもない?」
「蛇神はこちらで、水神がここだ。我は何の神だったのだろうかね、不思議なものだよ。己の事もわからないのだから」
里菜から見て左手が蛇神、右手が水神だと指差した後、少年は本当に困ったように肩を落としたが、表情はすぐに穏やかな笑みに変化した。
「わからなくても大丈夫なの?」
先程とは違い名前がわからない事を気にはしているらしいと少年を見れば、今度は表情ががらりと変わる。
幼さの残る優しげな顔から、何かを決意したようなしっかりとした眼差しをたたえた大人びた表情へ変わり、里菜は全くの別人のようだと目を見張る。
「ここへ来る者がいる限りは大丈夫だ。我がすべきはこの土地に通ずる者を護る事、誰かが覚えている限りは遂行できる」
「覚えている限り?」
「我を忘れずに訪れ、願いが叶い再びここへ訪れるのなら我は力を貸す。それが役目」
力強い瞳と共に紡がれた声色は優しさよりも厳しさの含まれるもので、今見せている姿こそが神らしいのではないかと思わされる。
どこか話しかけづらい雰囲気に押され、里菜はただ神を見上げるだけで何をする事もできなかった。
少年はそのまま何を思っているのかじっと一点を見つめ眉を潜めていたが、突然、まるでスイッチが切り換わるように元の穏やかさを取り戻す。
「少々役目の事に捕らわれてしまったようだ、すまないね。我は里菜の事を聞いてみたいのだが、どうだろうか」
自分の事を聞きたいと言われたものの、一体何を話せば良いのだろうか。そして、何より里菜は自分の事よりも少年の事をまだ聞きたかったのだ。
どうすべきかと少年を見上げたまま、里菜は考えを巡らせるがうまくまとまりはしない。
すると少年は小さく笑い声を上げたかと思うと、その体を里菜の目の前まで移動させて来る。そうして里菜の隣に並ぶように腰かけたが、切り株よりもわずかに浮かんでいた。
「何か他にも聞きたいのだろう、言ってごらん」
里菜の興味がまだ自身に向いていると少年は気付いたらしく、優しく告げる。
「どうして護っているの?」
「それも覚えてはいないね。何かの理由があった気はするのだが、思い出せない。名と同じく皆が忘れると共に我も忘れてしまったらしい」
ならば、ここにある祠を知っている者の知識以上の事は持ち合わせていないのだろう。先程から少年は忘れてしまったと言う度に、かすかにではあるが寂しそうな表情を浮かべた為、里菜はこれ以上聞くべきではないのかと思う。
それでも疑問は自分の中にまだまだあり、少し言葉を選びながらも質問を変える。
「わたし達は何もしなくていいの? 神様は願いを叶えてくれるんでしょう?」
「誰もが何もしていないわけではない。来られない者の願いを叶える事もあるが、ほとんどはここへ来て願い、それが叶うとまたやって来る。我はわずかな手助けをするだけであって、全てを行なうわけでもない」
わかりづらい表現ではあったが、願うだけ願うのは駄目らしい。結果が出た後にもここへ訪れ、自分自身もその願いに向けて努力しなければならないのかと納得する。
「それでも叶ってしまった時点で神様は何かをしているんでしょう?」
来ない人間も出てきそうなものだと里菜は思う。
「だから、来なければ少々困らせてみたりはするね」
「困らせる?」
「我も慈善ではないのだから護る以外の術も持っているのだよ」
少年らしいいたずらでもしそうな表情を見せた神は、楽しそうに声を上げて笑った。
そのまましばらくは、里菜が質問をして少年が答えるの繰り返しだったが、それもいつの間にか逆になり里菜が自分について説明し、そうかと思うとまた元に戻っていたりもする。
どうやら祖母の家だけではなくこの集落一体が神の護る対象であり、一定の間を置いて全ての家の代表者がお参りに来る事になっているようだった。そこからの血縁者として里菜のように含まれたりする者もいる。
はっきりとした線引きは決められないと本人も言ったので、何やら曖昧なものとして里菜は納得するほかなかった。
少年は学校について興味があるらしく、里菜は自分が通う中学校やそこで知り合った友人達についてを話す。それを耳にする少年は黙って聞いていたかと思うと、里菜が気にも留めないような事に疑問を感じぶつけて来る。
すると突然、少年が振り返った。
里菜がやって来た方向、今は祖母だけがいるであろう家の方向を見つめ呟く。
「そろそろ清実が帰りを待っているようだ」
「え……」
徐々に打ち解け会話が盛り上がって来たところへ水を差されたと里菜は思った。だが、それ以外にも少年が祖母の感情を遠くから読み取ったらしい台詞に、やはり人外なる存在なのだろうかと改めて考えさせられる。
少年が振り向いた頭を元へ戻し口を開く。
「そのような顔をするのはおやめ、また来られるだろう? 早く戻るといい」
里菜が残念に思っているというのに少年の表情は笑顔のまま変わらない。少々面白くないと思いつつも、里菜もあまり長居をすると心配されるだろうと納得し、今日はここまでにすると神に伝えた。
少年は慣れてしまうととても話しやすかった。
里菜が問いかければわかる事は教えてくれる。わからなければ二人で悩み、ちょっとした事で笑う。存在自体は不思議であったが、彼の背格好は里菜と同年代に見え、段々と少し変わった友人と思えるような気もしている。
出会ってから五日、里菜は毎日神の元へ行き、その姿を見ている祖母に今日はとうとう止められてしまった。
「里菜、行き過ぎじゃないかい? そんなにあそこが楽しいのかい?」
強く咎められるような口ぶりではないが、あまりにも足しげく通う里菜に疑問を覚えているらしい。さすがに神に会う為に出向いていると言う事には不安を覚えた為、それらしく聞こえる言葉を探した。
「楽しいって言うよりは、あの場所が落ち着くの。今日はあそこで宿題してくる」
そうしてぶら下げていた手提げを上げて見せると、祖母は少し困った表情を浮かべたが、すぐに頷いてくれた。
「お昼までには戻って来るんだよ」
「わかってる、行って来るね」
そう言った自分を祖母が心配そうに見つめていると気付く事ができないまま、里菜は慌てて玄関に向かい裏山へと駆け出す。
今日は少年に宿題がどのような物かを見せる約束をしていた為、偶然手提げを持っていた。いい口実があったものだと満足しながら鼻歌交じりに木々の間を抜ける。
「神様、おはよう」
そう言ってがさがさと音を立てて走って来た里菜の目の前には、少年がふわりと浮かぶ。
「あまり慌てては転んでしまうよ、里菜。もう少し落ち着いておいで」
軽くたしなめられるが、それも嫌とは感じない。
「次は気をつけるね」
里菜は笑顔で返事をすると、すっかり定位置となった切り株へ腰を下ろす。
それに倣い少年もたゆたいながら側へ腰を据えた事を確認すると、里菜は手にした物を掲げ話を始める。
「今日はちゃんと約束した物を持って来たからね」
「それは楽しみだ」
興味深そうに袋を見つめる少年の目は、本当に楽しみにしているらしいと里菜には感じられた。
「でも、そんなに楽しいものじゃないかも……。そうだ! 神様もわかる事があったら手伝ってね」
何気ない言葉だったが、少年は真剣に袋の中を覗こうとする。
「我にできる事があるだろうか?」
「見てみなければわからないでしょ? とにかくこれ」
中に納めた書籍を一つ取り出して、里菜はページをめくって見せた。




