天獄と地国
一文字入れ替えると印象が変わるなぁと。
「おめでとうございます。」
白衣の女性が微笑んだ。
「審査の結果、あなたの天獄への移住が認められました。」
私は黙ったまま窓の外を見た。
灰色の街。
渋滞。
騒音。
雨漏りする古いアパート。
地国は不便だった。
病気がある。
老化がある。
失恋がある。
失業がある。
死がある。
対して天獄は完璧だ。
病気にならない。
老化しない。
欲しい物は何でも手に入る。
事故も犯罪もない。
永遠に幸福でいられる。
誰もが憧れる場所。
そう教えられて育った。
「どうされました?」
女性が尋ねる。
「一つ聞いてもいいですか。」
「どうぞ。」
「なぜ天国ではなく、天獄なんですか。」
女性は少し驚いた顔をした。
「古い言葉をご存知なんですね。」
彼女は端末を操作した。
古い映像が映し出される。
何千年も前。
人類は死を克服した。
病を克服した。
飢えを克服した。
争いを克服した。
そして天国を作った。
「当時は本当にそう呼ばれていました。」
女性は言う。
映像は続く。
百年後。
千年後。
一万年後。
人々は何も失わなくなった。
だから何も得なくなった。
挑戦しなくなった。
恋をしなくなった。
夢を見なくなった。
やがて人類は、その場所を別の名で呼び始めた。
天獄。
私はしばらく映像を見ていた。
「では地国は?」
女性は笑った。
「昔は地獄と呼ばれていました。」
窓の外では、
子供が転んで泣いていた。
若い恋人たちが喧嘩していた。
誰かが失敗し、
誰かが挑戦し、
誰かが夢を語っていた。
「移住なさいますか?」
女性が尋ねる。
私は立ち上がった。
「やめておきます。」
「理由を伺っても?」
少し考えてから答えた。
「まだ、失敗してみたいので。」
女性は小さく頷いた。
「承知しました。」
そして事務的な声で言った。
「それでは引き続き、地国での人生をお楽しみください。」




