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6.正義の演説

 翌朝。


 王都の外れに位置する貧民街スラムは、圧倒的な絶望と恐怖に包まれていた。


 ズシン、ズシン、ズシン……。


 地鳴りのような足音と共に、スラムの周囲を埋め尽くしたのは、完全武装した三千の私兵団。


 太陽の光を反射してギラギラと輝く鋼の鎧と、天を突くように立ち並ぶ槍の穂先。貧相なトタン屋根の小屋がひしめくスラム街には、あまりにも不釣り合いな暴力の壁だった。


「ひ、ひぃぃ……っ!」

「神様、助けて……」


 逃げ場を失ったスラムの住人たちが、広場に集められてガタガタと震えている。


 その軍勢の最前列で、白銀の鎧を纏ったレオンは唇を噛み締めていた。


 彼の背後には、彼が率いる王都の正規騎士団も配置されているが、実質的な指揮権は武の枢機バルドに握り潰されている。


「……バルド猊下。すでにスラムは完全に包囲しました。ノア・ヴェインは袋のネズミです。ですが、どうか無関係な平民たちには手を出さないでいただきたい」


 レオンが必死に懇願すると、巨大な戦斧を肩に担いだバルドは、鼻でフンと嗤った。


「案ずるな、駄犬。俺とて、神に仕える身。無益な殺生など好まんさ」


 バルドはそう言うと、顎で部下に合図を送った。


 数人の魔術師が進み出て、バルドの声を王都全域に響き渡らせる『拡声魔法』を展開する。


『王都の民よ、そして誇り高き騎士たちよ!畏れることはない!』


 バルドの重低音が、スラムだけでなく、王都の空気を震わせた。


『我々、聖導教会の目的はただ一つ!教会に仇なし、不当なテロリズムで王都を脅かす悪逆非道の異端者、ノア・ヴェインの排除のみである!』


 バルドは胸を張り、さも自分が正義の代行者であるかのように堂々と演説をぶち上げる。


『我々は正義の剣!神の御心に従い、無抵抗な平民は決して傷つけないと、女神シエインに誓おう!だから安心するがいい!』


 その力強い宣言に、正規の騎士たちや、遠巻きに見ている王都の民衆から安堵のどよめきが漏れる。


 ――だが。


 演説を終え、拡声魔法が切れた瞬間。バルドの顔に、底意地の悪い残虐な笑みが浮かんだ。


「……おい。私兵団の隊長どもに伝達しろ」


 バルドは傍に控える腹心に、声を潜めて命じた。


「あんなネズミ一匹、いちいち路地裏を探し回るなど時間の無駄だ。……十数え終わったら、外周から火矢を一斉に放ち、この薄汚いスラム街ごと全て焼き払え。ここにいるのは間違いないのだ。逃げ出してくる者は、女子供だろうと問答無用で串刺しにしろ。どうせゴミ共だちょうどいい」


「ハッ!御意のままに!」


 腹心が下劣な笑みを浮かべ、後方へ走る。


「バ、バルド猊下!?今、なんと……!」


 レオンが驚愕して声を荒げる。先ほどの「女神への誓い」など、民衆や他の貴族たちに向けた単なる建前パフォーマンスに過ぎなかったのだ。


「聞こえなかったのか駄犬?邪魔だ、すっこんでいろ」


 バルドが戦斧を構え、三千の軍勢が一斉に火矢を番えようとした、まさにその時だった。


「――待て」


 静かな、だがひどく通る声が、張り詰めた戦場に響いた。


「な……っ!?」


 レオンが息を呑む。


 スラムの広場。震える群衆をかき分け、ボロボロのコートを羽織った一人の少年が、堂々とした足取りで歩み出てきたのだ。


「お前たちが探している異端者は俺だ。……俺がノア・ヴェインだ」


 三千の軍勢と、見上げるような巨漢のバルドを前にして、俺は一切の怯えを見せることなく、両手を軽く挙げてみせた。


「ノア……!お前、なぜ出てきた……ッ!」


 レオンが悲痛な叫びを上げる。


 俺がバルドに向かって動いたことで、彼の首の『呪印』が赤黒く発光し、強制的に剣を抜かせようとレオンの体を支配し始めていた。


「ほう……?貴様が、十年前のコソ泥の生き残りか」


バルドが面白そうに目を細め、巨体を揺らして俺から十メートルほど離れた位置に立つ。


「逃げ回るネズミかと思えば、自ら死にに来るとはな。自分の命と引き換えに、このスラムのゴミどもを助けようとでも言うのか?泣かせる美談じゃねぇか。……だが甘いぞ、ガキ!貴様はここで俺に叩き潰され、その後ろのゴミどもも予定通り全員焼き殺してやる!おい、部隊長――」


「バルド。お前と二人だけで話がしたい。兵を下がらせろ」


 俺はバルドの号令を遮り、平然と言い放った。


「……あ?」


 バルドが呆れたように眉を寄せる。


「頭がおかしくなったか?なぜ俺が、今から挽肉にするネズミの戯言に付き合ってやらねばならん。死ね」


「まあ待てよ。……お前が俺を取り合わないのは分かっているさ。だが、これを見ても同じことが言えるか?」


 俺は懐から、一冊の黒い革張りの手帳を取り出し、バルドに見せつけるように高く掲げた。


「それは……?」


「マクシムの隠し金庫から頂戴した『裏帳簿』だよ。あの豚は疑り深い性格だったからな、自分以外の六枢機の弱みを握るために、もしもの時の保険として色々な情報を細かく記録していたらしい」


 俺は手帳のページをパラパラと捲り、わざと大きな声で読み上げ始めた。


「ええと……『三年目の聖戦、北の蛮族討伐において。武の枢機バルドの要請により、敵将への裏工作資金として白金貨五十枚を支出』……」


「な……っ!?」


 バルドの顔色が一瞬にして変わった。


 彼の「不敗の武神」というカリスマは、彼の圧倒的な武力と力強さに私兵たちが心酔しているからこそ成り立っている。それが実は、マクシムの「金」で敵を買収した結果の八百長だったと知れ渡れば、彼の軍隊の士気と忠誠は一瞬で崩壊する。


「おっと。この続きを、拡声魔法で王都中に読み上げられたくは……ないよな?」


 俺がニヤリと笑うと、バルドは顔に青筋を浮かべ、ギリリと歯を食いしばった。


「……拡声魔法を切れ!貴様ら、一歩も近づくことはまかりならん!いいか、絶対にだ!」


 バルドは背後の私兵団と魔術師たちに向かって怒鳴りつけると、巨大な戦斧を引きずりながら、俺の目の前、兵士たちの声が届かない距離までズカズカと歩み寄ってきた。


「……小賢しい真似を。その手帳を渡せば、ひと思いに殺してやる。だが渡さねば、四肢を引き千切ってから火あぶりにしてくれるわ」


 俺を見下ろすバルドの目には、明らかな焦りと殺意が渦巻いている。


 完全に俺のペースだ。


「随分と薄っぺらい誓いだな」


「あ?」


 俺は手帳を懐にしまい、口角を吊り上げて嗤った。


「たった数分前に、王都全域に向けて『無抵抗な平民は決して傷つけない』と、あろうことか女神に誓ったよな?なのにさっきの部下への命令では、平民を皆殺しにする気満々だったじゃないか」


 俺の言葉に、バルドが鼻で笑う。


「ハッ!あんなものは、外野を黙らせるための方便に決まっているだろうが!俺の軍隊が、薄汚いスラムのゴミ共の命など気にするわけが――」


「――今、条件は満たされた」


 俺はバルドの言葉を遮り、冷たく宣告した。


 カチリ。


 俺の左眼の奥で、黄金の『天秤』が傾く音がした。


【発動条件クリア】

 【対象の『嘘』を検知。絶対命令権を確立します】


 異能――『天秤の制約ディール』。


「お前は『決定的な嘘』を吐いたな」


 俺の左瞳が、黄金に輝く天秤の紋章へと変貌する。


「方便に決まっている、だと?三千の軍隊を動かす最高責任者が、女神に誓った大嘘の『質』……それと同等の絶対命令権を、俺は世界から強制的に借り受ける」


 その黄金の光を見た瞬間。


 俺を威圧するように見下ろしていたバルドの巨体が、まるで時間を止められたようにピタリと静止した。


「な、なんだ……!?俺の体が、動か……ッ!」


 バルドがギリギリと歯を食いしばるが、彼が誇る圧倒的な暴力の力は、世界そのものの制約の前に完全に封殺されていた。


(……俺の半径五メートル以内の建物の影に潜んでいるシトリーの出番は、どうやら無さそうだな)


 俺は心の中で毒づきながら、身動きの取れないバルドを見上げた。


「なぜ俺が、お前たちのような軍隊に一人でノコノコと姿を現したのか……分かるか?」


 俺はバルドの顔に近づき、氷のように冷たい声で囁いた。


「お前は『三千の軍隊』という暴力で俺を押し潰そうとした。……だが、俺からすれば、お前が引き連れてきたその三千の軍隊は、俺を殺すための武器じゃない。俺が王都をひっくり返すための『最高の盤面』だ」


「き、貴様……何を……言ッ」


「バルド。拡声魔法をもう一度使わせろ」


 ギギギ、と。


 バルドの丸太のような腕が下ろされ、彼の肉体が俺の命令通りに後方の魔術師に合図を送る。再び、王都全域に声が届く魔法が展開された。


「……さあ、命じろ。お前の直属の私兵団三千の矛先を反転させ、六枢機たちがふんぞり返っている『聖導教会本殿』へ進軍させろ」


「な……っ!?」


 バルドの顔が、恐怖と絶望に歪む。


 だが、彼の肉体は俺の命令に絶対に逆らえない。


「そ、そんなこと……」


「そうだ。お前自身が先頭に立ち、お前が育て上げた自慢の軍隊で、仲間の六枢機たちを蹂躙しろ。……全軍、進撃開始だ」


「……承知、いたしました。我が主」


 一切の感情を持たない平坦な声。


 次の瞬間、バルドは背後の三千の軍勢に向かって、拡声魔法で絶叫した。


『全軍に通達する!!目標を変更!これより我々は、腐りきった聖導教会本殿へ進軍し、六枢機どもを全て血祭りに上げる!!俺に続けェェェッ!!これは聖戦である!!』


「「「おおおおおおおおっ!!」」」


 バルドの突然の命令変更に戸惑う者もいたが、日頃から「絶対服従」を叩き込まれている彼の私兵団は、疑うことなくその命令に呼応し、地鳴りのような雄叫びを上げた。


 ドォォォォン……ッ!!


 三千の軍勢が、一斉にきびすを返し、王都の中心にそびえる教会本殿へと行軍を開始する。


「な……ば、馬鹿な……バルド猊下が、反逆を……!?」


 俺がバルドに危害を加えなかったと判定されたのか、呪印の強制力から解放され、剣を取り落としたレオンが、信じられないものを見るような目でバルドの背中と、俺を交互に見つめていた。周囲の兵士たちは遠ざけられていたため、俺とバルドの間に何が起きたのか、誰一人として理解できていない。


「どういうことだ、ノア……。お前は一体、何をしたんだ……!?」


「簡単なことだ、レオン」


 俺は、軍勢が去って静まり返ったスラムの広場で、呆然とする親友に背を向けたまま答えた。


「奴らが暴力で盤面を支配しようとするなら、俺はその暴力をそのまま『裏返し』にしてやっただけだ」


 バルドが用意した戦力をそのまま使うため、前回の戦利品で俺の元まで誘い出し、周囲に聞こえないようにバルドに天秤の制約ディールで命令する。


 これが、最弱の俺が六枢機を盤上から消し去るための最適解だ。


「……先に行くぞ、レオン。お前の呪縛の元凶は、今からあいつの軍隊が物理的にぶっ壊してくれる」


 俺が背を向け、アジトへ帰ろうとしたその時だった。


「何が起こっているんだ!ノア!俺は、俺の呪縛は――他の六枢機に危害を加えるバルドを倒せと言っている!!」


 背後からの悲痛な叫びに、俺は弾かれたように足を止めた。


 振り向くと、レオンの首の『呪印』が、先ほど俺に向けられていた時よりもさらに禍々しく、赤黒い光を放って脈打っていた。彼は自らの意思に反して聖剣を拾い上げ、バルドの軍勢が向かった教会本殿の方角へと体を向けさせられている。


(……なっ!?六枢機を守るための呪いが、反逆したバルド自身を『排除すべき脅威』として認識しただと!?)


 俺の背筋を、一筋の冷たい汗が伝った。


 バルドを操り、残る六枢機を討たせる。それは俺にとって完璧な盤面支配のはずだった。だが、レオンを縛る呪印の『仕様』を読み違えた。


(まさか六枢機が仕掛けた呪印が六枢機相手にも効果を発揮するなんて......)


 いくら王国最強の騎士とはいえ、たった一人で三千の軍勢と武の枢機に正面から突っ込めば、いくらなんでも命はない。レオンが死ねば、呪いを解く意味すら失われ、許嫁のノエルの心は今度こそ完全に壊れてしまう。


「くそっ……!待てレオン、お前一人じゃ犬死にだ!!」


 俺が叫んで手を伸ばすより早く、呪印に支配されたレオンの体は、凄まじい脚力で石畳を蹴り砕き、三千の軍勢の背中を追って弾丸のように飛び出していってしまった。


「ッ!まさか、こんなところで計算が狂うとはな……!」


 俺の最強の手駒へと変わったはずの三千の軍勢が、皮肉にも、俺が最も救いたい親友をすり潰す最悪の『死地』へと変貌してしまったのだ。


「……シトリー!!予定変更だ!!バルドの軍隊を追うぞ!!」


「はいっ!ノア様!!」


 完璧だったはずの盤面に生じた、最悪のイレギュラー。


 最弱の復讐者と呪われた騎士、そして三千の反逆軍。王都を揺るがす真の反逆は、予想外の死闘へともつれ込もうとしていた。

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