表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/9

4.豚の欲望

 ガチャン、ジャラリ……。


 冷たく湿った地下室に、鉄の鎖が擦れる陰鬱な音が響いている。


 王都の地下深くに広がる、非合法の巨大オークション会場。表向きは高貴な教会の慈善施設とされている建物の地下で、今宵も血と欲望にまみれた『商品』の売買が行われようとしていた。


 俺――ノアは、ボロボロの麻袋のような服を纏い、泥と煤で顔を汚した状態で、頑丈な鉄のケージの中に座り込んでいた。


(……くそっ、床が冷たい。おまけに隣の檻にいるオークの体臭がキツすぎる。早く終わらせて帰りたいぜ)


 俺は心の中で毒づきながら、怯えた孤児の演技を完璧にこなし、膝を抱えてガタガタと震えてみせた。

 

 だが、焦る必要はない。盤面は、オークションが始まる前の「商品下見」の時点で、すでに俺の完全な支配下に落ちていたのだから。


 数十分前。

 

 この檻の前に、仮面で顔を隠した特権階級のVIP客たちが面白半分で群がっていた時のことだ。俺は鉄格子にすがりつき、涙ながらに彼らに懇願してみせた。


『お願いです、助けてください!あなた方は身なりの立派な、高貴な方々なのでしょう?こんな違法な人身売買なんて間違っています!どうか私を救ってください!』


 その必死な哀願に、客たちは腹を抱えて嗤ったのだ。


『違法だと?勘違いするなよ小僧。我々は皆、女神に愛された清廉潔白な善人だ。法に触れるようなマネや、裏社会との繋がりなど一切ないと、女神シエインに誓ってやろう!』


 ……見事なまでの、全員一致の『嘘』。

 

 神への誓いを伴う、極上のエネルギー源。


 その瞬間、俺の左眼の黄金の天秤が静かに傾き、会場にいるすべてのVIP客に対して絶対命令権が確立した。俺は彼らの脳髄に、一つの『条件付き命令』を仕込んでおいたのだ。


 ――やがて、オークションの熱狂が最高潮に達する。


「さあさあ皆様!今宵の目玉商品はまだまだ続きますよォ!」


 特等席であるバルコニーから、豚のように肥え太った男が身を乗り出して叫んだ。


 六枢機の一人、マクシム枢機卿。バルバロスの死に怯え、護衛の暗殺者を雇う資金をかき集めるため、自らこの地下競売を取り仕切っている強欲の金庫番だ。


「お次は、こちらの『無能力の孤児』の詰め合わせでございます!魔術の実験体モルモットや、夜の慰み者としては新鮮で使い勝手がよろしいかと!さあ、開始価格は白金貨十枚から!」


 マクシムの合図で、俺が入っている檻にスポットライトが当てられる。


「白金貨十二枚!」


「十五枚だ!うちの研究所の解剖用にちょうどいい!」


 命を物以下の値段でやり取りする、反吐が出るような光景。


(……さあ、シトリー。出番だぞ。派手にやれ)


 俺が内心で合図を出した、その瞬間だった。


「――金貨、十万枚」


 凛とした、しかしどこか甘く冷酷な声が、喧騒のオークション会場に響き渡った。


「「「…………は?」」」


 会場の全員が、我が耳を疑い静まり返った。


 白金貨十数枚の競り合いに、突如として叩きつけられた『金貨十万枚』という国家予算レベルのふざけた金額。


「な、なんだと……!?じゅ、十万だと!?」


 マクシムがバルコニーから身を乗り出し、声の主を探す。


 会場の最後尾。そこには、漆黒の豪奢な喪服を纏い、顔を黒いヴェールで隠した一人の『貴婦人』――シトリーが、優雅に扇子を揺らして立っていた。


「私の耳が遠くなったのかしら?……金貨十万枚と申し上げましたの。さあ、あの檻の中の少年を、今すぐ私の元へ」


 その言葉が、俺の仕込んでおいた『トリガー』だった。


 ――条件合致。『黒い喪服の女が、十万金貨の値をつけた瞬間』。


 ピタリ、と。


 会場を埋め尽くしていた数十人のVIP客たちの動きが、一斉に停止した。


 彼らの目から、欲望も、理知も、一切の感情がスッと抜け落ち、ガラス玉のような無機質な瞳へと変わる。


「……承知いたしました、我が主」


 何十人もの客が、まるで一つの生き物のように全く同じトーンで呟く。


 次の瞬間。


 シャキンッ!!


 ジャキィッ!!


 VIP客たちが一糸乱れぬ動きで、ドレスやコートの下に隠し持っていた護身用の短剣や、魔法の杖を一斉に抜き放った。


「なっ……!?お、お客様!?一体何を……」


 マクシムの護衛として会場の四隅に控えていた屈強な傭兵たちが、戸惑いの声を上げる。無理もない。先ほどまで自分たちに媚びへつらっていた大貴族や豪商たちが、突如として暗殺者のような無駄のない動きで自分たちを取り囲んだのだから。


「「「排除」」」


 ドゴォォォォンッ!!


 VIP客たちが一斉に魔法を放ち、武器を突き立てる。


 自らの命を惜しまない、完全な捨て身の特攻。客である彼らの防御など一切考えない狂信的な波状攻撃の前に、マクシムの雇った精鋭護衛たちは戸惑い、悲鳴を上げる間もなく、次々と血祭りに上げられていく。


「な……な、な……暴動だ!逃げろ、私をお守りしろォッ!!」


 バルコニーの上で、マクシムが悲鳴を上げて転がり落ちるように階段を駆け下りた。


 彼は護衛たちが肉壁となって暴徒(客)を食い止めている隙に、会場の裏にある自分専用の隠し通路へと無様に這いずっていく。


 ――だが、それすらも盤面通りだ。


 命からがら隠し扉に手を掛けようとしたマクシムの眼前に、先回りしていた一人の影が立ち塞がった。


「どこへ行く気だ、豚」


「ひっ……!?」


 マクシムが尻餅をついて見上げた先。


 そこには、先ほどまで厳重な鉄の檻の中にいたはずの『薄汚い孤児』が、冷酷な眼差しで彼を見下ろしていた。混乱の隙を突いて檻を素手でねじ開けたシトリーが、俺の背後に恭しく首を垂れて控えている。


「き、貴様ら……一体何者だ!この暴動も貴様らの仕業か!」



「十年ぶりだな、マクシム」



 俺は麻袋のフードを後ろに跳ね除け、顔に塗っていた煤を袖で拭い取った。


 月光の代わりに、炎上する会場の明かりが俺の顔を照らし出す。


「十年……?まさか……その顔、バルバロスが言っていた……!」


「そうだ。あの夜、お前たちが私欲のために焼き尽くしたヴェイン家の生き残りだ」


「ノ、ノア・ヴェイン……!!」


 マクシムの顔が、死人のように蒼白に染まった。


 自分を殺しに来た復讐者が、自らの足元に立っている。その絶望的な事実に、マクシムはガチガチと歯の根を鳴らしながら後ずさった。


「ま、待て!待ってくれ!あの夜の放火を指示したのはバルバロスたちだ!私は金庫番として事後処理を任されただけで、主犯ではない!」


 マクシムは床に額をこすりつけ、無様に命乞いを始めた。


「金か!?復讐の資金が欲しいのだろう!私の隠し財産をすべて譲ろう!そ、そうだ!私も復讐を手伝ってやろう、他の奴らは偉そうで前から気に食わなかったんだ!だから命だけは……足りないのであれば、これ以上の私利私欲は捨てる!全てを君に捧げるから、どうか見逃してくれぇっ!!」


 ――チェックメイトだ。


「……今、条件は満たされた」


 俺は血に塗れた口元を歪め、冷たく宣告した。


 カチリ。


 俺の左眼の奥で、黄金の『天秤』が傾く音がした。


【発動条件クリア】

 【対象の『嘘』を検知。絶対命令権を確立します】


 異能――『天秤の制約ディール』。


「お前はたった今、俺に対して『決定的な嘘』を吐いたな」


 俺の左瞳が、黄金に輝く天秤の紋章へと変貌する。


「嘘なんてついては...」


「私利私欲は捨てる、だと?本当に捨てられると思うのか。お前が」


「うっ...それは」


「...その大嘘の『質』と同等の絶対命令権を、俺は世界から強制的に借り受ける」


 その光を見た瞬間。


 マクシムの顔から、醜悪な恐怖と欲望がスッと消え去り――無機質な、ガラス玉のような虚ろな目へと変わった。


「な、なんだ……!?体が、動か……」


 マクシムが微かに抵抗しようとするが、もはや彼の肉体は彼の意志では動かない。


「なぜ俺がお前たちを、暗殺でただ殺さなかったのか……分かるか?」


 俺は身動きの取れないマクシムの首ぐらを掴み、その耳元で氷のように冷たい声で囁いた。


「権力者をただの暴力で殺せば、教会はお前たちを『悲劇の殉教者』として祭り上げる。神聖な六枢機の権威は保たれたままだ。……俺が奪いたいのは、お前たちの命じゃない。お前たちが不当に築き上げた『絶対的な権力』そのものだ」


 俺はマクシムを床に投げ捨て、見下ろした。


「だから、お前たち自身の口で、今まで犯してきた罪を世間に自白させる必要がある。神の威光を、お前たち自身の吐瀉物で塗りつぶさせるためにな」


 俺はマクシムに向けて、冷酷な絶対命令を下した。


「お前の隠し財産、裏帳簿、そして今日売り払おうとした全ての利益を、貧民街スラムの救済施設へ譲渡する書類を今すぐここで書き上げろ。……その後、このオークション会場の魔導拡声器を使って、己が今まで犯してきた横領と人身売買の罪、ヴェイン家の件を全王都に自白しろ」


 ギギギ、と。


 マクシムの体が、機械仕掛けの人形のように動く。


「あ、ああ……!嫌だ、私の権威が……私の命より重い金が……!やめろぉぉぉっ!!」


 心は悲鳴を上げているのに、肉体は従順に懐から魔導ペンを取り出し、猛烈な速度で全財産の譲渡証明書を書き上げ始める。


「そして最後に……」


 俺はマクシムの十指に輝く、大粒の宝石の指輪を見下ろした。


「自白が終わったら、お前が愛してやまないその宝石たちを、息の根が止まるまで、一つ残らずその喉の奥に詰め込んで飲み込め」


「……承知いたしました、我が主」


 マクシムは書き終えた譲渡書を俺に差し出すと、魔導拡声器のスイッチを入れ、自身の罪の告白を王都中に響き渡る大音量で叫び始めた。


 俺はその無様な姿を一瞥し、ふうっと息を吐いた。


(……これで二人目。六枢機の資金源と、神聖な権威は地に落ちる)


 俺がそう内心で確認した、その時だった。


「ノア様ぁぁっ!!」


 背後から、喪服を破り捨てて純白のメイド服姿になったシトリーが、俺の背中にぴたりと張り付いてきた。


「ああ、なんて冷酷で美しく、完璧な復讐……!私、ノア様のその冷たい視線を見ているだけで、ゾクゾクして血が沸騰しそうですわ♡」


「苦しい、シトリー。離れろ」


「それよりノア様!残りのゴミ虫どもはいかがいたしましょうか?私が一人残らず、綺麗に『ミンチ』にしてお掃除してまいりましょうか?」


 シトリーは俺からパッと離れると、暴動で半壊し、血の海と化したオークション会場を血に飢えた肉食獣の笑みで見回した。


「……殺すなよ。生き残った連中は、マクシムの罪を王都中に言いふらす大事な『拡声器』だ。手出しは無用だ」


「チッ……御意のままに」


 自白を続けながら、自らの指から外した宝石を無理やり口に押し込み始めたマクシム。


 俺は、その豚のような男の末路を見届けることなく、暴動の跡地と化した地下空間を背に歩き出した。


「さあ、帰るぞシトリー。……次は、王都の軍権を握る武の枢機、バルドだ。あの筋肉ダルマをどう料理してやるか、作戦会議だ」


「ふふっ。ノア様の知略があれば、あんな脳筋など赤子も同然ですわ」


 残る六枢機は、あと四人。


 反逆の盤面は、完全に俺の支配下へと傾き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ