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ワンルームのAとB

 バイトをしている。


 レンタルショップのレジ打ちは、客が渡してきた商品を手元のスキャナーで読み込み、モニターに映る額を見せる。基本的にバイトが代金を読み上げることはない。というか、読み上げることは出来ない。普通の人間には読めないものであるから。


 客がそれを見て代金を払うので、専用のトレイに載せてもらい、レジに投入し、お釣りがあればまたトレイに載せて返す。トレイに載っている代金を直視したり直接触れたりすることは好ましくない。

 別に禁止されているわけではないが、バイトをしていればしない方が良いとわかるだろう。わからないやつは飛ぶ確率が高い。


 最後にレジからレンタル期限が記されたレシート紙が出てくるので、ここだけ読み上げて(そこに何が書かれていようと気にしない方がいい)商品と共に渡す。

 客は基本的に無言であるし、バイト側も最後以外は無言である。

 コミュニケーションに難があっても働きやすいバイトと言えるだろう。


 ただ、今日来た客は所謂ハズレ客であった。


 入店した時から、耳を塞ぎたくなるようなノイズ混じりの不快な爆音を撒き散らし、ぼとぼとと何か黒っぽいような、濁った液体を床に零しながら歩いている。

 人型を保てないのかぐずぐずに崩れる端から再生して盛り上がるせいで、形が極めて不格好だ。


 隣のBはいつものへらへらとした笑い顔より口角を少し下げながら、ハズレ客を見ている。Bがハズレ客に遭うのは何回目だっただろうか。……こいつ、運がないから結構遭ってる気がするな。

 最初から悲鳴をあげなかったことは珍しかったので覚えているのだが。


 客からは見えないようにくいくいとエプロンを引かれ、爆音が鳴り響く中でも伝わる程度の声量で話しかけられた。

 俺は客から目を離さないようにしながら耳を傾けた。


「Aさん、店長案件っすかね?」

「いや、暫く待て」

「ういーす」


 ハズレ客は二種類ある。店長案件か、レンタルショップに適合出来ないか。

 俺が見た限り今回は恐らく後者であるので、特に何もせずとも良いはずだ。


 暫く店内を徘徊していたが、ハズレ客はぐずぐずぼとぼとしながら陳列されている商品に手を伸ばした。


 ぱんっと弾け飛んで消えた。


 床に撒き散らされていた濁った液体も同時に弾け飛んだため、掃除要らずである。まあ、バイトが掃除をすることはないのだが。


 爆音が一気に無音になり、耳鳴りがするほどの静寂に包まれた。

 とにかく煩い客だった。


「…………わーお、綺麗に飛んだっすねぇ」

「………………」

「えーと、今のは返却能力が無い客なんでしたっけ?」

「………………」

「あ、合ってたっすか。よかったー」


 ここはレンタルショップなので、貸したあとは返してもらう必要がある。

 まあ、()()よりも安い代金であるためハードルは低くなっているはずだが、時にはレンタルすら出来ない客もいる、という話だった。


 店長案件は別種でヤバいので基本来て欲しくない。


 一介のバイトである俺らは、レンタルショップが何を陳列しているのか知らないし、来ている客がどんな存在なのかも知らない。というか知りたくもない。

 ただ、バイトをしていると強制的に触れる機会があり、その度に気力をごっそり削られるのはバイト歴が長くなっても変わらないのだった。


「はー…………、Aさん、今日Aさんの部屋行っていいっすか?」


 疲れた声がした。

 俺は痩せこけた白い肌が更に青ざめているのを見て、こくりと頷いた。別にわざわざ言わなくても頻繁に来てるだろ、と思う気持ちもあるが、頼られるのに悪い気がしないのも事実であった。


 途端にへらへらとしだしたBはすすす、と俺に近寄ると、腕に凭れかかるフリをした。


 シフト中なのでもちろん首根っこを掴んで元の場所に戻した。




 ◇




 いつものように外で犬が鳴いている。

 レンタルショップで働いている時間帯も鳴いているのだが、シフト中は聞くことがない。犬の声もあの店内には届かないのだろう。


 ワンルーム、越してきてからずっと変わらない殺風景。


 俺には明るすぎる照明を付けながら、ぐりぐりと頭を擦り付けて来るBの茶髪を撫でていた。

 こいつは最近距離感がおかしい。幼児退行か?と思わないでもない。


「Aさぁん」

「何だよ」

「腹筋触らせてくださいよぉ」


 Bは一度触ったことで味を占めたのか、それ以来何度も頼んでくるようになった。何が楽しいのか全くわからない。


 いつもは諦めの良すぎるBがこれだけは執拗に頼んでくるものだから、正直面倒くささもあり、近頃は特に何も言わず了承するようにしている。


「ほら」


 服を捲り上げてBを迎え入れると、「やったー」と同時に飛び込まれる。

 ぺたぺたとした触り方は色気も何もないもので、俺は無の気持ちでそれを眺めている。


「やー、いいっすね!」

「そうか?」

「そっすよー、おれ筋肉全然つかなかったんで、憧れるっす」

「お前は痩せすぎだからだろ」

「そうなんすけどぉ」


 Bは不満げに俺の腹筋をもにもにしていたが、はっと何かに気付いたのか、俺の手を掴んで動かそうとした。


 嫌な予感がしたので抵抗する。


「あれ、動かないっすねぇ」

「何させるつもりだよ」

「いやぁ、女になったから胸だけは微妙に脂肪があるんすよ。おれ、これまでの人生で肉摘めることなかったんで、毎日新鮮に嬉しいんすよね。それをお裾分けしようと思って」

「セクハラだろ」

「いいじゃないっすか〜笑」

「もっと食ってから言え。毎度俺に残したやつ渡すくせに……」

「あは、あんま食えないんすよねぇ。そういえば、夕飯何にします?おれん家今材料あるんで色々作れるっすよ」


 俺はそもそもあまり飯を食わない。食わなくても大丈夫な身体になってしまったためだが、食えないわけではない。


 Bは料理をするのが好きらしいが、女になる前から胃の容量が物理的に半分になっているため作ってもあまり食えなかったそうだ。


 何か料理名を言おうとして、言えなくて黙る。


「………………」

「蕎麦でもいいっすよ?」

「悪い」

「ぜーんぜん大丈夫っす、蕎麦は常備してるんで。それに、Aさんが他に好きなもの見つけられたら嬉しいなーくらいっすから」


 いつものようにへらへらとして、正面から抱き着かれる。

 肌寒くなってきた今の時期は、他人の体温にほっとするものなのだと最近知った。


 俺は眼鏡の縁を持ち上げ、ズレてもいないのに位置を直した。そのまま浮かせた手のひらでぎこちなくBの茶髪を撫でる。


 こいつと過ごしているうちにどうやらスキンシップが好きらしいと気付いたのだが、それまで他人と関わったことがほぼない俺に思い付くのは頭を撫でるくらいしかなかった。

 まあ、嬉しがっているようなので、よかった、と思っている。


 暫く、手持ち無沙汰にBの頭を撫で続けた。

 ヘアケア用品を買い始めたからか、少し指通りがよくなっているような。

 基本的に荷物持ちは俺がしているので、こいつが何を買っているかを大体把握できてしまっている。そもそも隠してもいないし、「どうっすか」とすぐ見せてくるのだが。


 ……俺が何も言っていないのに、勝手に納得していくのは如何なものかと思う。


 知らず少し強めに髪を撫でてしまっていると、「なんすか〜」と気の抜けた声が胸元から漏れ出た。

 言うべき言葉が見つからなくて、整えるように指先で控えめに触れた。


 それに、Bは本当に擽ったそうに、嬉しそうに笑った。


「ねーAさん、おれって今までひとりぼっちだったんすけど」

「おう」

「たぶん、ほんとは、いやだったんすよねー」


 俺の胸に頭を預けながら、Bはぽつぽつと呟く。

 それは、何となく感じていたことではあった。Bはそれに慣れ切って擦り切れて摩耗してしまっていたから、それに気付かなかっただけで。


 こいつは普通の人間でしかない。


「だから今は、嬉しいっすよ。ね、ほんとにいつも甘えてばっかりで、申し訳ないんすけど……」

「気にしないでいい」

「デレた」

「……いいだろ、別に」

「へぁ、あは、へへへへ…………」

「笑うなよ」

「いやぁ、ね、込み上げてきちゃうんで」


 本当は、そばにいることへの恐怖は常に蔓延っている。


 俺もこいつも運がないというのは、これまでに痛感してきたことであり、純然たる事実だった。

 今こうしてなあなあに過ごせているのも、いつかはしゃぼん玉が弾けるように簡単になくなってしまうのだろう。


 それが、怖い。


 今まで覚えてきた恐怖とは全く異質なそれ。

 未来を諦めるのではなく怖がるなど、これまでにした記憶が無い。


 ただ、もう抜け出せないんだろう、とも思っている。

 怖さ以上に手放したくない。

 初めて出会った同類(すきなひと)なのだから。


「……よしっ、おれは蕎麦を作るっすよ!このままだとAさんにダメにされちゃいそうっす」

「そんなことしてないが」

「自覚ないとかあるんすか?」

「何がだよ」

「えーこわぁ。おれだけにしてほしいっすよ、そういうの」

「はぁ?」

「性欲がない人間はこれだからな〜」

「それよく言うけど、お前で抜いてるとか言えばいいのか?」

「ほんとだったら嬉しいっすよ」

「………………」

「あ、ふーん…………」


 合っていた目線が次第に下に逸らされ、Bの頬がじわじわ血色が良くなる。

 おい、どこ見てるんだよ。


 ちらりと見上げられた瞳は目眩がするほど熱が籠っていた。


「あのー、おれ、体力ないので、お手柔らかに?」

「するって言ってないだろ……」

「嬉しかったので。まあ、いつでもどうぞって感じっす!」

「………………」

「たしかに、ゴムとかないっすもんね。今度買い行きましょっか」


 沈黙を読み取られすぎている。

 俺はひとつ溜息を吐き、意味もなく眼鏡に触れた。


「……そんなにしたいか?」

「やっと色々返せるなーって思ってるっすね」

「だろうな」


 Bは俺のことを過剰に見過ぎているし、自分のことはこれでもかと低く見積もっている気がする。

 まあ、俺も入れ込んでいるので他人のことは言えないのだが。


 本当は、一方的に返されるんじゃなく、こっちからも返したいところである。こいつが張り切ってこちらを悦ばせようとしているのは嬉しいが、こっちも相手を気持ち良くさせてあげたいと思うのは当然じゃないだろうか。


 ……どうせ、体力差でこいつが先にへばるからいいか。その間に返せば。


「Aさーん、蕎麦の味付け今日はどうします?」

「任せる。これまで全部美味かったから、期待してる」

「おお、頑張るっすよ!」


 へらへら笑っているこいつに、救われているのはこちらも同じなのだ。

 それを知ってほしいと思う。


 ちなみに、Bの体力は思った以上になかったし、思った以上に全身弱かったので、それ以来は返してもらうだけに努めている。

 それでいつかBが返し切ったと思ったら、今度は俺が返す番である。覚悟してほしい。

読んでくださってありがとうございました。

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