おんぶに抱っこ
バイトをしている。
レンタルショップ勤務であることは変わらないが、今やっているのは開店前の在庫チェックである。倉庫にずらっと並んでいる箱(中身は知らない)があるかどうかだけ確認し、端末に打ち込んで送信する。確認出来ない場合は店長に電話を掛ける。
今のところ電話を掛けたことはないし、出来れば掛けたくないところだが。
どういうわけか最近任される仕事が増えた。
Bがマンションに越してきてから、加速度的に運が悪くなっているのを感じる。悪くなっている、というより運が消費されている。運が無い。
ああ、こうした生活を続けていたのならこいつがここに来るのも当然だっただろうな、と思い、少しだけ憐れに思った。
最後の箱を確認し終わり、ぐっと背筋を伸ばす。眼鏡を外し眉間を揉み込む。目の奥がずきずきと痛んでいた。
プラスチックの薄っぺらい箱を挟んで良くないことが密集しているここは居るだけで疲弊してしまう。ふとした拍子に落下死の危険がある、とでも言えば伝わりやすいだろうか。もちろん、実際に起きることは落下死以上に良くないことだろうが。
ただ、これでも初日よりはマシになっている。
最初は臓腑ごと全部吐くかと思ったし、Bから顔色の悪さを指摘されてしまったくらいだ。……最近、Bから踏み込まれることが増えていた。
前までは相手の体調が悪かろうが明らかに憑かれていようが、それを表立って口に出すことは互いに忌避していた気がしたのだが。
心配されているのだろうか?俺が?
はあ、とひとつ溜息を吐き出し、倉庫を後にする。
距離感を掴みかねている、と自覚している。
そもそも隣人であり、職場も一緒であり、最近はシフト終わりに共に買い物に行くことも多くなっているのだ。ただのバイト仲間というには接点が多すぎる。
近頃は何故か俺の部屋に入り浸られているし。
拒絶をする程でもないから、ずるずるとあいつに引き摺られてしまっている。
バックヤードに行くと、既にBがやって来ていた。
紺地のエプロンの下に半袖を着て、こっちに向かってふらふらと揺らされる日焼け知らずの細い腕は如何にも弱そうだ。
「Aさんおつかれーっす」
「ん」
部屋の中央に置いてあるスチールテーブルを挟んで、簡素なパイプ椅子に腰掛ける。
店長は基本的に従業員の環境改善に躊躇がないので要望を出せばもっと良い椅子になるはずだが、長く勤めているバイトほどそこら辺に無頓着であるし、気にするようなバイトは飛びやすいのでこれまでに変わったことはない。
向かいのBは頬杖をつきながら、こちらを見ている。
最近髪型を変えることにハマっているらしく、今日は耳の下の方でふたつに茶髪を結んでいた。前面に垂らされたひと房が、身体のラインに沿ってなだらかに曲線を描いている。
俺の視線に気付いたのか、髪の両端を手で持ち上げながらへらりと笑う。
「どっすか、今日はふたつ結びにしてみたんすよ」
「………………」
「あは、その沈黙はあれっすね?『俺に聞かれても困る』の沈黙だ」
「………………」
「はい、図星〜。いやぁおれもだいぶAさんの無言から読み取れるようになってきたんじゃないすかね」
これだ。
近頃のBは何かと俺の内心を読み取ろうとしてくるのだ。こっちが無視してても気にせず話し続ける……のは、前からのことであるが。
前までは少なからず無視に傷付いていたらしい(本当か?)のが一切見られなくなっている。むしろ、俺の無視から如何にして俺に踏み込むか、ということに主眼が置かれ、楽しんですらいるようだ。
「ねぇAさん、今日はこの間言ってたお蕎麦屋さんに行きましょうよぉ」
「………………」
「通る度に気になってたすよね?」
「………………」
「えー、おれ結構Aさんのこと見てるんすよ。Aさんってわかりやすいねって言われないすか?」
「………………」
「あは、そうだった、おれも一緒っすよ。ひとりぼっち同士仲良くしましょうよ、ね?」
「…………時間だ」
「ういーす、カウンター行きましょっか」
戸惑っている。
Bに対してはもちろん、踏み込まれることを嫌がっていない俺自身に対しても。
今までの人生でここまで長く、ここまで近く関わった人がいない、というのも多分に影響しているだろうが、そもそも俺はBが嫌いではない。
へらへらとして、幸薄そうで、実際に不運で、俺と似た境遇で過ごしてきたであろう人間。
親近感を抱かない方がおかしいだろう。
ただ、だからといってこいつとどうにかなりたいと思うわけでもない。Bの方はどうしたいんだ?
心の内でまた溜息を吐く。
人間関係の欠如がここに来て牙を剥いていた。自業自得か。
詮無いことを考えていても仕方がない。なるようにしかならないだろう。
がらん、とドアベルが鳴る。
開店と同時に訪れる稀有な客だ。
「「いらっしゃいませー」」
いつものように気の抜けた挨拶が被る。
むしろ、ズレる方に違和感を覚えるまでになってしまった。
◇
閉店である。
レンタルショップの営業時間は結構短い。
午前11時に開店し、16時には閉めている。
一応配達サービスもやっているらしいが、そこら辺に関与しているのは正社員たちらしい。俺は見たことがない。見たいとも思わないが、このまま行くとそこら辺にも携わりそうだ、と思い、少し嫌な気分になった。
着替えを終え、裏口でBを待つ。
することもないのでぼんやり地面を見る。コンクリートと土の境目が罅割れていた。地震でもあっただろうか。蟻などの小さい虫は見当たらない。
「お待たせでーす。いやぁ、もう暑いっすねー」
「そうだな」
「冷たいのが食いたくなるっす。ざるそばにしよっかな。Aさんは?」
「行ってから決める」
「たしかに季節限定とかあったら気になるか。おれも行ってから決めるっすわ」
Bと隣合って歩くようになったのはこいつが女になってからなので、歩幅が男の時より小さくなっているかは知らないが、俺と比べて明らかに狭くはある。
他人に歩調を合わせるということに慣れていなかったので、最初は置いてきぼりにしがちだったな、ということを思い出した。
置いていかれる、ということに慣れきっていたこいつの態度を見てから、それを改めるようにしたんだったか。
日差しが隣の人間に直接当たらないようにしながら、俺は普段に比べれば遅々とした歩みを進めた。へらへらとした笑みは恐らく気付いているのだろうが、こちらに何か言ってきたことはない。
まあ、言われても困る。こちらとしては、日焼けに弱いらしい性質を勝手に慮っているだけなのだから。
「あ、それで、あそこのコンビニがまた新商品を出しっ、」
駄弁り続けていたBの言葉が突如途切れ、足は泳ぎ、身体が前傾姿勢になっていた。
端的に言えばすっ転びそうになっていた。
俺は慌てることなく片腕を掴み、ぐい、と直立に戻す。Bはたたらを踏んでから、「あざーす」とこちらを見上げた。
「やべー、また靴紐切れたっぽいっすね。今週で3度目かな」
「ついでに買って帰るか」
「や、まだ予備が……ないっすね。買います」
めんどいなぁ、とぶつくさ言いながら、替えの靴紐を通し出すB。こいつといるようになってから、こうして靴紐が不自然に切れることを始め、物が不自然に落下してきたり(物を弾いて防いだ)、眼前を無人車が猛スピードで通り過ぎたり(その前に首根を掴んで止めた)、唐突に足場が崩れ落ちたり(抱き寄せて防いだ)、枚挙に暇がない。
「いやー、でもこういうときに金に糸目つけなくて済むの助かるっすね」
「給料良いからな」
「加えて勤務時間も短いし、業務自体も簡単っすからねぇ。通勤はちょっと不便っすけど、もっと人増えてもいいんじゃないすか?年中人手不足じゃんね、うちの店」
「人の入りは多いだろ。今月だけでもう4人バイトが増えた」
「あは、飛ぶ人が多いだけかぁ」
「最近は少なくて助かるけどな。まぁ、夏季休暇に入ったら若い奴が増えるぞ」
「恒例行事っすねぇ」
飛ぶ人間の何割がこの世からも飛んでいるのかは知らない。
その前に危機感を覚えて辞めているといいのだが。
靴紐を結び終えたBがしゃがんだままこちらを見上げ、いつものようにへらへらとしながら、いつもとは違って両腕を伸ばしてきた。初めて見る行動だ。類似例として思い当たるものはない。
意図を掴みかねて、暫く見下ろした。
小さい。うっかりしたら蹴り殺してしまいそうだ。
「ねーAさん、このまま歩いてっとまた靴紐ぶち切れそうなんで負ぶってくれません?」
「別にいいが」
「え、いいんすか、やったー。言ってみるもんすね。じゃあ背中借りまーす」
腰を屈め、Bが乗り切ったのを確認してから、ぐっと立ち上がる。
「うわお」という間抜けな声が、いつもよりも近い距離で後ろから聞こえた。
本当に背負っているのか不安になるほど軽い。
見た目だけでも痩せぎすだとは思っていたが、体感してわかった。恐らく身体の中身がいくつか無いのだろう。
「ひゃー、背ぇ高いっすねぇ。実際こんな感じだと胃の中がぞわぞわしてくんじゃないすか?」
「なったことはない」
「あは、そりゃそっすよねー。自分の身体ですもんね。いやぁ、Aさんって力持ち〜。いつも思ってましたけど、なんか身体能力えぐいっすよね?」
Bがべったりと俺の背面にくっつき、肩口から頭を覗かせた。最近のBはどういうわけか、出来るだけ低めに発声している気がする。
本人に確かめたことはないが。
「悪くはないだろうな」
「前バックヤードで着替えてんの見た時も、身体バッキバキすぎてビビりましたもん。腹筋どーなってんすか?」
「普通だろ」
「えー、今度触らしてくださいよぉ」
「別に面白いものでもないと思うが」
「いーじゃんね、ね?」
「何でだよ…………」
「いやぁ楽しみっすね!」
結ばれた茶髪が俺の首筋を滑り落ちていく。
少しくすぐったさを覚えるが、これでも嫌ではない。そんな自分がわからなくて、困る。
歓迎しているわけではないのだが。
「はぁ…………好きにしろ」
結局、溜息を吐いて受け入れた。
Bはへらへらと笑いながら、腕を俺の首に絡めている。
「そっちも、おれに触りたいところがあったらお好きにどうぞ?」
「ねえよ」
「やっぱり性欲ないじゃないすか笑」
「ないわけじゃない…………」
「へぇ〜」
明らかに嘘だと思われているが、嘘では無い。
俺にも性欲はある。頻度は高くはないが。
「ま、Aさんが言う通りAさんに性欲があったとして、むらむらしたらおれを使ってくださいよ。ここら辺そういう店とかないじゃんね?」
「余計なお世話なんだが」
「良いから良いから、だっておれに返せるのって身体くらいしかないじゃないっすか。まあこの身体も得体が知れないっすけど笑」
「はぁ?」
「いつも助けてもらってるんでね、出来ることはやってあげたい健気な気持ちっすよ」
これを本気で言っているのだから、質が悪い。
「要らない」
「そっすかぁ?」
「別に、こっちも助けられてる」
「あは、デレた」
「お前な…………」
片腕だけでBを支え、自由にした片手で眼鏡のズレを直した。
背中に伸し掛る仄温かい体温は、今の時分だとむしろ暑い。
見下ろした地面には重なった影がくっきりと落ちている。
「蕎麦食いに行くんだろ」
「そっすね、じゃあおれの足としてゴーゴーっす」
「調子に乗るなよ」
「っす」
Bはいつものように無駄口を途切らせることなく、店に着くまで延々と喋り続けていた。よくここまで口が回るものだ。
ちなみにこいつは結局ざるそばを頼んでいたが、食いきれなかったため残りは俺が食う羽目になった。
自分の胃の容量は把握しておけ、と言ったところ、「Aさんがいるから最悪食ってもらえると思って」といつものように返された。
こうして甘やかしているところが良くないのだろうか、とふと思った。
Bは体力がないし右足の爪もないが、背負ってもらったのは今回が初めて
順調に甘えている




