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【小説】煙草の周囲を舞うコーヒーの湯気によって生まれた夢から目覚める3秒前の

掲載日:2025/12/16

 新しい朝が来たが、そいつは昨夜の残り物でしかない。

 それに夢が終わるまでは昨日の続きだ。

 そしてその夢は胸糞ビリーな夢だった。

 ヤル気の無い部下を殺す夢だ。

 俺の勤務態度が気に喰わないと言う割に、本人にもヤル気の無い年上の部下に苛立ってパソコンで殴り殺す夢だった。

 最低にフキゲンな覚め。

 いや、殺せたんならゴキゲンか?

 どうしようもない夢なら起きた瞬間に忘れてしまえたら良いのに、不愉快な夢ほど忘れられないものらしい。

 ムカつく部下を殺す夢は、童貞が見るセックスの夢みたいなものだ。射精が伴うのは社長を殺した時か?

 勃起不全な夢は加齢の査証か。


 

 誰が仕事で勃起するんだ、死ね。

 デスマーチを乗り越える最中にアドレナリンで笑うことはあっても勃起はしない。もし勃起しているなら生命の危機だ。

 帰れ。

 


 別に俺だって仕事熱心な訳じゃあない。

 だから業務上の過失を起こさない限りは何をしていても良いと考えている。

 俺が夢で殺した年上の部下が何に腹を立てているのかは理解できない。

 業務を何だと思ってるんだ?

 プロテスタントか何かで労働は祈りだと言うならまだ分かるが、どちらにせよ殺してやる。

 死ね。

 さもなくば適当に働け。

 お前が経営者目線だとか抜かしたら窓から放り投げてやる。

 そう、とにかく与えた仕事を失敗しなければ酒を飲もうが寝ていようが構わない。

 俺だって本を読むしインターネットを愉しんだりする。

 女を抱いたって構わない。


 不愉快な夢の残滓が絡んだ寝間着を脱いでベッドに投げ、そのままシャワーを浴びた。

 熱湯に眠気と不愉快さを溶かして排水溝に流す。

 これぞ新しい朝だ。

 眼下に白い泡がだらしなく広がる。

 排水溝の掃除をしなきゃな、と思ってから一週間近く経っているのを思い出す。

 だがいい、週末にまとめてやろう。

 珪藻土バスマットの上に立って全身を拭う。

 これで昨日とは違う俺だ。

 新しい俺だ。

 眠りから醒めた直後までは引きずっていた昨日の影は洗い流した。

 詰まりかけの排水溝が断末魔の叫びに似た声で眠気と不愉快さを飲み込んでいく。

 鏡に映った男は目の下に黒い影を作ったまま不器用に笑っている。


 煙草を吸おうとベランダに出ると、塩素系漂白剤の入ったバケツからジーンズを引き上げた彼女が嬉しそうに笑っていた。

 ゴム手袋がいやに艶めかしく光っている。

 真っ青だったジーンズは白く変色して力なく萎れている。

 ダリの絵に出てくる時計に似ているなと思った。アイデンティティの為にアイデンティティを崩壊させられたジーンズと言うのは洒落が効いている。



「具合はどうだい」

「うん、あと何回か漬けたら完璧になると思う」

 彼女はやっぱり嬉しそうに笑ってジーンズをバケツに入れるとベランダに行って物干し竿に掛けた。

 先ほどまでは彼女の手の中で力なく横たわっていたジーンズは、やや緊張したように強張りぶら下がっていた。

 11月の風がジーンズを揺らす。



「シャツもやってみたんだ」

 彼女は同じように塩素系漂白剤で脱色した黒いシャツを俺に見せた。

 フェイクレザーになっている胸の文字だけは色が黒いままだった。

 破裂したように乱暴な白が広がるシャツに黒いままの文字が浮かび上がる。

 FCUKと書かれているが、一読すると誤解しそうなので笑ってしまった。



「さすがにそれは目立つんじゃないの」

「目立たせる為にやったんだもん」

 ゴム手袋を外した彼女はエプロンも脱いでキャンピングチェアに深々と腰かけた。

 咥えた煙草に火を点ける。

 それを見た彼女は座ったまま「ひとくちくださいな」と口を向けた。

 指に挟んだままの煙草をその唇に押し当てると彼女は軽く吸い込んで、真っ白い煙を細長く吐き出した。

 フィルターから立ち上る湯気を横切って天井で遊ぶ煙を目で追っていると、彼女は続けてもうひと口の煙草を吸い込んだ。

 一緒に煙草を吸ったのはいつが最後だったろうか。



 改造をして遊んでいた服がベランダで揺れている。

 陽に灼かれて色褪せたシャツ。

 膝をヤスリでこすられて穴の開いたジーンズ。

 部屋の隅にうずくまった端切れが薄く埃を被ってこちらを睨んでいる。



 生活がどうたって構わないさ。

 死なない限り何をしていたって良い。いずれ帰ってくるのかも知れないし、もう帰ってこないのかも知れない。

 探すあても無いならここで待つしかない。俺は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

「疲れたよ」

「また喫茶店に入りますか」

「そうしよう、座って珈琲が飲みたい」

「普段から運動してるのにお疲れですね」

「使うスタミナが違うんだよ」

「そういうものなんですか」

「そういうものだ。どれにしようか、甘いのも欲しくなるな」

「そうですねぇ」

「古着を選ぶのにカロリーを使ったからな」

「確かに疲れましたもんね」

「これでカスタムにはしばらく困らないな」

「また一緒に脱色しましょうね」

「絵の具飛ばしてジャクソンポロックもやるぞ」

「お風呂場の養生、しなきゃじゃないですか」

「養生したくないから風呂場でやるんだよ」

「あれそういう事だったんですか」

「お、甘いのがきた。なかなか旨そうだぜ」

「凄いですねぇ。本当の生クリームですよ」

「珈琲も旨いな」

「いま見てましたか」

「なにを」

「煙草の煙と珈琲の湯気が綺麗に絡まって綺麗でしたよ」

「服にその模様つけられるかな」

「帰ったら、やってみましょ」


 いい夢は見られないものだな。

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