目覚め
第一幕 山の神 第二話目
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伊邪那岐命、語らひ詔りたましく、
「美しき、我がな妹の命、吾と汝と作れりし、国、未だ竟へずあれば、環りまさね」
とのりたまひき。爾に伊邪那美命 、答白したまはく、
「悔しきかも、速く来まさずて。吾は黄泉戸喫為つ。然れども愛し着我がなせの命、入り来ませること恐ければ、環りなむを、且く黄泉神と相論はむ。我をな視たまひそ」
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『古事記』より
1,
どこか暖かいような。
懐かしいような?
そんなまどろみの中。
―起きなさい!〇〇〇!
「ん。あと、もうちょっと‥‥」
私はいつもの様に目覚まし時計で時間を確認しようとして。
枕元に時計がないことに気が付く。
よく見れば知らない天井。
先ほどの女性の声は誰だったか。
思い出せない。忘れては、いけない、はず、なのに。
「‥‥ここは?」
思わず声が出る。
見覚えのない部屋
僅かな光―カンテラというのだろうか?学校で習った気がするーが薄暗い部屋をぼんやりと映し出していた。
その隣には竹の葉で包まれた二つのおにぎり。
畳に、障子に…
明らかに自分の趣味ではない、気がする。
それにー
「なにコレ‥‥」
私の左手首に結ばれた赤い組紐のブレスレット。
糸の先には“赫”と刺繍されたお守り袋。
外そうとしているのに何か不思議なちからが働いているのか外せなかった。
「‥‥」
改めて、辺りを見渡したけれど、和風テイストなだけで何の変哲もない、ただの部屋に見えた。
判断するにしても情報が少なすぎる。
―『探索するしかないんだから。こういうゲームは』
誰かの声が脳裏に響く。
先ほどの声とはまた違った女性の声。
ここは従うしかないとなぜか私はそう思った。
◇
先ほどの部屋を出て少し経った。
意外と広いのかもしれない。この屋敷は。
だって、まだ誰とも合ってないし。
今までに通った部屋はどの部屋も灯りがついていなかった。
カンテラを持って進む。
怖い。何が起こるか分からない恐怖。
―トトト
「…!?」
暗闇の向こうから何かかが走ってくる。
思わず身を構えてしまう。
恐怖で動けない。
「ッツ!?」
「あ、ゴメー」
―カランッ、カラン
2,
ぶつかってきた黒い影を転がったカンテラが照らした。
白に黒の牡丹をあしらった着物をきた少女がそこにいた。
腰まで伸びた黒い髪に金色に輝く瞳。
年は小学校高学年に見える。
「前見てなかった。ゴメンね。」
目の前の少女は申し訳なさそうに謝ってきた。
嘘ではないっぽい。
「う、うん。大丈夫。君は?」
未だバクバクなっている心臓。
故意ではなかったのだから仕方がない。
「うん。大丈夫。あたしはカリン!」
ニコニコと元気に教えてくれたカリン。
何だか怒る気が失せてくる。
「私はー」
名乗ろうとして気が付いた。
思い出せない。自分の名前が。
「覚えていない?」
心を読んだのかカリンが心配そうに聞いてきた。
思わず首を縦に降ってしまった。
「どうしよう…名無しはマズいってライが言っていたしー」
―シャン
鈴が鳴った。左手首のあのブレスレットから。
「それは?」
「目が覚めた時には着けてたの」
「えーっと、この文字は‥‥アカ。そうだアカって読むんだった。」
思い出したことが余程嬉しかったのか、カリンが嬉しそうに教えてくれた。
なぜに今?
「教えてくれてありがとう。でもー」
「“名は体を表す”仮名でもいいから名前がないとここでは消えちゃうの。」
「え…つまりー」
「そう、本当の名前を思い出すまではアカって名乗った方がいいと思うよ。あたしはお姉さまって呼ぶけど。
いいよね?」
「う、うん。」
アカは半ば押し切られるようにうなずいてしまった。
「…!そうだ!ここはどこなの!?どこ行っても暗いしー」
「どこ、ってー…あれ?暗い?こんなに明るいのに?」
「え?‥‥え!?」
カリンの言葉に引っ掛かり覚えてあたりを見回した。
一瞬だった。まばたたき一瞬。
いつに間にか耳が痛い程の静寂が嘘のように喧騒に呑まれていた。
灯りが漏れている障子が続いている。
時たま、ナニカの影が写る。
「え?は?」
「あたしのこと見えているのにおかしいなぁーって思ってたけど。少しズレていたみたい」
「え?どういうことー」
「う~ん?なんでもないよ」
コロコロと笑う彼女。
その笑顔に心なしか張り詰めていた緊張の糸が解れる気がしたー
3,
「…でね。ライったら、またー」
カリンと衝撃的な出会いをしてから数分後。
たわいのない話をしながら廊下を進んでいた。
「そう、なんだ。カリンはそのライって子が好きなんだね」
「う~ん?どうだろ。よくわかんないや。ライとは幼馴染ってだけで」
“ライ”その名前が先ほどから会話にのぼる。
どうやらこのお屋敷はそのライって子の家らしい。
それにしても広い。
彼此、40分は歩いている気がする。
「…に、してもー広いね」
「そうでしょ!なんたってライの一族はー」
―グ~
空気を読まないその腹の音。
振り返るカリン。
「…っぷ。」
「…。ふふ、あは、あははッ。」
彼女の笑をこらえる顔が面白くてつい笑ってしまった。
なんか、久しぶりに笑った気がする。
「いい場所知ってる?」
「…うん!あるよ!こっち。」
一瞬、彼女は不思議そうな顔をしたけれど、直ぐにまた笑顔に戻る。
カリンは先導するかのようにアカの手を取り、引っ張ったー
◇
そこは中庭みたいな場所だった。
屋内なのに、屋外。
屋根が無く、光が直接差し込んでくる。
何個かの石に、いくつかの木、そして敷き詰められた白い砂。
これって、降りていいのかなー
整えられたこの空間に、自分は不釣り合いな気がして。
「こっち、こっち。」
中庭の少し向こうでカリンが手を振っている。
彼女が大丈夫というのならー大丈夫。
思い切って踏み出した。
意外にも白い砂は乾いているのか、歩くたびにサクサクと子気味のよい音がなる。
「ここ!」
「⁉」
他よりも少し大き目のその石の裏には小さなお堂があった。
石造りのお堂。植物の蔓がいたるところに絡みつき、花を咲かせている。
でも、確かにそこだけ雰囲気が違ったーどこか澄んでいる。
「わぁー綺麗」
「ふふふ!ライとあたしの秘密基地!ほかの人には秘密だよ?」
「分かった!秘密にするね‥‥一個食べる?」
「いいの?お姉さま。」
「うん。食べきれないと、思うし。」
そう言ってカリンにおにぎりを一つ渡す。
なんとなく、そうするのが妥当な気がして。
「…ん。美味しい」
「ね。確かに」
指についた米粒をなめとりながらアカは言う。
塩味が効いていた。辛過ぎず、甘過ぎず。
―ダダダッ
『そっちにいたか!?』
『いねェ。そっちは!?』
「「!?」」
何か騒がしくなってきた。
誰かを探しているらしい。
「お姉さま。」
小声で話しかけてきた。
「うん?‥‥!」
「あたしが引き付けるから。」
「え…?何言ってー」
「帰るべきところにー」
「待ってー」
伸ばした手はカリンに届かなかない。
「楽しかったよ。できればもう二度とー」
カリンが振り返ってそう言う。哀しそうな顔で。
そんな顔をするくらい、なら。
―行かないで
カリンは廊下に踊り出た。
「こっち!」
『いたぞ!人間だ!』
『捕まえろ!』
「捕まえて見なさい!捕まえられるものなら、ね!」
足音が遠のく。
―行ってしまった。また。
暗闇の中、見つけた一筋の光。
なのに。
ここから、どうすれば?
「お前は誰だ?なぜここにいる」
「っつ!?」
背後からいきなり声がかかる。
アカの心臓はまた跳ねた。
ルビ降り疲れた......