30.釣り
大学生になって、新しい趣味を開拓しようと釣りを始めた。
普段、友人から「おっとりしてる」と言われる僕には、ぴったりの趣味だと思う。
そして、気づけばすっかり夢中になっていた。講義がない日は、毎日のように波止場へ向かっている。
たくさん釣れるわけじゃない。でも、波の音と風の音に包まれながら、ぼんやりと過ごす時間が心地いい。
そんな穏やかな時間の中で、どうしても気になる存在が一人いた。
ある日釣りに行った日、そこにはすでに先客がいた。
小学生と見間違えそうなほど小柄な女の子――でも僕は彼女を知っていた。同じ学科の学生だ。
キャンパスでもよく見かけるが、いつも一人でいて、人に話しかけることもない。鋭い目つきのせいか、怖い人として知られている。
その日も波止場に行くと、やはり彼女がいた。小さな背中を丸めて、真剣に海を見つめている。
僕は少し離れた場所に陣取り、竿を垂らした。
今日は調子がいい。開始早々、一匹。続いて二匹、三匹。
釣り上げるたびに、彼女の視線を感じた。ちらりと見ると、やっぱりこちらを見ている。いつもの不機嫌そうな目つきで――いや、今日は少し睨まれている気すらした。
なるべく気づかないふりをして、静かに釣りを続けた。
結局、その日は七匹も釣れた。僕にしては大漁だ。
日が傾き始め、片付けようとしたときだった。
「……あの」
背後から、小さな声がした。振り返ると、彼女が立っていた。相変わらずの鋭い目つき。でも、どこかためらいがちに僕を見上げている。
「釣りのコツ……教えてもらえませんか」
意外だった。あの彼女が、自分から話しかけてくるなんて。
けれど、その声には不機嫌さはなく、むしろ少し不安そうな響きがあった。
「あ、うん。いいけど」
「実は、釣り始めたばかりで……全然釣れなくて」
そう言って俯く彼女。確かに、これまで彼女が釣り上げるところを見たことがなかった。
「じゃあ、どんな風にやってるか見せてもらってもいい?」
彼女はこくりと頷き、自分の釣り場に案内した。
仕掛けを見ると、初心者らしいミスがいくつかあった。針の結び方、餌の付け方、竿の角度……一つずつ丁寧に教える。
「こんな感じで、竿を少し立て気味にして。あとは、力を抜いて」
「力を、抜く……」
彼女は僕の言葉を反芻しながら、真剣に聞いている。
それから十五分ほど経ったころ、彼女の竿がしなった。
「あっ、来た!」
「落ち着いて、ゆっくり巻いて。焦らないで」
僕は思わず隣に駆け寄った。彼女の手が震えている。無意識のうちに、その小さな手を自分の手で包んでいた。
「大丈夫、このまま……よし!」
水面から、銀色の魚が跳ね上がる。
「釣れた……!」
「やった!」
顔を見合わせ、笑い合った。その瞬間、彼女の表情が柔らかくなった。
鋭い目も、今はただ、嬉しそうに細められている。
空が茜に染まり始める頃、片付けをしながら彼女が言った。
「ありがとうございました」
「いや、こっちこそ。久しぶりに誰かと釣りの話ができて、楽しかったよ」
僕は少し迷いながらも、言うべきだと思って口を開いた。
「その……キャンパスで、君がちょっと怖がられてるって、知ってる?」
彼女の手が止まった。
「目つきが鋭いから。でも今日話してみて、全然そんな人じゃないって分かったよ」
「……あ」
彼女は何かに気づいたように目を見開いた。
「実は、大学デビューのつもりでコンタクトに変えたんです。でも、まだ慣れてなくて……つい目に力が入っちゃって」
「なるほど」
「キャンパスで怖がられてるなんて、知らなかった……」
「眼鏡に戻してみたら? その方が、君らしいと思う」
少しの沈黙のあと、彼女は小さく頷いた。
「……そうしてみます」
そして、夕暮れの中へ帰っていった。
次の日の夕方、また波止場へ行くと、いつものように彼女がいた。
でも、何かが違う。
近づいてみて、すぐに分かった。
彼女は――眼鏡をかけていた。
細いフレームのシンプルな眼鏡が、彼女の顔に驚くほどよく似合っていた。
「眼鏡、戻したんだ」
「はい。言われた通りに」
彼女はフレームを軽く触れながら、少し恥ずかしそうに笑う。
「でも……キャンパスではまだコンタクトなんです」
「え?」
「だって、急に戻したら変に思われそうで。でも、ここでは眼鏡にしようと思って」
頬をわずかに染め、彼女は僕を見上げた。
「優しくしてくれたあなたにだけ、かわいい顔を見てもらいたいから」
その言葉に、頭が真っ白になる。
僕は慌ててバッグを漁りながら、声を裏返らせた。
「さ、さあ、今日も釣ろうか!」
背後から、くすくすと笑い声が聞こえる。
夕暮れの海に、二本の釣り竿が並んで立っていた。
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27.扇風機で、12月まで更新ペースを2週間に1話と申し上げましたが、以降は2週間に1話を基本とさせていただきます。申し訳ございません。その分、1話1話、精一杯書きますので、これからも、『ラブコメs日和』をお楽しみください!!




