14.睡眠不足
大学生になり、一人暮らしを始めた。慣れない料理や洗濯、掃除に追われ、当初は実家が恋しくてたまらなかったが、次第にその生活にも慣れ、気づけば自由な毎日を楽しんでいた。
ある日、数日ぶりに実家から戻ってくると、隣の部屋の扉に表札がついていた。誰かが引っ越してきたのだろうか。そう思って扉の前で立ち止まっていると、
バンッ!
突然、大きな音を立てて扉が開いた。
「うわっ!」
ぼんやりしていたせいもあって、思わず声が漏れる。
「・・・あっ、すみません! 驚かせてしまって!」
現れたのは、スーツ姿の女性。寝癖があちこちに残っていて、よほど急いでいるのがわかる。
「いえ、ぼんやり突っ立っていた僕も悪いので・・・」
彼女は少し安心したように、力の無い笑みを浮かべて言った。
「お気遣いありがとうございます」
軽く頭を下げると、そのまま足早にマンションを後にした。
彼女の目の下にあったクマが、ずっと頭から離れなかった。
1ヶ月が経った頃、再び廊下ですれ違った彼女は、相変わらず寝癖混じりで、手にはコンビニのおにぎり。顔色も悪く、どこか青白いように思える。
「・・・お疲れさまです。体調、大丈夫ですか?」
そう声をかけた瞬間、彼女の体がふらりと揺れ、僕のほうへと倒れかかってきた。
「なっ……!?」
咄嗟に抱きとめると、彼女の体は驚くほど熱く、息も荒い。
慌てて自分の部屋に連れ帰り、冷たいタオルを額に乗せ、水を用意して、すぐそばで様子を見守る。しばらくすると、彼女がゆっくりとまぶたを開いた。
「ここは?」
見慣れぬ天井に不安になったのか、きょろきょろと周囲を見回し、やがて僕と目が合った。
「僕の部屋です。さっき、倒れたんですよ」
できるだけ落ち着いた声で伝えると、彼女はため息をつき、ぽつりとつぶやいた。
「あぁ・・・またやっちゃったか。すみません、ご迷惑を・・・」
目元には、涙がうっすらと浮かんでいた。
「・・・仕事、そんなに辛いんですか?」
「はい・・・朝は早いし、終電でも帰れない日もあって・・・でも、辞める勇気もなくて・・・」
ぽつりぽつりとこぼれる言葉と一緒に、涙が布団を濡らしていく。
「無理しすぎですよ。少しくらい、頼ってください。困ったときはお互い様です。ただの学生ではありますけど、話くらいなら聞きますから」
彼女は一瞬きょとんとしたあと、ふっと力を抜いて笑った。
「・・・ありがとう。なんか、安心しました」
その笑顔は、初めて会ったときと同じふにゃりとした笑みだったが、そこに少しの活力が見えた。少しだけ心の距離が縮まった気がした。
それから彼女は、ときどき僕の部屋で夕食をとるようになった。手料理を「おいしい」と言って、嬉しそうに食べてくれる。
春の風が窓から吹き込むある夜。食後のホットミルクをふたりで飲んでいると、彼女がぽつりとつぶやいた。
「最近、ちゃんと眠れるようになってきたんです。前は嫌な夢ばかりで、全然寝た気がしなかったんですけど・・・あなたのおかげです。」
そして、冗談っぽく呟く。
「このまま一緒に寝ちゃったら、もっといい夢が見られそうですね」
カップの向こうで微笑む彼女を見て、思わず言葉が漏れた。
「じゃあ、今日は・・・もっと良く眠れるように、そばにいますよ」
遠回しな想いの告白だった。彼女は一瞬きょとんとしたあと、頬を赤く染め、静かにうなずいた。
この話のタイトルは睡眠不足。だが、それはもう過去の話だ。
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