第2話:メリーさんから逃げろ 中編
side乙香
3年生の教室に近づくにつれて、話し声は鮮明に聞こえるようになった。
やっぱり、気のせいじゃなかったんだ。
声の主を確かめる為に、更に近づく。
と、急に話し声が止んだ。
気付かれた?
なるべく足音を立てないようにしていたつもりだったけど、隠しきれなかったのか。
もしくは、偶然途切れたのか。
よくは分からないけど、とりあえず3年A組の教室前に私はいる。
たぶん、ここ。
ここが話し声の発生源。
…………だと思うんだけど、今は痛いくらいの静寂が私を包み込んでいる。
だんだん自信が無くなってくる。
さっさと開けて中を見て、違ったら次の教室に行けばいい。
戸に手をかけると、何の抵抗もなく開いた。
からからと音を立てて。
「あ、ども」
自分の口から出た、何とも間の抜けた挨拶。こんな状況だと言うのに少し笑いそうになった。
戸を開けた途端、教室の中の4つの瞳と目が合った。
この学校では知らない人が居ない、モテる事で有名な先輩。
確か名前は…………
「赤羽先輩、水涼野先輩、でしたっけ?」
「合ってるけど、キミは?」
赤羽 遊羽都先輩が探るような目で見てくる。
そしてその腕の中で、水涼野 梨理先輩が震えてるのが見える。
…………こんな状況だと言うのに、画になるから美人ってずるい。
「…………聞いてる?」
そんな事を考えてたら、赤羽先輩に変な目で見られてしまった。
「すみません、考え事をしてて」
「それはいいけど、キミは誰」
「私は佐倉 乙香。2年B組です。赤羽先輩、水涼野先輩」
赤羽先輩がふぅ、と息を吐く。そして腕の中の水涼野先輩に言った。
「乙香ちゃんだって。知ってる?」
「…………佐倉さんって言ったっけ」
水涼野先輩は少し考えるようにして言った。
どうやら震えは止まったみたいだ。
「生徒会で話に上がった事があるわ。確か家庭環境が────」
「はい、合ってます。けど、あんまり首突っ込まれたくないのでその話はしないでください」
私の家の話なんてどうでもいい。それより
「それよりこれ、どういう状況なんですか?」
「ボクが聞きたいよ。人が消えたり、メリーさんだったり────」
「メリーさん?」
かくかくしかじか…………と赤羽先輩は話してくれる。
水涼野先輩のスマホに、メリーさんから電話が掛かってきたこと。そして、その時に皆が消えてしまったこと。
たぶん、私の周りで人が消えたのも同じ頃だったと思う。
「乙香ちゃんには電話来た?」
「いえ…………」
なんで水涼野先輩だけ電話が来たんだろう。
いや、私と赤羽先輩には電話が来てないのになんで消えてないんだろう。
「こら遊羽都、いきなり下の名前で呼ぶから、佐倉さん戸惑ってるじゃない」
「えっ、あ、ごめん」
「い、いえいえ!別にそういう訳じゃ無いので!下の名前呼びで大丈夫です!」
考え事をしていたら、梨理先輩に要らぬ気を回されてしまった。
反省反省。
「あ、ボクのことは遊羽都でいいから」
「わかりました。遊羽都先輩」
「アタシも梨理でいいわ」
「…………梨理ちゃん?」
「先輩よアタシ!?」
ふざけたら怒られてしまった。
「ふたりとも、ふざけてる場合じゃないよ」
「そうですよ、反省してください。梨理ちゃん」
「アタシ!?」
赤羽先輩…………じゃなくて遊羽都先輩に睨まれてしまった。
反省反省
と、会話に一段落ついたところで。
────てぃろりろりろりん♪
電話が鳴った。
side梨理
────てぃろりろりろりん♪
置いてください。と佐倉さんが言う。アタシは素直に従って、机の上にスマホを置いた。
しばらく鳴った後、やはり繋がる。
『もしもし、私メリーさん』
2人の表情が一気に真剣な物になったのを見て、アタシは安心感を覚えた。
アタシは怖い話はてんでダメ。メリーさんくらい有名な話でも、名前しか知らないくらい遠ざけてきた。
怖い話なんか聞きたくないし、今みたいに体験するのはもっと嫌。
だからこそ、この2人が居てくれるのが凄く心強い。
『今、北校舎1階の東階段に居るの』
くすくす、と笑い声が響いて電話は切られた。
「本当に、メリーさんですね」
「信じてなかったの?」
「信じたくないですよ。今この瞬間も」
佐倉さんのぼやきに全面的に同意。この悪夢から早く解放して欲しい。
って、悪夢?
「これ、もしかして夢なんじゃない?」
アタシの言葉に、2人は対称的な反応をした。
遊羽都は「天才か!?」みたいな表情で。
佐倉さんは「何言ってんの?」みたいな表情で。
それぞれアタシを見る。
「夢だと思うなら、ほっぺたつねってみれば良いんじゃないですか?」
いたかった。
「何馬鹿なことしてんですか……」
佐倉さんの呆れ声が耳に痛い。いや、こんな事あったら誰だって夢だと思うじゃない。
「それより乙香ちゃん、メリーさんって助かる方法あったっけ?」
「私の知る限りでは無かったと思います」
「だよね」
「ちょっと!助かる方法無いってどういう事なの!?」
アタシは慌てて2人の会話に入る。
「…………梨理先輩、もしかしてメリーさん知らないんですか?」
「乙香ちゃん、残念だけどそうなんだよ」
何が残念なのよ
「この子、怖い話が本当にダメだから」
「…………へぇ」
佐倉さんの口元が、一瞬怪しく歪んだのをアタシは見逃さなかった。
「梨理、なるべく怖くないように説明するから聞いて」
遊羽都が優しく話し始めた。
side遊羽都
メリーさん
1人のお留守番中の女の子に、メリーさんという名前の人形から電話が掛かってくる所から始まる。
その人形は今いる場所を告げる。
女の子が怖くなって電話を切ると、またすぐ掛かってくる。
そして人形の告げる場所が、どんどん女の子に近づいていく。
人形の告げる場所が、女の子の家の玄関まで来た時、女の子は恐怖からか玄関を開ける。
そこには、誰も、何も居ない。
女の子がほっと胸を撫で下ろすと、その時最後の電話が。
『いま、あなたの後ろにいるの』
説明がてらボクが語ると、梨理は目に涙を浮かべていた。
…………怖い話に弱すぎる。
そしてそれを見て、乙香ちゃんがニヤリと笑ったのが見えた。
この子は楽しんでる…………のかな?
「つ、続きは…………?」
恐る恐る、といった様子で梨理が訊いてくる。
にやぁ〜
乙香ちゃんの表情が大きく歪んだのを、ボクは見逃さなかった。
「知りたいですか?自分の未来の姿かもしれないのに?」
「ぴぃん!!」
梨理の喉から変な音が出た。
…………後輩に泣かされないでほしい。
そして先輩を泣かせないでほしい。
「乙香ちゃん、趣味悪いよ」
軽く説教。以外にも乙香ちゃんは素直に聞いてくれた。
「それでね梨理、続きはないの」
「ふぇ?」
「最後の電話が掛かってきて、それで終わりなんですよ。梨理先輩」
乙香ちゃんの言う通り、メリーさんの話はここで終わり。
「そ、そう…………なら 、その女の子は無事に済んだかもしれないのね」
「本気で言ってます?」
「う…………」
梨理が言葉に詰まった様子を見せる。
…………怖い話が苦手な梨理が、僅かな希望に縋る気持ちは分からなくはない。
梨理がボクに助けを求めるような視線を向けてくる。
「…………梨理、悪いけどボクも乙香ちゃんと同意見。無事には済まないと思う」
それに、メリーさんは何と言ったか。
────殺しに行く
明らかに敵意を向けられてる。梨理には悪いけど、無事に済んでる訳が無い。
「け、けど、女の子はなんで逃げなかったのかしら」
なんでって…………
梨理の呟きに、ボクは答えられなかった。
「それ、いい考えかもしれません」
side乙香
「それ、いい考えかもしれません」
「乙香ちゃん?」
遊羽都先輩の困惑するような声を無視して、私は続ける。
「梨理先輩のスマホに掛かってくるんですよね。だったら、置いて逃げちゃいましょう」
「えっ…………」
梨理先輩が「そんな事できる訳ないでしょ」みたいな顔をする。
「乙香ちゃん、そんな事して盗まれたりしたらどうするの?」
「そうよ、それに失くしたりしたら後で困るわ」
先輩二人の抗議の声に、私は怯まず言い返す
「じゃあ、他に何か生き残る為の策があるんですか?」
二人は言葉に詰まった様子で私を見る。
しばらくして、梨理先輩が口を開いた。
「とりあえず、学校から出てみない?スマホ置いてくのは、その後でもいいと思う」
「…………わかりました。そうしましょう」
「できるの?」
遊羽都先輩に、梨理先輩が答える。
「さっきメリーさんは『東階段1階に居る』って言ってたわ」
「う、うん」
「なら、西階段から玄関に向かえばいいのよ」
ここ、清水岡高校には、南校舎と北校舎の二つの建物がある。
教職員室、1年生の教室、図書室、音楽室、情報室、化学室などがある南校舎。
そして2年生の教室、3年生の教室、保健室、パソコン室、視聴覚室などがある北校舎。
私たちは今、北校舎3階の3年A組の部屋にいる。
2階には2年生の教室が。4階には専門教室が。
そして1階は玄関と保健室が。
南北両校舎は、それぞれ建物の東端と西端に階段がある。
メリーさんはその東階段にいる。
今教室を出て、西階段を降りれば、上手い具合に行き違いにできるはず。
「…………わかりました。それで行きましょう」
side梨理
教室を出る前に、廊下の様子を伺う。
人影はなし。足音も、今のところ聞こえてこない。
「大丈夫そうよ」
アタシが声を掛けると、佐倉さんは上履きを脱ぐように言ってきた。
足音が立つと、メリーさんに気づかれてしまうかもしれないらしい。
ってわけで、女子高生3人。両手に上履き。抜き足差し足忍び足。
「不審者集団」
ボソッと佐倉さんが言うのに、思わず笑ってしまう。
驚くほど簡単に、何にも出会うことなく、アタシ達は1階まで辿り着けた。
────てぃろりろりろりん♪
着信音が、無音の校舎に鳴り響く。
アタシは思わず、音の鳴るそれをポケットから引っ張り出した。
『くすくす…………もしもし、私メリーさん』
電話口からの聞き慣れた…………聞き慣れてしまった声。
アタシ達に緊張が走る。
『今、貴女の教室の前に居るの』
今、アタシ達は1階に居る。間もなく玄関に着く。
良かった。逃げきれた。
そう思うと、途端に勇気が湧くのを感じた。
「お生憎様!アタシ達はもうそこには居ないわ」
べーっ、と舌を出してみる。電話越しだから伝わってないとは思うけど、ここまで怖がらせてくれた仕返し。
それからアタシは電話を切る。
思えば、初めてメリーさんに対して言い返した。
初めて自分から電話を切った。
それだけで、随分余裕が持ててる。
主導権を握る事の大切さを実感した。
side遊羽都
「お生憎様!アタシ達はもうそこには居ないわ」
梨理がそう言って、満足気に電話を切る。
心に余裕を持ててるのはいいけど、油断し過ぎだと思う。
あと、電話に出る時にボクに押し付けた上履き。
早く引き取って欲しい。
「さぁ、さっさと行きましょ」
「…………梨理、上履き」
「あっ…………」
あっ、じゃないよ。
それからボク達は自分の上履きを履いて、外に出る事にした。
上履きのまま外に出るのは綺麗じゃないけど、仕方ない。
靴に履き替えよう、なんて言う人は居なかった。
「それにしても、お二人は仲良しですね」
突然そんなことを乙香ちゃんが言う。
「まぁ、そうかも」
ボク達は顔を見合わせる。
大した理由は無いけど、二人一緒に居ることが多い。
「妬けちゃいます」
と乙香ちゃん。
「アンタもこれから仲良くしてけば良いのよ」
「そうだね。…………今度は、もっと普通にね」
ボクの一言に、二人は笑う。
こんな目に遭うのは、もうこりごり。
「じゃ、開けるよ」
玄関扉に手を掛け、力をこめる。
……………………
扉は、動かなかった。