第1話:メリーさんから逃げろ 前編
side 乙香
放課後、自分の教室。
何人かの生徒が残り、談笑したりサイコロを振ったりしている。
…………学校でサイコロ?なんかの賭け事なのかな
それはさておき。
私、佐倉 乙香は特に仲のいい友達も居ないので、1人携帯ゲームをしていた。
外は雨が降っている。
傘を忘れた私は、教室で雨が止むのを待つだけの無駄な時間を過ごしている。
少し離れた所の男子数人が、「ノーカン!ノーカン!」とか騒いでいるのが耳に届く。
それらを無視して、ゲームを続ける。
ピコピコ、ピコピコピコピコ…………
━━━━!
ふと、周囲に違和感を覚えた。
…………何?今の感覚
見渡して気づく。この教室、2年B組から誰も居なくなっていた。
さっきまであんなに騒いでたのに。皆帰っちゃったのかな。
ゲームに戻ろうとして、更に気がつく。
雨音がしない。
それどころか、何の音も聞こえない。
鼓膜がおかしくなった!?
慌てて立ち上がると、勢いで椅子と机が動く。
ガタッッ!!!
それほど大きくない音だったけど、無音の教室では痛いほど響いた。
耳がおかしくなった訳じゃないっぽい。
「誰か…………」
発した声は、誰にも届かず虚空に消える。
間違いない。自分以外の誰も、ここには居ない。
…………ゲームに夢中になりすぎて、皆が帰った事に気が付かなかったのかな
なんて考えを、自分の頭から追い出す。
正常性バイアス。
明らかに異常な出来事でも、それが普通であるかのように考えちゃうんだっけ。
何かの本で読んだことがある。
「こういう時、楽観的に考えるのは良くないんだよね」
何か理解を超えた事が起きてるのは間違いない。
ガラガラと戸を開け、廊下に出る。
せめて、この学校にまだ誰か人が居ると良いんだけど────
side 梨理
「ねぇ梨理」
アタシの後ろから誰かが声を掛けてくる。
そちらを見ると、そこに立っていたのは親友の赤羽 遊羽都。
「今日も生徒会室に行くの?」
「うん。静かで落ち着くのよね」
遊羽都の質問に、アタシ水涼野 梨理はいつも通り答える。
…………自分で言うのも何だけど、アタシは結構顔がいい。だから割とモテる。
遊羽都ほどじゃないけど。
遊羽都は背が高い。170センチくらいある。オマケにスポーツ万能で、しかも優しい。
モテない要素を探すとしたら、少しおバカなくらい。
そんな訳だから、お昼休みや放課後は誰かが訪ねてくる事が少なくない。
…………告白自体は、断り慣れてるから良いんだけど。
なんて遊羽都に言ったら、苦笑いされてしまった。
「ボクは断るのも苦手だからなぁ」
遊羽都はちょっと優しすぎると思う。そして苦笑いすら様になってる。顔が良い女ってズルい。
そんな訳で、アタシ達は生徒会室を逃げ場に使ってる。
アタシ自身が生徒会書記なのもあって、生徒会の仕事が無い日は自由に出入りできるから。
生徒会室に居れば、他の人は仕事中だと思ってか声を掛けてこない。
…………仕事も全然無いから、毎日ただ遊んでるだけだったりする。
そんな事を考えながら席を立った時だった。
────てぃろりろりろりん♪
アタシのスマホが鳴る。
ポケットから取り出して確認してみると、着信をお知らせしてる。
画面には「非通知」の文字。
…………こういうの、出ない方がいいよね。
アタシがそう思った直後。
画面には触れてないのに、勝手に通話か始まった。
『もしもし、私メリーさん』
頭の中が疑問符でいっぱいになる。
意味がわからない。
触ってないのに勝手に動作するスマホも、そこから流れてくる小さい女の子の声も。
そして声に似つかわしくない、その内容も。
全てが、意味がわからなかった。
電話の向こうの子がくすくすと笑うのが聞こえる。
そして電話は切れる。
なん…………だったんだろう。
「……理」
それに、あの言葉…………
「梨理、ねぇ梨理ってば!!」
「えっ、あ、あぁ…………ごめん、ボーッとしてたみたい」
「いや、それはいいんだけど…………」
遊羽都の目線が左右に振れた。
side:遊羽都
「ねぇ梨理」
親友の梨理に話しかける。
「今日も生徒会室行くの?」
「うん、静かで落ち着くのよね」
ボクらは毎日、生徒会室に入り浸ってる。
特に何をする訳でもなく、ただ2人で駄弁ってる事がほとんどだけど。
教室の喧騒は苦手じゃない。むしろ好きな方なんだけど。
少し前、教室でだらだらと過ごしていたら、1年生の女の子に声を掛けられた。
貴女が好きでした、付き合ってください。
そんな事ボクに言われても困る。だいたい梨理の方が可愛いんだから、梨理の方に告白すればいいのに。
なんて梨理に言ったら怒られた。
まぁとにかく、ボクには色恋沙汰はよくわからない。
だからそもそも逃げてしまおう、ってこと。
なんて考えてたら、梨理は既に教室を出ようと立ち上がる。
────てぃろりろりろりん♪
梨理のスマホが鳴る。
それと同時に、違和感。
周りを見渡して、直ぐに気がついた。
さっきまで騒いでたはずの、クラスのみんながいない。
もしかして梨理も!
慌てて正面に向き直ると、梨理は目の前にいる。
「梨理、クラスのみんなが」
…………返事がない。
「梨理?」
よく見ると、梨理の顔が真っ青になっていた。
「梨理、ねぇ梨理ってば!」
「えっ、あ、あぁ…………ごめん、ボーッとしてたみたい」
肩を揺らすと、ようやく反応した。
「いや、それは別にいいんだけど」
…………気づいて、ないのかな
「大丈夫よ、たぶんイタズラ電話か何かでしょ」
梨理が言うのを聞いて確信する。
本当に気付いてないんだ。
「聞いて梨理。梨理のスマホが鳴った途端、クラスのみんなが消えちゃったの」
side乙香
音がしない。そう思っていたけれど、3年生の教室から微かに話し声が聞こえた気がした。
気のせいかもしれない。だけど、気のせいだったとしても確かめる事に損はない。
もしかしたら、この異常事態の元凶かもしれない。
誰が何の為にやっているのか。近づいて確認できたらヨシ。危ない目に遭いそうなら、逃げればいいだけ。
カラカラと音を立てて、教室の戸を開ける。
…………思ったよりも響いて、ちょっとビビった。
こんなに大きな音が鳴るものなんだ。
いや違う。
こんな何でも無い音でも、こんなに響くんだ。
なんて発見をしてから、自分の教室──2年B組を出た。
とん、とん、とん、とん────
自分の足音が響くのを感じながら歩く。足音を立てるのは少し不用心かもとは思うけど、どうしようもない。
とん、とん、とん、とん、とん、とん
ふと、音に違和感を覚える。響きが変わったというか、二重になったような気が…………
バッ、と振り返っても、私の目にはには誰もいない廊下しか映らない。
「気のせい…………なのかな」
もしかしたら、音の反響でそう聞こえただけかもしれない。いや、きっとそうだ。
「って、考えるのは良くないよね」
物事を考える時、楽観視するのは良くない。むしろ、最悪の場合を想定して動くべきだ。
もっとも、何が起きてるかの予想もつかない今、最悪の場合の想定なんてできる訳無いんだけど。
とりあえず、足音は抑えるべきよね。
上履きを脱いで、両手で持つ。足裏から、ひんやりと硬い床の感覚を確かめて歩き出す。
両手が塞がってしまうけど、今は仕方ない。
それに、最悪武器にすればいいし。
ならないか
side梨理
「聞いて梨理。梨理のスマホが鳴った途端、クラスのみんなが消えちゃったの」
遊羽都の言葉を理解するのに、数秒かかった。
消えた?みんなが?なんで?どうやって…………?
「…………みんな、気づかないうちに帰っちゃったんじゃない?」
「そう、なのかな」
アタシが自分に言い聞かせるように吐き出した言葉に、納得いかなそうに遊羽都は返す。
そしてその表情のまま、アタシの方を向いた。
「ところで梨理、さっきの電話は何だったの?」
「あー…………」
説明に困る。何から話せばいいのか
「えっと、なんか非通知から掛かってきて」
遊羽都は静かに聞いている
「着信拒否を押そうとしたら、なぜかそのまま繋がっちゃって」
「それは、操作する前にってこと?」
こくん、と頷く。改めて口に出すと、やっぱりおかしな事が起きてる。
「それで梨理、要件は何だったの?」
遊羽都の質問に、アタシは上手く答えられなかった。
なんか、凄く不快な事を。日常では滅多に耳にしない、強い害意を孕んだ言葉を。
いやに明るく、楽しそうに言われたのはわかる。
けれど、それが何だったか思い出せない。
いや、頭が思い出すのを拒否しているような感覚。その事について考えたくない感情が、どんどん強くなっていく。
「…………お、覚えてないかも」
「えぇー…………」
遊羽都の呆れるような声と視線を浴びても、アタシには思い出すことはできなかった。
────てぃろりろりろりん♪
…………思い出す必要、無くなった。
side遊羽都
────てぃろりろりろりん♪
梨理のスマホが鳴った。画面の表示は「非通知」。
…………なんか、嫌な予感がする。
そしてそれは、誰も画面に触れてないのに勝手に通話状態になった。
とりあえず横から手を伸ばして、スピーカーモードにする。ボクも聞きたい。
『もしもし、私メリーさん』
イタズラ電話よ、と梨理は引きつった笑いを浮かべる。無理をしているように見えるのは、たぶん気のせいじゃないと思う。
そんな事お構い無しに、電話口の声は続ける。
『いま、玄関にいるの。今から、殺しに行くわ』
くすくす、と電話の向こうの幼い女の子の声が笑う。不似合いで、不気味で、不快なその笑い声を聞いていると、心が不安に満ちていく。背中を、嫌な汗か伝う。
たまらず梨理と顔を見合わせる。梨理の顔は恐怖を堪えるように歪んでいる。
そしてそれは、ボクの顔も同じだろうと直感できた。
…………いつの間にか、電話は切れていた。
ふと、廊下から気配を感じた。
足音が立たないように、ゆっくり慎重に歩く気配。
女の子特有の、軽く柔らかい足音。
そして、歩く時の布の擦れる音。
それが、近づいてくる。
慌てて梨理の口を塞ぐ。
ボク自身も音を立てないように、息を止めてじっと待つ。
そしてその気配の主は、ボクらの居る3年A組の教室の前で足を止めた。
からからから…………
小さく音を立てながら、戸が開いた。