交際
恐らく、中学生とか高校生とかの間でだけ通用する概念なのだろうけれど。
彼女がいるかどうかというのは、学生生活において物凄く大きな要素だと思う。
正確には、「ステータス」と言うべきか。
小学生の頃までは、恋愛のことなんて誰も気にしていなかった。
クラスの誰が好きとか、あの子とあの子は良い感じだとか、恋愛絡みのことが話題になりはしたが、そのどれもが本気では無かった記憶がある。
所詮は小学生のやることで、ままごと遊びの延長だったというか。
それが、中学生になった時期からガラリと変わった。
恥もてらいもなく、彼女が欲しいとわめく男子が増えた。
グループで集まっては話し込み、彼氏の愚痴を言う女子が現れた。
彼女がいるというだけで、他の生徒からは「羨ましい」とか「最高じゃん」なんて言われて。
彼女がいないというだけで、「しょぼくれてる」とか「寂しくない?」なんて言われる。
勿論こういうのは人によるのだろうし、そう言うことを言わない中学生もたくさんいるのだろう。
だが少なくとも俺の周囲には、そういうタイプの中学生が多かった。
そう言う意味では、中学時代の俺と言うのは「しょぼくれて」「寂しい」存在だったのかもしれない。
何せ、中学三年間を通してそういう存在がいたことが無い。
異性のクラスメイトと話した経験自体、数える程しか無かった。
無論、これには理由がある。
元々俺は昔から、クラスメイトとの関係を重視するようなタイプでは無かった。
クラスメイトに限らず、人間関係に対して必要以上に努力しない性格だったと言うか。
だからこそ友達や彼女を作らなかったのだと言うと、何だか根暗の負け惜しみみたいで格好悪いが────本当に、そういう性格なのだ。
俺が学校でやることと言えば、昼寝と読書と勉強だけである。
ある意味では模範的な学生の姿だが、つまんない奴と言われてしまえばその通り。
ぶっちゃけた話、俺は通っている中学校の中でも浮いている方だった。
何故こんな性格なのか。
彼女の一人も作れないようなスタイルのまま、ずっとやって来た理由は何か。
今になって振り返ってみると、その原因は大きく分けて二つある。
一つは単純に、俺の生活環境の問題。
俺の両親は前から仕事がかなり忙しく、家に碌に帰ってこないのが普通だった。
代わりに姉さんが保護者として立ち振る舞ってくれたが、彼女だって常に暇な訳ではない。
このため、両親は俺の世話を親戚に頼ることが多かった。
父方の実家が遠くの田舎にあるので、ことあるごとに俺をその家に預けていたのである。
夏休みなどの長期休みは勿論、ゴールデンウィークや三連休などでも俺を実家に帰省させるのが常だった。
父の実家での生活は楽しかった──仲の良い従兄弟がいたのだ──ので、俺としてはこの処置に文句が無かった。
しかし小学校時代のクラスメイトとの交流という点では、これは大きなマイナスになる。
何せ、休日になる度に俺の姿が東京から消えるのだ。
どう頑張っても、「今度の休みの日には、松原君の家で遊ぼうぜ」とか「アイツの家で土日にゲームをやるから、松原も来いよ」なんてことができなくなる。
長期休みについても、これはしかり。
映玖市で祭りや花火大会が開かれ、クラスメイトたちがそれらに参加して盛り上がっていても、俺は父親の実家がある地域の祭りに参加している。
何なら長期休みどころか、平日であっても「今度の帰省のために荷物をまとめないといけないから……」とクラスメイトからの誘いを断るのは日常茶飯事。
こういうことが繰り返されると、段々と周囲も「松原君を遊びに誘っても、参加してくれるか分からないし……」と思うようになる。
自然と、クラスの集まりなどから俺が省かれることは増えていった。
イジメではなく、純粋に効率のために。
そしてもう一つ。
俺が過度なミステリ好きだったというのも、学校で浮いている理由の一つになっている気もする。
俺と仲の良い従兄弟の一人に、推理小説をよく読む人がいた。
相川葉という人で、俺が「葉兄ちゃん」と呼んで慕う兄貴分である。
彼に推理小説を勧められ、瞬く間に魅了されたのが全ての始まりだった。
最初は、子ども向けに翻案されたホームズやルパンからスタート。
次に、児童向けミステリで人気なレーベルからジュブナイル系の小説を全読破。
小学校の図書室に通いつめ、翻案されていない原作に次々と手を出すまでは早かった。
ただし、図書室で一度に借りることのできる本の数に限りがあるため、読みたい本を全て家に持ち帰るようなことは出来ない。
読みたい本が多いのなら、読むのが長引きそうな本だけを借りて家で読み、他は学校内で読破するのが望ましいだろう。
必然の流れとして、俺は学校の休み時間のほぼ全てを図書室での読書に費やした。
休み時間中に誰かに話しかけられても、「今、本が良いところだから黙ってて」「ちょっと図書室行くから」の一言でオールシャットアウト。
休み時間を告げるベルが鳴った瞬間、図書室に駆け込んでいた
中学生になっても、その習慣は──推理小説を全て読破するまでは──変えなかった。
自分で言うのも何だが、これで俺に彼女や友達ができたらおかしいだろう。
最早、彼女がいたら不公平なレベルだ。
クラスの連中が俺のことを、「本だけが友達の陰キャ」だと嘲笑っているのは知っているが、この言い方は誹謗中傷でもなんでもなく、事実に即しているとすら思う。
そしてだからこそ、少し気になるのだ。
彼らから見た俺の評価は、この度のことでどう変わるのかと。
クラスの端っこで、ずっと本を読むか昼寝しているだけだった奴が────突然告白され、そのまま彼女を作ったというのは。
一体、どんな風に見えているのだろう?
「いやまあ、大して変わらないんじゃないか?こう言うと失礼だが、その羽佐間って子はクラスの中でも地味目な子なんだろう?」
だから話題になりすらしないだろう、と姉さんが冷静な評価を下す。
同時に、大きなエビフライをガブリと噛んだ。
俺が羽佐間に奇妙な告白をされ、流されるままにOKを出したその日────時間経過に従って帰宅し、姉さんと夕食をとっていた時のことである。
こちらは現実離れとした気分で今日のことを話したのだが、姉さんはいつもの様子を崩さなかった。
「同じクラスとは言え、人前で付き合い始めたことを言い触らすようなことは無いタイプだと思うぞ。何ならお前から言い出さない限り、誰にも付き合い始めたと気が付かれないんじゃないか?」
「まあ、そうだろうな……洞察ありがとう、姉さん」
「いや、別に良いが……しかし不思議な感覚だな、弟から恋愛相談をされるなんて言うのは。しかも、内容が謎過ぎる」
そう言いながら、姉さんは表情を苦笑に変える。
エビフライを食べながらの仕草だったので、随分とシュールな顔になっていたが、内容としては同意だった。
俺もまさか、姉さん相手にこんなことを相談する日が来るとは思っていなかった。
「というかお前、その変な告白にOKを出したのか?」
「ああ、さっき言っただろ?」
「確かに聞いたが……それ、本当に良かったのか?私が言うのもなんだが、別にそこまでして隠すことでもないと思うぞ、身内が芸能事務所で勤めていることなんて。そもそも私が頼んだことでも無いし、中学生活も残り半年もないんだから」
そこで、姉さんは本気でこちらを心配している顔を向けてくる。
彼女にしては珍しい表情だ。
らしくもなく、心配になっているのだろうか。
彼女の勤務先を隠す条件として、俺が羽佐間と付き合うようになったというのが。
──確かに言われてみれば、取引してまで口止めすることでも無かった気はするな……あとちょっとで卒業なのもそうだけど、羽佐間が周囲にこれを触れ回っても、信用されるかは微妙だし。
姉さんの言葉を聞いて、今更ながらそんなことを思う。
俺の方から頭を下げたために取引という形になってしまったが、本来ならあれはそう気にすることでもない。
別にバレてもよかった、という理屈には一理ある。
ただ、それはそれとして────。
「……正直、秘密を守って貰うためだけに付き合った訳でもない。だから良いんだよ。これはこれで」
軽く返してみる。
途端に、姉さんは意外そうに瞬きをした。
「そうなのか?」
「ああ。あの時は告白されたことに驚きすぎて、そこまで考えてなかったし……俺が羽佐間の彼氏になった理由は、多分もっと単純だ」
「単純か……」
その二文字を口の中で転がすように、姉さんはしばし黙考。
そして数秒経過した後、不意にニヤリと笑って俺を指さした。
彼女は「分かったぞ」とでも言いたげに、俺が告白にOKした理由を当ててくる。
「……そんな提案をしてくる彼女の真意が、どうしても気になった。だからこそ彼氏にでもなんでもなって、関係を続けてみたくなった。そんなところか?」
「まあ、その通り。不純と言えば不純な動機だけど」
やっぱり姉さんにはバレちゃうなあ、と既視感の強い感想を抱いた。
流石、若い頃から色々やっているだけのことはある。
姉さんにかかれば、弟の行動の真意なんて簡単に読めてしまうものらしい。
実際、姉さんの推理は的中していた。
自分の行動を推理するに、俺が告白をOKした理由の一つはこれである。
この奇妙な少女に近づけるのなら、そのくらいのことはしても良いと思ってしまったのだ。
言うまでも無いことだが、昨日の羽佐間の態度は色々と変だった。
最初は地味ながらも真面目に仕事をこなしていたのだが、道中では唐突に「殺人するならどうやるか?」の質問。
話が終わっても意図を教えてくれることはなく、代わりに話題にした卵パックにまつわる謎解き中は割と普通のテンション。
しかしその後、姉さんの写真を見てからはちょっとテンションが高くなり。
こちらが取引を持ち出すと、何故だか薄く笑ってくる。
なんだなんだと思っていたら、最後にやってきたのがあの告白だ。
こうして並べるとよく分かるが、支離滅裂という他無い。
何というか、短時間でキャラがコロコロ変わっているような。
行動原理が分からないというのが不気味さを増していた。
一体全体、彼女は何をどうしたかったのだろう?
あのタイミングで俺を付き合おうとすることに、何かメリットでもあったのか?
この辺りの疑問は、当然俺の中でくすぶり続けている。
というかそもそも、彼女のあの変人具合は前からの物なのだろうか。
少し時間を置くと、そういうことも気になってきた。
彼女は今日だけ唐突におかしかったのか、それとも前からあんな感じだったのか?
俺はクラス内で羽毛よりも軽やかに浮いているので、元からの羽佐間のキャラと言うのを知らない。
しかし、彼女が前からああいう感じだったというのなら──周囲に噂されるくらいの変人だったなら──流石にどこかで、俺の耳に入るのではないかという気もする。
現時点で俺が特に「羽佐間は変人だ」と耳にしていない以上、彼女は普段はもっと普通な子として過ごしていることになる。
そうなると、どうして今日に限って変なことを言い出したのか……。
何にせよ、羽佐間灰音を巡る事情は謎だらけ。
ミステリ好きでなくとも、思わずその真意に興味を抱くような少女だった。
今のままでは何も分からないし、分かる気もしない。
だからこそ、あの時の俺は告白を受けたんだと思う。
もしあそこで「好きでもないのに付き合うなんて嫌だ」と言ってしまうと、気まずくなってもう話しかけてこなくなるかもしれない。
そうなると、必然的に俺は「彼女が見せた奇妙な言動の真意」や「唐突に告白してきた理由」を知る機会を失ってしまう。
それはやはり、嫌だったのだ。
自分の中のモヤモヤが凄いことになってしまう。
卵パックの件しかり、俺は自分が興味を抱いたことについては、自分なりに納得するまで考えるようにしているのだから。
「もし向こうが本気だったら、凄く悪いことをしているけど……好奇心には勝てなかったというか。彼氏彼女ってことで一緒にいたら、また見えることがあるかもしれないだろ?」
「なるほど。しかし好奇心か……初彼女を好奇心で手に入れる奴は、日本広しと言えどお前くらいだろうな」
「何にせよ、羽佐間が何を考えてああいうことをしたのかは、明日以降探ってみる。どんな事情があったのか分かったら、また姉さんに話すよ」
「その時は是非一番に聞かせてくれ、私も興味がある」
俺の話を聞いた姉さんは、どこか面白がっている口調でそう呟く。
そのまま、彼女は俺が持ってきていたデジカメをふと見つめた。




