告白(Stage0.1 終)
「これで話は終わりだけど……」
まだ質問はあるか、と俺は目で彼女に問いかける。
しかし流石にもう聞くことは無かったらしく、羽佐間はふるふると首を横に振った。
長い前髪が、彼女の首の動きに釣られて左右に揺れる。
「とりあえず……お疲れ様?」
「ん、ああ……」
代わりにこちらを労うようなことを言われて、俺は苦笑する。
基本的には俺が勝手に考えていた話であり、別にお疲れと言われる話でもないのだが。
謎解きをする俺の姿は、傍から見ると色々努力しているように見えるのかもしれない。
──ぶっちゃけた話、羽佐間との帰り道を気まずくしないための話題作りみたいなところもあったんだけどな……その目的自体は、達成した気もするけど。
周囲の光景を見渡して、そんなことも考える。
ぐだぐだ言いながら歩いた甲斐あってか、俺たちはいつしか中学校近くにまで帰ってきていた。
この分だとすぐに帰れそうである。
──学校に戻ったらすぐに、先生に貰った書類を渡して、そのまま帰る準備をするとして……。
そこまで考えたところで、ふと俺は自分がやり残していたことに気が付く。
隣を歩く羽佐間の手元。
そこにまだ、俺のデジカメが残っていたのだ。
「羽佐間、デジカメ……」
言葉と視線で意図を伝えると、羽佐間がハッとした顔になった。
推理途中で何となく彼女の手に渡っていたそれだが、向こうとしても返すのを忘れていたらしい。
ゴミ箱の写真を表示した画面を光らせつつ、彼女はわたわたと軽く焦った様子を見せる。
「あ、ごめんなさい、ずっと借りてて……そうね、学校に入る前に返しておかないと」
そうそう、と俺は頷く。
ウチの中学校では校則上、不要な電子機器を持参するのは禁止されていた。
羽佐間はそういうことをゴチャゴチャ言う性格では無かったので助かったが、他の人に見られたら何を言われるか分からない────というか、普通に叱られる。
そう言う訳で、中学校に着く前に鞄の中にデジカメを隠したいのである。
羽佐間も俺の言いたいことを汲み取り、素早くデジカメを操作し始めた。
恐らく、返す前に点けっぱなしだった画面の表示をオフにしようと思ったのだろう。
別にそのまま返却してくれても良かったのだが、なまじ俺が急かしたものだから、一刻も早く電源を切らないといけないと勘違いしたのだろうか。
慣れない手つきで、羽佐間は電源ボタンを押そうとする。
……だがしかし、初めてこのカメラに触った彼女には、電源を切るためにどこを触れば良いのかがよく分からなかったのだろう。
彼女はどうも、普通なら触らないようなボタンを押したようで。
デジカメの画面は消えることなく、代償のように妙な挙動をした。
「え……」
羽佐間の隣にいた俺が、思わず声を漏らす。
目の前で起きたことに、思考がフリーズしたのだ。
変に弄られる前に取り上げようと思って伸ばした右手が、ピタリと動きを止める。
この時何が起きたのかは、後から分かったのだが。
羽佐間が弄ったボタンは、過去に撮影した写真を呼び出すためのものだった。
彼女は焦るままに、内部メモリを振り返るための操作をしてしまったのだ。
当然、その場でデジカメは指示通りに過去のログを提示した。
それも、今日撮影した写真ではなく────内部データとして残っていた中で、最も古い写真を。
「これ……松原君の家族?」
その写真が表示された瞬間、羽佐間は画面を見つめてそんなことを呟く。
恐らくは、反射的な行動として。
これ自体は責められることでもないだろう。
自分のミスとは言え、眼前に変な写真がいきなり出てきたら、誰だって正体を確かめたくなると思う。
その被写体が同級生の面影を宿す人物であったのなら、家族だと思うのも自然な流れだ。
しかしこの時の俺としては、その「普通」は最悪の方向に作用していた。
思わず、「げっ」と漫画みたいな声を出してしまったくらいである。
何せ、彼女が偶然呼び出してしまったその写真は────。
──姉さんが就職した時に撮った写真……!
合唱コンクール会場のトイレでもうっかり見つけたが、姉さんが就職した際に俺は一枚の写真を撮っていた。
俺の家の前で、姉さんが「祝 ボヌール入社」という垂れ幕を手にしているものを。
羽佐間の手元には、明らかにその様子が映し出されていた。
事情を知らない人が見たなら、これは浮かれた新入社員の記念写真でしかないだろう。
特に、垂れ幕の文字の意味に気が付かない限りは。
しかしそこを読まれた瞬間、この写真はまた違った意味合いを帯びてしまう。
不味いと思った俺は、すぐさま羽佐間からデジカメを取り上げようとした。
だが────遅かった。
「ボヌールって……ウチの市にある芸能事務所の?じゃあもしかして、松原君の家族って」
「……えーっと」
純粋に興味を持った様子で問うてくる羽佐間を前に、俺は硬直する。
口調から察するに、羽佐間は大手芸能事務所「ボヌール」のことを普通に知っていたらしい。
「この人、年上みたいだから……もしかして、お姉さん?松原君のお姉さん、芸能事務所の社員さんなの?」
「……」
まあそのくらいは理解されちゃうよな、と思った。
写真に映っている女性、つまり姉さんは明らかに新品のスーツを着ている。
ついでに、彼女が意気揚々と掲げている垂れ幕。
推理など必要ないくらいに分かりやすい状況だった。
羽佐間以外の人間にこれを見せても、同じ結論に辿り着いたに違いない。
事実、そこで羽佐間は──思わぬ非日常を前に、デジカメを返す云々のことは吹き飛んだのか──説明を期待するようにこちらを見てきた。
彼女の瞳はどこか輝きを取り戻しており、何だかワクワクしているようにも見える。
こんな表情の羽佐間は初めて見たぞ、と俺は妙な驚きを抱いた。
彼女の趣味や好きなものについては聞いたことが無かったが、普通にアイドルなんかも好きなのだろうか。
──いやでも、どうする、これ?今までずっとこのことは隠し通してきたのに……。
目を輝かせる羽佐間とは対照的に、俺は強く動揺してしまった。
顔を強張らせ、奥歯をギシリと噛み締める。
喉の奥が変な音を立てた。
昨日も姉さんに告げた通り、俺はずっと姉さんの勤務先がバレないように取り計らってきた。
全身全霊で隠すという程ではないが、それでも自ら言いふらすようなことはせず、それなりに注意してきたつもりである。
俺が学校で平穏に過ごすため、そして姉さんや芸能関係者に迷惑をかけないために行ってきた努力だった。
しかしそれが、まさかこんなところでバレるとは。
今気が付いても遅いが、こんな写真はさっさとデータを移し替えておくべきだった。
我ながらちょっと上手く撮れた写真だったので、気に入って内部データに残したままになっていたのだが、その判断は大間違いだったようである。
だが現にこうなった以上────どうするべきか?
──今からでも誤魔化し……は無理か。映っているのが俺の姉さんだろうってことはもうバレてる。他人で押し通すには、顔が似過ぎてるし。知らぬ存ぜぬで通す……も悪手か。それで変な憶測を立てられると、寧ろ姉さんに迷惑がかかる……。
混乱した思考のまま、俺は足を止めてしまう。
引きずられるように、羽佐間も足を止めた。
俺たちは二人、何やら立ち話でもしているかのように道の端っこで寄り添うことになる。
羽佐間は俺の反応を伺っているのか、特に追加の質問をしなかった。
それを幸いに、俺は必死に考え続ける。
それこそ、先程の推理よりも余程真剣に考えた。
どうするべきか、どういう対応が理屈的に正しいか。
考えて、考えて、考えて。
頭脳の全てを酷使するレベルで考えて────その果てに、俺はパンッと柏手を打った。
同時に、頭の方もひたすら低く下げる。
分かりやすく言えば、羽佐間の前で拝み倒したのだ。
その姿勢に驚く彼女を見つめながら、俺はようやく口を開く。
「……ゴメン、唐突だけど、羽佐間に頼みごとをしていいか?」
「え、頼みごと?」
「ああ。その写真を見れば分かる通り、実は俺の家族には芸能事務所で働いている人がいるんだけどさ……」
変に誤魔化そうとすると、話が複雑化するばかりか悪化しそうな予感がしていた。
だから、正直に告げる。
勢いを殺さぬまま、核となる要望を伝えた。
「そこで羽佐間にお願いなんだけど、このことを誰にも言って欲しくないんだ。せめて、中学を卒業するまで。いや出来れば、それ以降も話さないで欲しいというか」
羽佐間はかなり変な子だが、それでもあまり人の秘密を言いふらすタイプには見えない。
俺が校則違反のデジカメを持参していたことを咎めてもいないところからすると、そんなに頭が固いタイプでもないだろう。
今の俺には、そこが狙い目だった。
「細かい事情は話せないけど、俺の家族が芸能事務所で働いていることを学校で広めたくないんだ。だから……」
「このことを、二人だけの秘密にしてほしいってこと?」
「ああ、何でもするから……頼む!いや、お願いします!」
平身低頭という概念を体現する存在になりながら、俺は道端で羽佐間に頼み込む。
低姿勢過ぎる気もしたが、仕方がなかった。
一度知られてしまった以上、立ち位置的に向こうが圧倒的に有利なのである。
俺が羽佐間の行動を縛る要素は殆ど持っていないにも関わらず、向こうは今この瞬間にでも、姉さんや俺の情報をネットに拡散可能なのだから。
故にこそ、こうする以外の対応が思いつけなかった。
時間帯の都合上、付近の人通りが少ないことが幸いする。
男子中学生が同級生に何かを頼み込んでいるというこの妙な風景を、見られることは無かったのだから。
──というか正直、トイレのゴミ箱に捨てられた卵パックよりもよっぽど謎だろうな。訳アリそうな男子中学生が、何故か同級生に拝み倒している光景って……。
頭の中の妙に冷静な部分が、空気の読めていないツッコミをした。
まさかそのツッコミが聞こえた訳では無いだろうが、デジカメを抱えて目を瞬かせていた羽佐間は、やがて「……頭を上げて。人に見られるとアレだし」と口にする。
彼女の言葉に従って頭を上げると、彼女が何故か薄く微笑んでいるのが分かった
何がそんなに楽しいんだ、と純粋に俺は疑問に思う。
しかし彼女はその笑みの理由を教えてくれることはなく、そのまま軽くデジカメを返してきた。
「これ、返すね……私が言うのも何だけど、今度からは気をつけた方が良いと思う。私みたいに気が付く人もいるかもしれないから。それとデジカメ自体、他人に触れさせないようにした方が良いかもしれない。データを抜きにしても、機種自体が高そうだから」
「……あ、うん」
続いて放たれたのは、割と真摯な忠告。
話の飛びっぷりについていけない俺は、とりあえず頷くだけ頷いておく。
それはそれとしてさっきの依頼はどうなったのか────それを気にした瞬間、羽佐間は再び浅く笑った。
「松原君の頼みごとの方は……うん、死ぬまで守ろうと思う。私は絶対、このことを誰かに言いふらすようなことはしない」
「あ、良いのか?」
「ただ、ちょっと条件があるんだけど」
──条件?
何だそれ、と首を傾げる。
彼女もその反応は予測していたのか、即座に説明が入った。
「実は私の方からも、松原君に頼みごとがあるの。その頼みごとを聞いてくれたなら、松原君の秘密は命を懸けて守ろうと思う。事故でこういう秘密を知った私が、上から条件を出すのも偉そうに思えるかもだけど……本当に、こうでもしないと叶わなそうなお願いがあって」
──お、おお……事情がよく分からない上に、大袈裟な台詞だけど、守ってはくれるのか。
死ぬまでとか、命懸けとか。
妙に物騒な言葉に驚きつつ、俺は返却されたデジカメをいそいそとしまう。
やっぱり反応が読めない子だが、秘密を守ってくれさえするのなら細かいことはどうでもいい。
どんな頼みごとかな、と思いながら羽佐間を正面から見つめた。
「そっちからの頼みごとがあるのは分かったけど……その条件っていうのは、具体的には?」
「それはね……」
丁度この瞬間、太陽の位置が僅かにずれたのだろうか。
密集する民家の隙間を縫うようにして、夕焼けの光が俺たちを照らした。
夕日を直視するような位置取りになった俺は、眩しさのあまり目を細める。
そのせいか、逆行を受けた羽佐間の表情は殆ど見えなかった。
俺の目には、ただの黒い人型のようにすら見えてしまう。
そんな影の塊みたいになった彼女は、実に淡々とした口調でこう続けた。
「松原君……私と付き合わない?」
「…………え?」
俺が最初に返した反応は、それだけだった。
何だかこの子と話していると、こういう反応ばかりしてしまう。
ワンパターンで我ながら呆れてしまうのだが、そうとしか言えない事態でもあった。
「どこか……同行して欲しいところでも?」
衝撃が強かったのか、続けて俺は物凄くアホなことを言う。
何十年も前の漫画などでよく使われたギャグだ。
男女交際を示す「付き合う」と、付き添いの意味の「付き合う」を混同する行い。
いっそのことそう言うギャグであってくれ、という思いも心の奥底にあったのかもしれない。
しかし羽佐間は、明確に首を振って。
はっきりと、聞き間違いの無いようにこう続けた。
「私、松原君の彼女になりたいの。そうしてくれたら松原君の隠したいことは一生守るから。これが、私の出す条件」
「彼女……」
「好きです、愛してます、いつも松原君の傍にいたい……これでいい?」
これでいいか、などと言われても。
何を言えば良いかなど、分かるはずも無かった。
彼女のやることなすこと、全てが謎だらけで。
──殺人の話題もそうだったが、この子……「日常の謎」の塊だな。
唯一考えられたことと言えば、そんな確認のみ。
無意識に唾を呑む俺の前で、やはり表情の見えない羽佐間は何も言わずに立ち続けたのだった。




