灰色の殺意
それからしばらく経った後、私たちは最後から二番目の引っ越しをします。
バイトの中高生たちによる監視がある程度緩んだタイミングを狙って、また夜逃げをしたのです。
丁度、今から一年くらい前のことでした。
何度も夜逃げしていたせいか、この引っ越しは邪魔されませんでした。
父は何をしても駄目な人でしたが、引っ越しだけは上手かったのかも。
今度こそ追いつかれることはなく、東京都映玖市に逃げることに成功しました。
(作成者注 この時期、遺書内に出てく闇金業者は裏バイトの募集を非効率かつ情報が漏れやすいとして停止しており、また別の業者も警察の警戒が強まるとしてこの手法は控え始めていた。羽佐間家の夜逃げが成功したのは、そのためであると考えられている)
引っ越した場所は、映玖市の奥にある廃屋染みた民家。
このタイミングで、私は虹永中学校に転校しました。
映玖市での生活は、最初の方は上手く行っていました。
流石に捕まってボコボコにされたことが堪えたのか、父が闇金に頼らなくなったのです。
夜逃げに乗じて他の借金も払わずに逃げたため、一時的にですが取り立てに追われることもなくなりました。
父が始めた仕事もそれなりに続き、貧しいとは言えやや安定した生活を送れました。
私としても、給食の残りを持ち帰らなくてすむくらいには。
お陰で、私は虹永中学校では地味な生徒になり切ることができました。
今までの学校では、「妙に格好がみすぼらしい」とか「給食の時にこっそり余りを持っていく」とかで悪目立ちしてしまい、虐められることも少なくありませんでしたから。
地味で暗い生徒になれたというのは、私としてはちょっと嬉しいことでした。
しかし、何もせずにいられたのはほんの一時期だけ。
また、父が変なことをし始めました。
パチンコにはまったり、また仕事を辞めたりと色々あるのですが、もう面倒臭いので割愛します。
とにかく、また生活は貧しくなってきたのですが。
今度ばかりは、闇金にすら頼ることができませんでした。
闇金への借金を幾度も踏み倒してここに来たのですから、いくら何でもまた借りるわけにはいかなかった。
だからなのでしょう。
ある日、父がインターネットカフェに行ったのは。
そこのパソコンで、私の名前で募集をかけたのは。
父が私に直接頼んできた時には、もう手筈は整っていました。
灰音には神舵区にあるカラオケボックスに行ってきて欲しい。
そこで────下着をちょっと、脱いでくるだけだから。
そんなことを、父は泣きそうな声で頼んできました、
自分が一番辛いんだ、とでも言いたげに。
だけど私は、泣かなかった。
泣けなかった。
多分、いつかこんな日が来ると分かっていたのです。
……きっと警察の皆さんは、それ以降のことはよく知っているでしょう。
だから、詳細は書きません。
私としても、この辺りのことは書きたくない。
一つ言えるのは、いつしか我が家の主な収入源は「それ」になったということです。
二束三文で下着を買い、それを履いたまま写真を撮って、ネットで見つけた変態に売る。
そんなことを、何度も繰り返しました。
下着だけでなく、ヘアゴムとかパジャマとか体操服とかも売りました。
それこそ、私服と言うべき服が一着もなくなるまで。
ちょっと汗ばんだ方が良いと言われて、意味もなく近くを走り回ってから売ったこともあります。
ついでに言えば、私の容姿は「客」たちから見ればまあまあだったそうです。
いつしか、私目当てにサイトにアクセスする常連客すら現れました。
彼らにそういう目で見られるのが嫌で、前髪を伸ばして顔を見られにくいようにしたのですが、あまり意味は無かった気もします。
この頃から、何度も思いました。
私って実は人間じゃなくて────タケノコとかキャベツみたいな野菜なんじゃないだろうか?
だからこんなに、身に着けている皮を剥いで生きることになっているんじゃないのか?
段々と。
私は、私が何者なのかよく分からなくなっていきました。
集めた「客」たちに何かを売る度に、自分の中の人間らしさまで売ってしまったような、そんな感覚に襲われるようになりました。
しかし遺書とは言え、「客」のことをあまり悪く言うのも考え物でしょう。
今では殆どが警察のお世話になっているそうですが、募集をかけたのは父ですし、彼らが支払ったお金で私たちが生きていたのも事実なのですから。
これが、私の「日常」だったんですから。
……最初から、断っていれば良かったのかもしれません。
流石にそんなことは嫌だと、ちゃんと働いて欲しいと。
そう父に頼み込めば、また何か変わったのでしょうか。
或いは、下着売買を続けてからも。
その証拠を持って警察に駆け込めば、また違う道があったはずです。
父や買い手が捕まる可能性がありますが、少なくとも今の生活よりは、マシな生活を私は送るようになれたのかもしれない。
だけど、駄目でした。
見捨てないでくれ、母親のように去らないでくれ。
そうやって私に縋りつく父の姿を見ると、私の足に力は入らなくなって。
何の叱責も、何の怒りもぶつけられなくなって。
ずるずると、いかがわしい稼ぎ方を続けました。
もしかすると、期待していたのでしょうか?
いつかは昔のように、父が私に対して笑いかけてくれる日が来ると。
だから今は仕方がないのだと、家族として繋がっている以上は助けないといけないと、そう思っていたのでしょうか?
仮に、私が父を見捨てられなかった理由が────どうしても周囲に助けを求める決心がつかなかった理由が。
その正体が、家族愛だと言うのなら。
血縁故の絆だと言うのなら。
愛や絆とは、この世で最も見苦しい概念なのでしょうね。
それを後生大事に抱えていた私が、言えたことでは無いのでしょうけど。
ある程度「稼ぎ」慣れてからは、自分ではこれについて割り切っているつもりでした。
父親の前でも、ずっと平気だと言い続けて。
簡単なやり方でお金を稼げているんだ、闇金の取り立てに追われるよりもマシだろう、と自分を鼓舞していました。
でも、やはり自覚しないところでストレスを貯めていたのでしょうね。
この頃から、周囲の人間を意味もなく憎むようなことが増えました。
短気になったと言うか、いつもイライラしているようになったと言うか。
かつて裏バイトをしていた同級生に対して抱いた感情を、コントロールできなくなったのです。
勿論、それを外に出すようなことはしません。
それでも「幸せそうな人も、お金を持っていそうな人も、私から何かを奪う人も、全員死んでしまえ」くらいのことを、心の中で呟くようになりました。
言ってしまえば、負け犬の僻みに過ぎないんですけど。
……私が「彼」に会ったのは、そんな時でした。
初めて会ったのは、映玖市に引っ越してきて少し経った頃。
まだ、私も彼も中学二年生だった時のことです。
仮に、R君とでも呼びましょう。
R君とは当時同じクラスでは無かったのですが、私は彼のことをよく知っていました。
と言うのも、彼は図書室に毎日通う習慣があって、なおかつ私は転校早々に図書委員に任命されていたのです。
貸出業務をやっていれば、自然と顔と名前くらいは覚えます。
ただ、所詮は利用客と図書委員でしかないので、当時は碌に話したこともありませんでした。
基本的には、休み時間に黙々と推理小説を読む彼をぼんやりと見つめるだけ。
その時はただ、「図書室に置いてある推理小説を毎日読んでいるけど、よっぽど好きなのかな」と思っていただけでした。
しかし、私が「稼ぎ」始めた時期のある日。
図書室の窓の外を、ちょっと珍しい鳥が飛んでいたことがありました。
私が鳥に詳しくないのですが、緑色をした綺麗な鳥でした。
色々な土地を点々としてきましたが、それでも一度も見たことが無いような、貴重な動物。
と言っても、鳥一匹で何がどうなるという訳ではありません。
別に図書室に侵入することも無かったので、私や他の生徒は普通に座っていました。
本を読むなり、委員の仕事をするなりして。
でも、R君は違いました。
偶々鳥の存在に気が付いたらしい彼は、何故か周囲を気にするような仕草を見せると────不意に立ち上がって、書棚に隠れるような動きを見せました。
そんな彼の様子を気にした理由は、何となくとしか言いようがありません。
毎日推理小説を読んでいるだけだったR君が、突然見せた奇妙な行動。
不意にその真相が気になった私は、気づかれないように注意しつつ、彼が隠れた図書室の奥に向かいました。
そして、すぐに驚くことになります。
図書室の奥に隠れた彼は、そこで何故か、高そうなカメラを弄り始めていたのです。
校則でそんな物は持ってきてはならないことになっていたのですが、そんなことはお構いなしに、彼は鳥が飛ぶ様を撮影していました。
後になって知ったことですが、それはR君の趣味の一つでした。
彼は過去に父親からカメラを買ってもらっていて、そのカメラをどこでも携帯していて。
ちょっと気になる物が見つかると、何でも撮影する癖があったのです。
私が見た光景は、その一つだったのでしょう。
偶然珍しい鳥を見つけた彼は、こっそりとその撮影をしていました。
校則違反ではあるのですが、好奇心旺盛で可愛い行動な気もします。
しかしこれは、ずっと後になって分かった事情。
この時の私は、そんなことは当然分からなくて。
もっと、悪意的に解釈をしました。
学校の中で、こっそりと高級カメラを持ち出して。
楽しそうな顔をしている男子生徒。
その姿を見て、こう思ったのです。
ああ、この人は。
周囲に見せびらかすために、中学校に高価なカメラを持ってくるタイプの人なのか。
脳裏をよぎったのは、裏バイトをしていた男子学生の顔。
業者から貸し与えられた高いカメラを、まるで玩具のように喜んで使っていた姿。
周囲に見せびらかして、イキがって。
流石に、R君が裏バイトをしているとは思いませんでしたが。
あの時の学生と同じく、自慢のためにカメラを持ってきているに違いない、ぐらいの決めつけはしてしまいました。
認識が偏っていると分かっています。
妬みと僻みが強すぎることも自覚しています。
それでも、私はその光景を過去と重ねざるを得ませんでした。
──あんなカメラを買い与えられて、幸せそうに生きている人間は、死んでしまえばいいのに。
──なんなら、私が殺してやりたい。
しっかりと、私の心の中で声が響きました。
間違いなく、私の声でした。
その声は自分でも全く抑えられなくて、だからこそ────。
この時私は、R君に殺意を抱いたのです。
告解します。
懺悔します。
私は本当に、どうしようもない人間です。
自ら助けを求める勇気もないくせに、周囲を呪う。
自分よりも幸せそうな人間を見ると、無意味に悪意を抱く。
むしゃくしゃして人を傷つける通り魔と全く変わらない、被害妄想を拗らせたクズです。
敢えて自己弁護をするならば、上述したように、ストレスが溜まりすぎていたのでしょう。
毎日毎日やりたくもないことを続け、家族愛とやらのせいか元凶である父親を責めることができず、かといって逃げ切る勇気もなく。
行き場をなくしたエネルギーが、変なところで暴発した。
R君のカメラは、所詮は切っ掛けに過ぎません。
遅かれ早かれ、私は誰かに八つ当たりをしていたことでしょう。
偶々「高そうなカメラ」なんて見覚えのある物を見ていたせいで、それが早まってしまった。
こういうやり方でしか、現実逃避ができなかった。
それだけのことなんだと思います。
元凶である私が言うのもアレですが、こんな頭のおかしい女に殺意を抱かれるなんて、R君は中々不幸な少年だったと思います。
ただ一つだけ、R君にとって幸いだった点は。
私がその殺意を、即座に実行する度胸が無かったことです。
当然ですよね。
そんな決断力があれば、私はとっくに父を捨てて児童相談所に駆け込んでいます。
R君に殺意を抱いたところで、私にできることはせいぜい、図書室に来る彼を見ながら妄想をすることくらいでした。
図書室で彼の姿を見たり、廊下ですれ違ったりするたびに。
ああ、あの金持ちそうな生徒だ、どう殺してやろうかなと考える。
そんな碌でもない遊びは、いつしか私にとっての娯楽となりました。
自分でも、流石におかしいとは分かっていました。
そんな理由で人殺しをして良いはずが無いし、殺意を向けるなんてあってはならないと。
でも、止まりませんでした。
R君をどう殺すか考えている間だけは、色んなことを忘れられますから。
私の下着を売った金でパチンコに行く父親も、口で咥えてくれたらもう一万円くれると誘う客も、何が起きているか薄々知りながらも見ない振りをするカラオケの他の店員も。
殺意に身を任せている間は、全部全部、忘れられましたから。
自分でも怖くなるくらい、私は妄想の中で殺人の手法を練り上げていきました。
私は所詮非力な女子なので、刺殺や絞殺は難しい。
どこかから突き落とそうにも、R君が屋上や崖の上に都合よく行ってくれるはずもない。
毒は最初から手に入らないし、手に入れるだけのお金も無い……。
こんな風に、人生で一番と言えるほどに真剣に考えました。
R君をどうすれば殺せるのか。
証拠も残さず、私も捕まらないような殺人方法は無いものかと。
そうして考えた結果、私は遂に最善の殺人手法を思いつきました。
相手を傷つけられて、しかも自分は捕まらない方法を。
机上の空論とは言え、考えついてしまったのです。
すなわち───R君を自殺に追い込むことこそ、最も捕まりにくい殺人手法なのではないか?
それが、醜悪な思考の果てに思いついた「完全犯罪」でした。
私の思いついた方法とは、以下のようなものです。
例えば、私が何らかの手段でR君を誘惑したとします。
ありとあらゆる手練手管を使って、私はR君を骨抜きにする。
私無しには生きていけない、と断言するレベルにまで惚れさせるのです。
そうやって、R君が私を愛したところで。
私が、R君のことをこっぴどくフったなら。
果たして、何が起きるでしょうか?
当然、フラれたR君は絶望するでしょう。
泣きわめいて、とても辛く思うでしょう。
ひょっとすると、その果てに────自ら命を絶つことだってあるかもしれません。
この場合、事実上、私はR君を殺したような立場になります。
私が彼と別れなければ、相手は自殺しないのですから。
しかし法律上、恋人と別れることは犯罪でもなんでもありません。
これによってR君が自殺したとしても、私は逮捕されない。
確実性には物凄く欠けるのですが、上手いこと罰を受けずに嫌いな相手を殺せたことになります。
ナイフも、拳銃も、毒も必要ない。
やり方さえ上手くやれば、R君と付き合って別れるだけで、私はR君を殺せるのです。
あの幸せそうに生きている少年を、不幸のどん底に突き落とせるのです。
こういう手法なら、捕まらずにR君を殺せるんじゃないか。
私が世の中に対して抱えている憂さも、ちょっとは晴れるんじゃないか。
こんな妄想を、私はずっと考えていました。
勿論、私にR君を誘惑するような手段は無いし、手酷くフったところで確実に相手が自殺する訳でもないので、これは本当に妄想でしかないのですが。
この手の戯言を考えることで、私はストレス発散をしていたのでしょう。
……こうして書き起こすと本当に実感するのですが、この頃の私はどう考えても異常だったと思います。
そもそも、人を自殺に追い込むやり方なんて知らないのに。
こんな成功するはずもない、万一成功したとしても醜悪な結果しか残さない愚かな計画を妄想して、悦に浸っているのが、羽佐間灰音と言うバカ女の正体でした。
だから、この後のことは天罰だったと思っています。
R君を自殺させるだのなんだの言っていた私が────父親から、一家心中を提案されたのは。
人を自殺に追い込む手法なんて、考えている暇はありませんでした。
近いうちに自殺に追い込まれるのは、私の方だったのです。




