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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.8:これが「日常」(裏)
46/59

愛車

 神舵区は元々、そこまで大きな都市ではない。

 建物こそ無秩序に建てられてしまっているが、その全てを回ることだって一日か二日あれば可能だろう。


 そんな場所だからか、夏美たちは最初の目的地となるボロアパートにはあっという間に辿り着いた。

 廃車ばかりの空き地の横を幾つか通り過ぎたところで、すぐに目的地の外観が見えてくる。

 夏美はアクセル全開から一転、上手くブレーキを踏んで減速すると、矢継ぎ早に指示を出した。


「仮にここに住んでいたとしても、恐らく表札なんて用意されてない。だから、まずは……」

「分かってます、住民に他の居住者のことを直接聞くんですね?」

「そうだ。もし住民が一人もいなかったら、全ての扉をぶち破る!」


 とんでもないことを口にしながら、夏美と紫苑はアパートへと乗り込む。

 車はアパートの真ん前にそのまま駐車した。

 ここには駐車場が無いので、こうせざるを得ないのである。


「もしもしー?夜分にすいません、ちょっと良いですかー?」

「すいません!羽佐間さんと言う方を知りませんか!」


 アパートに入った二人は、大声で叫びながら目についた扉を叩いて行く。

 インターホンすら無い以上、これが一番手っ取り早いのだ。

 これで羽佐間家がこのアパートに住んでいなかったら、ただの迷惑行為になってしまうところだが、幸いにして反応はすぐにあった。


「は、羽佐間さんは二階だと思うが……どうしたんだ、あんたら」


 簡素に「一〇三 原田」とだけ貼りだされた部屋から、驚いた様子で一人の男性が飛び出してくる。

 その部屋の扉は叩いていなかったのだが、二人の騒音を聞いて様子を見に来たらしい。

 仕事帰りらしいその小柄な男性は、引きつった表情で夏美と紫苑を見つめていた。


「ええと、原田さん?それは確かですか、羽佐間という一家がここの二階に?」


 彼が自発的に出てきたのを良いことに、夏美がずい、と近づいて確認する。

 原田と言う中年男性は、夏美の気迫にいよいよ恐怖を覚えたような顔をしたが、それでも律儀に質問に答えてくれた。


「す、少し前に、二〇三号室に引っ越してきた一家がいるんだよ。父親と娘の二人暮らしで……別に挨拶された訳じゃないが、ここは建物がボロボロだからな。それなりに大きな音は、自然と下にまで響くんだ。それで漏れ聞こえた名前が、確か羽佐間だったと……」

「もっと詳しく!」

「詳しくって……私より若いくらいの父親と、中学生らしい娘がいるってことしか知らないんだ。娘の方が、いつも制服を着ていたことしか覚えてない。この近くで見る制服じゃなかったとは思うんだが……」


 横から話を聞いていた紫苑は、ここで二階にいるのは羽佐間家に間違いないと確信を持つ。

 父子家庭らしいということまでは知らなかったが、年齢や制服のことまで一致している以上、これで別人ということは無いだろう。

 茶木刑事の調べは間違っていなかった、ということだ。


「よし分かった、感謝するぞ原田さん!」

「え、あ、おう?」

「そして一つ要請する。これからちょっと騒がしくなるかもしれないが、知らぬ存ぜぬで通して欲しい。よろしく!」


 一方的にまくし立てながら、夏美は原田を解放して階段へと駆けだす。

 振り回された原田の方は、何が何だか分からなさそうな表情をしていた。

 紫苑はその心情には同情しつつも、彼にフォローをする暇もなく夏美の後ろをついて行く。


「夏美さん、本当に練炭自殺を行おうとしているのなら、扉は密閉されている恐れがあります。どうします!?」

「蹴り破る!こんなボロアパートだ、全力で蹴ったら何とかなるはずだ!」


 階段を上りながらも、二人は更に物騒な相談。

 しかし結果から言えば、この相談は不要だった。

 二階に上がった瞬間、夏美が真っ先にそれに気が付く。


「……開いてる?」


 夏美の視線の先、目的地であるはずの二〇三号室。

 そこの扉は、廊下から見て閉まっていなかった。

 無人らしい他の部屋ですら一応扉は閉まっているのに、そこだけ全開になっている。


 自殺云々を置いておいても、普通に部屋として異常な状態だった。

 どうして、一応は人が住んでいるはずの部屋の扉が開きっぱなしなのか。

 二人は同時に疑問を抱きながらも、足だけは止まらずに二〇三号室に駆け込む。


「羽佐間さん……いますか!」


 最初に部屋に入ったのは紫苑だった。

 彼女の方が夏美よりも足が速いのである。

 開いたままの入口を通り越し、彼女は土足のまま室内を確認する。


 しかし彼女の目に入った光景もまた、発見の無いものだった。

 部屋に入った瞬間に、全景が分かる程の狭い空間。

 そのどこにも、人の姿が無い。


 ──誰もいない……まさか、別の部屋に?いやでも、生活の痕跡はありますね。


 刑事としての本能で、紫苑は室内の様子を観察する。

 一見したところでは、古いということ以外には特徴の無い六畳間だ。

 部屋の端に薄い布団が重ねられていたり、洗面台に食器が置かれてあるために、辛うじて人が使用していたことだけが分かる。


「見ろ、氷川。これは……」


 続けて部屋に入ってきた夏美は、ずかずかと室内に入って中身を観察し、やがて一枚の新聞紙を見つけて差し出してきた。

 重ねられた布団の上に、何故か置かれていた物だ。

 反射的にそれを受け取った紫苑は、紙の上にマジックで何かが書かれていることに気がつき、読み上げてみる。


「『大家さんへ 申し訳ありませんがこれらは処分してください 羽佐間』……羽佐間さんからの置手紙、ですか?」

「ああ。羽佐間姓はこの辺りではありふれた名字でもないし、羽佐間家がここにいたのは確定だろう。そして置手紙には書いていないが、自殺を図っているのも確定と見て良い。自殺するから荷物を処分して欲しいという連絡みたいだからな、それ」


 あくまで冷静に、淡々と夏美は確認する。

 これまで「羽佐間家が一家心中を計画している」という推理には何の証拠も無かったのだが、これで一応の確証は得られた。

 間違いなく、彼らはこの家に帰るつもりが無いということをこの新聞紙が証明している。


「そしてもう一つ、これが書かれたのはついさっきのようだ。どうもこれ、今日売られた()()らしいからな」

「夕刊?……あ、本当ですね、日付がそうなってる。メモ帳を買うお金すら残って無かったから、これで間に合わせたんでしょうか?」

「多分そうだな。誰かが読み捨てた夕刊をどこかで拾ってきたんだろう……逆に言えば、今日の夕刊が売られた時点では生きていた訳だ」


 この時間までこの部屋の整理でもしていたんじゃないか、と夏美は推測する。

 それを聞いた上で、紫苑は現在の羽佐間一家の状況を確認した。


「だとすると……この一家は一日かけて最後の整理をして、それから自殺のためにここから離れたってことですか?」

「そうなるな。考えてみれば、こんなボロアパートで練炭自殺をするのは難しい。隙間風がいくらでも吹いてしまって、密閉状態を作りにくいからな。つまり彼らは最初から、ここで死ぬ気は無かった……もっと早く気が付くべきだった」


 クソ、と言いながら夏美は自分の頭を拳で軽く殴りつける。

 判断を焦り、そんな前提に気が付かなかったことを悔やんでいるのだ。


「そもそも、音が響くというこのアパートで密かに自殺をするのはまず無理だ。何か変なことをしているって、すぐに階下の住人に気が付かれる。あの原田とか言うおっさんが、何も気が付いていなかったことからすると……」

「もっと自殺に適した場所を羽佐間家は見つけていて、そちらに既に移動済みということですか?」

「そうだ、それも多分そんなに前じゃない……」


 そこまで言ったところで、夏美は何かを思い出したように室外へと駆けだし、一階への階段をダダダッと降りていく。

 慌てて紫苑が彼女を追うと、一階の廊下で原田が再び詰め寄られていた。


「なあ、原田さん。あんた、今日は何時に帰ってきたんだ?そして帰ってきてから、何か変な物は見たか?」

「え、じ、時間?私は六時に帰って……それ以前のことは知らない。帰った後も、何も無かったよ。上の一家も帰っていないみたいで……少なくとも午後六時の時点では、誰もいないようだった」

「そうか、じゃあ他にこのアパートに住んでいる人はいないか?」

「い、いないぞ。部屋自体は埋まっているんだが、皆セカンドハウスとか荷物置き場とかに使っていて……実際に居住していたのは、私とあんたらの探している一家だけだった」


 そうか、と言って力なく夏美は彼から離れる。

 その様子を見ながら、紫苑は難しくなってしまいましたね、と一人考え込んだ。

 どうして夏美が肩を落としたのか、理由を察したのだ。


「原田さんが羽佐間家を見ておらず、他に目撃者がいないとなると……羽佐間家が、どのタイミングでここから出たのか分かりませんね。目的地も、当然分からないまま……」

「そうだな……来るのが遅すぎたか」


 彼らが夕刊に置手紙を残したのが何時かは分からないが、原田の証言からすると午後六時よりは前ということになる。

 出立時刻を午後六時直前だったとしても、既に彼らがこのアパートから姿を消してから一時間近くが経過していた。


 向こうは車を持っているのだから、これだけの時間があれば色んな場所に行けるだろう。

 とっくの昔に自ら選んだ自殺スポットに辿り着き、既に死んでいたとしてもおかしくは無い。


 要は、夏美たちは彼らを追うための手がかりを失ってしまったのだ。

 自宅こそ特定できたが、自殺場所の特定まではできなかった。


 二階の部屋にも、行き先を示唆するような私物は残っていなかった。

 目的地を知っているのは、羽佐間灰音の父親だけだろう。

 彼らの思考回路がトレースできない以上、死に場所など分かるはずもない。


 ──ここへ来て、自殺場所が分からないなんて……!


 ギリリ、と歯を食いしばりながら紫苑は黙考する。

 しかしどれほど考えたところで、どうしようも無いとしか言いようがなく、紫苑はうんうん唸りながら悩み続けることになった。

 彼女の前では、夏美もまた苦々しい顔で考え事をしている。


 困り果てている、としか表現の仕様の無い状況。

 苦い顔をして唸り続ける女性二人を、原田が幽霊でも見るような顔で見ていた。

 しかしそんな中────苦悩を切り裂くように、コール音が響く。


「あれ、夏美さんのスマホ……」


 鳴っていませんかと言うか言わないかのタイミングで、素早く夏美はスマートフォンを掴んで通話を始めた。

 紫苑は知らないが、実はこれは本日二度目のエマージェンシーコールだった。

 夏美からすれば出ない理由が無い。


「もしもし……葉か?」


 このタイミングで電話をしてくる存在など彼しかいないので、決め打ちで会話を始める。

 事実、この時の電話は相川葉と繋がっていた。


『はい。夏美さん、度々の連絡すいませんが、今はどこで何を?さっき送った文書は……』

「全部読んだ。お前たちの推理と同じく、こっちも自殺説で動いている。今は羽佐間家の引っ越し先である神舵区の家を突き止めたところだが、既にもぬけの殻だった。残っていた痕跡は……」


 互いに「相手も全てを推理しているだろう」という前提で動いているため、会話は早かった。

 探偵同士の会話は、常人の何倍もの速度での情報交換を可能とする。

 そのお陰か、すぐに葉は「こっちでも、部員三人で推理し合っていたんですけど」と新情報を告げた。


『状況から察するに、羽佐間さんの父親はそれなりに前から自殺することは決めていたんですよね?玲の彼女の方も、それを前提として動いていたそうですし』

「ああ、そうだと思うが……それが?」

『いえ、だとすると()()()()()()()()()()()()()()()()って話になったんです。夏美さんの方は、車を所持したままなのはいざと言う時に逃げやすいから、と推理したんですよね?』

「ああ、恐らく闇金から金を借りるレベルだったはずだから、借金取りから逃げるためには車が……」


 そこまで言ったところで、夏美は自分の言っていることのおかしさに気が付く。

 借金取りから逃げるために、車を持っていた。

 羽佐間家の状況を考えると、これは少し変だ。


 何せ、彼らは最初から自殺する気なのである。

 ならば、逃走手段を気にする必要はないだろう。

 逃げるも何も、もう死んでしまうのだから。


 当たり前のことだが、車は所持しているだけで維持費が発生し、ガソリン代も必要とする。

 一家心中を考える程の家庭で、後生大事に持ち続ける物ではない。

 キャンプ用品と同じくらい、所持し続けることがおかしいものだった。


 仮に移動手段がどうしても必要だとしても、車を売って自転車を用意するだとか、他にもっと良い方法があるだろう。

 借金取りがすぐそこにまで来ていたなら、話は別だが────。


「……原田さん、羽佐間家の人たちが来てから、このアパートに借金取りが押しかけるようなことはありましたか?そうでなくとも、怪しい人がウロウロするようになったとか」

「いや、そんなことは無かったと思う。普通に暮らしていたぞ、あの一家は……強いて言うなら、あんたたちが一番それっぽいが」

「いえ、私たちは借金取りじゃないですよ」


 話を聞いている内に気になってきた紫苑が原田に問いかけるが、そんな状況では無かったという確認にしかならなかった。

 彼の話を信じるなら、逃走を急ぐ必要は無かったわけだ。

 少なくとも、表面上は。


『……だから思うんです。車を持ち続けたままだったのは、また別の理由があるんじゃないかって』

「別の理由?」

『単純に、自殺に有用だからですよ。練炭自殺をするのなら、ボロアパートよりも車の方が密閉しやすい。俺の勘ですけど……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』


 その声を聞いて、紫苑は「あっ」とこぼしそうになった。

 そうだ、その可能性があった。


 自宅の特定に気を取られ過ぎて、「どこかに移動せずとも、練炭自殺は車内で可能」ということを失念してしまっていた。

 紫苑はともかく、夏美がこんな初歩的なミスをしてしまった辺り、焦っているという言葉は本当だったようだ。

 過熱し過ぎた二人を落ち着かせるように、葉は冷静に推理を進める。


『そもそもにして、彼らが練炭自殺を選んだこと自体、車の中で死ぬ手段を求めていたからかもしれません。実は一時期は車中泊状態で、その状態で死ねる方法を探していたとか』

「あり得るな……そうなると、彼女たちは」

『どこかで車を停めて、車内を一酸化炭素で満たすために作業をしているくらいの時間かもしれません。目張りに時間がかかりますから、まだ実行には至っていないかもしれない。そして一つ聞きたいんですが……そのアパート、駐車場なんてありませんよね?』


 その言葉を聞いた瞬間、夏美がピンと背筋をただした。

 同時に、紫苑も同じような動きをする。

 自分たちが何をすべきか理解したのだ。


 葉の言う通り、このアパートに駐車場は併設されていない。

 だからこそ、夏美たちは乗ってきた車を入口の前に停めたのだ。

 そして当然ながら、これは居住していた羽佐間家も同様だったと考えられる。


 しかし、灰音の父親は自家用車を持っていた。

 つまり、適当な場所で違法に駐車していた可能性がある。

 駐車場を契約する金も無かったため、人が立ち入らなさそうな空き地に勝手に停めていたのではないか。


 そして神舵区に入って以降、夏美たちはそんな空き地をいくつも見ている────。


「……近場の空き地を全部漁るぞ、氷川。これだけ違法駐車しやすい空き地が点在する神舵区から離れて、別の場所に駐車してから自殺を図るとも思えない。彼らは、その空き地で練炭を焚いているはずだ」

「違法駐車が摘発されていないってことはつまり、人の目がなくて、目張りをしていても見つかりにくいってことですからね……行きましょう」


 互いに頷き合いながら、夏美と紫苑は再び愛車へと戻っていく。

 そんな二人の背中を、取り残された原田は呆然と見送った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 約一年後に玲も別件でこのアパートに来ることになるんだよね……。 アイドルからの読者がニヤリとできる要素入れてくるのうれしい
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