死因
「多分……売っていたの、下着だけじゃないですね。普通のスカートとか、ワンピースとかも全部……そう言うのが好きな人っているそうですし」
「そうだろうな。それこそ中学校の制服が一番高値で売れたはずだが、流石に通学に支障が出るからこれは手放せなかったんだろう。逆に言えば、それ以外は全部手放していたはずだ」
家庭の方針で携帯電話を持たされていないという話も、今考えれば怪しいものだ。
これは単純に、携帯電話の契約が出来ない状態にあったからと考えた方が良いだろう。
玲への電話で公衆電話を使っていたのは、家の電気が止められていたからかもしれない。
手持ちの傘は安っぽいビニール傘で、デートの際もお金がかかりそうな場所には一切行かず。
玲の家でデートをしたことはあったが、羽佐間灰音自身の家に招待することは無かった。
これらは全て、「お金が無いから」の一言で説明がつくのである。
「でも、そんなにお金が無いのならどうして中学校に来ていたんですか?もっと他にやることがあるような……」
「恐らく、給食のためだろう。給食代をちゃんと払っているかどうかは怪しいが、いくら支払われていなくても、教師も生徒一人だけに給食を出さないような処置は取り辛いかもしれない。それを利用して何とか娘は食事にありつけていた、とかじゃないか?」
「話によれば、割と細身の子らしいですけど……本当に食うや食わずのレベルなんですね。父親が経営していたというネジ工場は、もう?」
「潰れているんだろうな。玲も勘付いていたが、普通の自営業者が家族ごと引っ越しを繰り返すと言うのは、ちょっと考えにくい。工場が潰れて文無しになったから映玖市に流れついて、そこの家賃すら払えなくなったから、神舵区に逃げ込んだってところだろう」
映玖市は一応東京内にあるが、所詮は西部の端っこにあるので、住むのに高くつく場所でもない。
神舵区は二十三区内だが、都市開発計画の失敗により、地価はともかく賃料は安いボロアパートが多い。
夜逃げ同然に越してきたであろう一家は、これらの土地にしか住めなかったのだろう。
「車をまだ持っているのは、いざと言う時に逃げやすいから。或いは引っ越し業者を呼ぶお金も無いので、自力で荷物を運んだからでしょうか?」
「そうだろうな……そこまで辿り着けたなら、私が焦っている理由も分かると思う」
言いながら、夏美は苛立たし気にブレーキを踏む。
赤信号に捕まったのだ。
急停止による慣性で車内の荷物がぐらりと揺れ、それを見た紫苑はふと、羽佐間家の車内に置かれていたという荷物のことを思い出した。
「……そう言えばその子の父親、車の中にバーベキューに使うようなキャンプ用品を置いていたんですよね。玲君が偶然会った時、そんなものを見たって」
「そうだ、良いところに気が付いた……不思議に思わないか?私たちの推理によれば、その一家は極貧にあえぎ、娘の下着すら売り飛ばして生活していたんだ。そんな父親が、どうしてキャンプ用品を後生大事に抱えている?」
「買い取り手が見つからなかったか……或いは、まだ使う予定があったか」
使う予定と言った時、最初に紫苑が思い浮かべたのは「野宿でもする気だったのか」という推理だった。
ボロアパートからも追い出されそうなので、いよいよホームレスとして、キャンプ用品を使って生きて行こうとしていたのではないかと思ったのである。
普通に考えれば、決して有り得なくはない可能性。
しかしこれは所詮、衣食住が揃った人間の発想でしかない。
紫苑はそれを、夏美が続けた言葉を聞いて思い知った。
「分からないか?その車にはキャンプの……バーベキューのセットが揃っていたんだ。だからきっと、それは偽装に過ぎない」
「偽装?」
「誰かに見咎められた時の偽装ってことだ。バーベキューセットの奥にあれば、そこまで不思議に思われないだろう?」
──例え、大量の練炭が積まれていてもな。
夏美はあくまで、静かに告げる。
だが、紫苑とて刑事である。
その言葉を聞いてすぐに、思い浮かぶことがあった。
「まさか、その子の父親……経済的な苦境に耐え兼ねて……」
「そうだ、要するに彼らは練炭自殺を……一家心中を計画している可能性がある。だからこそ、こうして急いでいるんだ!」
夏美が軽く叫んだところで、信号は青に変わる。
それに呼応して、夏美は銃弾のような速度で車を走らせ始めた。
先程とは逆方向の慣性に振り回されながら、紫苑は必死に問いを投げかける。
「そ、それは確かな話なんですか?確かにキャンプ用品を後生大事にとっているのは変ですけど、玲君が本当に練炭を見つけた訳ではないんでしょう?」
「まあな。そもそも、外から覗き込んだ程度で見ることのできる位置には置かないだろう……だから正直、証拠は薄い。だが同時に、羽佐間家が一家心中を前々から予定していたと仮定すれば、説明がつくことが多いのも事実だ」
そう言いながら、夏美は淡々と根拠を述べていく。
最初に持ち出したのは、灰音が玲と取引をした際の言葉。
彼女は玲に対して、「一生秘密を守る」という旨の言葉を何度か述べた。
ただの口約束にしては、大袈裟とも言える「一生」。
秘密を守る期間が長すぎる。
それでも彼女が「一生」と述べたのは、彼女の人生の終わりが近づいていたから────近いうちに死ぬことが確定しているので、死ぬまで秘密を守るという言葉を、確かに実行可能な状態にあったからではないか。
下着売買のこともそうだ。
灰音は玲とのデートの後、警察に犯人を逮捕させている。
玲が犯人を告発したのではなく、彼女単独で。
だがよくよく考えれば、これはおかしな話である。
彼女から見たその犯人は、真っ当な人物では無かったとは言え、自分の資金源になってくれていた存在なのだから。
告発なんてすれば、自分に金銭を恵んでくれる存在が減ってしまう。
それなのに、どうして逮捕させたのか?
他に買い手が見つかったからとか、もう売れる物がないから切り捨てたという動機も推理可能ではある。
しかし同時に、もう買ってもらう必要が無かったから、警察に売ったという可能性だってあるだろう。
既にこれ以上金を稼ぐ気が無かった────すなわち、もう生きる気が無かったために告発したのではないか。
そもそもいくら匿名の告発とは言え、例の店員が警察に捕まれば、本来は灰音本人もうかうかしていられない。
店員が警察の取り調べの中で、顧客として灰音の名前を出す可能性が高いからだ。
そうなってしまえば、近いうちに彼女は警察に補導されてしまう。
彼女は玲に対して、自分の下着売買のことを隠していた節があるので、それがバレかねないこの手法は本来選択したくない手段だろう。
しかしそれでも、彼女が告発をした理由は。
警察が補導にやってくる前に、自分は一家心中で死ぬと踏んでいたからではないだろうか。
どうせそこで全て終わりなのだからと、割り切って通報したのではないか。
細かいところまで言えば、他にも合点のいく瞬間が幾つかある。
合唱コンクールで妙にテンションが高かったという様子も。
合唱コンクール直後に、唐突に別れを切り出したのも。
全ては、自分が自殺することを前提としての行動だったのではないか────?
愛車を爆走させながら、夏美はそんな推理を述べていった。
そうして、ひとしきり根拠を述べてから。
夏美はポツリと、「玲には、そんな中学生がいることを想像できなかったんだろう」と呟いた。
松原玲は自分の日記の中で、一般人の日常生活とは地味なものだと述べた。
推理小説のような派手な展開はなく、精々「日常の謎」がちょっと起きるだけだと。
奇しくもこれは、相川葉の記録の中でも見られた意見でもある。
事実、彼らの意見は正しい。
相川葉の記録から引用するが、近年の日本で発生した殺人事件の件数は、一年あたり千件以下。
統計にもよるが、明確に他殺で死んだと認定された人数に関しては三百人ほどの年すらある。
警察が把握していない行方不明事件が存在するであろうことを考慮してもなお、犠牲者の数はそこまでではあるまい。
無論、一件発生するだけでも殺人事件というのは痛ましい。
平均して一日に一人弱、全国のどこかで人が死んでいることになるので、数字だけ聞くと殺人が多いとすら思うかもしれない。
しかしこれは、世界規模で見れば屈指の治安の良さだ。
国によっては、紛争地帯でも何でもない先進国であろうが、年間数万件の殺人事件が起きているところだってある。
日本よりも人口が少ない国であろうと、殺人事件が頻発する場所はいくらでもあるのだ。
数字だけで考えるならば、こと治安に関して、日本では殺人犯よりも車の方がよっぽど怖い。
近年の日本において、交通事故の死者数は一年あたり二千から三千人。
単純に死者数だけで比較すれば、殺人事件被害者の十倍近い人間が車によって死んでいる。
推理小説を好む玲が、一般人の生活を地味と評したのも頷けるだろう。
確かに現代日本の生活では、殺人事件などそうそう起こらない。
……しかし、玲は知らないが。
実のところ、殺人犯よりも車よりも、ずっと人を死なせてしまっている存在がある。
誰もがよく知る、「自分」という存在が。
日本の年間自殺者数────二万人強。
これでも大分減った方で、過去には三万人を超えていた年すらあった。
銃がなくとも、車に轢かれなくても、殺人犯が現れなくても。
人は、自らの手でその人生を終わらせてしまう。
平均して一時間に二人強、一日では五十人以上が。
日本のどこかで飛び降り、首を吊り、毒を飲み、海につかり、線路に降り立ち、車の前に飛び出し、身体を炎に包み、手首を切る。
その全てが、社会における「日常」の一部なのだ。
決して揶揄している訳ではない。
軽く見ている訳でも、批判している訳でもない。
自殺者たちには皆そうするだけの理由があり、だからこそこれは、社会全体で取り組まなければならない問題である。
その中で、一つ言えるのは……。
現代で「偶然知り合った人間に自殺される」という出来事は、決して起こり得ない話ではないということだ。
少なくとも、数多の推理小説の主人公よろしく「偶然殺人事件に遭遇する」ことより、ずっと起こりやすい。
だってこれは、「日常」なのだから。
羽佐間家もまた、その一つに過ぎない。
しかしお互いの環境の違い故に、玲はそれを想像できなかった。
それだけの話だった。
しばらく無言で考えをまとめていた紫苑は、そこで細かい点を振り返ることにする。
これから何をさせられるのかは分からず、そもそも目的地の特定すらなされていないが、何にせよ可能な限り事情を把握しておきたかったのだ。
疑問が残っていては、行動がブレる。
「……自殺を前提に行動していたとすると、転校の話は大嘘ですね。多分、次の学校への連絡自体していないでしょう」
「だろうな。玲も疑問に思っていた通り、連絡に関する手続きが急過ぎる。今日の時点でも学校側は何も知らないはずだ」
「合唱コンクールの日まで自殺しなかったことも……玲君の推理通りでしょうか?せめて合唱コンクールくらいは参加して思い出作りを、と父親の方が配慮したとか」
「私もそう思う。玲の話によれば、灰音ちゃんとやらはカラオケで歌の好きそうな様子を見せていたそうだ。最後の最後に、思いっきり歌いたかったとかかもしれない。それが終われば心置きなく死ねるから、と」
そう言われて、紫苑は体温が何度か下がったような感覚に襲われる。
もし、この推理が正しいのならば。
羽佐間灰音という少女は、一体どんな気持ちでこの一ヶ月を過ごしたのだろうか。
終わってしまえば、自分は自殺すると分かっている合唱コンクール。
その準備を、どんな気持ちでし続けたのだろうか。
人生最後の舞台、無に帰るための場所の準備を。
「でもそれなら、玲君との交際は何なんです?それもまた、自殺前の思い出作りなんですか?だけどデート場所にわざわざ、下着売買に使っていたカラオケボックスを選んでいて……どうも行動がおかしいような」
「その辺りは、ぶっちゃけ私も分かっていない。こうじゃないかと言う推理はあるが、信じたくない」
「信じたくない?」
「……何にせよ、今すべきは自殺を止めることだ。私の推理が合っているなら、もう一刻の猶予もない。既にやってしまっている可能性すらある。だがまだ生きているなら、自宅を押さえることで止められるはずだ。練炭自殺は、自宅でやる人が結構いるからな」
紫苑からの疑問を軽くぼかし、夏美は運転に専念する。
同時に、「紫苑、私のスマートフォンを鞄から取り出してくれ」と述べた。
「ここに来る前、茶木刑事に頼みごとをしてある。神舵区の中で、訳アリ人が引っ越し場所に選びそうな場所をリストアップしてくれってな」
「引っ越し場所……ああ、羽佐間家が現在住んでいる場所を突き止める気ですね?ここまで貧困に苦しんでいたのなら、事故物件のような家賃の安いところにしか住めなかったはず。警察の記録から辿れば……」
「そうだ。玲の推理も、引っ越しに関しては合っていると思う。彼女たちは神舵区内の安アパートに逃げ延びていて、普通に考えれば練炭自殺もそこでする……これは茶木刑事にも言ってあるから、分かればすぐにでも連絡してくるはずだ」
そう告げた瞬間に、紫苑が探り当てたスマートフォンが音を発した。
即座に夏美にロックを解除してもらうと、茶木刑事がこの短期間で調べ上げたらしい訳アリ物件のリストが表示される。
その一番上に載っていた建物を見て、紫苑は少し驚いた。
「どうした氷川、ナビを……」
「いえ……ナビの必要ないと思います」
「は?」
「ええっと、このリストの一番上……つまり、茶木刑事が一番可能性が高いと考えた建物、例の事故現場のすぐ傍みたいなんです。ほら、九年くらい前に小学生が犠牲になった」
「事故……ああ、あれか」
すぐに思い出したのか、夏美は嫌そうな顔をする。
九年前、夏美と紫苑が高校生だった頃、彼女たちは「瓶の悪魔」と呼ばれる連続殺人犯と諸事情あって激闘を繰り広げた過去を持つ。
その一環で、夏美は神舵区で起きたとある交通事故に関して推理をしたことがあるのだが、茶木刑事から指示されたアパートはその事故現場の近くにあるようだった。
「そう言えば現場近くで見たな、築何年かも分からないボロボロのアパートを……羽佐間家は、あそこに引っ越している可能性が高いのか」
「はい。元から古い建物でしたけど、例の事故もあって縁起が悪いイメージが付いて、猶更人気がなくなったそうなんです。だから訳アリ人か、余程お金に困っている人しか住まないって」
「だろうな……よし、確かにあの場所なら覚えている」
そう言いながら、夏美はハンドルを右に切る。
ここまで車を爆走させた甲斐あって、既に夏美たちは神舵区にまで到達していた。
周囲にはバリエーション豊かな建物が並び、幾つかある空き地には、違法駐車か捨てられた廃車であろう車が行列している。
そんな空き地が定期的に出現するこのエリアは、ゴーストタウンと読んでも差し支えなさそうだった。
いつしか、日は暮れてしまう。
細い道を選んでいることもあって街灯は無く、満月の光がほぼ唯一の光源と化していた。
不気味なまでに輝く月に見守られながら、夏美たちは第一候補地であるアパートに向けて夜道を爆走した。




