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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.7:これが「日常」(表)
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灰音(Stage0.7 終)

「それで……転校は、いつ?」


 会話が区切りに入ったことを察して、俺は細かな予定を聞いてみる。

 これは事務的な面が強いからか、俯いていた羽佐間もさらっと答えてくれた。


「明日にでも先生に言うつもり」

「あれ、でも明日って元々休日じゃ……合唱コンクールの振り替えで」

「うん。だから休みの日の間に手続き関係一気にやっちゃおうと思って。そうすればほら、すぐに向こうの学校に行けるから」


 そんなに早いのか、と俺は妙なスピード感にかなり驚く。

 生憎と転校の手続きに詳しくないのだが、そんなものなのだろうか?

 しかし、こんなことで羽佐間が俺に嘘を吐く理由も無いというのも確かではある。


「じゃあ、明後日からはもう来なくなるのか」

「うん。クラスの皆には何も言ってないけど……」

「良かったのか?」

「良いでしょ、別に」


 だって私だし、と同意を求めるような視線。

 肯定も否定も失礼な気がしたので、ノーコメントを貫いた。


 確かに羽佐間はクラスの中でも地味な方────はっきり言えば、俺と同様に浮いている部類には入る。

 だがそれでも、流石に無言で転校すると騒ぎになりそうな気はした。

 しかし、羽佐間がどうしても無言で去りたいと言うのであれば、止める理由は無い。


「じゃあ、明後日から……また、お互いに一人か」


 ポツリと、そんな言葉が飛び出る。

 俺らしくない台詞だった。

 羽佐間もそう思ったのか、ちょっと意外そうな顔をする。


 しかし、それも一瞬のこと。

 どこか陰のある表情になった彼女は、ゆっくりと頷いた。


「そう、お互いに一人……でも、丁度良いでしょう?元から、松原君の秘密を守るための関係でもあったんだし。私が転校したら、前に言っていたように()()秘密を守る約束を果たせるだろうから」


 そう告げる彼女の表情は。

 陰があるとかそういうのを通り越して、何かもっと暗い物に見えた。

 夕焼けの陰影によるものとは思えない、闇。


 だからだろうか。

 俺は続けて、とてつもなく俺らしくない言葉を述べた。


「……本当に」

「え?」

「本当に……別れないと駄目なのか?そんな、急に一人にならなくても」


 自分で言った瞬間、俺は何を言っているんだと思う。

 これじゃあまるで、彼女にフラれたことに納得できず、未練がましく縋りつくダメ彼氏みたいじゃないか。

 つい数分前に、「互いに恋愛感情は無かったから、一ヶ月で別れても問題ない」という話をしたばかりなのに。


 実際、この無茶苦茶振りは十分過ぎる程に伝わってしまったのか、羽佐間はそこで流石に呆れたような表情を見せた。

 しかし、すぐにそれは母性すら感じる微笑に変わる。


「……松原君にそう言ってもらうのは、本当に光栄。でも、やっぱり別れた方が良いと思う。始まりからして歪だったのもそうだし、それに……」

「それに?」

「ウチの家も、ちょっとややこしいから」


 その時の彼女の言葉は。

 遠回しに、これ以上は近寄るなと言っていた。

 中学生同士の間で「家の事情」を示唆する発言があると言うのは、そういう意味を持つ。


 ──羽佐間の家……いやまあ、予測できた範囲ではあるが。


 眼前の彼女から生じる懇願のようなオーラを察して、俺は口をつぐむ。

 そしてもう一度、現在羽佐間が住んでいるという神舵区の風景を思い出していた。




 ────以前の会話によれば、羽佐間は一年くらい前に映玖市に引っ越してきたらしい。

 理由は確か、新しい家に移ったため。

 大方、自営業者の父親がマイホームでも購入したのだろう。


 しかしそんな羽佐間が、もう神舵区に引っ越したという。

 マイホームを購入したという推測が正しいのなら、新居を得てから一年も経たずに、再度引っ越しをしている訳だ。

 正直、これはかなりおかしい話である。


 俺が最初に疑問を抱いたように、父親が自営業者で、しかも工場という移転しにくい職場を持つのであれば、本来は転校の機会などそうそう無いはず。

 だと言うのに、羽佐間の一家は中学だけで二回も転校しているのだ。


 こうなると、どうしても悪い想像ばかりしてしまう。

 例えば、一度はマイホームを購入したが、工場の経営が悪化したので手放してしまったとか。

 そもそもここに引っ越してきたこと自体、経済環境の悪化によるものではないかとか。


 まだ子どもの俺には想像もつかないが、他にも想定しうる状況は幾つもあるのだろう。

 確かなのは、父親の事情に引きずられるようにして、羽佐間もまた引っ越しを繰り返しているということだ。


 これまでに俺たちが関わってきた事件で、羽佐間は鋭い推理を何度もしてきた。

 羽佐間自身が解かなかった場合でも、俺が語った真相を割とすんなりと理解する場面が多かった。

 特に過去に起きた万引き事件や、今日起きた投票用紙すり替えなど、親の理不尽から生じた事件について的確な理解を示していた記憶がある。


 あれはもしかすると、羽佐間にとって理解しやすい動機だったからではないのか。

 羽佐間もまた、度重なる引っ越しと言う形で親から迷惑を被っているのだから。

 彼女の目線では、それらもまた親から与えられる理不尽に映ったのではないだろうか。


 かつて、俺と家族の関係について酷く気にしていた姿が自然と頭をよぎる。

 こうして振り返ると、ああいった姿にも新しい考察ができそうだった。




 ──多分、今回の引っ越しにも納得してないんだろうな。受験期のこんな不安定な時期の引っ越しだし、当然だが……だからこそ、合唱コンクールをやり遂げようとしたり、彼氏を作ろうとしたりしたのか?


 父親への反抗心が、彼女をそんな行動に走らせた。

 我ながら、邪推とは言い切れないほどの説得力がある。

 勿論、直接聞くことはできなかったが。


「でも、本当に……松原君には迷惑かけたと思う。松原君は気にしてないって言うけど、やっぱり何か償いはしたいかな」


 無言で考え込むこちらの思考を中断させるように、羽佐間は俺の顔を覗き込む。

 そのままポン、と音を立てて両手を打ち合わせた。


「ねえ、松原君」

「……何だ」

「今日中にできることに限ってだけど……もし私が、松原君に対して『お詫びに何でもする』って言ったら、どうする?できる限り、応えたいと思うんだけど」


 唐突な提案。

 何を言っているのかと疑問に思ったところで、その言葉が、以前行った俺たちの「取引」と同じ文言であることに気が付いた。


 あの時、俺は姉さんのことをバラさないでくれるなら何でもすると言った。

 それを彼女は、そっくりそのままこちらに返す気なのか。

 取引が終わったことによる、詫び代として。


 ──しかし、「何でも」って大きく出たな。いざ言われるとこちらが困ると言うか……。


 羽佐間が真剣に問いかけてきたことを察して、俺はこれまた真剣に考えてしまう。

 今、俺が羽佐間にして欲しいこと。

 それは一体何なのか。


 本当に、何でも叶うと言うのなら。

 今日ここで別れてしまえば、もう碌に会わなくなるであろうこの子に頼みたいことは。

 それは────。


「……下の名前で呼ぶ、とか?」

「え?」


 思い浮かんだことをそのまま口にすると、羽佐間は虚を突かれたような顔をした。

 予想だにしていなかった解答だったのだろう。

 慌てて、俺は理由を付け足すことにする。


「あ、ほら、俺たちって一応は付き合っていたのに、互いにずっと名字呼びだっただろう?そっちは俺のことを『松原君』って呼んでたし、こっちは羽佐間呼びだったし」

「まあ、そうだけど……」

「どうせ思い出作りをするのなら、最後くらい名前で呼ばないかと思って」


 我ながら小さな願いだな、と自分で自分にちょっと呆れる。

 何でもと言われて、いざ頼むことが名前呼びって。


 聞きようによっては、俺が下の名前で呼ばれることに固執する変態のように捉えられかねない。

 最後に恋人らしいことがしたいにしても、もっと上のことが色々あっただろう。

 しかしそれでも、何故か俺の口から出た希望はそれだった。


「……駄目か?」


 一度口にした以上、訂正するのも逆に気恥ずかしい。

 結局、俺はそのまま羽佐間に許しを得ることにする。

 すると、しばらく固まっていた羽佐間は次第に表情を緩ませていき────フフ、と綺麗な笑みを浮かべた。




「……それなら、玲って呼べば良い?」

「ああ。頼む、灰音」




 ……それから、俺たちは。

 学校に辿り着くまでの残り数分を、適当に会話しながら過ごした。

 互いにふざけて、下の名前で頻繁に呼び合いながら。


 もしかするとその光景は、俺たちの交際の中でも一番恋人っぽい光景だったかもしれない。

 雰囲気だけで言えば、割と甘かった気もする。

 珍しく、謎解きも合唱コンクールの仕事も関係ない雑談だけで過ごせたのだから。


 しかしそんな時間は、当然ながらあっさりと終わって。

 あっという間に学校に着いた俺たちは、自然とそこで別れた。

 灰音の父親は、その内ここに迎えに来るらしい。


「さようなら、玲」


 別れ自体はあっさりしたものだった。

 学校の手前、自宅に帰る俺はここで道を違えなければならないというところで、ひらりと彼女は手を振って。

 そのまま、揺るぎない姿勢で歩き去っていった。


 何となく、俺はそんな彼女の背中を見つめて。

 家に帰った後も、何かと追想した。

 まるで、自分の中にある余熱を整理するように。


 なまじ、次の日が休みだったのが良くなかったのかもしれない。

 早く寝る必要はなく、時間はたっぷりあった。

 加えて俺の手元には、灰音の奇行を記した日記がある。


 いつしか、俺は両手をキーボードに載せていた。

 カタカタカタカタと、決して早くないタイピングで今日のことを追記していく。

 事細かに、覚えていることの全てを。


 それが何を意味しての行いだったのかは、俺にも分からない。

 初彼女を失った彼氏の未練がましい衝動だったのか、或いは単純に今日のことを記録すべきだと思っていたのか。

 何にせよ、夜中までかけて灰音との記録を完成させたのは事実である。


 完成した記録は、出会った時の日記から数えると数十万文字もの大作となっていた。

 最早、日記の域を超えている。

 以前、葉兄ちゃんから送ってきた記録の膨大さに驚いた俺だが、これでは彼のことを笑えない。


 そしてもっと笑えないのは、日記完成後の俺が彼とほぼ同じ行動をとったことである。

 俺はこの時、それらをまとめて葉兄ちゃんのアカウントに送信した。

 ついでに、姉さんのアカウントにもコピーして送っておく。


 二人とも、灰音との進展についてはまた報告すると約束していた相手だ。

 結果から言えばこうして別れた訳だが、そこまでの経緯を口で言うのも何だか嫌で。

 この記録を読んで、納得してもらおうと思ったのである。


 そうして記録を送信した時には、もう日付が変わってしまっていた。

 流石に合唱コンクールからの帰りということもあって、俺はここで寝ることにする。

 このパソコンを消したが最後、死んだように眠りこけることだろう。


 何にせよ、これが俺と彼女との物語の終わりだった。

 いかんせん地味な結末ではあったが、一般人の日常なんてこんなものだろう────。







 ……彼の視点から離れた、全くの余談となるのだが。

 松原玲はこの一年後、「何でも言うことを聞く」という頼みに関して、これとほぼ同じやり取りを、役者を変えて演じることになる。

 もっともそれは、まだ高校生にもなっていない彼には知る由もない話だが。


 それだけではない。

 この後に起きたことも、彼はまだ知らない。

 知る必要すら、無かった。








 東京からは遠く離れた、とある都市。

 明杏市という名前の地方都市における、高校の一室で。


 松原玲の従兄弟、相川葉は真剣な顔でパソコンを見ていた。

 弄っているのは、彼が所属する「日常探偵研究会」の部室に備わっているパソコン。

 ここの部長である霧生光という女子生徒の私物なのだが、現在では部員が共用で使うようになっていた。


 この日の玲は振替休日で家にいたが、合唱コンクールなど無い葉は、普通に学校があった。

 普通に学校に行って、普通に部活に赴き、偶々自分しかいなかったので暇を持て余して、その流れでメールのチェックをしていたのである。

 必然的に、彼は玲が送ってきた記録を真っ先に確認することとなった。


 彼がそれを読み始めたのは、単なる暇潰しに過ぎない。

 別にどのタイミングで読んでもいいのだが、どうせ他にやることもないから、と手を付けた。

 実際、読み始めてすぐの頃は殆ど流し見しており、重要そうなところを勘で見つけて、それ以外は読み飛ばしていたほどだった。


 しかし、さらに後まで読み進むと。

 彼の表情は真剣なそれに変わり、食い入るように文字を追うようになった。

 最終盤を読んでいる現在となっては、視線でパソコン画面を呪い殺そうとでもしているかのような必死さである。


 その必死さが功を奏したのか、彼は玲の日記を凄まじい勢いで読み終える。

 昨日の出来事、すなわち合唱コンクール本番に起きた投票不正と、その後の玲と灰音が別れるまでの会話を全て把握したのだ。

 それ以上の続きが無いことを察して、葉は一度だけ弛緩したように息を吐く。


 すると丁度そのタイミングで、部室内に人が立ち入ってきた。

 顔を見ずとも、葉は勘でその人物が自分の彼女であることを察する。

 大方、部室に来るのが遅くなったことを詫び、恋人として一緒に帰ろうと誘いに来たのだろう。


 だから彼は先手を打った。

 葉の両瞳が、ほんの僅かに蒼く輝く。


「……ごめん、今日は一緒に帰れない」


 当然と言うべきか、部室内の空気が一気に緊張する。

 付き合い始めて一ヶ月程度の彼氏にこんなことを言われては、そうもなるだろう。

 しかし次の一言で、葉の彼女は緊張を解いた。


「人の命に関わる緊急事態だ、少し残って知恵を貸してほしい。多分これ、全員で力を合わせた方が良いレベルのことだ……ただの勘だけど」


 彼のその一言だけで、彼女に事の重大さは伝わったらしい。

 部室の入口で留まっていた彼女は、すぐにこの場にいないもう一人の仲間に電話を掛け始めた。

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