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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.7:これが「日常」(表)
41/59

住居

 ……俺も羽佐間が初めての彼女なので、一般論には疎いのだけれども。

 普通なら、彼女から別れ話を切り出されるというのは、とても衝撃的な出来事なのだろう。


 人によっては、それを示唆された瞬間から正気を失うことだってあるかもしれない。

 相手のことが好きであれば好きである程、そんな話がされることを恐れてしまう。

 恋人同士の別れ話と言うのは、それくらいの衝撃を伴っている。


 翻って、俺たちの場合。

 すなわち、羽佐間から別れ話をしようと言われた時。

 俺が何を思ったかと言えば────「だろうな」とだけ思っていた。


 何というか、色々と察していたのだ。

 この一ヶ月くらいの間に、羽佐間からの謎かけに応える中で。

 俺は既に一つの推理を固めていた。


 いや何なら、最初から分かっていた気もする。

 俺たちの関係は、きっと長続きしないんだろうと。

 どこかでこんな瞬間が来るのだろうと、どこかで感じていた。


 だから。

 合唱コンクールからの帰り道、俺の心はずっと凪いでいた。

 その態度が正解だったのかは、今一つ分からないのだけど。






「元々ほら、私が松原君を脅すようにして付き合い始めたんだし」


 歩き始めてすぐ、羽佐間は矢継ぎ早に述べていった。

 どこか言い訳めいた様子で。


「松原君だって別に、私のことは好きじゃなかったでしょ?何なら合唱コンクール委員になる前は、私のことだって知らなかったんじゃない?」

「まあ……それはそうだけど」

「そんなこんなで一ヶ月くらいやってきたけど……これからはほら、受験勉強も厳しくなるでしょ?あんまり彼氏彼女がどうのって感じじゃなくなるだろうし、合宿もあるくらいだから」


 そう言えば合宿なんてものもあったな、とふと思い返す。

 妙に進学実績に拘るウチの中学校が、この時期から三年生を集めて行う勉強合宿。

 基本的には希望者のみで行うのだが、参加者によればスマホは取り上げられ、ネット断ちの状態で問題集を解きまくるとか何とか。


「松原君、合宿は参加するの?」

「いや、希望は出してないけど」

「だったら出た方が良いんじゃない?判定が余裕でも、やっぱり本番で何があるか分からないんだから……私を相手にしてないでさ」


 そう言い切ってから、彼女はどこか困ったように黙り込む。

 しばらく経ってから、「別に松原君の受験を心配している訳じゃないんだけど」とこれまた言い訳が付いてきた。

 彼女自身、あまり考えて話をしていないのか、繋ぎが無茶苦茶だ。


「だから、勝手な話だけどもう別れようと思って……その、お互いのためにも」


 理由を思いつけなくなったのか、そこで羽佐間はチラリとこちらを見てくる。

 もう勘弁してくれ、別れてくれとも言いたそうな様子だった。


 ──少し珍しい気もするな……こんなに分かりやすい羽佐間って。


 彼女には失礼だが、そんなことを思う。

 初めて出会った時から、何を考えているのか分からないのが特徴のような少女だと思っていたのだが。

 やはり今日に限っては、分かりやす過ぎる程に分かりやすい。


 だからなのだろうか。

 どこか拍子抜けした気分で、俺は呟いてしまう。

 彼女がこんな行動をした理由、その推理を。


「そんなに色々言わなくても……正直に、もうウチの中学校に来なくなるからって言えば良いと思うけど」


 告げた瞬間。

 冗談みたいにはっきり、羽佐間の肩が跳ね上がった。

 兎みたいに。


 図らずも可愛いと思った。

 これまで羽佐間が俺を驚かせることは多々あったが、その逆は少ない。

 その貴重な一回がこれになるのか、と思いながら俺はもう一撃。


「羽佐間、()()()()()()()()()()?いや、何ならもう引っ越してるはずだ。違うか?」

「……松原君」

「だからこそ、俺たちはもう会わなくなる……それで別れようと言い出したんじゃないか?」


 つらつらと述べてから、羽佐間の様子を伺う。

 すると、彼女は本当に奇妙な表情を浮かべていた。


 目を真ん丸に見開いて、しかしどこか笑っているかのような顔。

 彼女の長い前髪の奥で、意外と大きな瞳がキョロキョロ動く。

 その瞳を真正面から見据えながら、俺は最後の推理を述べることにした。




「さて────」




「前にも言ってけど、君が俺に付き合おうって言ってきた理由はずっと謎だった。直接聞いても教えてくれないものだから、俺としても長い間推理は忘れてなかった」


 歩きながら、ポツポツと推理の経緯を述べておく。

 この動機があったからこそ、俺は常に羽佐間の言動には注意を払ってきたのだと。

 葉兄ちゃんに倣って始めた例の日記でも、羽佐間のことは特に詳しく書いていたくらいだ。


「君自身も言っていたように、殆ど脅しみたいなやり方で君は俺を彼氏にした。だから最初はこう、それくらい恋人って存在に執着しているのかと思った。周囲に彼氏を自慢したがっている、とか」

「そう思ってたの?」

「少しだけな。まあでも、すぐに違うと分かったけど」


 実際のところ、羽佐間は周囲にこのことで自慢はしなかった。

 そもそもにして、彼氏彼女らしいことを互いに全然やっていない感じすらある。

 つまり、そう言う欲求のためとは考えにくい。


 だからこそ、難題だったのだ。

 何が何でも彼氏を作ろうとするレベルで男に飢えている訳でも無いのに、どうして俺を彼氏にしたのか────羽佐間曰く、人間心理を掴めば分かるというこの動機を、俺は調べ続けた。


「そうやって君の言動に注目していると、ある不思議なことに気が付いた……初デートの時だ」

「あのカラオケボックスのこと?」

「ああ。ただ気になったのは、あの場所のことじゃない。集合場所だ」


 初デートの集合場所は、羽佐間の方から指定があった。

 例のカラオケボックスの近く、神舵区の駅である。

 俺たちの住む映玖市からは、ちょっと離れた場所にある駅。


 それだけなら、大して変でもないのだが────。


「集まってすぐ、羽佐間は『どこかに行く予定は無い』って言っただろう?あの時、変だと思ったんだ。目的地が無いのなら、どうしてわざわざあの駅を指定したのかって話になるし……例のカラオケボックスを偶然見つけるまでは、何もせずにブラブラしただろう?」


 特に目的地が無いのなら、集合場所はもっとアクセスが良い場所、或いは近くに楽しめるスポットが多い場所の方が良いだろう。

 その方が途中でどこかに行きたくなった時、移動しやすい。


 しかし実際に集まった神舵区の駅は、使い勝手の良い場所ではなかった。

 実際に入ったカラオケボックスから分かる通り、寧ろボロい街並みが目立つというか。

 神舵区内に目的地が無かったというのに、どうしてわざわざあの駅に集まったのか?


「その時に思い出した。羽佐間が電話であそこを集合場所に決めた時、『近い駅』って言ってたって」

「近い、ね」

「それで分かった。あの駅は単純に、羽佐間の家から一番近い駅だったんじゃないかって……羽佐間はこの映玖市じゃなくて、神舵区に住んでいるんじゃないかって」


 そう考えれば、俺を神舵区に呼び出したこと自体は大して不思議でもない。

 単純に、自宅の近くに俺を呼び出したというだけだ。

 初デートという緊張する場面で、土地勘のある場所を舞台にすることはおかしくない。


 要するに────。


「羽佐間はもう、ウチの中学校……虹永中学校の学区からはかなり離れたところに住んでいるんだな?ごく最近、神舵区のどこかに引っ越したんだ。違うか?」

「……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。証拠はほぼ無いけど、これを前提とすると今までの君の行動の幾つかに辻褄が合う」

「……例えば?」


 肯定も否定もせず、羽佐間はゆらりと問いかける。

 試されているな、と思った俺は即座に例を挙げた。


「さっきの初デートのことで言ってみると、君が制服姿で現れた理由だ。校則だのなんだの言っていたけど、あれの真相は別にある」

「どんな?」

「単純に、荷解きが終わっていなくて利用できる私服が少なかった。或いは配送ミスか何かで、まだ梱包した衣類が届いていなかった。だからこそ仕方なく制服で済ませた……どうだ?」


 かなり無理矢理感のある推理ではあったが、このくらいしか俺には思いつかなかった。

 そのくらい、デートで何故か制服を着てくるというのは奇妙な行動だったのである。

 まさか私服を一着も持っていないなんてことは無いだろうし、このくらいのぶっ飛んだ事情が無ければ、あんな状況にはならない気がした。


「……本当にそういう事情があるなら、私は松原君に正直に理由を話したんじゃない?」


 そこで理由を話せなかったから、こうして疑われているんだけど。

 俺の推理に的確なツッコミを入れながら、羽佐間は揶揄うようにこちらを見据える。


「いや、君は俺に理由を話す訳にはいかなかった」

「どうして?」

「だって俺に事情を話したら、学校側にそれが漏れるかもしれないだろう?」


 そうなると、色々と厄介なことになる。

 というか、学校側としては行動せざるを得ないことがあるのだ。


「当たり前だけど、神舵区はウチの中学校の学区じゃない……本当なら、神舵区に引っ越した君は、同じタイミングで転校しないといけないんだ」

「神舵区は二十三区内だから……そうでしょうね」

「君は、それが嫌だった。転校は仕方がないにしても、せめて合唱コンクールにだけは参加したかった。だからこそ引っ越しの事実を隠しながら、この一ヶ月を送ってきた……その結果、俺にもその事情を隠すことになった」


 そもそもにして、と言葉を続ける。

 彼女が俺に告白してきた理由、その原点を。


「君が彼氏を作ろうとしたこと自体、この引っ越しが理由なんじゃないか?転校前の最後の思い出作りと言うか」


 さあどうだ、という気持ちで俺は羽佐間を見つめる。

 彼女はそこで、少し逡巡して────しかしやがて、コクリと頷いた。

 それを境に、俺は矢継ぎ早に推理を述べていった。




「全ての始まりとなるのは、君の父親がこの映玖市から神舵区に引っ越しをしたことだ。何故短期間でここを離れたかは知らないけど……君は転校せざるを得なくなった」


「だけどこれは、君にとっては寝耳に水な話だった。何せ、合唱コンクール委員になっていたくらいだからな。予想もしていない展開だったんだろう」


「でも、子どもの立場では親の事情には逆らえない……正確な時期は知らないけど、君の一家はやがて引っ越しをした」


「今日、ばったり君のお父さんに会ったのは話したと思う。あの時、君の家の車にはバーベキューセットとかが無造作に置いてあったけど……思えばあれも、引っ越しの弊害だろう」


「想像だけど、引っ越し業者から渡された段ボールに入りきらない荷物を、自家用車に押し込んでいたとかじゃないか?ああいう荷物は嵩張るから、取り出すのも億劫でそのままになっていた」


「何にせよ、君はそのまま神舵区で住むようになった。でも、問題があった」


「というのは、君は可能なら合唱コンクールにだけは出たいと思っていたからだ。どうしても転校せざるを得ないにしても、合唱コンクールが終わってからにしたかった」


「これはまあ、別にそんなにおかしな話じゃないと思う。ウチの学校には珍しいイベントだし、投票の不正行為があった程度には本気にしている人もいる。どうせ去ってしまうにしても、最後の思い出作りをしたいっていうのは自然な感情だ」


「だから君は、引っ越しの事実を学校側に隠した」


「あくまで、合唱コンクールが終わってから学校を去るように調整したんだ」


「物分かりの良い先生なら、最後の合唱コンクールに出場するなんて願いは叶えてくれそうな気もするけど……勉強合宿もそうだが、ウチの学校って変なところで真面目だからな。生真面目な対応をされる可能性を考えると、正直に言う必要はないと思ったんだろう」


「こうして、君は神舵区の家から密かに映玖市の中学校に通うようになった。交通の足は、父親の車を借りたのか?」


「前に、君が突然、俺の家の前に現れたことがあっただろう?あの時は、朝早くに家の前で待機されたことにかなり驚いたけど……今思うと、父親に車で送って貰う都合上、そうせざるを得なかったんだな」


「神舵区から映玖市まで車で往復すると、それなりの時間がかかる。君を学校に送った後、父親は仕事に行かないといけないんだから、必然的に君は余裕をもって、かなり早い時間にこちらに来ないといけない。だからこそ、あんな早い時間に俺の家の前まで来ていたんだ」


「ああそれと、君が放課後とかにするっと消えるのもこれが理由だろう?思えば、家にまで送ったことがないし」


「まあそんな訳で、君は図らずも越境通学をしながら最後の思い出作りをしていたんだ」


「そしてもう一つ、羽佐間は虹永中学校で思い出作りに勤しんだ」


「……最後に一人くらい、彼氏でも作ろうと思ったんだ」

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