異物
「私なら、多分逆のことをするかな……」
「逆って、複雑なトリックをガンガン使うってことか?」
「ううん、そっちは正直、松原君と同意見。手段に関してはそんな、複雑で直接的なものは使わないと思う。捕まりやすいとかどうとか以前に、思いつく気がしないから」
首をゆらりと振って、それから羽佐間は浅く笑う。
彼女の笑みは意外さを覚える程に可憐な物で、俺は思わず足を止めた。
そんな俺の行動に構わず、彼女は笑顔のまま持論を述べる。
「ただ私の場合、被害者に殺された実感のないやり方は選ばないだろうなって……うん、もっとこう、死ぬ側が私のことを忘れられないようなやり方にすると思う。高いところから背中を押すだけだと、死ぬ方は誰が自分を殺す程憎んでいたのか、分からないままになっちゃうでしょ?」
「……死ぬ瞬間まで被害者が自分を殺した人間のことを噛み締め続けながら逝くような、そんなやり方を選ぶ?」
「そうそう。だって、その方が……」
そこで羽佐間は、明らかに何かを言おうとした。
口まで開いていた。
俺はその口元を凝視して────しかし生憎と、続きが語られることは無かった。
「……ごめんなさい、変な話をしちゃった」
代わりに放たれたのは、陳腐な謝罪。
我が身を顧みるように首を振ると、羽佐間は何も無かったかのようにまた歩き始めた。
さながら、さっきまでの質問なんてした覚えもないように。
──いや、おい……本当になんだったんだよ、今の。
一方、流石に俺は無かったことに出来ずに唖然としながら彼女の背を追うことになる。
会話の始まりから終了まで、一切納得というものが無かった。
最終的に話さなくなった辺り、彼女としても正気に戻ったのかもしれないが、こんなに唐突に正気に戻られるとこちらが困る。
もう一度聞き直そうかとも思案した。
ただ向こうから話を止めた以上、もう深掘りは無理そうな気もする。
自然、俺は話を蒸し返すこともなく、ひたすらに彼女と共に会場まで向かうしかなかった。
意味も分からないまま、早足で先を行く彼女を追う。
そのせいで、買い物帰りらしい自転車に乗ったおばさんに轢かれかけた。
「あー、学生さんね!確か、虹永中学校の子だっけ?」
「はい。この度は施設使用を許可していただき、ご挨拶をと……」
「挨拶なんて、そんなの全然いいのにねえ。このホール、最近は使う人も殆どいないんだから。それこそ、トイレ借りに来る人とかばっかりで。学生さんが来るのも久しぶり……」
奇妙な会話を繰り広げつつ、テクテク歩くこと三十分。
予定通りに会場──この手の行事によく使われる市民ホールだ──に到着した俺たちは、一先ず会場を管理する事務局の元を訪れていた。
そこで担当者のおばさんに出会った途端、投げかけられた言葉がこれである。
久しぶりに人が来てテンションが上がっているのか、変に陽気だった。
「で、えー、はいはい。当日の予定とリハーサルの時期の確認かあ……ちょっと待ってね、今書類とかを持ってくるから」
慣れた様子で俺たちの話をまとめ直した担当者は、振り返って後方に控える事務員に何かしらの指示を出す。
同時に「でもそんな、電話でよかったのに」と正直な感想も述べた。
いや本当に、全くである。
「でも中学生ってなると……この時期は大変なんじゃない?受験だって近いだろうし」
「まあ、そうですね」
「ウチの息子もねえ、丁度君らくらいの年齢なんだけど、全然勉強しなくてねえ。君ら、委員とかやってるんでしょう?見習わせたいわあ」
「はあ……」
書類を待っている間、担当者のおばさんは矢継ぎ早にそんな話をする。
よっぽど暇なのか、或いは元からお喋りが好きなのか。
こちらとしてはすっごくどうでも良い話なのだが、相手の口は止まらない。
「ウチの息子の良いところなんて、本当に食べ物の好き嫌いが無いくらいだって姑に言われるんだけどね。まあ、そこはアタシ譲りかもね。君らは好き嫌いとかある?」
「いえ、別に……」
「そっかあ。なら合唱コンクールみたいな行事でも安心じゃない?親に持たされた弁当の内容が気に食わない、なんてことも無いだろうし」
「えー、そうかもしれませんね」
「そうよお、絶対。この辺り、コンビニとかスーパーがほぼないからね。当日お弁当持ってくるの忘れたら、悲惨なことになるよ。ああでも、ホール内は飲食禁止だから気を付けてね。絶対に建物の外に出て、そこにレジャーシートとかを敷いて食べるように。会場外に出てもいいけど、この付近は公園の一つもないから食べるのに丁度良い場所がなくて」
「そうですね、去年もそうしました」
──このおばさん、話長いな……。
内心で辟易しながらも、相手しないのもアレなので俺は適当に相槌を打つ。
隣では羽佐間が無言のまま佇んでいた。
さっきは変なことを聞いてきた彼女だが、こういう場ではいつも通り無言を貫くらしい。
「まあでも、飲食禁止ってルールが変に厳しいよねえ、ここ。君らみたいな学生さんが来るイベントでも、お昼には一々外に出さないといけないし。だから、利用者が減るんだって気もするけど」
「はあ……」
「私らみたいな職員は、お昼は車を出してどこかに食べに行くけどね。最近はもう毎日、職員全員で外食するのが習慣になってて……あ、来た」
無限に続くかに思えたお喋りに、不意に終わりが来る。
後方に控えていた職員が書類とやらを持ってきたのだ。
担当者のおばさんがそれを受け取ると同時に、俺と羽佐間は同時にほっとした顔を浮かべる。
「じゃあ、これがリハーサルの日時とかを書いた書類と施設利用の注意事項……学校の先生に渡してね」
「はい、どうもありがとうございました」
返礼を述べたのは羽佐間の方だった。
流石に、一言も喋らないのもアレだと思ったのだろうか。
そういう気遣いはするんだな、と俺は変な発見をする。
「では、当日よろしくお願いいたします」
「はいはーい、どうもお」
にこやかに笑いながら、担当者はヒラヒラと手を振る。
お喋り好きなおばさんとしては、俺たちの来訪は本当に楽しかったようだ。
利用者が少ないという話、どうやら本当らしい。
──学校の行事に使われるようなところなんだから、音楽コンサートとかにもっと使われてもよさそうな気もするんだけどな。あの人が言うように、規則が厳しいからか?
そんなことを思いながら、俺は受け取った書類を手に外に向かおうとする。
だがその瞬間、羽佐間が「……あ、ごめん」と呟いた。
「ん、どうした?」
「いえ、その」
声に釣られて隣を見ると、羽佐間が何か困ったような顔をしていた。
彼女の視線はチラチラと移動していて、俺とどこかを見比べているように映る。
突然どうしたんだと俺は彼女の視線を追い、やがて「ああ、なるほど」と思った。
──何だ、トイレか。まあ、女子からは言いにくいかもな。
気が付けば、俺たちはホール入口に設置されているトイレの真ん前まで来ていた。
恐らく、羽佐間としてはここでトイレに行っておきたいのだろう。
ついさっき殺人がどうのとかいう話をいきなりしてきた彼女が、トイレを提案するのを恥ずかしがると言うのも随分変な気がしたが、まあおかしな話では無い。
何にせよ、意図に気が付いた以上は仕方が無い。
首の後ろをバリボリ掻きながら、俺はらしくもなく気を遣った発言をした。
「あー、ゴメン、羽佐間。俺、ちょっとトイレに行ってくる。長くかかるかもしれないから、自由にしててくれ」
それだけ言って、俺は素早く男子トイレの方に体を滑り込ませる。
これなら、羽佐間もトイレに行きやすいだろう。
俺がすることと言えば、彼女がトイレを済ますであろう時までここに残っておくことだけだ。
──まあ、五分くらいここにいればいいか。俺としては、何もすることは無いけど……。
自分の腹具合を何となく確認してみたが、とりあえずトイレに行きたいような状態ではない。
この後再び三十分歩かないといけないが、まあ困りはしないレベルだ。
トイレでやることをなくした俺は、個室に入ることもなくブラブラと歩いてみる。
幸い、トイレに他に利用者はいなかった。
俺が用を足すこともなく歩いていても、咎められはしないだろう。
それを確認した上で暇を持て余した俺は、意味もなく手を洗ってみたりする。
電源を消したままのスマホ──学校では電源を消す校則なのだ──を点けるほどの時間でもないしなあ、と考えながら手を洗い終えた後、俺は適当に紙に手を伸ばす。
エアータオルもあったのだが、何となくの癖で紙を使って手を拭いた。
そのまま、これまたボーっと片隅に置いてあったゴミ箱に紙を捨てようとする。
この時、俺は何となくゴミ箱の中の様子を伺った。
特に意味は無い、暇過ぎたが故の行動だ。
当然、目に入るのは捨てられた紙だけだろう。
そんなことを思いながらゴミ箱を覗き込んで────瞬間、俺は「え?」と呟いた。
「……何だ、これ」
今一つ理解が及ばず、俺はまず目をパチパチと開閉させる。
見間違えかもしれないと思ったのだ。
しかし生憎と、何度瞬きをしたところで見える風景が変わることは無い。
俺が目を疑った「それ」は、依然としてゴミ箱の底に転がっていた。
トイレにはそぐわない物体が、はっきりと。
「何でだ……」
いよいよ疑問に思って、俺は無意識に首を振る。
本来捨てるはずだった紙は手の中で握りつぶしてしまった。
いやいやいや、という否定だけが心の中に残る。
「何で……トイレのゴミ箱に、生卵のパックが捨ててあるんだ?」
誰しもスーパーで見たことがあるだろう。
四個だか八個だか十個だか知らないが、複数の生卵をプラスチックのパックに詰めた例の商品。
特売日には、多くの人が競うように買っていくあの商品だ。
このプラスチックパックはスーパーでよく見ると同時に、ゴミ捨て場でよく見かける廃棄物でもある。
だからこのパックが家庭ごみとして捨てられていたならば、それは全く不思議な光景ではない。
その家庭では卵料理でも作ったのかな、と思うだけである。
しかし────飲食禁止の音楽ホール、そのトイレに捨ててあるとなるとまた話は違ってくる。
俺の目の前には堂々と、卵パックが捨てられていた。
しかも十個詰めの、結構大きいサイズのものである。
チリ紙の類は捨てられておらず、パックだけがゴミ箱の真ん中にデーンと据えられている。
「これがここに捨ててあるってことは……え、誰か、トイレで生卵を食べてたのか?何で?」
混乱の余り、俺は妙な想像をする。
男子トイレの片隅で、コンコンと生卵を割りながら用を足す男性の姿。
そんな人が、まさかここにいたのではないかと。
「いや、まさかな……流石に、もっと別の理由だよな。誰かが別の部屋で昼食用に料理でもして、その時のごみをトイレに捨てたとか?」
自分でそう言ってすぐ、それは有り得ないことに気が付く。
丁度ついさっき聞いたばかりの話だ、
この建物内は飲食禁止、職員は全員揃って外食すると。
「というかそれ以前に、生卵をパック詰めで昼の弁当に持ってくる人って普通いないよな……こういうのはあくまで、料理の時に使うもので」
ゴミ箱を見つめながら、分かりやすく唸った。
ぶっちゃけた話、ゴミ箱に何が捨ててあろうが俺にとってはどうでも良いのだが、それにしたってこれは存在理由が謎過ぎた。
元より推理小説が好きな性分もあって、どうしてこれがトイレの中に捨ててあるのかついつい気になってしまう。
どうせ、羽佐間が女子トイレから出てくるまではやることも無いのだ。
暇つぶしも兼ねて、こんな「日常の謎」を解く時間はあるだろう。
そう思った俺は、割と真剣にこの卵パックについて考え込んでいった。
「まず、さっき考えたように誰かが食べたって線は薄いよな……飲食禁止のルールもそうだし、トイレで生卵食べる奴なんてそうそういない。仮にこっそりここで食事をするような人がいたとしても、十個は多すぎるし」
一応、完全否定はできない仮説ではある。
言うまでもないことだが、世の中は広い。
俺が知らないだけで、公共施設のトイレで生卵を食べることを趣味とする人が存在する可能性自体は考えられる。
しかしそれを「アリ」にしてしまうと、推理のしようがなくなってしまう。
なので、とりあえずそんな奇人がいる可能性は発想から除外した。
もうちょっと納得感が強い論拠を積み重ねていく。
「だから理由としては、食用以外の何か……例えばこのホールで料理教室が開催されていたとか、そういう事情があったら納得できるんだけど」
そっちも違いそうだな、ということは呟きながらも分かっていた。
受付のおばさんが言っていた通り、この建物は最近イベントでの使用者が少ないらしい。
事実俺たちだってここに来てから、職員以外の人間と会っていない。
恐らく、ここのところそんなイベントは無かったはず。
料理教室の余り、なんて理由は排除できそうだ。
「それ以前に、仮に何か生卵を使う用事があったにしてもトイレに捨てるのは変だよな?確か、ここ以外にもゴミ箱は普通にあったはずだし」
この辺りは、去年も一昨年も合唱コンクールに参加した身として分かっていた。
俺の記憶が正しければ、ホール内にはちゃんとしたゴミ箱が幾つも設置されていたはず。
何らかの理由で卵パックを捨てなければならないというのなら、普通はそっちに捨てるはずである。
「逆に言えば、これを捨てた人はトイレじゃないといけない何かがあったってことか?絶対に、トイレに生卵を持って行かないと駄目な用事があったとか……」
自然とそう呟いて、次の瞬間にはいやいやと首を振っていた。
我ながら、非現実的すぎる理論展開になってしまっている。
何だ、トイレに生卵を持って行かないと駄目な用事って。
──暇つぶしに考えて見た「謎」だけど……意外と難しいな、これ。合理的な理由が思いつかない。こんなに簡単そうな話なのに。
一言でまとめてしまえば、ゴミ箱に変なものが捨てられているというだけの話。
しかしそれでも、パッと思いつく仮説では太刀打ちできない程度の不思議さがあった。
こんなところにもミステリって転がっているんだなあ、と俺は妙な感動を覚える。
しかしやがて、俺は感動してもいられなくなった。
丁度のこの時、背後の方から人の歩く音が聞こえてきたのである。
──あ、ヤバ。羽佐間、もうトイレ終わったか?
或いはまた別の男子トイレの使用者が現れただけかもしれないが、どちらにせよ不味い。
せっかくこの風景の不思議さを分かってきたところなのに、誰か来たのであれば、俺はここを立ち去らなくてはならなくなる。
いくら何でも、羽佐間をそう待たせられないというのもあった。
──いやー、でも気になるな、これ。流石にこれで考えを止めるのはモヤモヤが強いっていうか。
しばし、俺は足音を気に留めながらも動きを止める。
迷っていたのは数秒だったか。
その数秒で色々と考えた俺は周囲を見渡し────それから、ええいと鞄を漁った。