不正
「……どうかしたか?」
何となくの好奇心で、俺は控室に立ち入ってみる。
途端に、室内にいた合唱コンクール委員たちがザッと揃ってこちらを見た。
人数は四人、全員が二年生のようだった。
──あれ、この子……。
彼らに見つめられた俺は、そこに知り合いがいることに気が付いて少し驚く。
向こうも同じ気持ちだったのか、微かに目を見開かれたのが分かった。
四人の中で唯一の女子生徒────相合傘の一件で世良君の隣にいた、あの少女がこちらを見ている。
──確か赤城康子さん、だったっけ?合唱コンクール委員なのは知ってたけど。
それでも、直に会うのは手持ちの傘について羽佐間が質問したあの時以来だった。
同じ合唱コンクール委員と言えど、学年が違えば話す機会はかなり少ない。
そのせいか、彼女の第一声は「お久しぶりです」だった。
「あの時の先輩ですよね。世良先輩のクラスメイトの……どうかされました?」
「あ、いや。偶々通りがかったら、何だか騒がしくしてたから。というか君たち、下に行かなくて良いのか?そろそろ二年生の出番のはずだけど」
合唱コンクール委員もクラスの一員として歌わなければならないので、自分たちの出番の時は委員の仕事は外れる。
二年生の出番が迫ったこのタイミングで、彼らが控室に残っているのは少しおかしかった。
二年生の中でも最後の方に歌うクラスなのかもしれないが、それにしてもである。
「あー、それはそうなんですけど。でもその、ちょっと気になることがあって……」
そう言いながら、赤城康子はチラチラと近くの机を見ていた。
正確には、机上の箱から取り出された投票用紙の塊を見ている。
投票で何かあったな、とすぐに察した。
「……何か、明らかに変な投票用紙があって対応を相談していたとか?だったら先生に言った方が良いと思うけど」
「いえ、違うんです。投票用紙自体は別におかしなところは無くて。ただ……結果が変と言うか」
そこまで言ったところで、今度は他の合唱コンクール委員の方をチラチラと見始める。
このことを先輩に相談するべきか否か、迷っている様子だった。
しかし結局は言うことにしたのか、四人を代表するようにして彼女はその謎を教えてくれた。
「早めにやっておこうと思って、一年生の合唱に対する票の取りまとめをさっきしたんですけど……それがちょっと変なんです。その、余りにも結果が偏っていて」
「偏り?」
「はい……これを見てください」
そう言いながら、彼女は背後の机からひらりと一枚の紙を取り出す。
反射的に見てみれば、それは投票結果の集計表だった。
赤城康子のものらしい手書きの文字で「一組」や「三組」と紙の上の方に書かれていて、その下に正の字が並んでいる。
これだけなら、異常は何一つない。
合唱コンクール委員の仕事の一環として、どのクラスに何票入ったかカウントしているだけである。
しかし彼女の言う通り、この集計が示した結果は中々異様だった。
「これ……六組がぶっちぎりで勝ってるな。他のクラスの五倍くらいの票数が無いか?」
大量に並んだ正の字を見て、俺は思わず呟く。
すぐに、「ですよね!」と目の前の四人が同時に頷いた。
彼らもまた、この異様さに気が付いて欲しかったらしい。
「ウチの学校、二年生と三年生を合わせると四百人以上いるんですけど……その内、二百票以上が六組に入ってます。一から五組はそれぞれほぼ均等で、四十票ずつくらいなんですけど」
「全体の半分が六組に投票した、ということか……でも」
失礼な発言だとは思いながらも、俺は続きの言葉を発する。
六組は一年生の中でも最後に歌った組なので、記憶は新しかった。
故に、この子たちが疑問に思っているであろうことの核心を突く。
「一年六組、そんなに上手かったかなあ……正直、そんなにだったような」
そう呟くと、赤城康子は「ですよね!?」と言った。
周囲の二年生も、うんうんと頷く。
これで意見が一致するのもちょっと六組に対して可哀想だな、と今更ながらちょっと思った。
しかし、本音だから仕方がないだろう。
今回の合唱コンクールにおける一年六組の歌唱は、まあぶっちゃけたところ「そんなに」だった。
何なら、他のクラスと比較してもちょっと下手だったような。
少なくとも、こんな風に票が集中するほどの上手さでは無かったと思う。
その六組が他クラスと競り合うことすらなく、ぶっちぎりの一位。
彼女たちが言いたいことが、段々と分かってくる。
「つまりこういうことか?一年生の投票結果を集計してみたら、何故かそんなに上手くないクラスに票が集中していた……だから」
「はい……何か不正が行われているんじゃないかなあって、疑っているんです」
赤城康子はそこで、青汁でも飲んだような顔になって頷きを返す。
俺が彼女の立場でもこんな顔になるかも、とつい思った。
合唱コンクール委員としては、絶対に起きて欲しくない展開である。
「……でもそれなら、そんなに悩んでないで顧問の先生に言えば良いんじゃないか?明らかに変な結果ではあるんだし」
一先ず、先輩として妥当な提案をした。
しかし、四人はふるふると首を横に振る。
「それも考えたんですけど、不正の証拠も無いのに先生にチクるのもちょっとなって話になって……もし、投票用紙の全てが六組に投票する物とかだったら、百パーセント不正ですけど」
「まあ、ほぼほぼ有り得ない結果だな、そっちなら」
「でも全体の半分が六組を指名しているくらいなら、ギリギリ有り得るんじゃないかと思って……正直、適当に投票している先輩たちも多いでしょうし」
──まあ確かに……「歌の上手さなんてよく分からないな、最後に聞いたクラスに丸をつけておくか」って生徒もかなりいるだろう。
だからこそ自然と六組に票が集まった、というのは有り得なくもない話だった。
言っては何だが、所詮は中学生が行った投票である。
ぶっちぎりの一位がある程度では、おかしいとは言い切れない。
「私たちがこれを変だと思っているのも、委員の仕事の一環で各クラスの歌とかを事前に知っているからですし……この状態で先生に言うのは、ちょっと」
「仮にこの結果が偶然で、不正が何も無かったら、流石に六組が可哀想なことになる?」
言葉の続きを引き取ると、赤城康子はコクンと頷いた。
その様子を見て、生真面目な子だなと思う。
この子にとって、教師にチクるというのはかなりの重みを持った行為に当たるらしい。
──いやもっと言えば、チクったのが自分だとバレるのが嫌なのかもな。不正が無かったなら「何も悪いことをしていないのにアイツが疑いやがった」とか言われるし、本当に不正があったら「あとちょっとで成功だったのに、アイツのせいでご破算になった」と言われる可能性がある。そんなリスクをとってまで先生に言いたくないってことか。
邪推交じりに、そんな推測もする。
もしそうだとすれば、いかにも中学生らしい理由だ。
周囲に目を付けられる可能性が増えるというのは、俺たちくらいの年代にとって最も避けたいことなのだから。
「しかもそうやって悩んでいる間に、二年生の歌の時間が来て……どうしようかと悩んでいたところなんです」
「そこに、俺が話しかけてきたと」
「はい……その、どうしましょう、先輩」
どこか縋るように、赤城康子はこちらを上目遣いで見やる。
偏見かもしれないが、誰かに何かを頼ることに慣れた人の動きだった。
彼女の意図が透けて見えてしまうような。
しかし同時に思い起こされたのは、以前彼女と世良君を見た時のことだった。
良くも悪くもあそこまで努力して相合傘をしていたのに、軽くちょっかいをかけて悪かったなあとか。
羽佐間がいきなり傘を見せろと言ったのは、向こうからすれば怖かっただろうなあとか。
そんな記憶が頭の中でぐるぐると回って。
だからだろうか。
軽くため息をしてから、俺は彼女たちが望んでいるであろう言葉を告げていた。
「……それで、『この件は俺が預かるから、君たちは自分たちのクラスに戻って合唱に参加するように』と言ったの?」
「そうだ。二年生の部、もう始まりそうだったから」
中々帰ってこない彼氏を心配して後から駆け付けた羽佐間相手に、俺は淡々と説明をする。
すると羽佐間は頭に右手を当て、軽く首を左右に振った。
言葉にするなら、「まったくもう……」というところか。
「前から思っていたけれど……松原君、根本的な部分が相当なお人好しじゃない?後輩の頼みなんて、もっと断ってもいいと思うけど」
「そ、そんなお人好しでも無いとは思うけど……だってほら、そんなに優しい性格だったら、もっとクラスでの人付き合いだっていいはずだろう?」
「……それはきっと、余りにも謎解きを引き受け続けると脳がパンクしちゃうから、そうならないように周囲との距離感をコントロールしているんだと思う。お人好しになり過ぎないように、理性がブレーキをかけているんじゃない?」
「いや、そこまで複雑なことはやっていないと思うけど」
何やら的外れな分析をしてくる羽佐間を前に、俺はツッコミを入れる。
唐突に知った風なことを言っているが、いくら何でもこの分析が当たっているとは思えない。
今回の話を引き受けてしまったのは、相合傘関連の秘密を知っているがために、微妙な引け目を感じていたから。
それだけだ。
「そもそも『引き受ける』も何も、こんなの先生にそのまま言えばそれで解決じゃない?康子ちゃんは、自分がチクり役になるのが嫌だったみたいだけど……」
「まあそうなんだけど……実を言うと、先生に言う前にもうちょっと何が起きているのか調べたいな、と思ってて」
そう言いながら、俺は控室に残された投票用紙の塊を見つめる。
二年生の部が始まったこともあってか、控室には誰もいなかった。
お陰で、話し合いは十分にできる。
「話した通り、六組に票数の半分が集中しているっていうのは流石におかしい気がする。でも赤城さんたちが言っていた通り、それだけでは不正の証拠にはならない。皆が適当に投票したものだから、偶然そんな結果になったって可能性はゼロじゃない。これだけだと、明らかに変だと断言しにくいってことだ」
「要するに……先生に言いに行くとしても、もっと証拠を集めてから報告したいということ?」
「そうだ。仮に本当に不正が行われたのなら、その確証を。それが無かったのなら、何故こんな結果になったのかを。その辺りをもっと確かめた方が良いと思う」
今日は合唱コンクール本番ということもあって、生徒だけでなく教師たちも随分とドタバタしている。
受け持ちクラスの指導やら、会場での誘導やら、何かと骨を折っている様子だった。
そんなに忙しそうな彼らに、まだ不確定な話を持って行くと言うのは気が引ける。
「だからここで、もう少しこの謎について解いておきたい……それに実を言うと、状況証拠なら一つあるらしいから」
「状況証拠?」
「ああ。立ち去り際に赤城さんたちに聞いた。問題となっている一年六組にはちょっと、ややこしい事情の生徒が在籍しているらしくて」
少し興味を持ったような顔をする羽佐間に対しては、俺は変わらぬトーンで解説する。
状況証拠と言うか、「犯人候補」の話を。
赤城さんによれば、その子はごく普通の女子生徒だ。
成績は可もなく不可もなく、部活は書道部で、友達付き合いもそこそこ。
強いて変わったところを挙げるとすれば、ピアノを習っていることくらい────そんな、何の変哲もない生徒が六組にいるとのことだった。
しかし────。
「その子の母親がさ、かなりアレな人らしくて……モンスターペアレントって言うんだったか」
「学校に理不尽なクレームを入れてくる人なの?」
「そうだ。一年生の間では有名らしい。子どもに何かある度、学校に怒鳴り込んでくるから」
その母親は、随分と音楽に造詣が深い人らしい。
娘には幼少期からピアノを習わせていて、一家で音楽の道に関わりたいという希望を持っていた。
何でも、娘が音楽家として大成することが長年の夢だとか。
夢を持つことは悪くない。
問題は、それが異常なまでの過保護さに結びついているということである。
例えばその子が体育祭で短距離走に出場しようとすると、即座に学校に電話が掛かってくる。
言い分は、「短距離走で転んで指の骨が傷ついたら、どうやってピアノを弾くんだ。即刻競技を変えて欲しい」とのこと。
もう決まったことですからと返すと、訴えるだの何だのと喚き散らす。
「……そんな感じだから、今回の合唱コンクールでも、六組のピアノを弾く役は最初からその子だと決まってたらしい」
「もし演奏者から外したら、またクレームが来るから?」
「そういうことだ。だから……六組のその子には、不正を犯してでも一位になる理由があるんじゃないかって言ってた。この合唱コンクールで良い成績をとることにも、母親がかなりの執着を見せていたらしいから」
勿論、だからと言って犯人と決まった訳ではない。
それでも、動機があるという時点で疑わざるを得ないのが実情だった。
一回チクることすら怖がっていた赤城康子が、この子については確定情報として伝えてきた。
それはつまり、彼女にそう言わせてしまうレベルだということ。
他学年から見ても、「そのくらいのことはやりかねない」と思われている親子が、一年生には存在してしまっているのである。




