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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.5:言の葉
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漢字

 そこからの動きは早く、夏美と紫苑は酔いが残ったままの体を引き摺って色々と作業をすることになった。

 手始めに救急車を誘導して、倒れている四谷慎吾の回収を援護。

 それが終わると駆け付けた警察について行き、手早く自己紹介と事情聴取を済ませた。


 紫苑が刑事だったことは、この場面においてはプラスに働いたと言って良いだろう。

 彼女自身が普段は取り調べをする側だということもあって、警察が第一発見者に聞きたいであろうことを熟知している。

 お陰で速やかに事情聴取を終えた二人は、日付が変わる頃には解放されていた。




「同期から情報流してもらったんですけど、四谷慎吾さん、一命は取り留めたようですよ。担ぎ込まれた病院での処置が間に合ったって」

「ほほう。それなりの間、外で放置されていただろうにそれとなると、意外と生命力が強いな。それともやはり、怪我が浅かったのか」

「両方じゃないですかね?まあただ、意識は途中で無くなっちゃったらしいですけど」


 取り調べを終えてから、二人はどちらともなく二十四時間営業のファミレスに飛び込み、酔い覚ましがてら会話の続きをしていた。

 本当ならすぐにでも帰って寝たいのだが、どうしても気になることがあって話し合うことにしたのである。

 これはもう徹夜コースだな……というのは両方が察していた。


「死ななかったのは幸いですけど、当番の刑事たちはこれからが大変です。本人は意識飛んじゃってますから、すぐには話が聞けませんし……これから夜の街を駆けまわって、目撃者がいないかを探すとか」

「明日にでも病態が悪化して、本人から話を聞けなくなる恐れもあるからな。私たち以外の証人を探すのは必須という訳か」

「はい。それに目撃者が仮にいるとしても、この時間帯ならその人たちは多分酔っ払いでしょう。一度寝てしまうと、細かい記憶は忘れてしまいますから……」


 故にこそ、目撃者候補たちに逃げられる前に証言集めに奔走しているのである。

 頭が下がるなあ、と夏美は正直な感想を零した。

 全くです、と紫苑は同調する。


「でも正直なところ、犯人候補は定まっているんじゃないか?こう言うとアレだが、一番やってそうなのが一人いるだろう?」

「ええ、夕方の喫茶店の人。あの時店の奥にいた、待ち合わせ相手ですね?」

「そうだ。恐らく今日の四谷慎吾は、あの女性とデート予定だったんだと思う。その彼が数時間後、血を流して倒れていたとなると……」


 ごく単純な推論として、あの女性が犯人なのではないかという話になる。

 推理でも何でもない偏見だが、だからこそ説得力があった。


「四谷慎吾はきっと、あの後普通に女性と外食でもしたんだろう。しかし元より浮気性な男だ。どこかのタイミングで彼女の逆鱗に触れ、修羅場になった……」

「もしかしたら、喫茶店で夏美さんを口説こうとしたことで喧嘩したのかもしれませんね。あの人は誰、と問い詰められたとか」

「可能性はあるな。しかし俳優である以上、人目のあるところで揉めるのはアレだから、自然と路地に隠れて喧嘩をした。そこで彼女の方がカッとなって……」

「近くに落ちていたレンガを拾って殴りかかった、ということですかね?四谷慎吾は発見時、スマホを所持していなかったようです。これも犯人が?」

「そうだろう。深い関係にあったからこそ、繋がりを示すものは奪っていったんだ。それでどの程度時間が稼げるかは分からないがな」


 因みに凶器をレンガに限定しているのは、警察到着後に現場からそれが発見されているからである。

 紫苑たちは暗くて見つけられなかったのだが、路地の更に奥には血の付いたレンガが放り投げられていたのだ。

 レンガブロック自体は元から路地に放置されていたものだったようだが、血が付いていることから見ても、十中八九あれが凶器だろう。


「何にせよ、あの喫茶店に聞き込みでもして、連れの女性の情報を集めたら容疑者のことはすぐに分かるだろう。そうでなくても、最近の四谷慎吾の女遊びを調べれば自然と捜査線上に浮かんでくるはずだ」

「ですよね……だから今回、犯人の正体や犯行動機はそこまで重要じゃない」


 そう呟いてから、紫苑は夏美を見つめた。

 見つめられた方はにやりと笑って、紫苑が何を気にしているのかを指摘する。


「お前の言いたいことは分かっている……現場に残っていたメッセージのことだろう?」

「はい、所謂ダイイングメッセージ。いえ、別に死んではいませんけど、分かりやすいのでそう言っちゃいましょう。あの文字が不思議なんです」

「ああ。ダイイングメッセージを残すにしても……()()()()()()()()()()()()?どうでも良いと言えばどうでも良いことだが……」


 解せない点ではあるよな、と夏美は一人ごちる。

 紫苑としても全くの同感だった。


 現場に駆け付けた警察も驚いていたのだ。

 まず、現場にダイイングメッセージなんてものが残っていたことに驚き。

 その次に、「梛」という画数の多い漢字を被害者が書いていたことに驚いていた。


 刑事としての紫苑の経験から言えば、ダイイングメッセージという物は普通、フィクションの中でのみ登場する存在である。

 現実の殺人事件や傷害事件では、そんなものはまず残らない。

 もしそんな文字を残す気力のある被害者がいれば、呑気に文字なんて書く前にスマホで救急車を呼ぶからだ。


 それでも、メッセージを残そうとする人物が現れること自体はまあ良い。

 件数こそ少ないが、現実にも有り得なくはない──例えば被害者が監禁されていた場合、文字を残すしか手段がないこともある──可能性だ。

 だがそれも、漢字で書くとなると一気に不可思議になる。


「普通、自分が今にも死にそうって時にメッセージを残すなら……ひらがなとかカタカナみたいな、簡単な文字で書きますよね?その方が手早く書けるでしょうし」

「だろうな。或いはイニシャルだけ残すとか……何にせよ、被害者本人は何秒後に自分が死ぬか分からないんだから、さっさと書かないと中途半端な結果になってしまう」


 四谷慎吾のケースもこれと同じである。

 彼の場合は別に死んではいないが、頭を殴られて意識が飛びかけだった。


 その状況で、どうして「梛」なんて画数の多い漢字を書こうとしたのか。

 言ってはなんだが、漢字でメッセージを残そうとしている時点で「意外と余裕あるな」とすら思ってしまう。


「多分ですけど、あれって人名ですよね?」

「恐らくはな。デート相手の本名……多分、名前が『梛木子(なぎこ)さん』とかなんじゃないか?だから犯人の手がかりを発見者に教えるため、名前の一文字目を書き残した」

「私もそう思います。でもそう言う名前なら、『ナギコ』とだけ書けばよかったはず」


 一応、外傷を負って混乱した四谷慎吾には、もはや合理的な判断力は残されていなかったという可能性はある。

 漢字以外で書いた方が遥かに早いということに気が付かず、混乱したまま普段通りに漢字で書いてしまった。

 そんな状況はなくもないだろう。


 だが、紫苑たちはこの仮説に説得力を感じていなかった。

 頭部外傷のせいで複雑な文字を書けなくなったのならともかく、頭部外傷によって複雑な文字しか書かなくなったなんて聞いたことも無い。

 そもそも彼には、近くにいた紫苑たちに助けを求める程度の理性が最後まであったのだ。


「ついでに言うと、四谷慎吾がうつ伏せだったのも気になる。状況的に、彼はうつぶせのままダイイングメッセージを書いたんだろう?」

「みたいですね。寝転がった形跡はありませんでしたから」

「そして、メッセージは壁に残っていた。当然彼は、ダイイングメッセージの作成中は書いている文字を殆ど確認できなかったはずなんだ。姿勢的に」


 ですよね、と紫苑は頷く。

 助けた時の状況から察するに、外傷のせいで彼の首の可動域は狭くなっていたのだろう。

 どれだけ呼びかけても。首だけ起こすような器用な真似はできなくなっていた。


 必然、彼はうつぶせ状態で壁も見られないまま、勘だけで文字を書いたと推測される。

 そんな状態なら、尚の事漢字で書くのは避けるだろう。

 今回は偶々綺麗に書けたから良かったが、場合によっては判読不可能になる恐れだってあったのだから。


「それでも漢字を書いたのは、何か理由があるのか……気になるな」

「実は人名じゃなくて、何か別のことを伝えようとしていたとか?」

「そうは言ってもなあ、あの状況で犯人名以外に伝えたいことがあるか?」


 夏美の質問に、紫苑はうむむと唸る。

 その通りだと思ったのだ。


 結果から言えば四谷慎吾は一命を取り留めているが、それは病院に運ばれた今だから言えること。

 あのまま放置されていたら死んでしまっていた可能性はあるし、四谷慎吾自身も「自分はこのまま死ぬかもしれない」という恐怖を感じていたに違いない。

 だからこそ、ダイイングメッセージなんてものを残したのだ。


 そして死の瞬間が近づいた人間のやることと言えば、やはり犯人の告発だろう。

 今回は凶器は分かり切っているし、別に複雑な手段が採用された訳でもない。

 犯人名以外に告げることがないのだ。


「……まあ幸いにして、四谷慎吾は回復に向かっているそうだからな。詳しいことは本人が目覚めたら聞けば良いんだが」

「そうですけど……どうします?起きた本人が『何も覚えてない、どうしてそんな漢字を書いたのかも覚えていない』とか言い出したら」

「それはまた、モヤモヤする結末になるだろうな」


 本気で嫌そうな顔をする夏美の前で、紫苑はフフッと笑う。

 こういうところ、夏美は昔から変わらない。

 自分が関わった物事が不透明な結末を迎えることを、彼女はとにかく嫌うのだ。


 ──でも本当に、目覚めた四谷慎吾が正直に語ってくれたらいいんですが……そう一筋縄にはいかない予感がするのはどうしてでしょう?


 根拠もなくそんなことを考えたところで、紫苑のスマートフォンがブルリと震えた。

 画面を確認してみると、情報を流してもらっている同期からの続報である。

 病院での容態の他に、何か伝えたいことがあったのか。


 興味を惹かれた紫苑は、しばしその情報を読み込む。

 そして全て読んだ後、夏美に向かってポツリと呟いた。


「……夏美さん」

「どうした、氷川」

「今の推測、どうやら当たっていたみたいです。今、続報が来たんですが……四谷慎吾は病院で意識を飛ばす直前、周囲に向かってこう言っていたようでした。『誰かに殴られたが、顔は見ていない。殴られた後に自分が何をしていたかも覚えていない』って」

「……あからさまに嘘だな」


 流石に呆れた顔を夏美は浮かべる。

 自分の予想が当たったことによる呆れと、四谷慎吾の話が嘘っぽいことへの呆れ。

 その両方が混ざっていた。


「それと、どうも殴られてあの文字を残した後は、殆ど意識不明だったみたいです。あの文字、乾いてましたし……いくら人通りが少ないとは言え、数時間も助けを呼び続ければ流石に誰かが気が付くでしょうし」

「つまり殴られた直後に気合でダイイングメッセージを残した後、長時間気絶していたってことか。それが私たちの声を聞いて意識を取り戻し、助けを呼んだ。そんな状況だから、あの血文字は乾いていた」

「みたいですね。でもこうなると、更に不思議な気がします……一度は瀕死の体に鞭打ってまで犯人のことを告発していたはずなのに、どうして証言をひっくり返しているんでしょう?」


 謎が増えました、と紫苑は腕を組む。

 しかしこれに関しては、夏美は意外そうに反論した。


「そうか?今になって態度が変わったこと自体は、そんなに不思議でもないとは思うがな」

「え、本当ですか?」

「ああ、だって……」


 そこを夏美が説明しそうになったところで、紫苑のスマートフォンが再びぶるりと震えた。

 自然、会話を中断して紫苑は中身を確認する。

 だがこれに関しては、別に続報という訳ではなかった。


「……どうした?」

「あ、いえ、巌刑事から安否確認が来ただけです。第一発見者になったということだけ伝わったのか、心配したらしくて」


 巌刑事と言うのは、紫苑にとって同僚に当たる人物である。

 元々夏美や紫苑は彼の父親──この人物も刑事だった──に茶木刑事と共によく世話になっていたのだが、その頃からの知り合いだ。

 息子の方の巌刑事は親に憧れて刑事になったため、自然と紫苑とも長い付き合いになっているのである。


「こんな深夜に律儀な人ですよね。まあ向こうも夜の番だったみたいですけど」


 軽くそう告げたところで、紫苑は夏美が怪訝そうな表情をしていることに気が付く。

 あれ、と思ったところでこんな質問が飛んできた。


「巌刑事は確か、警視庁の重鎮になっているんだろう?そこまで上に行っても、夜の番なんてことはやるのか?」

「え?」


 夏美が何を言っているのか分からず、紫苑は目をぱちくりと開閉する。

 この人は何を勘違いしているのだろう、と思ったのだ。

 しかし幸いなことに、彼女たちの間で生じた誤解はすぐに解けた。


「……ああ、もしかして夏美さん、父親の方の巌刑事について話してます?確かにお父さんは、警視庁の上層部に行ってますけど」

「ああ、だから……いや待て、アレか。さっき言ってた巌刑事というのは息子の方か?」

「そうです。夏美さんはそちらと会うことが少ないから、勘違いしちゃったんですね。今メールしてきたのは、映玖署の巡査である巌刑事です。息子さんですよ」


 紛らわしい言い方をしてすいません、と紫苑は一応謝る。

 親子で刑事をしている人というのは意外といるのだが──紫苑自身、父親は刑事だ──こうやって名字だけで会話していると変な誤解を招く。

 紫苑は同僚として巌刑事(息子)と話す機会が多いのだが、夏美は当然そんなことはないので、父親の方だと誤解したようだった。


「呼び名が同じだと、やっぱりこういうのが面倒ですよね。夏美さんが私の呼び方を『紫苑』から『氷川』に変えたの、そういう意味では効率的だったのかも……」


 事件の謎から離れた雑談として、紫苑はそんなことを零す。

 だが、彼女の言葉に反応は無かった。


 ──……あれ?


 不思議に思った紫苑は夏美を見て。

 同時に、場の空気が切り替わったのを察する。

 夏美の両目が、微かに蒼く光ったかのように見えた。


 夏美と付き合いの長い彼女は、それだけで理解してしまう。

 彼女がもう、事件の謎を解いたのを。


「呼び名か……そうか、そんな簡単な話だったのか」


 軽く口元を抑えながら、彼女はしばらくブツブツ言って。

 しばらくスマートフォンで何かを調べてから、トンと指で机を叩いた。


 それを合図だと理解した紫苑は、無言で話の続きを促す。

 彼女がこんな仕草をする時というのは、謎解きを語りたがっている時だ。


 阿吽の呼吸で両者は姿勢を正す。

 そして、ファミレスにはお決まりの符牒が響き渡った。




「さて────」

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