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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.5:言の葉
30/59

伝言

 流れるように退店した夏美と紫苑は、そのまま目的のレストラン方面へと足を進めていく。

 予約時間も近づいてきたので、まだ少し早いがそこを目指すことにしたのだ。

 その道すがら、溜め息交じりに夏美は事情を説明する。


「アレは四谷慎吾(よつやしんご)って言う俳優なんだけどな……知らないか、『AND』とか『クライムペンダント』とかに出てた」

「ああ、言われてみれば聞いたことあります。割と前から活躍しているイケメン俳優の」

「私から見れば、気持ち悪いくらいに若作りした三十代のおっさんだけどな」


 ケッと吐き捨ててから、夏美は過去のことを追想する。


「前に現場でアレと顔を合わせたんだが、その際に妙に気に入られたらしくてな。それ以来、何かと押しかけてきては口説いてくるんだ」

「女好きなタイプなんですか、あの人?」

「そうだな、とにかく女癖が悪いことで有名だ。世間には公表していないが、既に二回離婚しているくらいだからな」

「に、二回も?」


 三十代でそれは流石に多くないですかね、と紫苑は真っ当な驚き方をする。

 これが正常な反応だよなあ、と思いながら夏美は解説を重ねた。


「一度目は共演した女優に手を出して、そのまま結婚した。でも上手く行かなかったんだろうな。金銭トラブルか何かで、一年もしない内に離婚した。事務所が結婚の事実を公表するタイミングを探っていた頃に離婚したものだから、結局何も公表しないままになってしまったくらいだ」

「それはまた……ある意味良かったんですかね?スピード離婚が世間にバレなくて」

「かもな。それで、二回目はどこぞの金持ちの娘と結婚した。だが事務所も学習したらしくてな。こっちに関しては最初から結婚した事実を公表しなかった」

「話を聞く限り……その人とも?」

「ああ、また一年くらいで離婚した。四谷慎吾の浮気が理由でな。何でも、うっかり妻のことを浮気相手の名前で呼んでしまったのが原因だとか」


 それで私を口説きにきているんだ、と言って夏美は再びげんなりとした顔をする。

 二度の離婚を超えて尚、彼は恋愛に生きていたいらしい。


「でも夏美さん、昔から変な男に言い寄られたら再起不能なレベルでフっていた記憶がありますけど……そういうのはできないんですか?」

「事務所同士の関係もあるから、そこまで強く言えないんだ。もしアレがウチのアイドルを口説きに来ているのなら、また対応も変わるんだが」


 俳優がアイドルを恋愛に誘っているのであれば、恋愛禁止ですからと言って追い払うこともできる。

 しかし芸能事務所の社員に言い寄っているのは、また話がややこしい。


「アイドルをドロップアウトさせようとするのは言語道断だが、他事務所の社員を口説いてはならないなんてルールはないからな。中々対応が面倒で」

「それにしたって、普通は避けそうな気もしますけどね。業界内で悪い噂も広まりそうですし……」

「本当にな。離婚後の慰謝料やら何やらで経済的にも苦しいって聞くくらいなんだが……どうして私に目を付けたんだか」


 夏美が心底不思議そうにそんなことを言ったものだから、紫苑はつい親友の姿を改めて確認する。

 整った顔立ちにくっきりとした瞳、モデルのようなスタイルに細く伸びた脚線美。

 勝気な印象が強過ぎるのは人によってはマイナスだろうが、それもまた彼女の魅力を底上げしている一つでもあった。


 ──昔から、後輩の女子にキャーキャー言われるタイプでしたしね、夏美さん……あの俳優も、彼女のそういうところにやられたんでしょうか。


 内心でそんな分析をしつつも、紫苑は口にはしなかった。

 ここで「彼が口説く理由も分かる」なんて言ったら、夏美が拗ねて大変なことになる。

 だから代わりに、少し気になっていたことを聞いた。


「でもあの俳優、喫茶店で誰か女性と待ち合わせしていたみたいでしたよ。偏見かもしれませんけど、この時間帯に男女でお忍びでって……」

「ああ、その偏見は当たりだろうな。多分、あの店の奥には今の交際相手がいたんだろう」


 今カノとデートの約束があったってことだ、と解説が進む。

 それを聞いて、紫苑は先程の夏美に負けないげんなりとした顔を浮かべることになった。


「じゃああの人、今は新しい彼女がいて、だけどその彼女に会いに行く途中で夏美さんに粉をかけていたってことですか?また浮気しようと思って?」

「そうなるな。そもそも、あの待っていた女性だって彼女かどうかは怪しいがな。本命の彼女は別にいて、あの人は浮気相手の一人って可能性もある……私が疲れている理由、分かってきただろう?」


 共感を求める夏美の前で、紫苑はコクコクと頷く。

 そして、思わず彼女の肩をしっかりと掴んだ。

 全て分かった、と伝えたくて。


「夏美さん……たくさん食べて、たくさん呑みましょう、今日は!」

「……だな!」


 実に成人済みの人間らしい理由で一致団結する、夏美と紫苑。

 彼女たちの前では、予約していた店の看板がもうすぐそこにまで来ていた。




 そして五時間後。


「ひかわぁ~……いまなんじぃ?」

「十一時ですよぉ……タクシーで帰りましょうねぇ……」


 しばらくは体重計に乗りたくない程に食べまくり、真っすぐには歩けないほどに飲み尽くした二人は、へべれけになりながら夜の街を歩いていた。

 最初に予約していたレストランで飲食するに飽き足らず、呑み足りないと言って安いバーを一件追加、その後には食べ足りないと言って焼き鳥屋にまで寄っている。

 二人とも明日には普通に仕事があるのだが、そのことはどこかで忘れてしまっていた。


「それにしてもぉ……私たちも酒好きになったなあ〜!」

「ほんとにそうですねえ……初めて飲んだ時は、こんなの人が飲む物じゃないと思ったくらいなんですけど……」

「人の好みって変わるなあ~……部長の言った通りだ」


 両者とも一人ではとても立っていられないので、お互いにしがみつくようにして前進している。

 傍目には若い女性同士が熱烈なハグをしているように見えたかもしれないが、実際には酔っ払い同士の共同作業だった。

 酒臭さが酷過ぎるのか、呑み始めた当初は近づいてきたナンパ男たちも、次第に全く声をかけてこなくなっている。


「夏美さーん……駅前まで来ましたよお……」

「おっけーい……じゃあタクシー捕まえてくるわあ……今、丁度出払っているみたいだからあ……」


 そう言いながら、夏美は気合で紫苑という支えを手放し、一人で歩いてタクシーを探しに行く。

 このまま二人でのっそり歩いていては、タクシーを見つけるのは不便だと思ったのだろう。

 自然と置いて行かれた形になった紫苑は、偶々近くにあったベンチにドスンと座った。


「夏美さあん……いたいけな女の子を一人でおいてくなんて、ひどいですうぅ……」

「いいじゃんか、お前酔っててもそこらの人間よりは強いだろお……?刑事なんだし、人斬りなんだしぃ……そもそも女の子って年でもないだろ、二十五歳はあ……」


 割と酷いことを言いながら、夏美はタクシー探しに向かっていく。

 その背中を見送ってから、紫苑はぽけーっと夜空を見上げた。

 いくら何でも呑み過ぎたのか、思考がさっぱりまとまらない。


 ──あんまり人の姿が無い道を通って良かったかもしれません……人に見られたくない姿ですしい……。


 心中の呟きすらふわふわした状態で、紫苑はぐるりとベンチ周囲を見渡す。

 元より映玖市は都心と比較すれば静かな街だが、それにしてもこの付近には人影があまり無かった。


「何ならお化けでも出そうなくらい……寂れたビル街ですねえ……」


 冗談を口にしながら、へらへらと紫苑は笑ってみる。

 その笑い声もまた、誰にも聞かれずに周囲に響いて────。


「…………す、けて」


 刹那、予想だにしていない反応がなされた。

 その声が聞こえた瞬間、紫苑は反射的にバッと立ち上がる。

 本能で察するものがあったのだ。


「今の声……誰ですか?」


 酔っているとは言え、紫苑も刑事の端くれ。

 どんな状況でも、市民からのSOS信号を聞き落とすことは無い。

 アルコールによる頬の火照りは仕方がないにせよ、一瞬で真剣な目つきに変わった彼女は周囲の暗闇に問いかける。


「……たすけて……ここ」


 また、聞こえた。

 ともすれば心霊現象にも思えそうな現状だが、流石に紫苑もそんな勘違いはしない。

 順当な可能性として、彼女は急病人の存在を想起した。


 ──どこか近くに、この声の主が倒れている……?


 そう遠い場所では無いはず、と紫苑は当たりをつける。

 紫苑に届いた声は小さかった。

 逆に言えば、そんな小さな声でも届くくらいの近場に誰かがいるのである。


「だったら……ここですか?」


 未だによろめく足を軽く叩きつつ、紫苑はベンチのすぐそばにある路地を覗き込む。

 ビルとビルの隙間、ここ何日かは人が立ち入ってすらいなさそうな細い道。

 元より薄暗い場所なのだろうが、夜ということもあって何も見えなかった。


「えっと、ライトライト……」


 いくら何でも明かりが無いと何もできないので、紫苑は手元がおぼつかないながらもスマートフォンを取り出す。

 指先を動かし、ライトをつけた。


「……っ!」


 途端に目に飛び込んできた光景に、紫苑は声を発しそうになる自分を抑える。

 彼女の目に飛び込んできたのは、探していた声の主と思しき男性が路地の中腹で倒れている姿。

 そして、倒れた彼の頭から形作られた血溜まりだった。


 余程ダメージが大きいのか、倒れた彼はピクリとも動かない。

 何者かに殴られたのか、と想像するのは容易だった。

 要は血溜まりができる程の頭部外傷を負った男性が、うつぶせになって倒れていたのである。


 その現実を把握した瞬間、紫苑の動きは倍速化する。

 ノールックで手元にキーパッドを表示して、速やかに警察と救急に連絡。

 それが終わってから、即座に彼の元に駆けだした。


「大丈夫ですか?分かりますか?」


 頭部外傷相手に、頭を不用意に動かしてはいけない。

 故に意識状態のみを確認すると、小さくだが「……はい」と返事がなされた。

 今さっき紫苑に呼び掛けたことから考えても、動けはしないが意識は保たれているらしい。


 ──血だまりはそれなりにありますけど、これは多分頭部の血流量が多いから……傷自体はそこまで深くなさそうですね。頭以外の外傷は無し。


 テキパキと状況を観察した紫苑は、思っていたよりは軽傷らしいと判断する。

 彼が外傷を負ってからどれだけ経過しているかは分からないが、血溜まりが乾いてきていることからするとそれなりに時間は経っているはず。

 それでも尚意識を保っていることからすると、出血によるショックなどもなさそうだった。


「今、助けを呼びましたからね……呼吸はできますかー?」


 署で行った救急救命講習の内容を思い出しつつ、紫苑は尚も彼を気にかける。

 するとそこに丁度、夏美が帰ってきた。


「おーい、タクシー呼んだんだが……どうしたんだ、そんな路地で」


 一目で何か起きたと察したのか、夏美もまた酔っ払いには似つかわしくない鋭い目つきで周囲を見渡す。

 彼女に推理のスイッチが入ったことを感じ取った紫苑は、振り向かないまま状況を説明した。


「ついさっき、ここで男性が倒れたまま助けを呼んでいるところを発見しました。今、救急車と警察を呼んでいるところです。頭部外傷で出血もそれなりの量ありますが、意識は清明。呼吸も問題なさそうです」

「分かった。年代と服装は……」


 どんな人間が倒れているか気になったのか、夏美も近寄った上でスマホのライトをかざす。

 うつ伏せで倒れている彼をふむふむと見ていた彼女だったが────数秒後、「……えっ」と珍しく困惑した声を発した。


「おい、コイツ……四谷慎吾じゃないか?」


 今度は、紫苑が「えっ」と言う番だった。

 思わず倒れている彼の頭を動かして、顔を確認しそうになる。


「か、彼、そうなんですか?夕方に会った?」

「ああ、うつぶせで分かりにくいが……」


 流石に驚愕した表情を見せる二人の前で、倒れた男性────四谷慎吾は、「……そうです」とかすれ声で肯定した。

 彼自身もこんなところで再会したことにはかなり驚いているのか、声量は先程にも増して小さい。


 ──夕方に会った俳優が……ここで倒れているってことですか?どうして?


 夏美や四谷慎吾にも劣らず、紫苑もその場でかなり混乱する。

 いくら刑事でも、こんな事態にはそうそう遭遇するものじゃない。

 何がどうなっているのかと思ったところで、彼女の混乱は倍加された。


「それに、コイツの指先……なんだ、それ」


 不思議そうに言いながら、夏美はライトを四谷慎吾の指先に向ける。

 その明かりで紫苑も初めて気がついたのだが、彼の人差し指は何故だか血で汚れていて、なおかつ路地の壁に押し当てられるような状態になっていた。

 まるでサーチライトに誘われるように、紫苑はその壁の様子を観察する。


 ──文字が書かれている?


 暗い上に壁が汚れて分かりにくいが、確かにそこには血文字が残っていた。

 既に乾いているところからするに、紫苑が駆け付けるまでの間に四谷慎吾自身が書いたものらしい。


 うつ伏せのまま書いたせいか、その文字は汚く歪んでいた、

 しかし、読めないという程でもない。

 書かれていたのは、こんな文字だった。


『梛』


 顔をしかめながら、紫苑はそれを読み上げてみる。


「ええと、木那……キナ?」

「いや、(なぎ)じゃないか?木へんだろう、これは。植物の名前だ」


 夏美の補足を受けて、紫苑はそんな漢字があるのかと思う。

 どうでも良いところで雑学に詳しくなってしまった。


「何にせよ、これって……」

「ダイイングメッセージ、ということになるのかな。まあ、死んでないからただのメッセージだが」


 被害者本人が倒れている隣で、夏美はまあまあ不謹慎なことを言う。

 しかし幸いなことに、その発言は四谷慎吾に届くことはなかった。

 彼女の発言に合わせるように、救急車のサイレンが聞こえてきたからである。


「というか、ダイイングメッセージを漢字で書いているが……意外と余裕あるな?」

「……ですね?言われてみれば」


 こんな二人の呟きもまた、サイレンに隠れてしまった。

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