家族(Stage0.4 終)
「……そもそも姉さんは、トイレに行かずに店内にずっといたからな。最初から怪しいものを感じていたらしい。何だかクレームがわざとらしいって」
「母親の演技の不自然さを見抜いたの?……あれ、でもちょっと待って」
黙って聞いていた羽佐間が、そこで疑問を挟み込む。
「さっきの話だと、その一家は他の客がいなさそうなタイミングを見計らって万引きをしていたんでしょ?」
「ああ。こっそりとは言え、封鎖されていた扉を開けるのは目立つ。いくら店員の注意を逸らしても、他の客に見られたら意味がないからな」
「だったら、どうして松原君やお姉さんがいるタイミングで実行したの?松原君たちはお弁当を買ったらすぐに帰るつもりだったそうだし、二人が去ってから万引きをした方が良いと思うけど」
当然と言えば当然のことを聞かれ、俺は確かにと頷く。
どうしても目撃されたくないのなら、俺たちが帰ってから実行した方が遥かに安全。
逆に言えば、それでも実行した以上は何らかの理由があるということでもある。
「後で姉さんから聞いた話だけど……犯人たちの計画的には、二人目の店員の動きを封じるためだったらしい。ほら、いくらクレームが酷かったとしても、店員が二人ともその対応をしてくれるとは限らないだろ?片方の店員にだけ対応を任せて、もう一人はバックヤードに避難する可能性もある」
「ああ、なるほど。もしバックヤードに避難されると……」
「大抵のコンビニは、バックヤードで防犯カメラを確認できるようになっているからな。万引き中の子どもの姿が見つかるかもしれない……犯人たちはそれを恐れたんだ」
彼らの計画の都合上、店員が二人とも何かの作業をしてくれないと困るのである。
だからこそ、彼らは敢えて俺や姉さんがいるタイミングを狙った。
「あの時、クレーマーを演じる母親の後ろでは姉さんが待機していた……だからこの場合、二人目の店員にはバックヤードに逃げるよりもしないといけないことがある」
「『お待ちとなっているお客様、こちらに来てください。お会計を先にお済ませします』って言う仕事?」
「そうそう。そのコンビニ、レジが二つあったから」
クレーマーの処理を片方の店員に任せられても、もう一人の客の対応が可能なのだ。
この場合、二人目の店員はしばらくレジ打ちに専念するので、店員が両方ともレジに釘付けになる。
犯人たちは、そこを狙う気だったのだ。
「もっとも、これに関しては無駄に終わったけどな。店員たちはクレーム処理に慣れていなくて、二人とも母親の方に向かったから」
「そうね……結果から言えば、そのタイミングでの決行はあまり良い手ではなかった。まあでも、お姉さんも並んでいる最中はクレーマーの方を見ていただろうから、注意を逸らすこと自体はできていたのかもしれないけど」
「確かにな。俺がトイレに行っている間に犯行を終えたのも、その辺りが理由だろう」
俺が立ち読みなどをし始めると、万引きが難しくなる。
可能な限り視線を避けつつ、あの行為に及んだ訳だ。
「じゃあもう一つ質問。さっきの説明だと飛ばされていたけど、扉のロックを開ける鍵がどうのっていうのはどんな理由があったの?」
何でその子が鍵を持ってたのって話になるけど、と疑問が続く。
そう言えば、後述すると言いながらそこは言ってなかった。
「簡単だ。その一家は、コンビニがオープンする前にその物件を借りてた一家だったんだよ。父親が塾を経営してたんだ」
「……なら、鍵を持ってたのは」
「単純に、自分たちが借りてた時に不動産屋から渡された物だ。正確には、その合鍵らしいけど」
これまた後から聞いた話になるが、あの扉は内側外側に関わらず、ロックする時には共通して鍵が必要なタイプだったらしい。
そうしないと塾に通う子どもたちが悪戯で内側から鍵をかけるようなことをするので、鍵を持つ塾講師だけがロック可能なようにしていたのだ。
当然、塾講師時代の父親はその鍵を持っていた。
ただし、不動産屋から渡された鍵は一本だけだったらしい。
普段の戸締りのことを考えると、これは使い辛い。
だから彼らは──本当は駄目なのだが──こっそり合鍵を作って、塾のスタッフなどに配っていたようだった。
「で、いざ塾が潰れた時にこの合鍵の処理に困った。普通なら鍵は所有者に返すんだけど、この合鍵は勝手に作ったものだからな。素直に返すようなことをすると、契約違反として怒られることになるだろ?」
「だからこそ、個人的に持ち続けたままにしてたってこと?」
「そういうこと。一応スタッフたちに渡していた分は全部回収したそうだけど、そのまま捨てる機会もなく車のダッシュボードにツッコんでいた。それが、今回の万引きで役に立った訳だ」
厳密に言うとこれは話が逆で、この合鍵の存在を思い出したからこそ彼らは犯行に及んだのだろう。
上手く利用できる、とでも思ったのか。
かつて使用していた備品に対してそんな感想を抱くあたり、なんと言うか、彼らの生活が透けて見える気もする。
「塾が潰れた後、割と苦しい生活をしていたらしいから……家族をも利用した盗みに対して、抵抗感が薄れていたんだと思う」
「そうね。話を聞いている感じ、なんだか手慣れている節もあるし」
「ああ。流石に合鍵まで持ち出した万引きはあのケースだけだったとは思うけど、前科があった可能性はある」
そもそもいくら欲しい雑誌があったところで、万引きという発想に至るのは常人ではまず有り得ない。
家族ぐるみでの犯行ともなれば、誰か一人ぐらい止めるのが普通だろう。
それがなかったと言うことは、あの一家は最早そんな段階を飛び越えていたと言うことだ。
父親がリーダーをやるのも、母親が囮役をやるのも。
前々から決めていた役割分担だったのだろうか。
転売で利益が出そうな、あの手の雑誌付録を狙うというやり口も。
「彼らがそういう行為に手慣れていたっていうのは、もう一つ証拠がある……俺を車に置いて、姉さんが店内に行った時の話なんだけど」
「さっきの回想の続きね?お姉さん視点の話」
「ああ。姉さんが店内に入ろうとすると、すぐに店の裏で煙草を吸っていたはずの父親が、追いかけるように入店したらしいんだ」
何故入店したかというと、これは普通に店側から連絡を受けたからである。
俺があの子を万引き犯として引き渡したため、店員たちは実行犯の親を呼び出そうとしていた。
店の裏で父親が電話をしていたのは、その報告を受けての事だったのだ。
「あっという間に入ってきた父親はさ……その後、どんなことをしたと思う?」
「話を聞いた感じだと……正直に自首した訳ではなさそうね」
「ああ。姉さんによれば、すぐさま息子をぶん殴ったんだってさ。『この馬鹿息子が!』って言いながら」
そう告げた瞬間、羽佐間の瞳から温度が消える。
彼女にも、このどうしようもない真相が分かったらしかった。
「あくまで子どもの単独犯行だった、という体で済まそうとしたのね。そうしておけば、店員もなあなあにしてくれると思って」
「そういうことだ。当たり前だけど、親からの教唆があるなんてバレたら警察行きだから」
これこそ、彼ら一家に多くの前科があったのだろうと疑う根拠である。
万引きが露見して、息子が突き出された後の対応がスムーズ過ぎるのだ。
子どもの単独犯ということにして泣き落とし、店員からの恩赦を狙うというこのやり方が。
ごく当たり前のことを言うが、万引きというのは犯罪だ。
捕まった場合は窃盗罪で警察へ。
場合によっては、定価よりも遥かに高い価格でその商品を買うように求められる場合もある。
しかし現実問題として、全ての万引き犯が警察に突き出されている訳でもないだろう。
犯人がまだ幼い子どもで万引きの自覚がなかった場合、或いは本人が強い反省の意思を示した場合。
そう言う場合には、商品さえ戻って来れば店員からの説教だけで済ましてしまう、なんてパターンもないではない。
あの父親たちは、それを狙っていたのだ。
万引きの実行役である息子が捕まった場合は、すぐに店員からの呼び出しに応じて現場に駆け付ける。
無論、直前まで喫煙所でたむろっていたことは隠しておく。
そして、「突然自分の子どもが万引きをしていたと聞かされた父親」を装うのだ。
その場で息子を張り倒し、なんてことをしたんだと店員の前で叱りつける。
店員が思わず引いてしまうくらいに厳しい父親を演じて、それからこう言うのだろう。
「本当に申し訳ありませんでした!この子にはよく言って聞かせておきますし、商品も返します!だからどうか、警察だけは……!」
こんなことを言って、土下座でもなんでもしておく。
上手く行けば、店員には責任感の強い父親にしか見えないだろう。
犯人である息子もまだ七、八歳程度であり、そもそもにして責任を問えないような年齢だ。
子どものしたことですから、どうか────正しいかどうかはさておき、言い訳としては機能する。
「それで、『お父様がそこまで言うなら、今回だけは弁償無しで勘弁してあげましょう』なんて言ってもらうのを待つ訳だ。そうすれば警察は呼ばれないし、自分たちも万引きには失敗すれど、詳しく調べられることなく帰ることができる」
「クレーマー役の母親はその遥かに前に逃走、父親と息子もそこで逃亡可能となる訳ね」
「勿論、もうそのコンビニは流石に狙えないだろうけどな……どこか、別のコンビニを狙いに行く可能性はあるが」
事実、姉さんが介入しなければそうなっていたんだろうと思う。
合鍵のない店で、どんな手法を使おうとしていたかは知らないが。
「それなら、お店に入ったお姉さんはそういった真相を店員に教えたの?」
「そういうことだ。土下座する父親を押し退けて、推理を伝えたらしい。初対面の店員によく推理を信じて貰えたものだけど……」
それでも最終的には、店員たちを丸め込んだのだろう。
姉さんの推理を信じた店員は泣き落としに騙されず、警察を呼んだ。
かくして、この事態は明るみにでた訳だ。
「それで、その後はどうなったの?」
「夫婦は捕まったよ、虐待と窃盗で。子どもの方は保護されて、児童相談所に送られた……その後のことは、ちょっと知らないんだけど」
流石に小学生に伝えるような真相ではないと思ったのか、その後の経緯について当時の姉さんは教えてくれなかった。
俺がこの真相を聞いたのは、中学生になってからである。
現場が東京からは遠い望鬼市ということもあって、続報となるニュースも届かなかった。
故に、その後のことは俺の知るところではない。
知ってどうする、という問題でもある。
だから俺が胸に留めたのは、姉さんに関する一つの事実の方だった。
「話している内に、何だか話がずれてきたけど……俺が言いたいのは、姉さんは昔からこういうこともしてくれてたってことだ。俺が不完全な推理をした時に、誰に言われずとも尻拭いをしていた」
「……お姉さんがいなかったら、店員は万引きを小さな子どもの単独犯だと思っていた。そうなれば、店員は泣き落としに引っ掛かったかもしれないし、解放されたその一家は犯行を繰り返していたかもしれない」
「ああ。俺の推理のまま突っ走っていたら、そうなっていた可能性が高い。それを、姉さんが正してくれたんだ」
恐らくこの一件だけではない。
姉さんはこれまで、数えきれないほど俺の尻拭いをしてくれているのだろう。
俺に報告せずに無言でフォローされるので、こちらとしては気づかないことも多いのだが、一回や二回ではきかないはずだ。
「そういう意味では、凄く優しいお姉さんに聞こえてくる。弟大好きっていうか」
「んー、いやまあ、そういう感情でやっている訳でもないと思うけど。俺がただ一人で痛い目を見るだけだったら、多分フォローはしてくれない。この話に関しては、実行犯だった子どもを助けるためにやったのも大きいんじゃないか?」
この一件を全て振り返ると、一番の被害者は万引きをした息子である。
何せ親の指示で万引きに加担させられた上、もし失敗した場合にはその親に実態隠しのために殴られるのだ。
まだ幼かったため、それがどれほど酷いことなのか分かっていなかった可能性もあるが────それでも、凄惨な環境にあったのは間違いない。
俺はそれを見抜けず、彼だけを店員に引き渡してしまった。
万引き犯はコイツですと言って。
俺に見つかった瞬間、きっと彼の心は絶望に染まっていたはずだ。
それを、姉さんが救った。
彼に命令した人間を暴き、真相を見抜いた。
結果として家族はバラバラになったが、それでも万引きを続けるような環境からは解放された訳だ。
どんな犯罪も未遂で終わるならそれが一番良い、というのは姉さんがよく口にする言葉だが。
こういう話を思い出すと、姉さんの行動原理に即している言葉だと思う。
姉さんは俺の尻拭いをしつつ、同時に未来に繰り返される恐れのあった万引きを根絶したのだから。
「……前回、松原君はカラオケの店員を告発した私のことをかなり過剰に心配してけど」
概ねの話を終えた俺は、冷めきってしまった紅茶を飲み干す。
すると羽佐間が、以前のことを持ち出してきた。
「今の話を聞くと、あんなに心配したのはそういう理由もあったの?中途半端な推理で告発してしまうと酷いことになるかもっていう」
「あー、そうだな。言われてみたらそれもあったのかもしれない。まあ、純粋に心配してたのが大きいんだけど」
実行犯の背後に黒幕がいたこの万引き事件と、あくまで店員一人で指示を出していたあの事件では性質が違う。
俺としても、殊更に自分の過去と羽佐間の告発を重ねていた訳ではない。
だがこうして振り返ってみると、万引き事件からの教訓も少しは影響していたのかもしれなかった。
事実、中学生になってこの真相を教えてもらって以来、俺は自分一人で警察に何かを告発するような行為は可能な限り避けている。
やるとしたら姉さんのような、信頼できる人物のチェックを通してからだ。
だからこそ、羽佐間が一人で告発に赴いたことにちょっと過剰に反応してしまった節はあるだろう。
結果から言えば、カラオケボックスの事件で彼女は別に推理ミスはしていなかったので、杞憂だったのかもしれないが。
──そう言えば、俺が自分の推理力の欠点を意識し始めたのも……今のままじゃ不十分だなと思い始めたのも、こういう姉さんのフォローに気が付いた頃からかもしれない。
思い出しついでに、そんなことも考える。
再三言っているが、俺の推理力は特に人間心理の点において働きが鈍い。
万引き事件の時も、「本当に子どもが犯人なら、犯行後はすぐに外に出て雑誌を持ち出したいはず」という単純な犯人心理すら読めなかった。
故に羽佐間との交流を介してこの欠点を埋めようとしているのだが、その原点はこう言った俺の推理ミス案件に集約されているようだった。
俺の推理力がより高くなれば、変な被害も減るし、姉さんにも尻拭いをさせなくて済むのだから。
そういう意味では、俺が羽佐間と付き合い続けている理由の一つはこの辺にあるのかもしれない。
「あー、でもその解釈は何だか嫌だな。こうして彼女を作っていることすら、何だか姉さんの影響が透けて見えて……感謝はしてても、そこまで影響下にあると思うと嫌さが勝つな……」
「何ブツブツ言ってるの?」
ぼんやりと思考を進めている内に、自然と口が開いていたらしい。
ジト目でツッコミを入れる羽佐間の前で、俺は慌てて口を閉じる。
そして、脱線しまくった話を元に戻した。
「と、とにかく、俺と姉さんの関係はそんな感じだ。平時は滅茶苦茶やる人だけど、同時にこんなフォローをしてくれる人でもある。もし姉さんがいなかったら、俺はとんでもない推理ミスで周囲の人を傷つけていたかもしれない……だからまあ、本気で嫌ってはないよ」
「どれほど酷い悪戯をされても?」
「それは止めて欲しいけど」
それはそれとして断言しておく。
いくら陰で助けてくれていようが、あれ自体は本気で嫌だった。
ああいうことを平気でやっちゃうからこそ、姉さんへの感情は複雑になるのである。
そんなことをブツブツ言うと、羽佐間は耐えきれないようにフフッと笑った。
今までに見せた、俺のことを憐れむような薄い笑みではない。
自然に零れたような、柔らかい笑顔を。
「こうして話を聞いていると……松原君、何だかんだ言って家族から愛されてるね」
「んー、まあ……家族だし」
変な感想を返す羽佐間の前で、俺は微妙な気分で頷く。
生まれてこの方、姉さんの悪戯で困ったことはあれど、家族に愛されていないのではないかと思って悩んだことは特に無い。
ある種非常に贅沢な状態かもしれないが、愛されているかどうかと問われたら頷くしかなかった。
しかしやはり、これは現代では当たり前とは言い難い状況でもあったのだろう。
ちょっと恥ずかしそうに肯定する俺を見つめながら、羽佐間は穏やかな顔をしていた。
尊い物を見た、とでも言いたげに。




