中断
「……凄い写真」
「うわあっ!」
突然耳元に声が響き、俺は驚いて飛びのく。
飛びのいた先で、いつも以上に無表情になった羽佐間が佇んでいるのが分かった。
デジカメを抱えて固まってしまった俺を心配して、いつの間にか近づいてきていたらしい。
「さっきの人……そんなことになってたの?」
割と普通の人に見えたけど、と言いながら羽佐間は腕を組む。
どうしてこんな写真が撮れたのか考えてくれているようだった。
彼女の様子は落ち着いていて、先程までの動揺はもう殆ど見られない。
──いや、というか……冷静過ぎないか?普通ドン引きだろう、こんな写真。
内心でそんなツッコミをするが、同時に羽佐間の冷静さに助けられる側面があったのも事実だった。
彼女に引きずられるようにして、混乱した思考が立て直されていく。
お陰で、俺は辛うじて状況説明をする余裕を取り戻した。
「羽佐間、これ……さっき偶然撮ってた写真なんだけど……その、とんでもない光景が映ってて」
「そうね……こう言うのって、児童ポルノ扱いになるのかな。松原君、持っていたら不味いかも」
「いや、論じるべきはそこじゃない気がするけど」
ちょっと方向性のずれた発言にツッコみつつ、俺は改めて写真を見つめる。
つい数分前までここにいた女子中学生の姿。
どう言葉を選んでも変態としか表現できないこの光景は、俺に格別の興味を与えていた。
「何故この人が下着を身に着けていないのか……あの急いだ様子と、何か関係あるのか……彼女がいたカラオケボックスでは何が起きていたのか……」
謎ばっかりだ。
これまでも「日常の謎」にはいくつも出会ってきたが、意味不明さはトップレベルである。
卵パックも紙箱も、基本的には「そこに無いはずの物が何故かある」という謎だった。
しかし今回は逆で、「そこに当然あるはずの物が何故か無い」という謎である。
およそ文明人であれば殆どの人が見に着けるであろう下着────それが無いと言うのはもう、謎を超えて事件ですらあった。
だからこそ、どうしても理由が気になる。
今がデート中だということも忘れて、俺はその場で穴が空くほど写真を見つめた。
羽佐間はそんな俺を、別種の変態を見るような目で見ているようだった。
「……まあでも、彼女が急いで走っていた理由は簡単に説明できるんじゃない?」
考え込む俺の隣で、不意に羽佐間がそんな推論を述べる。
これまでの経験もあって、俺が謎解きモードに入ったことを彼女も察したようだった。
こうなったらもう止まらないということを、彼女も分かってきているのかもしれない。
「走っていた理由……もしかして、下着を買いに行っていたとか?」
「うん。理由は分からないけど、あの子は下着を身に着けていなかった。だからすぐに代わりの下着を取りに行くか買いに行くかしようとして、ダッシュで出ていった。それならあの焦りようも分かるでしょ?」
淡々とあの女子中学生の心境を推測する羽佐間。
その推理は筋が通っていそうだったが、同時に違和感もあった。
というか、そこが分かったところでどうしようもないというか。
「でもそもそも、何故下着を身に着けていないんだ?このカラオケボックスに来る前からなのか、それともカラオケボックスで脱いだのか……」
どちらだったとしても、意味不明な行動である。
前者なら下半身を殆ど露出したままこの近くを歩いていたことになるし、後者ならカラオケボックスに自分の下着を捨てていったことになってしまう。
何故、という疑問は残ったままだ。
「単純に、あの子がそういうタイプの露出狂だったとは考えないの?世の中広いんだし、中学生の変質者だっていると思うけど」
「え、いや……でもそれだと、さっき羽佐間が言った『焦って代わりの下着を買いに行った』とかいう話と矛盾しないか?」
羽佐間が続けて発した仮説に対して、俺は真剣に反論する。
一応彼女の言う通り、あの子がガチの変態だったという可能性はゼロではない。
この世の中には、まだ中学生の俺たちには想像もできないような奇人変人が潜んではいるのだろう。
しかしそれが正しいとなると、あの子が焦っていた理由が分からなくなる。
下半身を露出することが目的なら、あんなに焦ってどこかに行く必要もないだろうに。
あそこで焦ると言うのはつまり、下着を身に着けていない現状を一秒でも早く解決したいと思っているということであり、つまりは露出狂ではないということになる。
「だから多分、あれは彼女としても本意じゃなかったはずで……やっぱり何か、不本意にああいう状態になったんだと思う。何らかの理由で、下着を捨てざるを得なくなったとか」
「何らかの理由って……例えばどんな?」
「……漏らしたとか?」
パッと思いつく可能性を挙げてみる。
正しいかどうかはともかく、考慮に値する可能性だった。
仮にあの子が、トイレが限界の状態であのカラオケボックスにいたとしよう。
何かしら消化器系の病気かもしれないし、単純に歌に熱中してトイレに行くのを忘れたのかもしれない。
何にせよ、彼女がトイレに行けずにカラオケボックス内で漏らしてしまったと考えるのだ。
そうそうよくあることでは無いが、露出狂よりは有り得そうな光景である。
そしてこうなった場合、行うべき対応と言うのは限られている。
とりあえず、汚れた下着と濡れたであろう服の洗浄。
カラオケボックス内の掃除も忘れてはいけない。
個室にはハンドタオルや飲料水も置いてあったので、やろうと思えば比較的簡単に掃除はできたはずだ。
そうやって自分が漏らしてしまった痕跡を消してから、彼女は帰宅しようとする。
しかしこの際、汚れを洗い落としたために下着はずぶ濡れになってしまっていた。
故に彼女は下着を履かず、スカートだけで下半身を覆ってダッシュで帰ろうとしたとか……。
そんな可能性を羽佐間相手に解説してみる。
冷静に考えると、恋人相手に女子中学生のお漏らしについて熱弁するという狂った状況だったが、一応羽佐間は冷静に話を聞いてくれた。
その上で、問題点を指摘してくれる。
「話を聞く限り、大きな矛盾は無いと思う……でも、無理があるとも思う」
「あ、やっぱりそうか?」
「うん。汚してしまったせいで下着がとても履ける状態じゃなくなった、というのは分かるけど……それでもスカートしか持っていないのなら、我慢して着るんじゃない?どう考えたって、何も着ないよりはマシでしょ?」
──そうなるよな……。
これについては、話ながら分かっていた点だった。
いくら何でも無理があるよなあ、と。
もしあの子が履いているのがズボンだったのなら、この仮説も有り得なくはないだろう。
下着を履かずにズボンを身に着けたなら、一見何の変哲もない格好に見えるからだ。
どうせバレないんだから平気だろう、寧ろ濡れた下着を履くと形が染み出てしまう────そう考えて泣く泣く下着を捨てたというのは、まだ考えられる。
だが、あの子が着用していたのはスカートなのだ。
しかも写真を見る限り、結構短い感じのそれである。
ちょっと風で煽られただけでめくれあがってしまいそうなくらい、防御力が低い。
──俺が女子だったとしても、絶対に下着無しでは着ないな……羽佐間の言う通り、どれだけ下着が汚れようが我慢して履くしかない。
現に今回、偶然とは言え俺は彼女のスカートの中身をガッツリ撮影してしまっている。
下着無しでスカートを着用するというのは、こんな危険なことが容易に発生してしまうのだ。
こう言ったらなんだが、たかだか下着が汚れた程度でこんな危険な行為に走るとは思えなかった。
漏らした以外の理由があったとしても同様である。
食べ物を零したのだろうが、何かが原因で下着が破れたのだろうが。
いくら何でも、あんな状態で外に向かうとは思えない。
「じゃあ……実は彼女はカラオケボックスに来る前にプールに行ってて、水着を下に着込んだまま家を出たとか。その時に替えの下着を忘れて、泣く泣くあの姿に」
「その場合、呑気にカラオケボックスに来ることはないと思うけど。そもそもこの時期、プールに入る人は少ないと思う」
「……」
流石に思い付きをそのまま口にし過ぎたのか、羽佐間から容赦のないツッコミが飛んできた。
昨日読んだ葉兄ちゃんの日記の中に似たような話があったので引用してみたのだが、今回はその推理では解決できないらしい。
最終的な結果としては似たようなところに落ち着いているのだが、別解を考えなくてはいけない。
「でもそうなると、パッと思いつく可能性って中々無いな……」
ううん、と俺は首を捻る。
状況の奇妙さ故に混乱が収まっていないのか、思考が今一つまとまっていないところがあった。
今までに謎解きっぽいことをした二件と比べても、起きていることが非常識過ぎるというか。
「……ねえ、松原君。流石にそろそろ」
そんな俺を見かねてか、羽佐間が困ったような声を出す。
こんなところで立ち止まって考え事なんてするな、と言いたいのだろう。
割と突飛な発言をすることも多い彼女にしては珍しく、世間的なマナーに即した言葉だった。
──まあ、これは羽佐間の方が正論か。カラオケボックスの真ん前でずっと立ち止まっちゃってるし。
素直にそう思った俺は、気まずい表情で羽佐間の誘導に従おうとする。
だが丁度その時、俺たちに声をかけてくる人がいた。
「あー、君たち。どうかしたのかい?」
「え、はい?」
反射的に振り返ってみると、そこにいたのは見たことのある顔だった。
ついさっき、カラオケボックスの使用料を支払った時にレジにいた男性店員である。
その彼が、いつの間にかレジが設置されているプレハブ小屋を抜け出て、俺たちに声をかけてきていた。
「その、正直ずっとここに立ち止まられると迷惑でさあ……次に入ってくるお客さん、入りにくいでしょ?」
「あ、はい、すいません」
「頼むよ。防犯カメラで見てたけど、何だかずっと居座ってるし……ボックス内では君、普通のお客さんだったのに」
「いえ、ちょっとコケて……本当にすいません」
しかめっ面で注意してくる店員を前に、俺はペコペコと頭を下げる。
やや嫌味っぽい言い方だったが、妙な場所で立ち止まって入口付近を占拠していたのはこちらなので、謝るしかない。
すいませんすいませんと言いながら、俺は羽佐間と共にカラオケボックスの敷地から出ることになった。
「……いや、本当にゴメン。折角のデート中なのに、何だか途中で変なことばっかり考え込んで。写真も撮れなかったし、店員さんも困らせたし」
カラオケボックスから出てすぐ、歩道を歩きながら俺は羽佐間にも頭を下げた。
思えば最初は彼女の写真を撮ろうとしただけだったのだが、変なことになってしまった。
羽佐間としても、彼氏がデート中に妙な考えに耽った挙句に店員に注意される姿なんて見たくなかっただろう。
──葉兄ちゃんの日記でも、こんなのあったな……葉兄ちゃんが勘で変な物を見つけた挙句に考え込んで、同行していた女子に怒られるやつ。
記憶に焼き付いていたせいか、変なことまで思い出した。
どうもこの辺り、血は争えないらしい。
俺たちの一族は、デート中でも「日常の謎」を優先してしまう悪しき習性があるのだろうか。
──この習性、ちゃんと直さないと後々苦労しそうだな……。
ある意味これは、羽佐間と取引して恋人関係になったことで得た学びである。
変なことにばかり気が付いて行くなあ、と感じながら俺は頭を下げた。
「……松原君、頭を上げて。もう、良いから」
ある程度俺の謝罪を聞いてから、羽佐間は無表情でそう告げる。
そして、すっと前に向くと。
こう続けた。
「ねえ、今日のデート……」
「うん」
「もう終わりにしようか」
えっ、と喉から声にならない声が溢れた。
一瞬で顔中の血液が消えたかのような、冷たい感覚。
「そ、その……この後のお昼は?」
「自分で食べるから」
反論する暇もない。
彼女は言葉を言い終わる前に、既に足を速めていた。
俺を振り切るようにして、駅前の雑踏に姿を消していく。
全てがあっという間の出来事だったので、しばらく俺は現実を認識できなかった。
馬鹿みたいにポカーンとしていた記憶がある。
まあ、簡潔に言えば。
デート中に彼女に愛想を尽かされて、先に帰られたというだけなのだが。
……そこからの俺の様子については、描写を省く。
これでも俺なりに反省したり、後悔したり、俺って本当に駄目な男だなと思ったり、電話で謝ろうとしてすぐに不可能なことを思い出して落ち込んだり、色々あったのだがそれでも省く。
基本的には、「彼女を怒らせてしまった彼氏の思考」の全てをやりつくしたと思ってもらえばいい。
一つ確かなのは、俺たちのような奇妙な恋人関係であっても、やはりこう言うのは罪悪感がヤバイということだった。
このデートは彼女から唐突に誘ってきたことなので、羽佐間を悪役に仕立てる──自分から誘ったくせに、勝手に怒って帰ったワガママ女だと思う──こともできたのだが、どうしてもそうは思えなかった。
ただひたすらに、申し訳なさしかない。
そんなこんなに、リアルに七転八倒しながら日曜日は終わって。
死にそうな気分で起床してすぐ。
俺は偶然にも、こんなネットニュースを目にした。
「都内カラオケボックス店員を現行犯逮捕・公務執行妨害 『引け目があったものだから、警察官が来た時にパニックに……』(神舵区のニュース)」




