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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.1:全ての卵
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秘密

「ふーん……じゃあお前、しばらくそういう行事の雑用することになったのか」

「そうそう。正直、滅茶苦茶面倒臭いけど。相方もよく知らない女子だし」


 羽佐間灰音と自己紹介をした、その日の夜。

 我が家に帰って夕食をとりながら、俺は食卓に座る自分の姉に対して愚痴を言っていた。

 勿論、内容は合唱コンクール委員に関することである。


「今日のところは、別に仕事無いからってすぐに返されたんだけど……何か、明日から早速やらないといけない用事があるとか言われた。割と放課後丸々潰れるから、時間空けとけって」

「放課後が丸々潰れるって、何やるんだ?」

「何か、合唱コンクール会場への挨拶とか」


 本当に必要なのかって気もするけど、と言いながら俺は皿を満たすシチューを掻きまわす。

 スプーンの動きが荒すぎて、一回転させる度に具材が細かく細断されてしまったが、そんなことすらどうでも良かった。

 明日からあの地味な子と慣れないコミュニケーションを取っていく必要があると思うと、それだけで愚痴が溢れてしまう。


「まあでも、そんなに時間がかかる仕事をやらされるなら、ある意味お前が引き受けてよかったじゃないか。他の家だと門限が厳しいところもあるだろうが、ウチならそんなことは無いだろ?」

「んー……それはそうだけど」

「どれだけ帰る時間が遅いところで、叱る人もいないしな。私だって、いつもはこんなに早く帰っていない」

「それもそうだ」


 相槌を打ちながら、俺は改めて真正面に座る姉さんの姿を見つめる。

 当然ながら、そこには見知った姉がシチューとサラダをガツガツと食べている様子があった。

 ボサボサの髪を振り回し、タンクトップ一枚で過ごす彼女のスタイルは、とても外でバリバリに働いている時のそれとは一致しない。


 ──それでも、昼はとんでもなく忙しくしているんだろうな……何せ、芸能事務所のプロデューサー補佐なんてやっているんだし。


 内心でそんな確認をしながら、俺は思わず苦笑した。

 改めて考えると、本当に凄い人だと思って。


 今、目の前でパンにシチューを塗りたくっている女性は、名前を松原夏美という。

 俺から見た間柄を補足するなら、十歳年上の姉だ。

 何かと仕事で忙しくて家に寄りつかない両親に代わって、実質的な俺の保護者になっている人物でもある。


 見た目だけなら十分に美人な姉なのだが、その実、中々尖った性格をした人だ。

 悪戯好きな上に気が強く、俺は今まで何度もこの人に泣かされてきた。

 大学卒業後の就職先として、大手芸能事務所「ボヌール」のプロデュース部門なんて珍しい場所を選んだのも、その苛烈な性格と無駄に高い決断力がなしえた業なのか。


「それにしても今日は帰りが早かったな、姉さん。何かあったのか?」


 ふと気になって、俺はそんなことも聞いてみる。

 両親が多忙なことは既に述べたが、姉さんもまたその例外ではない。

 芸能事務所なんていう場所に勤め、しかも若くして出世したせいか、昼も夜もない生活をしているのが彼女の常である。


 当然、定時退社する光景なんて絶滅危惧種。

 姉さんが就職して以降、俺にとって夕食と言えば一人で食べるものだった。

 それがどうして、今日は普通に早く帰ってきたのか。


「つい最近、私が手掛けているアイドルグループがデビューしたからな。デビュー前までの煩わしい準備が終わって、一息ついているってだけだ」

「あー、そう言えば言ってたな、そういうの」


 基本的に姉さんの仕事内容を聞かない──そもそも、アイドルに対して興味がない──俺だが、その話だけは聞いたことがあった。

 確かつい先日、姉さんはとあるアイドルグループをデビューさせたのである。

 グループ名は忘れたが、花の名前だった気がする。


「でもデビューさせたのなら、デビュー後の仕事のせいでもっと忙しくなるんじゃ……」

「いや、実はデビュー早々にメンバーの一人が体調を壊してな。今は少し、仕事を入れ辛い時期になったんだ。その余波で暇してるんだよ。担当アイドルに仕事が無い以上、こちらの仕事も減るからな」

「ふーん……姉さんの労働状況的には有難い話だけど、大丈夫なのか、そのアイドル。デビュー早々にそんなことになって」

「まあ、本人はかなり気にしてたな。でも大丈夫だ。というより、それを大丈夫にするのが私の仕事だ」

「へえ……」


 アイドル業界の事情はよく分からないが、姉さんがこう言うのならそうなのだろう。

 この人は、おためごかしの嘘はまず言わない。

 姉さんがこう断言した以上、どんな手段を使っても「大丈夫」にするということだ。


「何にせよ、最近はそれなりに時間があるということだ。だからさっき言ってたお前の合唱コンクール、絶対に見に行くからな」

「えー……来るのか」

「当然だろう。可愛い弟の学校行事だ」


 真顔でそんなことを言う姉さんを前に、俺はどことなく気恥ずかしくなって首の後ろをバリボリ掻く。

 本当に何なんだろう、この感じ。

 中学生になった頃くらいから始まった、保護者が学校行事を見に来ることを恥ずかしく思ってしまうこの感覚は。


 決して、慣れていないことではないはずだ。

 両親の影が薄い我が家では、俺の様子を見に来るのはいつも姉さんだった。

 この間の三者面談だって、俺と教師と姉さんで進路を話し合ったくらいである


 常に忙しい姉さんが時間をやりくりし、進路相談やら写真撮影やらをしてくれているのだから、俺は本来彼女に感謝をしなくてはならないのだろう。

 理屈としてそのことは分かっているのだけど、こう────思春期の中学生として、保護者の厚意には思うところが色々出てくると言うか。

 そのせいで、俺は余計なことを口にする。


「……いつも言ってるけど、忙しかったら来なくていいからな、姉さん。今時、行事を全部見に来ない親だって多いらしいし。ただでさえ、姉さんは悪目立ちするんだから」

「妙に嫌がるな、玲。もしかして、小学校時代の授業参観の時のことを恨んでるのか?」

「……少しは」


 俺が小学校低学年の頃、姉さんはまだ高校生だった。

 高校生というのは普通、誰かの保護者になる年齢ではない。

 しかし俺の通う小学校が授業参観を開いた際には、いつも教室の後方には姉さんの姿があった。


 当然ながら、滅茶苦茶浮いていた。

 他の生徒の親が壁際に立ち並ぶ中、一人だけ女子高生が居るのだから当たり前である。

 高校をサボってまで授業参観に来てくれたのは少し嬉しい気もしたが、あのことで何度周囲にからかわれたか分からない。


 無論、今の姉さんはもう社会人になっているので、合唱コンクールを見に来たところで浮くようなことは無いだろう。

 それでも何となく、小学生の頃からの忌避感が続いてしまっている。

 思春期特有の自意識過剰を抜きにしても、何となく避けたくなっちゃうというか。


「昔はあどけなかったものだが……細かいことに拘る奴に育ったなあ、玲。良いじゃないか、合唱コンクールを聞きに行くくらい。何なら、各クラスの歌の採点でもしてやろうか?仕事柄、歌の良し悪しには一家言あるが」

「それは本気で止めてくれ」


 芸能事務所に勤めているからといって、そんなことまでされては敵わない。

 姉にそんなことをされた日には、からかわれるどころか本気でクレームが来るだろう。

 それ以前に────。


「姉さんとしても、俺が芸能関係者の弟だって学校に広まるのは嫌だろ?サインが欲しいとか、芸能人に会わせてくれって言いに来る奴が絶対に現れるだろうし……」


 少しだけ真面目なトーンで告げてみると、姉さんは僅かに白けた表情に戻り、「まあ、そうではあるが」と続けた。

 その様子を見て、俺は自分の考えが間違ったものではないことを察する。


 ……姉さんが芸能事務所で勤務していることは、既に述べた。

 だがこのことを、俺は周囲の人間には決して述べていない。

 何かの拍子にそれがバレるようなことがないよう、学校での立ち振る舞いの点でも気にしているくらいだ。


 姉さんが働く芸能事務所はアイドル業界に強く、人気アイドルが多数在籍している。

 恐らく、ウチの学校の中にもファンが大勢いるだろう。

 仮に彼らが、俺がボヌール社員の弟だと知れば────間違いなく、困ったことになる。


 俺が困るだけならまだいいのだが、過激なファンの中には俺の家の位置を調べて姉さんを尾行するだとか、その延長で事務所内に入り込もうとする人だって現れるかもしれない。

 そうなれば、姉さんやボヌールのアイドルにも迷惑がかかる。


 だからこそ、俺も学校では色々と気にしているのだ。

 俺が休み時間の殆どを睡眠に使い、友達付き合いもしない理由の一つは間違いなくこれである。


「姉さんに限ってはそんな迂闊なことはしないだろうけど……観客席で合唱コンクールを見ている時も、気を付けた方が良いだろ?俺が隠しても、姉さんからバレたら意味が無いんだし」

「まあ、その通りだが。しかしお前……本当に、誰に言われずともそういうのを察するよなあ」


 ちょっと呆れたような口調で、姉さんはポツリと感想を零した。

 それを聞いて、俺はふと「そう言えば、別に姉さんからボヌールについて隠すように頼まれたことは無かったな」と思う。

 本人から頼まれてもいないことを俺の方から頼んでいるというのも、思えば不思議な感じもする出来事だった。






「……じゃあ、最初の仕事って基本、会場に行って挨拶をするだけか?」

「うん。それでリハーサルの予定と緊急時の連絡先とかを確認し合って、今日の私たちの仕事はおしまい」


 姉さんと馬鹿みたいな話をした夕食から時間は飛んで、次の日。

 放課後に入ってすぐ、俺は事務的な確認をしていた。

 相方の合唱コンクール委員である羽佐間から、今日の仕事内容を聞いていたのである。


「昨日も思ったんだけど……ぶっちゃけ、二人でわざわざ行かなくても良いんじゃないか?電話でいいだろ、これ」

「私もそう思うけど、先生が礼儀として会いに行けって言うから」


 素っ気ない言い方をしながら、俺の目の前で羽佐間は黙々と鞄に荷物をまとめ始める。

 これ以上の説明はしない、文句も聞かないとその背中が語っていた。

 仕方なく、俺も彼女に従うように荷物を掴みなおす。


「道順はもう分かってるから。歩いて行きなさいって」

「歩きか……本番だとバス移動だけど、徒歩なら三十分近くはかかるな」

「そうなの?私、去年転校してきたから知らなくて」


 ──あ、この子転校生なのか。だから会場の様子を知らないのか?


 会話の内容から一つ察して、俺はやや納得する。

 俺がクラスメイトのことをよく知らないのはいつものことだが、それにしたって羽佐間という生徒のことは記憶になさ過ぎた。

 彼女が去年になってからやってきた転校生だというのなら、その理由も多少は分かる。


「……じゃあ、行こ」


 そんなことを考えている内に、羽佐間は準備を終えたらしい。

 言葉少なに出発を促した彼女は、そのままスタスタと校門に向かって歩いていく。


「あ、ちょ……」


 待ってくれ、と言っても止まってくれなさそうな感じがあった。

 自然、俺はそれなりのダッシュで彼女を追いかける形になる。


「……ええっと、因みに今日何をやるのかって、どこで教えてくれるんだ?今日は羽佐間が教えてくれたけど……」


 追いかけついでに、俺は分からないことを確認しておく。

 羽佐間とのこれまでの会話は断片的なものばかりで、そもそも基本的な仕事内容も確認していなかった。

 今日も彼女とはよく話せていなかったので──普段とは違って俺も寝なかったのだが、羽佐間の姿が見えなかったのだ──ここで聞いておきたかったのである。


「……放課後に生徒会室に行くと、合唱コンクールの委員長が仕事の割り振りをやってて、そこで教えてもらえる。今日はもう、私が先に行ってきた」

「あ、そうか。それはありがとう」

「だから別に心配しなくていい。私が見つからなくても、仕事内容はそっちで聞けば良いから」


 あまり感情を感じさせない声でそう告げた後、羽佐間は再び黙ってスタスタと歩いて行く。

 その勢いに圧されるように、俺は会話の続きを諦めた。

 何というか、あまりこちらと話したくない様子に見えたのである。


 ──ちょっと、素っ気ない感じのする子だな……互いに大して知らないんだから、この子に嫌われてるって訳でも無いだろうけど。


 羽佐間につられるように無言で歩きながら、そんなことを考える。

 今のやり取りだけでも、彼女の性格は粗方推察出来た。

 俺も決して話し上手という訳では無いが、どうやら彼女はそれ以上に会話に力を注がないタイプらしい。


 元々大人しそうな感じの子だしな、と一つ頷いておく。

 第一印象のせいか、困惑よりも納得が強かった。

 前髪の奥からのぞくハイライトの消えた瞳が、偏見めいた彼女への印象を加速させる。


 ──かなり話しづらい感じの子だけど、ある意味俺にとっては好都合か。無理に話をする必要は無いし、様子からして仕事はキチンとするタイプっぽいし。


 失礼な感想かもしれないが、そんなことも考えた。

 羽佐間はかなり言葉少なだが、よくよく考えて見れば休み時間の殆どを寝て過ごしている俺だって似たようなものである。

 仮に彼女が口数の多いタイプだったのなら、会話に困っていたのは俺の方だろう。


 そう言う意味では、委員の相方がこういう感じの女子だったことは僥倖と言える。

 担任教師は、こういうのも含めて俺を委員の代役にしたのかな────そんなことを、ふと思って。


 その瞬間。

 押し黙っていたはずの羽佐間が、唐突に口を開いた。


「ねえ、松原君」

「え、何?」


 突然問いかけられ、驚きながら口を開く。

 純粋に、質問がされたことに対する驚きが半分。

 もう半分は、彼女に名字を覚えられていたことに対する驚きだった。


 俺が驚いている内に、彼女は歩きながら傘をコツンと地面に叩きつける。

 同時に、こんな質問を口にした。


「……松原君ってさ」

「うん」


 何を聞いてくるんだ、と心理的に微かに身構える。

 しかし結果論だが、そんな構えは何の意味も無かった。


 何せ、続けられた言葉がこれである。




()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……は?」




 最初は、聞き間違いかと思った。

 いくら何でも、このタイミング、この関係性で聞かれることでは無いだろうと。

 しかしごく普通の表情でこちらを見つめてくる羽佐間の瞳には、一切の揺らぎが存在しなかった。


「え……ええっと」

「何?」

「殺すって、その……比喩とかじゃなくて、普通に命を奪う感じの?」

「うん」


 だから言ったでしょ、とでも言いたげな語調。

 期待していた「言い間違い」とか「別の意味の言葉」という線が消え去り、俺ははっきりと絶句する。

 何を言っているんだ、この子は。


 とりあえず俺にできたことと言えば、脳内の印象修正だけだった。

 地味で大人しいだなんてとんでもない。

 どうやらこの子は、物凄く変な女子らしい。

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