虚飾
かくして時間は飛び、次の日の午前十時。
すなわち、デート当日の集合時刻。
俺は羽佐間に指示された通り、集合場所である都心の駅の一画で佇んでいた。
日曜日の午前中ということで、駅の構内にはそこそこの人がいる。
念には念を入れて約束の十五分前にはここに来ていたのだが、あながち過剰な対応でも無かったようだ。
もう少し遅れてきていたら、人の塊を抜けるのに手間取って遅刻していたかもしれない。
──まあ早く出た分、服装は正直適当なんだけどな……変じゃないよな、これ。
待っている間に急に不安になり、近くの柱に設置されている鏡で自分の姿を確認した。
当たり前だが、そこには朝に鏡で見た通りの姿がある。
白いスウェットとカーディガン、黒いデニムパンツとグレーのトートバック。
近所の衣装店に置いてあるマネキンとほぼ同じ姿なのが情けないが、それでも一応ウチにあった服の中でも、まだちゃんとしているのを選んだつもりである。
本屋と映画館以外の場所に行かない生活を送っていると、こういう時の服装に困る。
──そう言えば、あの日記でも葉兄ちゃんが似たようなことをやってたな。女の子と外出することになって、服を何にするか悩んで……。
何度も鏡を凝視していたせいか、変なことまで思い出した。
昨日、何かの参考になるかと思って読んだあの日記に、今の状況とほぼ同じそれがあったのである。
葉兄ちゃんもあんまりファッションに詳しい人ではないので、ちゃんとした外出の度にこういうことをしているのだろう。
──従兄弟だからって、そこまで似なくてもいいよなあ……。
一応、これが自己弁護に過ぎないことも自覚していた。
俺には松原茉奈という同い年の従姉妹もいるのだが、彼女はこの手のことに非常に詳しい。
今回はデートについて知られるのが恥ずかしいので相談しなかったが、もし相談したなら意気揚々とアドバイスしてくれたに違いない。
つまり俺や葉兄ちゃんがファッションに暗いのは、血筋のせいではなく単純に努力不足。
こうして女子との外出一つで悩みまくるのも、そういう意味では自業自得と言えた。
──逆に、羽佐間の方はどんな格好をしてくるんだろうな?私服の彼女を見るのは初めてだけど……。
自分のファッションセンスに関する考察を終えてから、俺はそんなことも考える。
向こうの提案ということで流されてきたが、思えば休日に彼女と会うこと自体が初めてだった。
どういう感じで来るのか、正直想像もつかない。
「お待たせ」
瞬間、俺の背後から声がかかる。
羽佐間が来たのだということは瞬時に分かった。
どうやら、答え合わせはすぐにできるらしい。
さてどうなるやら、と思いながら俺は体を真後ろに回転。
羽佐間の姿を見つめようとして────即座に固まってしまった。
決してポジティブな意味での硬直ではない。
俺だって可能なら「相手の可愛さに思わず」とか、「ギャップのある私服姿に惹かれて」みたいな理由で固まってみたかった。
しかし現実には、俺は純粋に信じられなくて動きを止めた。
「どうしたの、松原君。固まってるけど」
「え、いや、だって……」
失礼だと思いつつも、俺は羽佐間の胸元を指さす。
そして率直に尋ねた。
「何故に……制服?」
見間違えではない。
休日のど真ん中、羽佐間は制服姿でデートに現れていた。
「うん、制服だけど……あれ、どこかおかしい?」
俺に問われた彼女は、きょとんとした顔で問い直す。
まるで、こちらがおかしいことを聞いているかのように。
その表情があまりにも真面目なものだったから、俺は一瞬、自分の私服の方が変なんじゃないかとすら思った。
「いやいやいや、流石に俺がおかしいって訳じゃないよな……その、羽佐間?」
「なに?」
「今日って、一応はデートだったよな?休日を利用して合唱コンクール委員の活動をするとか、そういうのじゃなくて」
そう、これが委員の仕事だったならまだ分かるのだ。
前回のような買い出しがあったのなら、休日と言えど制服を着ることだってあるだろう。
しかしそんな予定、どこからも聞いていないのだが。
「実はこの後仕事が控えているとか、そういうのがあったのなら教えて欲しいんだけど。この辺りにポスター貼るとか、そういう?」
「別にそう言うのは無いけど。本当に今日は、私が思い付きでデートしたかっただけだし」
「じゃあ、どうして制服……」
「だってほら、ここに書いてあるでしょ?」
そう言いながら、彼女は胸ポケットをガサゴソ漁る。
何をしているのかと思っていると、やがて彼女は見覚えのある手帳を取り出して見せてきた。
ウチの中学校内で持参が強制されている生徒手帳である。
「ええっと……『日常生活においても、虹永中学校生徒としての自覚を忘れないこと。服装も過激なものは着用せず、失礼な態度が許されない公的な場では制服着用が望ましい』って」
「初めて聞いた校則だけど……守ってる人いるのか、それ?」
「でも、一応あるんだって。ちゃんとした外出の時は制服が良いって……それでほら、彼氏の前って失礼が許されないし」
「いや、許すけど……」
いきなり何を言い出すんだ、と俺はジト目で羽佐間を見やる。
その感情を知ってか知らずか、彼女はいそいそと生徒手帳をしまった。
「まあとにかく、私が制服を着てきた理由はそれだけだから」
「……うん」
絶対に本心じゃないだろうな、と思いながら頷きを返す。
今までの言動から言って、羽佐間がそんな真面目キャラでないことは分かっている。
寧ろ、適当なことを言って煙に巻こうとしているとしか思えなかった。
考えてみれば、これも立派な「日常の謎」だ。
休日にデートに誘われたら、彼女がカッチリした制服姿でやってくる。
奇妙さという点では、今まで遭遇したどの謎にも負けていない。
「まあ何にせよ、折角集まったんだからどっか行こうよ。何だか私たち、悪目立ちしてるみたいだし」
「百パーセント、君のせいだと思うけど」
制服姿の女子が私服姿の男子と一緒にいるというのは、やはり変な印象を受けるらしい。
こうやって話している間も、駅の構内を通り過ぎる人たちがチラチラと羽佐間を見ていた。
あのカップルは何をやっているんだろう、と素朴な疑問を抱いているのだろう。
「でも、どこか行くにしてもどうするんだ?制服姿だと、どこでも変な注目を浴びそうだけど」
「そうだね……とりあえず、散歩でもする?」
私が言うのもなんだけど、中学生カップルらしくて良いと思う。
そんな発言をしてから、彼女はくるりと背を向けて歩き始める。
何なんだ本当に、と思いながら俺はその背中を追いかけた。
──ここで羽佐間が制服を着てきたのも……推理力が磨かれたら分かるようになるのか?
呆れ混じりにそんなことを思った。
葉兄ちゃんの日記もそうだったが、とにかく羽佐間の言葉を思い出す日々である。
────以前の一件で、羽佐間は俺に対してある挑戦をしている。
人の心に対する理解力を上げ、自分が告白した理由を推理してみろと。
先述したが、これは俺にとって耳の痛い指摘だった。
俺は前々から推理小説を好んで読んでいる。
その延長で、日常の小さな謎について推理してみたことだって一度や二度ではない。
元より、興味を持ったものに対しては深く考えこむのが好きな性質なのだ。
だが正直、俺の推理の打率はあんまりよくなかった。
前回がまさにそうだったが、自分ではこれだと思った推理が他人によって覆されるということがしばしばあるのだ。
謎の八十パーセントくらいは俺が解くのだが、残り二十パーセントは別人に解かれると言うか。
この二十パーセントを解いてくれる人は、場合によって異なる。
葉兄ちゃんだったり、姉さんだったり。
俺が自分なりに推理した後、そう言った俺よりも優れた探偵たちが「いや、本当はこうだったんじゃないか?」と言ってくるのがテンプレなのである。
個人的に言えば、これはかなり悔しい体験だった。
何せ自分で「真相はコレだ!」とか断言した直後に、俺が気が付いていなかったことを横からサラッと指摘されるのである。
はっきり言って、物凄くダサイ。
自分で謎に興味を持っておいて、締めを他人に頼りっぱなしというのはやはり情けない感じがあった。
そういう意味で、羽佐間の言葉はチャンスのように思えたのだ。
本当に俺の推理力が今一つな理由が、人の心を読めていないところにあると言うのなら。
この不思議な少女と関わるというイベントで、その突破口を掴めるのかもしれない。
彼女のような変人の心理を読み解くところにまで進化すれば、彼女よりも常識的であろう他の人の心だって分かるようになるのではないか────。
──なんてことまで考えてのデートだったんだが……相変わらずさっぱりだな。この子の思考回路は。
言われるままに駅前を散歩しながら、俺はチラリと羽佐間の様子を伺う。
当然ながら、そこでは制服をきっちり着込んだまま歩く彼女の姿があった。
制服がちょっとくたびれてしまっているが、様子自体は平然としている。
──最初に聞いてはぐらかされた以上、もう「どうして制服を?」なんて聞いても答えてくれないだろうな……。
以前聞いてきた。俺が殺人をするならどうこうという質問の時と同じだ。
直接聞いても正直に答えてくれなかった場合、羽佐間はもう二度と口を開いてくれない。
逆に言えば、この点こそ彼女の言う「挑んでほしい謎」なのだろう。
ここで羽佐間が制服を着てきたことにも、きっと人間心理に基づく何かの理由があって。
しかし彼女は自らそれを言う気がないから、俺に解いて見せろと言っている。
──……でも、やっぱり分からない。
うーん、と唸った。
適当な理由──私服が洗濯中、この後に学校で用事がある、ファッションセンスがないので迷った末にこうなった──は幾つか思い浮かぶが、どれも正解とは思えない。
羽佐間には悪いが、初手から謎のレベルが高すぎる気がする。
そう考えてうんうん言っている俺を見ながら、羽佐間はどこか面白そうな顔をしていた。
彼女から見て、俺の様子は酷く愉快なものに見えているらしい。
人間心理に疎いと言われる俺でも、その愉悦はしっかり伝わった。
「……楽しそうだな」
微かに苛立って、皮肉交じりの意見を述べてみる。
すると羽佐間は「いけない」とでも言いたげに口元を抑え、それから「当然でしょ?」と返した。
「折角の初デート、それも人生初の彼氏との外出だもの……楽しむのが普通じゃない?」
「それだけでもないように思うけど」
棘交じりに言葉を返す。
同時に、ちょっと気になることを言われたことに気が付いた。
「……その口振りだと、羽佐間って今まで彼氏いなかったんだな?」
「うん。意外だった?」
「まあ、ちょっとは」
「私、周りからは彼氏とかいなさそうってよく言われるんだけど」
「あー、うん」
そう言われる理由は何となく分かった。
間違いなく、地味目な彼女の容姿のせいだろう。
別に地味だからって彼氏がいない理由にはならないが、中学生の会話というのはどうしてもこの手の偏見に満ちているのだ。
「でもこうして話している分には、羽佐間って割と男子との会話にも慣れてそうだったから……それで彼氏がいたこともあるのかな、と思って」
「それを言うなら松原君もそうじゃないの?こうして私とも普通に話しているし、割とデート慣れしているんじゃないかって思ったけど」
「まさか。俺もこれが初めてだ」
互いに思い込みと誤解を話している内に、何となく場の雰囲気が変わっていく。
集合当初の混乱は収まり、自然と雑談がメインになってきた。
とりあえず、服装を除けば俺たちは普通のカップルっぽくなっているらしい。