待望
「松原君、本当にどうしたの?」
「……」
「もしかして、お腹空いて動けない?」
「いや、そういう訳じゃなくて」
何だか変な勘違いをしてくる羽佐間の前で、俺は即座に首を振る。
真相を考え込んでいたせいで足が遅くなっていたのが、妙な誤解に繋がったらしい。
しかしこの子、本当に発想が独特だ。
「単純に、あの箱を持ち出した犯人が分かっただけだよ」
「犯人?」
「犯人と呼ぶのも大袈裟だけど……あれを勝手に持ち出して、雨の中外に捨てた人。その正体と動機が読めた」
簡潔に述べると、羽佐間は少し詰まらなさそうな顔をした。
言語化するなら。「え、もう?」というところ。
彼女としては、もうちょっと考えたいことがあったのだろうか。
だが、彼女としてもやはり慣れているのか。
ゆらりとその表情を解くと、彼女は首を少し傾げて長い前髪をさらりと揺らす。
「だったら……聞かせて?」
──おお、ちょっと可愛い。
羽佐間には失礼な話だが、不意にそう思った。
彼女の顔を真正面から見ることがあまりなかったので、不意打ちだったのかもしれない。
普段隠れているせいか随分と透き通って見える二つの瞳を、俺は一瞬だけ見つめる。
これがいわゆる、「彼女からのおねだり」って奴なのだろうか。
そんなことまで考えたが、明らかに思考が変な方向に向かっていたので頭を振って切り替える。
今重要なのは、謎解きの方だ。
せっかく向こうも聞きたいと言っているのだし、真面目に解説するべきだろう。
解けたと言ったのは、俺の方なのだから。
それだけの思いで俺は口を開く。
始まりの言葉は、いつもと同じだった。
「さて────」
「まず最初に、犯人を言っておく」
「いきなりね……こういうのって、もうちょっと引っ張るものじゃない?」
「いや今回の場合、犯人の正体なんてのは引っ張る程重要なことじゃないから」
合唱コンクール会場に向かって歩きながら、俺はヒラヒラと手を振る。
あんまり長く話していると、目的地に着いてしまう恐れがある。
重要でないところは、さっさと済ましていこう。
「だから最初に述べるけど……今回の一件の犯人は、赤城康子さんだ。彼女が階段横に置いてあったという組み立て前のボール紙を持ち出し、外に捨てた」
「ふうん……」
羽佐間が、分かりやすく納得していなさそうな顔をする。
推理に同意できないが、反論するほどのことでもない。
そんな感じの表情だった。
羽佐間の理解度を予測しつつ、俺は赤城康子の深掘りを始めていく。
紙箱の話からは少しずれるのだが、ここを詳しく考えると後々の推理が分かりやすくなるのだ。
「そもそも、彼女の言動は今朝の時点からちょっとおかしいところがあった。羽佐間も聞いていただろう?」
「何を?」
「今朝の通学路で、世良君が相合傘をしている理由について話していた時だ。あの時、世良君は赤城さんについて『傘が壊れたらしい』と言っていた」
あの時は、学校に向かう道中ということもあってさらりと流してしまった言葉。
しかしこれは、よく考えると結構不思議な言葉でもある。
「確かに、今朝は雨が降っていた。でも、傘が壊れる程の豪雨でも無かっただろう?これが台風の最中とかだったらまだ分かるけど、別にそんな感じでも無かったし」
「そもそも、傘が壊れるような天気じゃないってこと?」
その通り。
傘を「失くした」でも「忘れた」でもなく、「壊れた」というのであれば、壊れるだけの原因があるのが普通である。
今朝の雨に、そこまでの力は無かった。
「でも、それは難癖じゃない?別に強風が無くても、古い傘なら自然と壊れることもあるだろうし。傘の布地をどこかに引っかけて破れたのを、壊れたと表現しているだけって可能性もある……いくら何でも、それだけで彼女のことを疑わなくても」
続いての羽佐間の言葉は、さながら赤城康子を庇うかのようなものだった。
無論、彼女にはその気はないのだろう。
冷静にツッコミを入れたらそうなった、という風な発言である。
実際、彼女の指摘は正しい。
傘が壊れたと説明されただけなら、羽佐間が言うような可能性だって十分にあり得るのだ。
ただ────。
「仮にそうだとしても、赤城さんの行動には矛盾が残る」
「そうなの?」
「ああ。彼女の父親が言っていただろう?赤城さんは遅刻癖があって、いつも時間ギリギリまで出てこない……それが今日は恐ろしく早く出ていったって」
店の主人がベラベラまくし立てた内容だったが、幸いなことに記憶に残っていた。
傍から聞いていても不思議な行動だったので、頭に留まってくれたのかもしれない。
何にせよ重要なのは、「赤城康子は今日、早くに家から出た」という部分である。
父親が驚くくらいなのだから、本当にかなり早い時間に出立したのだろう。
「それなのに、彼女は世良君と一緒に通学していた……要は、俺たちと同時間帯に学校に行っていたんだ。計算が合わないだろう、これ?」
「……確かに。あの時間は、通学時間としてはそんなに早い方じゃなかった」
俺の理屈に納得したのか、羽佐間が考え込むような動作をする。
ここに関しては、本当に言われるまで気が付いていなかったらしい。
「私が朝に松原君を迎えに行って、玄関先で色々話して、そのままやっと歩いて行って……その最中に世良君に会ったもの。雨のせいもあって、足取りも遅かった」
「そう、あの時刻は遅刻するって程じゃないけど、通学時間としては決して早いとは言えない時刻だ。だというのに、早くに家を出たはずの赤城康子さんが世良君と通学路にいた」
この点が、どう考えてもおかしいのである。
店の主人の発言と俺たちが見た光景の両方が正しいのであれば、彼女は早めに家を出ているというのに、学校にも行かず通学路で長時間留まっていたことになる。
しかも、本人曰く「傘が壊れた」状態でだ。
仮に本当に傘が壊れ、濡れネズミになっていたというのなら、ダッシュしてでも学校に向かっていたはず。
或いは、逆走して一旦家に戻り、代わりの傘を取りに行っても良い。
早めに出たのであれば、そのくらいの時間的余裕はあるはずだ。
しかし実際には、彼女は世良君と学校に向かっていた。
それなりに遅い時間になってから、二人で相合傘をしていた。
だとするとこれはもう、作為的な何かがあったとしか考えられない。
傘が壊れて困り果てた末にああいう状態になったのだ、というのではなく────あの相合傘をすること自体が目的だったのだ。
「要するに、あの赤城さんって子は世良君のことが好きなんだろう。話からすると前々から部活で知り合いだったみたいだし、違和感のない話だろ?」
俺が要点をまとめると、羽佐間はこれにも考え込むような動きをした。
その上で、コクリと頷いてくる。
彼女の視点で見ても、十分可能性があることだったのだろう。
実際、世良君のキャラを考えれば、こういう恋愛絡みのイベントが起きることは不思議でも何でもない。
俺とは違って、彼は物凄い優等生だ。
委員長やら何やらを幾つも兼任していて、学校の成績も良く、ついでに引退前は部活も頑張っていたと聞いたことがある。
彼くらいに優れた男子なら、後輩の一人や二人に惚れられてもおかしくはないだろう。
寧ろ、今まで彼女を作らなかったのが驚きなくらいだ。
「完全に妄想だけど……赤城さんは、ずっと前から世良君のことが好きだったんだと思う。それこそ、部活中なんかも色々仕掛けてたのかもしれない。だけどそれ以上の勇気が無くて、直接告白するまでしてなかったってところだと思う」
「つまり、片想いをしていた訳ね」
「そういうこと。だけどこの時期になると、この片想いはかなり辛くなってしまった」
この理由は単純で、彼女は中学二年生だが、世良君は三年生だからである。
三年生は夏の大会が終わると、高校受験のために部活を引退してしまう。
ただでさえ優等生故に忙しい世良君──それこそ、合唱コンクール委員を投げ出してしまうくらいに──は、下級生と会う時間がグッと減ったのだ。
そして当たり前だが、うかうかしていると世良君は中学校を卒業することになる。
今が十月だから、もう時間は半年も残っていないのだ。
仮に赤城さんがその片思いを成就したいというのなら、短時間で頑張らなくてはならない。
ではこの場合、どうするべきか?
部活を引退された以上、放課後に会うのは難しい。
世良君は塾などにすぐに行ってしまうだろうし、まだ現役マネージャーの彼女には部活での仕事が残っている。
かといって、学校の休憩時間に会うというのも中々慌ただしい。
世良君も自習なんかに精を出しているかもしれないし、それを邪魔するのはアレだろう。
好きな相手にアプローチしたい場面で、ウザがられては意味がない。
「だからこそ、登下校の時間に目を付けたんじゃないかと思う。登下校を一緒にするだけなら、ウザがられる恐れは少ない」
「どうせ、学校に行くって言う目的地は一緒なんだしね。一緒に行こうと誘っても、断られることはまず無い……」
「ああ。だから彼女は、かなり前から世良君と登下校のタイミングを合わせていたんだと思う」
故に普段は、彼女の父親が言っていたようにいつもギリギリまで家に居たのだ。
恐らく、世良君が自宅の前を通りがかるのを待っていたのだろう。
それが父親の目には、理由もなく登校を渋っているように見えたのだ。
「まあぶっちゃけた話、そこまで一緒に登校したいのなら、いっそのこと世良君の家まで迎えにいけばいい気もするけど……」
「片想いらしいから、そこまではできなかったんじゃない?いくら何でも、あからさま過ぎるし」
補足された羽佐間の意見に、俺は「そうだろうな」と頷く。
全く持って理論的ではない態度だが、まあ人間こんなものなのかもしれない。
俺たちもそうだが、所詮は全員中学生なのだから。
「何にせよ、彼女はアピールも兼ねて世良君と一緒に登校するのを日課としていた。でも今朝、ちょっと問題が発生したんだと思う」
「それは……雨が降ったから?」
「ああ。だってそうだろう?多分、彼女は二階の母屋から通学路の様子を見て、世良君が通りがかるのを待っていたんだと思うけど……」
晴れている日なら、それだけで世良君が近くまで来たことは察知できる。
世良君が歩いてきたタイミングに合わせて、自宅を飛び出るだけだ。
しかし雨が降ると、通学路を歩く学生たちは皆、傘をさしてしまう。
上から生徒の姿を確認しても、顔は傘で隠れてしまうのだ。
しかも、この傘にはもう一つ問題があった。
「今朝見た通り、世良君が使っていた傘はウチの学生がよく使っているやつ……俺だって持っている量産品だ。多分今日だけでも、何人もの生徒が同じ傘を使って学校に向かったと思う」
「あー……つまり康子ちゃんとしては、誰が世良君なのか分からなかったの?どうせ服装は制服だし、靴だって学校指定のもの。世良君は体型に特徴もないから……」
「そう、その上で量産品の傘なんて使われると、パッと見は全然見分けがつかない」
どうしても世良君と一緒に登校したい彼女にとっては、これは大いに困る事態である。
二階から見て世良君が来たかどうか分からない以上、どのタイミングで飛び出して良いか分からない。
せめて一階に降りないと、顔の確認は難しいだろう。
しかし一階に降りて通りゆく生徒たちの顔を確認するとなると、やはり悪目立ちしてしまう。
通学路の生徒に怪しまれるのもそうだが、開店準備をしている両親に自分の恋心が──少なくとも、特定の人物を待っているというのが──バレるというのが致命的だ。
中学生女子として、それは避けたかったのだろう。
かといって、二階にいるまま世良君を判別するのも無理筋。
そもそもにして、雨の中部屋の窓を開けっぱなしにするのはちょっとキツイというのもあったのかもしれない。
こうなると、残った道は一つ。
「幸いというか何というか、あの店の隣には通学路に面して自動販売機がある。丁度、裏路地を覆い隠すようにして。だったら……」
「自動販売機の裏に隠れてしまえば、安全に通学路の様子を確認できる……両親も一々確認なんてしないだろうから、自分の行動もバレない。そう考えたということ?」
そういうことだ。
どうにも「好きな相手と一緒に登校する」というだけのことに、最早執念というべき情熱を感じるが、こう考えると赤城さんの動向に説明がつくのだ。
彼女が今日に限って、変に早く家を出たということにも────あの自動販売機の裏に、濡れたボール紙が転がっていたことにも。