来訪
「いやいやいやいやいやいや……ええっと、何?葉兄ちゃんの言っていることはつまり、彼女ができたって、その、彼女ができたの?」
『だからそう言っているだろ?』
「いやその、そんな淡々と言われるとこっちのテンションが……!」
驚くべきなのか。
祝福すべきなのか。
今まで報告が無かったことを寂しがればいいのか。
どうリアクションすべきなのか分からず、俺は随分と奇妙な顔をする羽目になった。
今の俺の顔だけは、どんなカメラにも撮影して欲しくない。
『そんなに驚かれるとこう、逆に失礼なことをされている気もするが……』
「そう言う訳じゃないんだけどさ……いやでも、驚くだろうよこれは!」
正直に言えば、羽佐間から告白された時よりも驚いた。
あっちはほぼ初対面の少女の奇行だが、こっちは昔からよく知る親戚の行いである。
驚きの質が違う。
「え、っていうか……誰と付き合ったの?」
『同じ部活の子だが……良いのか?話の中心がお前からずれてる気がする』
「ええっと、それはそうだけど……そうなんだけどっ」
これまた正直に言うと、もうそんな話は頭から吹き飛んでいた。
葉兄ちゃんに彼女ができたというビッグイベントの方が、羽佐間の真意よりも気になってしまっていたのである。
俺の目に映る彼は、昔から他人と深く関わらずにふらふらしていた印象が強いのだが。
何がどうして、そういう感じになったのか。
相手が誰で、どういう馴れ初めで、どこが好きになったのか……興味は尽きない。
故に、次に俺が発した言葉は必然の産物だった。
「……ゴメン、葉兄ちゃん。さっき頼んだ羽佐間との対応とかそういうのは忘れて良い。あれ、頭から消して」
『え、良いのか?』
「うん。そもそもアレは俺がどうにかする話なんだし……それよりも、その彼女さんとのことを聞かせてよ。物凄く興味があるんだけど」
『興味と言われても……話すと長くなるぞ、これ?』
「いくら長くなっても良いからさ。プリーズ、プリーズ!」
我ながらウザいくらいのハイテンションになりながら、俺は話をねだる。
身内の恋愛話を聞く機会なんて、今までまず無かった。
だからこそ、こういうことにも割と興味を抱いてしまうのである。
『じゃあ話すが……俺が高校生になってから立ち上げた部活、知ってるか?』
「ああ、それは聞いた。日常探偵研究会とかいう読書サークルだっけ?高校に新しい部活を立ち上げるなんて、ラノベの主人公みたいなことしてるなって思った記憶がある」
『お前、そんなこと思っていたのか……』
「仕方ないじゃん、最後に送ってきた夏の合宿の写真だって、いかにも青春って感じだったし……あれ、でも今の話からすると、もしかしてあの写真に映っていた人と?」
一気に活気づいた様子で、俺と葉兄ちゃんは女子高生みたいな会話を続ける。
恋愛という響きは俺たちのような奇人同士をも盛り上がらせる力があるらしい。
どちらともなく、高揚した気分を味わっていた。
俺の方としては、まさか彼とコイバナをする日が来るとはという新鮮な驚きが強い。
姉さんが俺に感じていたであろう感覚を追体験しつつ、スマートフォンを握り直す。
多分向こうも、似たような感想を抱いていたのだろう────。
「……ねっむ」
そして次の日、俺はねぼけた目を擦りながらあたふたしていた。
軽く寝坊したのである。
間違いなく、葉兄ちゃんとの長電話が原因だった。
普段はできるだけ規則正しい生活をしているのだが、昨日に限っては随分と夜更かしをしてしまった。
「急いで聞かなくちゃいけないような話でも無かったんだし、もっと時間がある時にまとめて聞けば良かったな……よく考えたら」
誰もいない食卓で朝食をモソモソ食べながら、そう後悔しても後の祭り。
今日はガッツリ平日で、俺はどれだけ眠くても授業に行かなくてはならない。
朝の時点でこれでは、今日一日辛くなりそうだ。
「まあ、どうせ学校では昼寝するんだから、そこで眠っておけばいいか……」
学生としては碌でもないことを呟きながら、俺は朝食を素早く片付け、くたびれた通学鞄と家の鍵を手にする。
海外を飛び回る父親がいないのは当然として、母さんと姉さんも既に出勤済みだった。
よくあることなので──というか、俺が誰かに見送られて学校に行くことなどまずないので──俺は慣れた手つきで家の明かりを消し、鍵を閉めて通学路に繰り出す。
昨日の夜に天候が変わったのか、外の様子は雨模様だった。
ザーザー降りという程ではなく、細い雨がしとしとと降り続いている感じ。
それでも傘無しでしのげるレベルでは無かったので、素直に安い紺色の傘をバサリと広げることにする。
──この傘も、思えば中学三年間ずっと使いどおしだったな……。
傘を広げた瞬間、どうでも良いことを思った。
中学生になってすぐの頃、学校近くのホームセンターで買った傘なのだが、変に丈夫だったので買い替える機会が無かった。
高校生になったら流石に買い替えようかな、なんて考えながら足を進める。
雨ということもあって、通学路は中々うるさかった。
車の数も多く、水たまりをタイヤが駆け抜ける音がそこかしこから聞こえる。
その合間を縫うようにして、睡眠不足で半目の俺は決まりきった道を歩こうとして────。
「……おはよう、松原君」
「おおう!?」
瞬間、予想外の方向から声が投げかけられ、俺は雨に負けないくらいの大声を出した。
昨日に引き続き近所迷惑な行動だったが、唐突に背後から名前を呼ばれたら誰だって驚くだろう。
それも、制服の背中をツンツンと指で突かれるというオマケ付きだったのだから。
当然、俺は本能に従うままにその場でバッと振り返った。
即座に目に入ったのは、意外と言えば意外な、しかしある種納得感のある人物の姿。
長い前髪。
校則順守の学生服。
地味目な容姿に、無感動な顔。
凝視するまでもない。
羽佐間灰音が、そこにいた。
「……は、羽佐間?な、何で、俺の家の前に?」
「何でって……当然でしょ?」
安そうなビニール傘を手にしたまま、彼女は実に淡々と言葉を紡ぐ。
彼女が放つ言葉はどれも簡潔で、だからこそ意味が通らなかった。
自然、俺は昨日と同じく意味を問いただしまくることになる。
「いや、えっと、その……まず、どうやってここに?俺、家の場所言ったっけ?」
「ううん。でも合唱コンクール委員の住所って、委員会で教えてくれるんだよね。何か重要事項の連絡があった時、家まで行くかもしれないからって。個人情報保護的にはアレなんだけど、ウチの中学はその辺り緩いから」
「緩いどころじゃないと思うが……それを見て、ここに来たのか?ひょっとして、俺と話すために?」
「話すというか……一緒に登校しようと思って」
「え、登校?一緒に?」
「うん。ほら、私たち、付き合っているんだし。皆、してるでしょ?」
そこまで言われて、何となく言いたいことが分かってきた。
正確には、俺の方が思い出した。
俺はこの子と付き合っているんだった、だからこそこういう行動に出られているのか、と。
記憶としては勿論残っていたのだが、中々アレな経緯だったこともあって実感が薄かった事実。
それを、ここに来て一気に自覚させられている感じがあった。
「要するに……彼氏彼女で一緒に登校、みたいなことがやりたいと?確かに、恋人がいる人はそういうのやってるけど」
「そう、それだけ……嫌?」
「嫌と言うか……」
不思議そうに首を傾げる羽佐間を見つめながら、俺は大分困った笑みを浮かべる。
嫌だとか嫌じゃないとか以前に、もっと手前のところで困っていた。
「その……普通、確認しないか?それこそ、昨日とかにさ。明日は一緒に登校しないかって」
もしそう言ってくれていたのなら、俺だって「そのくらいならOKだ」という返事が出来たのだが。
こうして俺の家の前で唐突に待ち伏せされると、嬉しさよりも怖さが先に来る。
本当に何がしたいのか、この子は。
「……でも私、松原君の携帯番号を知らないもん」
俺に問われた羽佐間は、そこで微かに口を尖らせる。
言われた瞬間、そう言えばそうだったなと思った。
連絡せずとも学校で会えることもあって、そういうのは伝えてなかったような。
どうやら昨日の羽佐間は、俺に連絡を取る方法が無かったらしい。
我が家には固定電話も普通にあるが、そちらの番号は分からなかったのだろうか。
それにしても、直接家に来ると言うのは妙に積極的だったが。
「初日から雨なのはちょっと盛り下がるけど……とりあえず、一緒に行こう?」
俺が大体の事情を察したと分かったのか、羽佐間は少し楽しそうに通学路に繰り出す。
宣言した通り、俺と学校に行きたいらしい。
こういう経験が初めての俺としては、毒気を抜かれるしかない展開だった。
「ええっと……二人して傘をさしてるから、絶対に歩きにくいと思うけど……それでも?」
「うん、それでも」
だって、付き合っているんだし。
臆面もなく、羽佐間はそう言い切る。
迷いという物が一切ない彼女の表情を見て、俺の動揺はいよいよ酷くなった。
────そこから俺は、彼女に促されるまま二人して学校に向かった。
といっても、何か変わったことがあった訳ではない。
ただひたすらに、水たまりを避けながらテクテク歩いただけである。
一緒に登校と言っても、あんまり近くに立つと互いの傘がぶつかってしまうので、互いの距離は結構離れていた。
傍から見ると、二人で登校しているのではなく、偶々歩く方向が被っているだけの二人組に見えたかもしれない。
互いに会話は殆ど無いまま、俺たちは学校に向かっていた。
──本当は、羽佐間の真意をもっと聞いた方が良いんだろうけど……聞きにくいな。
段々とうるさくなる雨を見やりながら、俺は内心で毒づく。
この朝の奇行を通して、羽佐間を問いただしたいという欲求は強くなっていた。
こうして歩きながらも、気になって仕方がない。
だってそうだろう。
いくら何らかの目的で付き合うようになったとしても、彼氏の家に朝っぱらから迎えに行くと言うのは、中々の労力であるはずだ。
そこまでして、どうして俺と付き合おうとするのか────謎が謎を呼んでいる。
しかし、今問いただすのは無理そうだった。
羽佐間がはぐらかしそうとかではなく、単純に周りがうるさ過ぎる。
雨のせいで車が多いのと、雨粒の跳ねる音が響いているのもあって、真剣な話には向いていない状況だった。
──今、何か重要な話をされても聞き逃しそうだしな……ここは我慢するか。
俺は自分の好奇心を抑え込み、内心でそう決定する。
しかしそうなると、もう一つ困った問題が生じた。
純粋に、羽佐間との間に話題が無いのである。
思い返せば、俺たちは互いのことを殆ど知らない。
出会った時の自己紹介だって、それぞれで名乗っただけだ。
真意やら何やらを気にする前に、もっと基礎的な部分からして把握していないのである。
故に、話題が無い。
会話のとっかかりみたいなものすらない。
それがあんまりにも気まずくて、結局俺はこう口にした。
「……天気、悪いな。歩きにくいったらない」
いや、初手が天気の話かよ。
内心、自分で自分にツッコむ。
天気が悪いなんて分かり切っているのに、我ながら物凄くどうでも良いことを聞いてしまった。
この発言の間抜けさは、当然羽佐間にも伝わったのだろう。
チラリと俺の方を見やった彼女は、どう答えたものか迷っているような顔をしていた。
天気の話題というのは恐ろしく発展性が無いので、彼女としても反応に困ったのかもしれない。
だからなのか、彼女の返答は自然と天気そのものではなく、少しずれた話題に関するものになった。
「うん……ところで、雨の日だからこそ聞きたいことがあるんだけど」
「え、何を?」
「その紺色の傘。それ、ウチの中学校の男子の殆どが持っている傘でしょ?松原君もそうなんだな、と思って」
言いながら、彼女は俺の傘を自分のビニール傘越しにじっと見つめる。
その熱心な視線がむず痒く、俺は何故か傘を揺らしてしまった。
安物の傘を凝視されるというのが、何だか恥ずかしかったのかもしれない。
「いや、これは……学校近くにホームセンターがあるだろ?あそこに行くと、必ずこれが置いてあるんだよ。だから多分、皆そこで買ったんだと思う」
「そう言えば雨の日の傘立て、それと同じ傘しか置いてないかも」
「まあ、そうだな。この傘、ホームセンターに置いてある傘の中でもかなり安い方だから。そんなに傘に拘ってない人は、そこで適当に済ますんだろう」
因みにこの傘、安めの傘ではあるが一番安い傘ではない。
一番安い傘は、もっとチープな作りをしたビニール傘である。
俺や似たような行動をしている男子たちは皆、一番安い商品を買うのも何だかアレだと思い、二番目に安いこの傘を買ったのだろう。
──逆に言えば、羽佐間は俺よりも傘に拘らないタイプか?普通のビニール傘を使っているみたいだし。
話の流れで羽佐間の傘のことが気になった俺は、先程とは逆に羽佐間の傘を見つめる。
すると向こうも、先程の俺と同じように恥ずかしそうな顔をした。