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Stage0  作者: 塚山 凍
Stage0.1:全ての卵
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初恋

 きっと、多くの人に共通する思い出だと思うのだけれど。

 自分が初めて好きになった相手のことって、中々忘れないものだと思う。


 幼稚園や保育園に通っていた時、担任の先生が好きだったとか。

 小学生の時、学級委員長のことをドキドキしながら見ていたとか。

 中学生になって、部活の先輩に一目惚れしたとか。


 人にもよるのかもしれないが、こういう記憶は意外と長く覚えている。

 大抵の場合、その思いは成就していないのだが、それでも後々になって懐かしく思い出すことがある。

 あったあった、確かに自分にはこんな時期があったな、と。


 かくいう俺も、その例外じゃない。

 俺の初恋はかなり遅く、中学三年生になって初めて人を好きになったくらいだったが、それでもはっきりと記憶がしている。

 ほんの一時期とは言え、実際に付き合っていたから、印象が強まっているのかもしれない。


 ああそうだ。

 俺は確かに、彼女のことが好きだった。

 もっと彼女のことを知りたい、と思い続けた。


 彼女と別れてしまった今でも、あの子のことは何度も思い返す。

 そして、その度にこうも考えるのだ。


 俺は、彼女のことが好きだった。

 でも、ひょっとすると。

 彼女はずっと────俺を殺したかったんじゃないだろうか?






「……ツバラ、おい……松原!」


 浅くまどろむ意識を刈り取るように、中年男性の野太い声が響く。

 さして大きな声では無かったが、それでも昼寝中の俺を起こすには十分過ぎる音量だった。

 ううん、と机に突っ伏していた顔を上げる。


「……おはようございます」

「何がおはよう、だ……帰りの会、終わったぞ」


 呆れたようにため息を吐く彼の姿を認めて、俺はようやく、目の前にいる男性の正体が担任教師であることを理解した。

 普段通りのジャージ姿でこの机の前にいるところを見ると、何かしら用事があるらしい。


 何だろうなと思いながら、俺はまだ眠い目をこすりながら姿勢を正した。

 自然、机の隅っこに設置された「3-3 松原玲(まつばられい)」というネームバンドが目に入る。

 東京都映玖市立虹永中学校、三年三組の松原玲────半分寝ぼけた脳みそで、俺は自分のプロフィールを無駄に再確認した。


 自分を取り戻してからは、礼儀として姿勢を正して、視線は教師へ。

 学校における殆どの時間を寝て過ごすぐうたら中学生でも、教師相手に反抗するほどアレなことはしない。

 俺は普段通りに、素直に時間を聞くところから会話を始めた。


「ええっと……帰りの会が終わったってことは、もう放課後ですね?」

「ああ。お前、帰りの会の間ずっと寝ていたからな。ちゃんとしろよ、おい」

「はあ、すいません……それで、どうかしましたか?」


 教師の小言を適当に受け流し、話の続きを促す。

 この先生は普段はそこまで厳しくない感じの人で、生徒の昼寝も、よっぽど周囲の迷惑になっていない限りは起こさないタイプだ。

 現に今日、俺は帰りの会が終わるまで誰にも起こされなかった。


 逆に言えば、そんな彼がわざわざ俺を起こした以上、何かしら用事があるということである。

 それが何なのか気になってきたところで、教師は話をこう続けた。


「実はちょっと、お前に伝えてなかったことがあってな……お前、この前ウチのクラスで、合唱コンクール委員が選ばれたの知っているか?」

「はあ、まあ……」


 普段俺が寝てばかりだからか、物凄く基本的なところから先生は確認してくる。

 そのくらいは知ってると言いたい気分になりながらも、そう思われてしまうことに関しては俺が悪いので、普通に頷いた。


「あれですよね、来月にある合唱コンクールの進行役というか……会場の準備したり、コンクールの司会をしたりする委員。確か、クラスから男女一人ずつを選んだんでしたっけ」


 微かな記憶しかないが、少し前にクラスメイトたちがそういう委員を選出していたはずだった。

 ウチの中学に体育祭実行委員とかと同じ感覚で存在する、合唱コンクール委員。

 毎年この時期に選ばれるのだが、何気に仕事内容が多い役職なので、選出に難航していた記憶もあった。


「だから、確か……男子の合唱コンクール委員は、学級委員長の世良君がやってくれることになったんじゃなかったでしたっけ?兼任になるけど、彼しかいないってなって」


 記憶を手繰り寄せて、俺は決定事項を振り返る。

 だからこそ関係ないと思ってたんだよな、という感想と共に。


 ここで挙げた世良君と言うのは、どの学年にも一人くらいはいるであろう超優等生の男子の名前だ。

 成績優秀なのは勿論、こういうイベントへの責任感もあり、トイレ掃除のような他の人がやりたがらない仕事を率先するタイプの生徒。

 各種委員をこなすのは勿論、部活引退前はサッカー部のキャプテンまでやっていた。


 そんな彼は、俺と同じ三年三組に所属している。

 だからこそ、ウチのクラスの合唱コンクール委員も彼が引き受けてくれることになったのだ。

 他のクラスメイトが嫌がった結果とは言え、彼がやるということで皆安心していた記憶がある。


「何か、それに問題でも?」

「ああ。実は、その世良がこの前言いに来たんだ。合唱コンクール委員、辞めさせてほしいってな」

「え、辞めるんですか?」

「流石に、学級委員長と合唱コンクール委員の二つを、受験勉強中の今の時期にやるって言うのは世良でもキツかったらしくてな……誰か変わって欲しい、と言ってきたんだよ。もっと暇そうな男子にやって欲しい、と」

「はあ……」


 世良君にしては珍しい弱音だな、と率直に思う。

 だけどまあ、仕方が無いのかもしれない。

 中学三年生の十月────受験勉強も佳境となったこの時期、委員会の雑用をいくつもやるというのは、中々辛いものがあるのだろう。


「要は、世良君が辞任して、合唱コンクール委員の男子枠がいなくなっちゃったんですね?」

「そういうことだ。当然、ウチのクラスから代役の男子を選ばないといけなくなった」

「ですよね……誰になったんです?」


 未だにぼんやりしたまま、俺は無感情に問いかける。

 すると、先生はほんの僅かに申し訳なさそうな顔をした。


 しかし、それも一瞬のこと。

 すぐに開き直ったような顔になった彼は、ビシッと俺を指さした。


「松原、お前だよ、オマエ」

「……俺?」

「ああ。世良に頼まれて、俺の方から推薦しておいた……だってお前、中学三年間を通して、一回も委員会に所属してないだろ?」

「あー、それは……そうですけど」


 マジかよ、と率直に思った。

 だが同時に、ある種の納得も感じていた。

 そのくらい合理的な流れだったのである。


 ウチの中学では、合唱コンクール委員のような臨時職以外でも委員会活動が行われている。

 保健委員とか、図書委員とか、世良君のような学級委員とかだ。

 真面目な生徒なら、こういう仕事を一つくらいはやっているのが普通である。


 しかし俺は確かに、中学生になってからそういう委員を一つも引き受けたことがなかった。

 委員の定数はクラス人数よりやや少なく、別に全員がやらないといけない訳でもなかったので、立候補せずに逃げてきたのである。

 だからこそ、こうして放課後もゴロゴロできるくらい余裕のある学生生活を送っているのだが。


「その言い方からすると、もしかして……ウチのクラスの男子でそういうのを一回もやっていないのって、俺だけだったんですか?」

「そうだ。これまでの記録を調べたから間違いないぞ。お前以外の男子は皆、何らかの委員会活動をしたことがある。本当に何もしていないのは松原だけだ。だから……やってくれるな?」


 口調が軽く圧をかけてくるものになったことを察して、俺はうへえ、という顔をした。

 今までそういう面倒臭い仕事からは逃げてきたのだが、ここへ来てそのツケを払う羽目になってしまった。

 担任教師直々の推薦となると、断るのはちょっと無理だろう。


「でも、今から雑用ですかあ……俺だって、受験勉強はあるのに」

「高校受験に関しては、そんなに危機的状況でもないだろう、松原は。今のままでやれば普通に受かると、この前の三者面談でも言ったはずだ」


 辛うじて反論をしてみると、正論で叩き潰された。

 確かに先月行われた三者面談では、そういう結論になっている。

 割と安全圏の公立高校を受けることにしたので、そこまで焦る必要は無い、残りの学校生活を楽しめという話をされたばかりだった。


「何にせよ、一応お前の意思も聞いておきたい。いけるのか?」

「はあ、まあ……やれというのなら、やりますけど」

「よしっ、じゃあ松原が代役ってことで話を通しておく。仕事の詳しい内容は、同じ合唱コンクール委員の羽佐間に聞いておけ。今の時間は、生徒会室にいるそうだから」


 俺が引き受けたことでほっとしたのか、担任教師はヒラヒラと手を振りながら立ち去っていく。

 どうやら、本当に俺にこの役職を引き受けさせるために起こしたらしい。

 どこか急かすような様子だったことも踏まえると、彼としても急な委員辞任には困っていたのか。


 ──しかし、合唱コンクールかあ……面倒臭いことになったな。一ヶ月くらいとは言え、結構忙しいって聞くぞ、委員の仕事。


 相手が立ち去ったのを確認してから、俺は眉を下げつつ、んんーっと両腕を伸ばして上体を反らす。

 それで体の凝りはかなり解れたが、心の凝りの方は持続した。

 我ながら、役職に対する不満が凄い。


 ──でも、先生の言うことも正しいしな……皆、この時期は受験勉強で忙しそうだし。どう見たって、俺が一番暇そうか。それはそれとしてやりたくないってだけで。


 納得と苛立ちの二つを感じながら、俺は首の後ろをバリボリ掻いた。

 その勢いで、ぐるりと教室を見渡す。


 もう放課後になったということもあって、教室は閑散とした様子だった。

 夏休みが明け、三年生が完全に部活を引退してからはよく見る光景である。

 夏休み前までなら、教室で練習する吹奏楽部の女子や、自主練をサボった体育会系の男子の姿もあったのだが。


 きっと皆、勉強なり塾なりで忙しいのだろう。

 高校受験を控えた秋というのは、多くの中学生にとって生きた心地がしない時期だ。

 そのことを思い出すと、世良君が「暇そうな男子」なんて酷くピンポイントな代役を求めたのも分かる気がした。


「つまり、俺が委員になるのはもう決定事項……だったら、さっさと相方の委員に挨拶でもしておくか」


 必然的に、そういう流れになる。

 どうせ役目から逃れられないのなら、早いこと内容くらいは把握しておいた方が良い。

 そこまで考えたところでようやく、俺はのろのろと荷物をまとめて立ち上がり始めた。


 変な姿勢で寝たせいか、立つだけで関節が変な音を立てる。

 その反響を聞きながら学生鞄を背負った俺は、半目のまま廊下をもっさりと歩いて行った。


 ──んーと、確か生徒会室だったよな、もう一人の合唱コンクール委員がいる場所……羽佐間って言ってたけど、誰だっけ。男女一人ずつ選ばれたんだから、女子だとは思うけど。


 あんまり聞いたことが無い名前だなあ、と思いながら俺は生徒会室に足を進める。

 一応はクラスメイト相手に酷い対応だが、仕方が無いだろう。

 クラスに殆ど友達のいない俺からすれば、クラスメイトの女子なんて、名前と顔が一致する人の方が少ない。


 ──まあでも、この時期に合唱コンクール委員の女子枠を引き受けたくらいなんだから、多分俺みたいに暇な子なんだろうな。もしくは、世良君みたいな超優等生か。


 何となく相方のことを考察したが、すぐに後者の可能性はないことに気が付く。

 羽佐間さんとやらがもし、世良君のように優秀さ故に目立つタイプの子だったならば、いくら俺でも名前を聞いたことがあるだろう。

 そうなっていないということはつまり、彼女はもうちょっと普通の子ということだ。


 推測だが、彼女はクラスでも目立たない感じの女子の一人なのだろう。

 それが偶々暇だったか押しが弱かったかで、委員を引き受ける羽目になった。

 全体の流れはそんな感じか────なんて考えている内に、あっと言う間に生徒会室には辿り着いた。


「失礼しまーす……羽佐間さん、居ますか?」


 時間をかけても仕方が無いので、物おじせずにノックして扉を開く。

 そのまま流れで問いかけると、室内で作業をしていた何人かの学生──各クラスから選ばれた合唱コンクール委員たちだろう──が振り向いたのが分かった。


 とりわけ、奥の方にいた女子生徒が大きな反応を返す。

 あの子か、と俺が気が付くのと、彼女が口を開くのは同時だった。




「羽佐間は私だけど……何?」




 うっかりすると聞き飛ばしてしまいそうな、暗く低い声。

 あまり、話すのに慣れていなさそうな声だった。

 その声に釣られるように、俺は懸案の羽佐間某とかいう女子の姿を認める。


 ──この子が、羽佐間さんか。


 反射的に、ジロジロと観察してしまった。

 ほぼほぼ初対面だったので、どうしてもそうなってしまう。


 ──……何か、暗い雰囲気の子だな。


 生徒会室の入口に佇みながら、まず第一印象。

 暴言染みた感想だが、本音だった。

 声の主は、そうとしか言えない雰囲気を纏う女子だったのだ。


 それは例えば、目元が隠れそうなくらいに長い前髪。

 或いは、校則厳守で着込んでいる制服。

 ついでに言えば足音のしない歩き方とか、目立ったところのない細くて華奢な体格も。


 彼女を構成する全てが、どこか地味というか、暗く静かな印象を与えるものだった。

 こう言うと失礼だが、学校を離れてしまえばすぐに忘れてしまいそうな子というか。

 なるほど、俺が名前を知らないはずだ、と妙な納得までしてしまう。


「……もしかして、世良君の代わりの委員?」


 俺がこんなことを考えている内に、眼前の彼女は小首をかしげて質問してきた。

 誰が代役になるかは聞いていないものの、代わりの委員が来ること自体は知っていたらしい。

 その問いかけで自分が無言を貫いていることに気が付いた俺は、慌てて首肯しながら自己紹介をする。


「あ、うん。俺、同じクラスの松原玲……です?代役になったから、よろしく」


 全く話したことが無いクラスメイト相手ということもあってか、変な口調で自己紹介をしてしまった。

 というか、一応は同じクラスにいるのだから、自己紹介自体が本来は要らないだろう。

 どうも俺の方も、急に委員なんてやらされてテンパっているらしい。


 しかも、俺の変な自己紹介で向こうに気を遣わせてしまったのか。

 何をするでもなく立ちすくんでいた彼女は、数秒して同じように自己紹介をする。


「同じクラスの、羽佐間灰音(はざまはいね)です……合唱コンクールまで、よろしく」

「あ、うん」


 深々と頭を下げられ、俺は微妙な反応を返す。

 自分からしておいて何だが、同級生から自己紹介なんてされてもどう返して良いのか分からない。

 何をするでもなく、所在なさげに立っていることしか出来なかった。


 結果として、俺たち二人は無言のままその場に留まってしまう。

 周囲にいる他の委員たちが、ずっと「何を今更自己紹介なんてしているんだ、コイツら?」みたいな目で見ているのがはっきりと分かった。






 最初に、この話の結末を言っておこう。

 俺はこの次の日、灰音と付き合うことになる。

 そして、合唱コンクールの終了と共に別れる。


 その全ては、予め決まっていたかのように整然としていて。

 同時に、何も決まっていなかったかのように混沌としていた。


 これは、そんな一ヶ月の話。

 俺の初恋と、初めての彼女にまつわる話だ。

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