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第百五十話 経過観察

作者: 山中幸盛

 水田功はN大学医学部附属病院に令和五年七月六日に入院して七日に肺癌摘出手術を受け、なるべく横にならずにベッドに腰掛けたり廊下を歩いたりして頑張った甲斐あって、一週間後の十二日に退院した。

 体力は順調に回復したが、気になるのは六月五日にK総合病院で受診した際の主治医・K医師の言葉だ。

 水田は令和三年六月四日に大腸癌の手術を受けたことを思い出しながら質問した。

「今回の肺癌が、大腸癌から転移したものか、それとも肺由来(原発性)のものか、それによって今後の治療方針が異なるということですが、どう違うのですか?」

 彼は淡々と答える。

「大腸癌の手術の後で抗がん剤のゼローダ錠を約半年間服用していただきましたが、もし検査結果が大腸癌から転移したものと確定すれば、あの薬は効果が無かったということになります。ですから、他種類の抗がん剤を、おそらく点滴で投与することになると思います」

「入院するのですか?」

「いえ、通院です」

 と、そんなやり取りがあったのだ。

 その天下分け目の判定の日は八月一日で、この日N大学医学部附属病院まで行って手術を担当したT医師に抜糸してもらい、結果を聞くことになっていた。糸を抜く際は痛いだろうなあ、等と想像しながら一時間ほど待たされてから診察室に入り、椅子に座ると真っ先に質問した。

「それで、やはり大腸癌が転移したものだったのですか?」

 T医師は困ったような顔をしながら 

「それがですねぇ、ふしぎなことに、どちらとも言いがたい検査結果でして」

 と言いながらパソコンのキーボードを叩き、色んなデータを水田に示して見せた。PET検査のことを話すとその画像を表示させ、癌と断定することも疑わしい、というニュアンスの私見をさらりと述べた。

 そんなやり取りの間に抜糸してもらったのだが、水田の頭の中で色んな思いが駈け巡っている間に三本の糸は知らぬ間に無痛で抜き取られていて、十分間ほどの会話の中のどこかでT医師が発した『経過観察』という、すがりたくなる言葉が、脳裏に強く刻まれていた。

 翌八月二日は、四年前の前立腺癌放射線治療終了から三カ月毎に続けているPSA検査を受けるため、午前十時半前に町内のNクリニックに行く。採血し、三十分以上してから呼ばれて診察室に入る。すると、血液検査の結果PSAの値は0・353で問題なし、と告げ、N先生の方から

「肺癌の方はどうでした?」

 と聞いてくれたので答えた。

「それが、転移したものかどうかの判定は難しいらしいです。病理からのデータを見る限り、転移したとすれば大腸癌ではなく、前立腺癌の方が確率は高いと、その先生は言っていました」

 するとN先生は即座に大きな地声で自信満々に否定した。

「それは百パーセントないですね。PSAの値はずっと低いままですから」

 水田は嬉しくなってニッコリ微笑み、診察室を出た。つまり現時点では、前立腺癌からの転移、大腸癌からの転移、原発性肺癌の、いずれとも断定できないとなると、今後の経過を観察するしかないということになり、点滴での抗がん剤投与を、しばらくの間、うまくいけば死ぬまで免れることができるかもしれない。

 八月二十二日は午前九時三十分からK総合病院に行き、N大学医学部附属病院から来ている呼吸器外科のY医師の診察を受けるが、「T先生から聞かれていると思いますが」との論調で、パソコンのデータも話の内容も、N大学医学部附属病院のT医師のものとまったく同じだった。

 そこで水田はわざと、Nクリニック・N医師との顛末を簡単に紹介してから、彼の自説を伝えてみた。

「その先生は、前立腺癌からの転移は百パーセントあり得ないと断言なさいましたけど」

 するとY医師は、なるほどそうですね、ではこの病院の泌尿器外科の先生の考えを聞くことにしましょうか、と言って同意を求め、泌尿器外科の診察を受ける手はずをササッと整えてくれた。そして、このY医師もT医師と同様に「経過観察」の考えであることを確認してから診察室を出た。

 幸い三十分ほど待っただけで泌尿器外科の診察室に入ることができた。その若い先生に、蟹江町NクリニックN先生の、前立腺癌からの転移は百パーセントない、との言葉を伝えると微笑みながら、私もまず考えにくいと思います、と同意したが、少しやり取りしただけで、この若い先生はK総合病院に勤務していた頃のN先生と昵懇であることが判明した。

 問題は主治医・K医師で、「癌が血管に噛みついている病態」が目に焼き付いて離れないようで、転移してしかるべしと決めつけている節があるのだ。しかし今回は、K医師とてさすがに『経過観察』するしかないだろう。

 そして、その間に身体中に潜む癌の芽を強い生命力で全て消滅させるのだ必ず、と水田は自分に誓っていた。



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