彼方にて幻を想う ~10年かけて会いに来た俺に、あなたはさようなら、と微笑んで言った~
4作目、異世界転移なお話です。転移・転生好きの方のお眼鏡に叶えば幸いです。
編み上げた陽の光を弾く金糸の髪。
アラバスターに薄紅を乗せたような色合いの絹肌。
刺繍もレースも惜しみなく施された極上のドレス。
「私は、お祖父様です!」
それなんて、うなぎ文。
頭の先から足のつま先まで、精巧なビスクドールの如く整えられたお姫様からそう言われて、錯乱した俺は悪くないと思う。
大学受験の合格発表の日。
気づいたらわけのわからない世界に居て。
日本なんて誰も知らない、言葉さえ通じない異世界の中で。
死にたくない一念でなんとかやってたら。
お箸、を見つけた。
文化の国、アルナシィオン国の、高級食器だそうだ。
読み方も、日本語そのままの、「はし」で、「おはし」だと。
王都の食器屋で箸が作られていることを聞いた俺は、死に物狂いで王都を目指した。
絶対に、絶対に、日本人がいる!
10年かけてたどり着いて、製作者のことを尋ねたら。
一日待たされてから、この世界では見たこともない高級そうな馬車が迎えに来て。
王城に連れていかれたのには驚いた。
しかも、案内された先には、現王の大叔母と名乗る老女が幽かに微笑んでいたのだから。
「会えて嬉しいわ、お若い方。
ようやく会えた、『日本』の記憶を持つ人」
『日本のことを、知ってるんですか!?』
思わず、日本語で話してしまったのは許してほしい。
もうこの世界に来て10年にはなるから、話せるのは話せるけれども、まともに話せるのはやっぱり日本語なんだ。
この誰も知らない異世界に放り込まれて、やっと、やっと日本のことを知ってる仲間に出会えて。
歓喜、安堵、驚き、一度に感情が溢れて、一瞬、ここが現実かどうかわからなくなった。
だけどそれは、目の前の老女の方がよほど衝撃を受けていたようで。
彼女は食い入るように俺を見ながら、拭いもせずにただただ静かに涙を流した。
あんなに静かに涙を流す人を、俺は初めて見たと思う。
「ああ、わたくしの記憶は、夢ではなかったのですね。
日本は、本当に、存在したのですね」
聞けば、年は70歳を越えているそうだ。
王家の姫に生まれて70年以上、古来稀なりと言われる年月を、彼女はこの世界で過ごしていた。
日本の記憶を持って、ただ一人、生きてきたのだ。
誰も知らない、見たことも、聞いたこともない世界。
書物にも書かれていない、自分の頭の中にだけある世界。
幼少の頃は、仏教でいうところの転生か、SFでいうところのパラレル・ワールドかと、日本で生きていたことに疑問は持たなかったらしい。
童女の頃になると、異質すぎる記憶がこの世界に馴染むことを邪魔するようになり。
あれほど鮮明であった世界の記憶は、証明もできないことも相まって、いつしか現実味が薄れていき、夢か妄想かとも思うようになり。
少女となる頃には、自分の気が狂ってるのではないかと、思うようになったという。
誰とも共有できず、証明もできない記憶は、嘘か本当かわからない。
もし嘘だとすれば、今まで「自分」だと思っていた自分も、嘘になる。
この記憶は夢で、いつか、夢から覚めてしまえば、この「自分」も一緒に消えてしまうのか。
そもそもこの記憶はどこから来たのか。
誰も知らない世界を、なぜ自分は前に生きていた世界だと思っているのか。
そんな現実に無い世界を「知っている」と思う自分は、狂っているのではないのか。
自分自身が、信じられず。
人に問うても、誰も答えられず。
神に祈っても、応えはなかったという。
食欲も無くなり、憔悴し、倒れるようにもなった頃、幼少の折に親しかった男の子、ぶっちゃけ未来の旦那さんが、会いに来たそうだ。
出会い頭に。
『こんにちは』
昔、教えてもらった言葉を送り。
『花冠』
昔、教えてもらったお姫様への贈り物を、頭の上に被せたという。
なにそのスパダリ。
クリティカルヒットのオーバーキルだよ。
まぁ、庭園に響き渡るほどの、大号泣だったそうだ。
男の子、といっても、実は8才年上で、公爵家の三男さんで。
結婚もしてなくて、所属は公爵領の領軍。
5歳と13歳で出会って、18歳と26歳で再会し。
そのまま、公爵家の三男さんは、王の末娘に婿入りとなりました、と。
王家は、彼女を手放さなかった。
時が経って、年の離れた長兄が王になり。
そしてその息子の、さらにまたその息子が王位を継いでも。
彼女は現王の大叔母として、王宮にいる。
元々アルナシィオンは、文芸に造詣が深いわけでも無く、文化の国でもなんでも無かったらしい。
彼女が。
幼少の頃の彼女が。
王族なのに不便が過ぎる!!!
そう言って、暴れたそうだ。
あんた、その時、精神年齢いくつだよ。
喉が渇いたら、水ぐらい自分で注ぐわ、すぐ飲みたいの
目覚まし時計があったら自分で起きれるわ
トイレに音姫は必須よ、デリカシー!
水差しが部屋に常備されるようになり。
朝から歌い手が走り回るようになり。
トイレの場所が限定されて、楽団は隣のホールっぽい場所で演奏を一日中するように定められたそうだ。
あんた、本当になにやってるんだ。
料理をぜんぶテーブルに並べたら豪勢だけど、一品一品味わいたいの!
飯はテロなのよ!
美味しい、には出汁が要るわ、塩と砂糖をぶち込めば良いってものじゃないの!
味だけじゃなくて、お皿も、料理も、形や見栄えだって大事なの!
料理は一品ずつサーブされ、一皿ごとに説明がつくようになり。
すじ肉や骨、香草からブイヨンが作られるようになり。
料理と皿の彩が考えられ、飾り切りで華やかさを添えるようになった。
飯がテロなのは認める、よくやった。
そうやって、隣国を挟んだ一つ向こうの帝国の大使を、末姫渾身の快適生活で歓待したから。
して、しまったから。
王家は、彼女を、手放せなくなってしまった。
帝国の大使は、今まで三流の田舎国、と侮っていたことを心底詫びて、帝国に帰っていったという。
帝国本国に戻っても、歓待の見事さは興奮と共に声高に語られたそうだ。
こうして、文化の国が誕生した。
だから。
文化を創り出した彼女を。
文化の国を創った彼女を。
王家に閉じ込めて、隠すほか、もう術はなくなってしまった。
公爵家の無爵の三男を婿入りさせてまで、他家にも他国にもやらず。
無位無官の王家の末姫と、秘されることが決定されたのだ。
公爵家の三男は、夫という名で、きっと護衛も兼ねていたのだろう。
王宮内であってさえ、常に帯剣を許されていたのがその証拠だ。
エアコン、冷蔵庫付きの1LDK、令和日本の一人暮らし用のマンション。
それが。
真の贅沢を知る者なのだと、彼女は評された。
より多くの人を従わせ。
より遠くの珍しい食材を揃え。
ひたすら金をかけて衣服や家具を派手に飾り立てる。
その特権階級の贅沢を、彼女はばっさりと切り捨てた。
謙譲の美徳を知れ。
珍しいは美味しいじゃない。
引き算の美もある。
見栄や虚栄は、贅沢じゃない。
王家は、王宮の一角を末姫に与え。
末姫は、便利さこそが贅沢とばかりに、考えうる限りの快適空間を作り上げた。
その一角の、主は末姫。
そこに仕える使用人には、たとえ王族でさえ勝手することは許されず。
王宮の片隅より文化は創られ、王家により選別され、世に流れ出るようになった。
これが今なお続く、文化の国のカラクリだという。
とりあえずだな。
引きこもりニートが大手を振って認められたという、驚愕の事実だよ。
真夏にかき氷を食べたいが為に国一番の山に氷室作ったって、どこの氷室神社縁起だ。
着物の帯っぽい腰飾りとか、体のラインがわかるセクシーなドレスとか、動きやすさは正義、とかもっともらしいが。
単に食べるのに邪魔だったんだろう、コルセット。
思うところが無いわけじゃないが、文化の国の原典であることはわかった。
そして、王家は気づいてしまったわけだ。
時が経てば、原典は失われる、と。
その為の『お箸』なんだな。
「あら、それは素晴らしい深慮遠謀ねぇ。でもね、順番は逆なの。
あの人は、わたくしの言うことはすべて信じると。
一緒に『日本』のことを語り合おうとおっしゃったけれど。
それでも」
君がいるのなら、他にも、いるのかもしれない。
そして今、いなくとも、実は昔に、いたのかもしれない。
あるいはこれから先、現れるかもしれない。
君の同胞に、ここに存在するのだと、狼煙を上げようじゃないか。
いやほんと、なんてスパダリ。
惚れそう、冗談だけど。
……ありがとう、旦那さん。おかげで、同胞に会えたよ。
「あの人は本当にいい男でしたもの。冗談でも、渡せませんわ。
……一年前に、先に逝ってしまわれて。
喪が明けたら、あなたが現れた」
心の支えを失って、もはや気配も幽かとなって。
王城に連れてこられて、初めて会った時こそ喜色を浮かべたけれども。
「神様は、のんびり屋さんなのね。
とうに忘れたお願いを、今さら叶えてくださるなんて。
それとも、あの人が、神様に直訴でもしてくれたのかしら」
空に向ける憧憬の眼差しは儚く。
生きる気力が無くなっているのは、見てわかるほどだった。
王城に連れてこられて1年。
臥せるようになった彼女の、見舞い客という名の王族と話すようになって。
ここの王族、仲良いな?
死に物狂いで王都を目指した10年間で、それなりに上流階級も目にしてきたけれど。
ふつーに権力争いしてたし、家督争いの噂も聞いたんだが。
よくある王位争いとかには縁がなさそうに見える。
近くにいたお姫様に聞くと。
林間学校のおかげだと、答えが返ってきた。
林間もなにも、城内にだって王家専用の森があるよな。
学校ってなんだ、林間学校なら中学校か、あるのか中学校。
そもそもこの世界のハイキングや登山って、それ単なる軍事演習!
心の中のツッコミは、棚の一番奥の端に置いておくとして。
ほぼ半世紀前は、やっぱり、あまり仲が良くなかったらしく。
王位継承順位で、血みどろの争いもなくは無い、という感じだった所に。
彼女は王族の血筋の子供たちだけを集めて。
子供たちだけで、遊んだらしい。
子供に王も公爵もないでしょう。
この世界では難しいけれど、子供は遊ぶのが仕事です。
みんなで遊んだことがないなら、共通の場所で、共通の話題があればいいわよね。
だから、みんなでピクニック!
ボーイスカウトに、ガールスカウトよ!
それが始まり。
今でもそれは続いていて、王家の血を引いてさえいれば、10歳前後の子供は集められて、みんなで林間学校で遊ぶ、もとい、学ぶのだと。
彼女が引率の先生となる以外、大人は口出し厳禁で。
護衛兵も見守るだけで。
子供同士遊んだ記憶が。
夜になって身を寄せ合って眠りについた共通の思い出が。
大人になっても、心の底にあるのだという。
パンを分けましょう。
誰が分けるのかしら?
どう分けるのかしら?
明日の朝ごはんの分も、残しておかないといけないわね?
どれぐらい食べても良いと思う?
さぁ、それを決めるのは、誰?
林間学校で。
王とは。貴族とは。
義務と責任で語られるのではなく。
ただただ、柔らかい言葉で、語られたそれらが。
大人になってもなお、心の底にあるのだという。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
弔いの鐘が鳴る。
10年かけて会いに来て。
ようやく、ようやく会えたのに。
たったの一年で逝ってしまった。
……一年、待ってくれた。
ただ一人の同胞だったのに、俺を残して逝くなんて。
……俺が馴染むまで、向こうへ渡るのを延ばしてくれた。
「あなたも待ってみる?
わたくしのように、忘れた頃に神様がお願いを叶えてくれるかもしれないわ」
だから絶望せずに生きてね、と声にならない声が聞こえて。
『さようなら』
微笑みに、否は言えなかった。
きっと、もうすぐ傍に、スパダリすぎる旦那さんが迎えに来ていただろうから。
お姫様が迎えに来た。
彼女がいなくなったから、次は俺が原典か。
王族でもない俺は、ただの文化の道具かもしれないが。
「お祖母様から、『日本』のことを聞いて育ちました。
私は王族の中でも、文化の継承者なのです」
なるほど。
あれ? それなら、俺、要らなくね?
「お祖母様には、お祖父様がずっと付いていらっしゃいました」
お姫様が、なんかすっごく緊張してる。
俺相手に、なぜ。
この一年、思った以上に王族さんたちは気さくで。
俺ともけっこう話してて、それなりに友好関係は築けていると思ってたんだが。
特にこのお姫様、彼女にほぼ付きっきりで、つまりは俺と一番よく話してて。
友達ぐらいには、なれてるんじゃないかと思ってたんだけどな?
「私は、お祖父様です!」
それなんて、うなぎ文。
「この世界で、『日本』のことを一番よく知ってるのは私です。
だから私が、私こそが、あなた様のお祖父様です」
そこせめて、お祖母様、にしてくれないかな。
『病める時も
健やかなる時も
喜びの時も
悲しみの時も
命ある限り、心を尽くして仕えます』
どこかで聞いたことのあるフレーズなんですが、それは。
「ですからどうか、一生、お傍にいさせていただけないでしょうか!?」
彼女に、スパダリの旦那さんがいたように。
俺にも、プリンセスな奥さんができそうです。
冒頭と文末で、美少女から逆プロポーズされてても、ジャンル:恋愛にならない作品クオリティ。
ジャンル:恋愛って、難しいですね。
お読みくださり、ありがとうございました。