双月の帝国
闇色のローブをまとい、男は夜の国を歩いていた。
双月の帝国と呼ばれたこの管理国家には地上とは切り離された世界が地下に存在する。
外界の人間が容易に立ち寄ることはできないはずだが、男は一度も立ち止まることなく酒場に消えていった。
「おい、兄ちゃん。ここはよそもんが来る所じゃねぇーよ?」
男が立ち止まったのは酒場でたむろする輩に声をかけられたときだった。
すっぽりと被ったローブのせいか表情は見えない。
「なんだ?おじけづいたか?」
そう言って仲間と笑う。
未だに表情は見えないが、男はゆっくりとローブの下の鞘を握った。そして口を開く。
「ゼロという男を知らないか?」
「おいおい、そんななまくらで俺らに喧嘩売る気か?」
ひぃひぃと息が切れるほど笑い出す男達。対してローブの男は静かな雰囲気をまとったまま、右手を柄に沿えゆったりと構えた。
「そこまでにしてくれ。店内で暴れられたら困る。来いボウズ。確かベリィ酒だったな?でかくなったから思い出すのに時間がかかったよ」
「んだよ。店主の知り合いか」
グチグチと何事か呟く男達を通り過ぎ、カウンターに入っていった店主を追う。
「あの・・・」
「いいから座れ。特製のベリィ酒で乾杯だ。どうだ?懐かしいだろ」
コースターとベリィ酒をテーブルに置く。コースターの下にさりげなく敷かれた紙切れが気になり、ローブの男はおとなしく席につく。
ゆっくりと店内を見回したが、先のいざこざがなかったかのように皆楽しそうに酒を飲んでいた。
「俺達は何も知らないが、会いたきゃそこにいくといい。言っとくがこれ以上の情報を手に入れることはできないだろうな」
店主はそう小声で言ったっきりその話をすることはなかった。たまにカモフラージュとして他愛もない会話をするだけで。
二杯目のベリィ酒が半分をきったとき、店主はこう切り出した。
「尾行と待ち伏せ、さぁ、どちらが怖い?」
「厄介なのは人数が多いときの待ち伏せ。囲まれたら面倒だ」
「そうか。なら早く帰りな」
そう言って店主は入口付近を見た。その辺りには先ほど男に絡んできたグループがいる。
男は残ったベリィ酒を飲み干し、代金を多めに置いて店を出た。
しばらく歩いたが、追っ手の気配はない。
男はポケットに入れて少ししわになったメモを開いた。
『西の地に眠る』
フードを深くかぶりなおし、再び歩きだした。
東の地の店が並んだ通りには地下だというのに地上とは変わらぬ賑やかさがある
が、西の地は静かすぎるほど静寂に包まれていた。
ここだけが別世界のようななんともいえない雰囲気。
小窓から漏れた月明かりが並んだ石版を照らす。
男は見慣れた文字が刻まれていないか確認して回った。
「おいおい、兄ちゃんもしかして死んだ奴を捜してたのか?」
「あんたら…」
酒場にいた男達が入口をふさぐように立っている。
男はいつでも動けるように身構えた。
「そんな身構えなくてもいいだろ?あんたにどうしても確認したいことがあって
な。そのフードとってくれよ」
「断る」
会話を持ち掛けた男の後ろで他の者たちも嫌な笑みを浮かべている。
「なら力付くで見るまでだ、タチバナ ミツキくん」
「なぜ、その名を…」
「あなたには懸賞金がかかってるんでね。死体じゃ儲けにならねぇから大人しく
して下さいよ」
そう言って自分より大きな斧を構えた。
対してローブの男は腰にさした細身の刀を抜く。
その刀身から雫が流れ落ちる。その瞬間ローブの男は敵に向かって走り出した。
敵はいつ攻撃を受けても叩き落とせるようにと斧を振り上げる。
敵の懐に飛び込み不意をつき、地を蹴って高く跳んだ。
「ハッ、空に逃げ場はねーよ…ッ!?痛っ!!」
投げナイフが斧を構えた男の手をかすめた。
ローブの男も危険を察知して攻撃を中止し、後ろに跳び後ずさった。
その瞬間、目の前にいた男の体が地面に吸い寄せられるように倒れていった。
首には細い針のような物が刺さっている。
ナイフの飛んできた方向、墓場の入口には酒場にいた男達が倒れていて、そこに
一人佇む男は異質だった。
スーツに身を包み、髪は後ろで縛っていて、一見戦いとは無関係そうだが、口を
吊り上げて笑っていた。
ローブの男は刀を握り直し入口に向かって走り出す。
対してスーツの男は嫌な笑みを浮かべたまま動かない。
雫をまとった刀が振り下ろされるが、ナイフがそれを止めた。
しばらく刃と刃が触れ合う音が響いた。