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『童話の里』
県内西部に作られた、童話の世界を再現しようと一人の芸術家と県によって数年前に作られた観光スポット。
その名の通り、日本にはない趣溢れるロマンチックな建造物が、若者たちに受け、日々カップルたちが集まっていた。
お洒落な雑貨屋やカフェが立ち並ぶ観光地。そんな風景に決して紛れることのない『黒』が存在していた。
頭から角を生やしたシルエットは、ミノタウロスのようにも見える。
「『神成』の姿は、その人の意識に影響される……だっけか?」
ミノタウロスのような姿を見て、南部は赤いマントに真っ直ぐに突進をする闘牛を思い出す。きっと、『神成』となった人も、力で物事を押し切ろうとする性格なんだろう。
「その通りよ。そして、イメージは力になる。だから注意した方がいいわ」
人々は既に自力での避難を終えているのか。
残されているのはミノタウロスの正面。壁に寄り掛かって座る男性だけだった。髪を派手なピンクに染めている。きっと、韓国のアイドルを意識しているのだろうと南部は推測する。メイクをして、今日を楽しんでいたであろう男性の顔は、原型を留めぬほど腫れあがっていた。
南部達の前で『神成』が頬を張った。
意識を失わぬように痛めつけているのだ。
男は、「わ、悪かった。不細工とか言って悪かった」と、録音された音声のように、虚ろな視線で繰り返し続ける。
その姿に南部は自分の胸に、靄が掛ったことを感じた。小さな感情の雫が集まり、心に纏わりつく。
視線を逸らすことなく『神成』を見続ける南部に、イネが小さく肩を竦めた。
「さしずめ、捧げた祈願は「自分を笑った男を痛めつけたい」って所かしら――に、しても、あなたやっぱり平気なのね」
異形を前に表情を崩すことなく立ち続ける。普通の人間ならば、異形の化け物が目の前に現れたら混乱し、自分だけが助かろうと逃げだす。
だが、南部は逃げる素振りも隠れる様子も見せなかった。
「『申』になったとはいえ、二回目じゃまだ慣れないでしょうに。一体、何を考えてるのかしらね?」
イネの問いに、南部は目を瞑って答える。例えモノが無くなっても暗記できるほど読まされた内容を――父親の規則を口にした。
「父親の教え第23条。「人は助けるな」だ。父親曰く、人は自分が得をしたい生き物だ。だから、助けるだけ損をするって」
南部の父親の言葉に、イネは露骨に嫌悪を示す。
大きな目を細めて吐き捨てた。
「……最低ね」
「ああ。きっとそれを守ってきた俺は最低なんだ。小さい時から父親の顔色だけを疑って生きてきた」
グッと胸を抑える。胸に生み出された靄を掴もうとしても、形のない思いは決して掴めない。
この靄の正体は後悔だ。
自分がこれまで助けようとも、見ようともしなかった人々。俺が見ていたのは父親の規則で測られた世界だったんだ。
そう気づいた時、母の最後の言葉が耳に届いた。
――あんたみたいな化物、私の子じゃないのよ!
散々、父の暴力に目を瞑っていた母親が、南部の前から去るときに残した言葉。
成長と共に育つはずの自己という物差しを持たずに育った俺は、確かに狂っていたんだと思う。父親がいなくなった今も、メモ帳を秤にしていたんだから。
「でも、今は違う」
南部の中に確かな「感情」が生み出された。
それは靄を払い――力となって南部を包む。
「俺は自分の物差しで世界を見てみたい。その前にモノが、人が無くなるのは御免だ。それになによりも、俺は「人を助ける」ってことをしてみたいんだよ!」
誰に言われるでもなく自分で見つけた思い。南部はその気持ちを胸に抱きイネに手を差し出した。
「そのためなら、俺は『申』だろうが『神』だろうが成ってみせる。だから、俺に力を貸してくれないか?」
南部の決意に呼応するように、身体が白い光に覆われていく。
光が細かな毛のようで――。
「本当に訓練もなしで『申』に……。なるほど。じゃあ、私の相棒に相応しいかマワしてあげるわよ!!」
イネが差し出された手を掴むと、南部の首に黒い模様が浮かび上がる。それは南部とイネを繋げる首輪。
『申』と『回士』が一つとなった証であり、『神』を鎮める唯一の手段。
「これで、あなたは『神』を倒せる。思う存分、暴れなさい!!」
「ウキャァァァァ!」
南部は知恵を持たぬ獣となって、自分の本能に従う。
人を助けるという純粋な本能。
人並外れた脚力で、童話の世界に出てくる建築物の屋根へ飛び移る。そして、高い場所から『神成』の顔を掴み、壁に叩きつける。
光る猿と黒い牛人の争い。
「この子……強い!! 回士の力を送るだけで『神成』を圧倒してる!? こんなの――初めてよ!!」
右手を南部に掲げたまま、更に力を込める。イネの動きに呼応するように乱暴に叩きつける南部の腕力がより強くなった。
「このまま、止めを刺すわよ――南部 勝!!」
イネの叫びに『神成』の顔から手を放す。低く腰を落とした南部の右手。白い光が強く集まっていく。
獣となった南部の雄たけびと同時に振りぬかれた拳は、牛の頭を砕いた。頭を失った『神成』は、影が光に溶けるように消えていく。
「初めてにしては、上出来すぎるわね」
イネが消えた『神成』に手を合わせる。
すると、南部の発光も弱まり人の姿へ戻っていった。
「お疲れ様。無事、『神成』を倒せたわよ」
ポンポンと。
ペットを褒めるように南部の頭をイネが撫でる。小さなはずのイネの手が何故か大きく感じられた。
「俺は……この手で『神成』を?」
「そうよ。で、どうだったかしら、初めて人を助けた気分は?」
イネの問いに南部は、虚ろな表情のまま涙を流す男を見つめる。自分が助かったことに安堵し、助けた二人に礼も言わずに去っていった。
父親の言う通り、人は自分のことしか考えていない。現に今だって助けたにも関わらず「礼」という簡単な報酬を渡すこともしない。
でも、南部はそれでよかった。
そう言う人間がいると自分で測ることができた。
それに――。
「やっぱり、父親の言ってたことは間違いだった。少なくとも俺は、相手が何をしなくても――なんか得した気がする」
顔をくしゃりと崩して笑う南部に、イネは一瞬、大きな目を開いたまま固まるが、すぐに笑顔になった。
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