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「……凄いな」
精巧に毛並みまで表現された猿の石像は生きているかのようだ。少しでも視線を外せば、餌として食われるのではないかと錯覚してしまう、命への貪欲さが石像にはあった。
「うん? この猿……」
よく見れば、猿には六本の腕があり、それぞれ、目、口、足を両手で抑えているような格好をしていた。
実在する猿とは違う姿に困惑する南部にイネが答えた。
「これは、見ざる、言わざる、動かざるの三猿が一つになったモノよ」
イネが三位一体となった銅像に手を沿える。イネの言葉を頭で反復した南部は、自分の記憶とは違う並びに違和感を覚えた。
「あれ? 三猿って見ざる、聞かざる、言わざるじゃなかったか? というか、そもそも別々だったような?」
自身の記憶をより深く探るように視線を斜め上に動かす。そこに答えがあるわけでないのに、目を向けてしまうのは、南部の小さなころからの癖だった。
思い出す三猿の姿は、三匹が仲良く並んだ姿。決して、三匹が一つになった阿修羅のような姿ではなかったはずだ。
「まあ、どれも同じようなモノよ。それにこれは適性を知るための道具でしかないしね」
イネは台座から手を放すと、再び南部の手を掴み石像の裏へ回る。台座には手形が二つ付いており、そこに手を合わせるように指差す。
「ここに手を置いて、力一杯、押してみなさい」
「……なんで、俺が」
「いいから、早くしなさいよ」
イネは南部の手を掴み台座に運ぶ。手の平に付けた石像からは冷たさが。手の甲に触れたイネからは優しい温もりが。無機物と生物の温度差に挟まれた南部の手は、まるでそこだけ切り離されたかのような浮遊感があった。
こんな状況でも、異性を意識してしまう自分が嫌だった。イネがふりまく甘い香りを振り払うように首を振るう。
もしも、父親が見たらこんな俺を殴ることだろう。「やることに集中しろ。異性に現を抜かす余裕がお前にはあるのか?」と。
「分かったよ」
南部が頷くと、重ねられたイネの手が離れた。すこし名残惜しいと感じた自分を恥じるようにして、左足を半歩下げて力一杯押し込む。
すると、石で作られている猿の像が、「ズズズ」と動いた。
「嘘だろ……?」
押して動くようなモノには見えなかったが、台座に車輪でも付いてるみたいに簡単に動いた。動くとは思わなかった南部は台座の下部を覗く。
車輪もなければ、擦れた後もなかった。
異質な石像は一体何なのか。南部はイネに問うために顔を上げた。
「うん。やっぱり、動いたわね。……それ以外には変化なし。適性は『申』だけね」
いつの間に撮影していたのか。
イネはスマホの背面を南部に向け、音声を含めて記録していた。
石像が動いたことで満足したのか、女子高生らしく派手に装飾されたスマホをポケットにしまう。ジャラリと可愛らしい人形がポケットに吸い込まれた。
「さてと。じゃあ、あなたにはこれから、マワされるため、ここで修行して貰うわ」
「マワされるために修行って、ちょっと待てって!! 俺は今、何されたんだよ!」
「何って適性を見たに決まってるじゃないの。ほら、話は終わり。付いてきて」
後ろで手を組んだイネは、クルリと踊るように背を向ける。
サルになって、マワされる。その言葉にこの先でどんな事が行われるのか。期待が勝手に膨らんでいく。
だが、南部はその後を追うことはしなかった。強制的に人を支配しようとする行為はこれまでの人生だけで充分だ。
これまでの経験が膨らむ期待を無理矢理に萎めていく。枯れた果実のように干からびた期待は、南部の意思から消えてなくなる。
「ちょっと、なんでこないのよ」
「当然だ。説明もなしに付いて行けるか! 一から説明してくれるんじゃないのか?」
「もう、一は説明したでしょ? どこまで説明するか、私はあなたに伝えていなかったと思うけど……?」
スタート地点は決めたがゴールは決めていないと、イネは瞬きを繰り返す。
「確かにどこまで説明するかは言ってなかったけど、でも、それで納得できると思うのか?」
「はぁ……。全くしょうがないわね。付いてくれば、気持ちのいい白いモノが出せるっていうのにさ」
「気持ちのいい白いモノって……、お前!! 俺を揶揄うな!」
何を言っているんだと息を荒げる南部に、面倒くさそうに南部を固定していたパイプ椅子へ戻っていく。
そして、「一度しか言わないからよく聞きなさいよね」と、説明を少しでも早く終わらせるために、早口で石像を押させた意味を語り始める。
「いい? これは人の適性を調べるための――テストみたいなものよ。あなたも知ってるでしょ? 『神鎮隊』がどうやって『神成』と戦ってるのかを。あなたの父親は社会科の教師だったんだから」
社会科の教師なのに、教え子に手を出すなんてと言いたそうに微笑むイネ。変なことを想像した南部も同類だと言いたいのか。
その笑みから逃げるように、南部は口を開いた。
「体の『申』と、心の『回士』。二つの力を合わせて『神』を鎮める」
「その通り!」
パイプ椅子から立ち上がったイネは、腰に手を当てて南部を指さす。その格好は一昔前に流行ったライトノベルの表紙みたいだ――と、南部はまた、余計なことを考えてしまっていた。
南部の雑念を見通したかのように、笑いイネは説明を続ける。
「で、この石像を押すと、その適性が分かるのよ。押して石像が動けば、『申』に。目が開けば『回士』に。で、口を開けば才能なしってわけ」
「じゃあ、俺は『申』ってことか?」
「そう言うことになるわね。まあ、『申』に適性があることは、テストしなくても分かってたんだけど」
「え?」
「だって、そうでしょ? あなた、『神成』を殴り飛ばしたって聞いたわ。そんなことが出来るのは『申』だけじゃないの。もっとも、『回士』がいないで、うまく行ったのは、偶然としか言えないけどね」
イネが、「今度こそ行くわよ」と扉に手を伸ばす。すると、イネの手が扉に届くよりも先に――勢いよく扉が開かれた。