17
「今日から俺はここで暮らすのか……」
焔に渡された鍵は、『富士山支部』にある隊員達が生活する寮の鍵だった。
目の前に建てられた寮は、古く、街の外れにあれば肝試しにでも使われそうな外観だった。
「一人暮らしで必要なモノは多くなりそうだ……」
今にも崩れそうな風貌。中も酷いに違いないと覚悟を決める南部。
初めての一人暮らしに加えて
「おばあちゃん、ありがとう」
両親を失った南部は、母方の祖母と二人で暮らしていた。『神鎮隊』に入ること、そのために寮に入りたいと南部は告げた。
まだ、高校生であり命の危険がある『神鎮隊』。
祖母は反対すると思ったが、意外なことにすんなりと受け入れてくれた。「これまで、娘が縛り付けて悪かった」と。祖母は娘を説得できなかったことを南部に詫びた。ほんの気持ちだと、渡された通帳には南部からすれば、大金と呼べる額が貯蓄されていた。
「よし」
南部は渡された鍵に記された番号の部屋へ移動する。鍵を入れると「カチャリ」とロックが外れ扉を開いた。
「中は……。前の住人の趣味か? 凄いお洒落だな」
玄関の脇には、白の花々を輪にしたフラワーリースが二つ掛けられていた。生花を使っているのか、花の香りが玄関に満ちる。廊下の先には大きな鉢に入れられた観葉植物が緑の葉を広げて手招きする。
南部が両親と暮らしていた家には無駄はなく、祖母の家は昔ながらの平屋。こんなお洒落な家に入るのは初めてだった。
外見とはだいぶ違う内装に、きょろきょろと視線を動かして中に入っていく。廊下を歩き、閉じられた扉を開くと――制服に着替えているイネがいた。
今まさに、上半身に制服を纏うところだったのか。
扉の正面を向いて着替えていたイネの下着姿を、南部は直視してしまう。
「うわぁ!!」
当然の光景に驚き、慌てて扉を閉じる。そして、廊下を抜けて玄関の外に出る。受け取った鍵と部屋の番号を確認する。
その数字は「3」。
間違えてはいなかった。
「なんで……」
どういうことだと混乱していると、イネが外に出てきた。
平然と下着に制服を羽織っただけの格好でだ。
「なんではこっちの台詞よ。何逃げてるのかしら?」
「そりゃ、逃げるだろうよ。ここ、俺の部屋じゃないの?」
「そうね。あなたの部屋ね」
「じゃあ、なんでイネさんがいるんだよ」
「まあ、私の部屋でもあるからね」
「うん?」
「ふん?」
互いに食い違う無いように同時に首を傾げる二人。
食い違いの原因に先に気付いたのはイネだった。
「あなた、聞いてないのかしら? 相棒となった『申』と『回士』は同じ部屋で暮らすのよ」
「なっ!! そんなこと焔さんは一言も言ってなかったぞ!」
「あの見栄の塊は、自分が百合ちゃんと一緒に暮らしていると知られたくなかったんでしょうね」
南部は焔と中学生の少女が暮らしている姿を想像するが、全く情景が浮かんでこなかった。
イネが制服のボタンを締めながら、部屋の中に南部を呼ぶ。
「ま、そういう訳だから、いつまでも玄関先で話している必要はないでしょ? 早く入りなさいよ」
「……お邪魔します」
「だから、ここはあなたの部屋でもあるんだって」
何故、おんぼろな外装に対して中がお洒落なのかその理由を、南部は理解した。
単純に人が住んでいたから。
今どきの女子高生なイネは、部屋にこだわりもあるのだろう。廊下の突き当りにある扉を潜るとそこはリビングになっていた。
白のテーブルと白の椅子。共に脚は薄い木色。どうやらイネは白とウッド調の家具で部屋を統一していた。
「一応、ここがリビングで、左右それぞれに部屋があるわ。因みにトイレは廊下の脇よ」
簡単に説明して貰った南部は部屋が『干』の形状に広がっていることを理解した。
「ま、今日は特別に私がお茶を入れて上げるから、座ってなさいな」
「……ありがとうございます」
自分の部屋になるとは到底思えぬ環境。
清掃も行き届いているのか、大きな汚れもない。大きく動かすことで汚れが付くのではと恐れた南部は静かに椅子を引いて座る。
「はい、どうぞ」
「……どうも」
差し出されたカップは、この部屋には似付かわしくない、キャラクターの形をしたカップだった。
どういう基準で生活環境を整えているのか、南部は少し興味が湧くが、今聞くのはプライベートなことではないと違う疑問に切り替える。
「その……。どうして、『申』と『回士』が一緒に暮らさなきゃいけないんだ?」
「それはね、互いをよく知ることで意思疎通の純度を高めることが出来るからよ」
「純度……?」
「そう。『申』は一つの意思意外を全て捨てることで変化する。そこに『回士』が介入してコントロールするわけじゃない?」
イネが前に座る南部に手を翳すと「ポゥ」と首周りに黒い模様が浮かび上がる。子の首輪こそ二人が相棒として繋がっている証。
「だから、『回士』と『申』がより同じ方向を見てなきゃ力が発揮できないのよ。ま、簡単に言えば音楽性が違えばバンドが解散するみたいなものよ」
「は、はぁ……」
南部は曖昧に頷きながらお茶を啜った。音楽性の違いでバンドが解散するという例えがしっくり来てないのか、緑茶の爽やかな苦みで、理解できぬ例えを流し込んだ。
ふと、リセットされた脳に一つの疑問が浮かんできた。
それは、焔が言っていたイネの通り名――【サル壊しのイネ】について。猿を壊した経験があるということは、南部意外の『申』と生活を共にしたことがあるということだ。
「イネさんはこれまでに何人と暮らしてきたんだ?」
デリカシーの欠片もなく、南部はこれからの天気でも確認するような口調で言った。