16
「もうちょっと、普通に学びなさい!!」
イネは怒りのままに叫ぶと、南部を強制的に『申《サル』へ変化させた。
白い光を纏った南部は、イネの怒りに同調したかのように、焔を睨む。
「半端な状態では『神成』は無理でも、人くらいなら倒せるわよ?」
強制的な変化では『申回士』としての実力は半分も出せない。だが、相手が『神成』でなければ、充分に倒せる。
そして、イネが送る意志は――焔を倒せ。
「待て!! 今、俺には百合がいないんだ!」
焔は、イネの怒りに対してホワイトボードの裏に隠れた。
相棒の百合さえいれば、『申回士』としての経験を積んでいる焔が苦戦することはない。
だが、それは二人揃っての話だ。この場に、一人の焔で、は対抗する術がなかった。
「だったら、もっと普通に教えなさいよ」
焔の情けない姿に満足したのか、イネが意地悪く微笑んだ。童話に出てくる子供を騙す狼のような笑みだった。
今なら焔を丸のみ出来そうだ……。
「……分かったから、早く解除してくれ!」
焔の懇願にイネは、南部に送っていた『回士』の力を弱めていく。
光がグラデーションを描くみたいに消えていった。
強制的に変化したからか、まだ記憶の整理がついていないらしい。
「あれ、俺は……?」と、イネと焔を交互に眺める。
「話の続きをしてくれるらしいから、早く座りなさい」
明らかに何か起こったと察しながらも、イネの威圧は追及することを許さなかった。
後で焔さんに聞こうと、南部は視線を泳がせながら、黙って椅子に腰を降ろした。
「そ、それでは、『申回士』について説明していく」
小さな咳払いと共に焔は、落ち着いた声色で、ホワイトボードに文字を書いていく。
書かれた文字は――、
『申』と『回士』。
「まずは……」と、焔が『申』を指した。
「『申』は言わずともがな、俺達のような人間だ。一つの目的だけを意識に残し、それ以外は知性さえも捨て身体能力を引き出すんだ」
「ま、簡単に言えば人は脳の数パーセントしか使えてないって言うアレね」
焔の言葉に付け足すように背後からイネが言った。
余計なモノを捨て潜在意識を引き出す行為。
それが『申』が行っていることだと……。
南部は、自分がそんなことをしているのかと、少しだけ目を丸くしていた。
ただ、人を助けたいという想いだけで戦っていたのだが、その結果が『申』に結びついているようだ。
「普通は、相当な修行を積まないと、その領域まで辿り着かないんだけど、あなたの場合は、親に束縛されていたことが良い具合に作用してるみたいなのよね」
「……なんか複雑だけど」
父親が関わっていることが、少しだけ嫌になる南部。しかし、目覚めたきっかけはどうであれ、力はどう使うかが重要だと切り替える。
南部が『申』について受け入れたのを見計らったのか、「次に……」と焔が話を進めた。
「それに対して『回士』は、知能を保ったまま力を引き出す。身体全体ではなく、力の一部を引き出し『申』へ送る」
人が持つ潜在能力を引き出すことは同じだが、その役割はまるで違っていた。
「似たようだけど違うという点だと、短距離走と長距離走みたいなモノかしらね。『申』は短距離で『回士』は長距離よ」
自分の持てる力を一気に引き出して駆け抜ける短距離走。それは『申』。
『回士』は自分の体力やペースを管理しながら長距離を走りぬくイメージだとイネは前に出る。
短距離を走る『申』に、体力を与え続けるのが『回士』の役目だと。
「で、その二つが合わさることで神にも抵抗する力を手に入れるのよ」
バン! と、イネが突然ホワイトボードを叩いた。その音に驚いた南部は、伸びた背筋を更に伸ばす。
……いつの間にか教師が変わっていた。
「おい、教師は俺だ。邪魔をするな紫 イネ」
「あら、ごめんなさいね。優秀なのに教えるのは下手みたいだから、つい、手助けをしたくなってしまったのよ」
顎先に手を当てて優雅に勝者の笑みを浮かべるイネ。その挑発的な態度に何か言いたげに唇を震わせるが、「……対する『神成は――」と、説明を始めた。
相棒である百合がいない場では、何をしても勝てないと学んだのだろう。
「『神成』は自身の祈願で強引に力を引き出す。『申回士』と違うのは、他人の意思を拒絶すること。そして異形へと変化すること。それを除けば――」
「根源は『申回士』と同じ……」
「ああ、南部は理解が速いな」
深く頷く焔。
「だからこそ、俺達は『訓練』をしなければならない。中途半端な覚悟で『申』になれば、力を引き出せないからだ」
「それは身をもって知りましたよ」
それを分からせるために三角は、先日、焔達と戦わせた。
三角は言葉よりも身体で理解させるタイプだったらしい。
先に説明してからでも良かったのではと南部は思うが、説明書を読むよりも実際に動かしてみる人間がいることも知っていた。
父親は絶対にルール等を把握してから行動に移せとよく言っていたっけ。
まだ、流れた月日は浅いのに、どこか遠い日のように感じた。
昔を懐かしむ南部に焔が講義を続ける。
「お前がこれまで『神成』を倒せたのは相手が弱かったからだ。『神成』は個体によっては完全に知能を残したまま、異形に変化する場合もある」
グルンとホワイト―ボードを回す。
真っ新な面に描く。
大きく描かれた文字は――『祷能』。
「そうなると『回士』が重要になるが――何故、それを使わない? 紫 イネ!」
その言葉は生徒であるはずの南部ではなく、横に立つイネに向けられていた。
焔の視線を背で受けるイネ。
「……別に。これまで使う必要がなかったし、私には『別の力』がある。それだけよ」
これまで――南部は、自分よりも小柄なイネを小さいと感じたことはなかったが、不思議な国にある薬でも飲んだかのように小さかった。
頼りのない背に焔は容赦のない声をかける。
「……嘘を付くな。本当はまた『申』が壊れるのが怖いだけだろ? 『サル壊しの紫』だもんな」
「その呼び名で私を呼ばないで!!」
ホワイトボードを強く叩いた。イネの心情を現わすかのように大きく揺れて倒れる。
「いつまでもそうして逃げられると思うな……。例え壊れるとしても――使わなければならない時が来る。その覚悟を決めておけ」
「……うるさい!!」
イネは子供のように声を上げて、道場から出て行ってしまった。
その背を見届けた焔は、「やれやれ」と倒れたホワイトボードを起こした。
「イネさんとその『祷能』に何の関係があるんでしょうか?」
二人の会話に入れずにいた南部が聞いた。
「『祷能』は、『回士』が持つ超能力みたいなものだ。もっとも、『申』を通さないと発動しないがな」
「超能力……」
「ああ。紫 イネはその力が強すぎてな『禱能』に『申』が追い付けずに壊れるんだ――。だからこそ、相棒であるお前には、しっかりと訓練に励んで貰いたい」
焔はポケットから鍵を取り出すと――南部の机に優しく置いた。